- ナノ -

ガツン!

鈍い音が響き、ドサリと重い音が塀から落下する

後方から聞こえた音に滝夜叉丸が振り返れば、平然とした顔で喜八郎がこちらに駆けてきた

五、六年生に比べれば戦闘経験が浅いということなのだろう、2人で行けとは言われたものの、このマイペースな同室の相棒の相手はいささか骨がおれる

そう滝夜叉丸は思うのだが、それは喜八郎だって同じように思っているというのはまた内緒の話だ


「何人だ?」

「2人 下っ端じゃないの?」

「それはいいが、お前のその武器、どうにかならないのか」


喜八郎が肩に担いだ踏鋤を呆れたように見やれば、喜八郎がきょとんと首をかしげた

忍の武器が踏鋤というのはどうなのか、滝夜叉丸はいつもそう言ってくるが、喜八郎は意味がわからないでいる


「一番手になじむものを使っているだけ」

「だからといって、殴り倒すのはどうかと思うが」

「美しくないって?滝はそればかりだね」


何も喜八郎だって踏み鋤ばかりを振り回しているわけではない

忍具一式はきちんと使えるが、やはり自信をもって扱える武器を使えるならそれに越したことはない

それにこれは、喜八郎なりに出した答えでもあった



『武器に踏み鋤を?』

『駄目ですかねぇ』


穏やかな昼下がり、縁側で足をぶらつかせながら喜八郎は尋ねた

三年生になって半年ほど経った頃、自分の得意武器を決めろと言われたのだと呟けば、鴇が合点がいったように笑った


『それが一番しっくり来るんだったら、いいんじゃないか?』

『…本当に、そう思います?』


茶を湯呑に注ぎながら答えた鴇の表情を伺うように問えば、鴇が視線をあげて喜八郎に問う


『もどかしいね 何だい、その探るような聞き方は』


怒っているわけではないが、イマイチ喜八郎が何を言いたいのかわからなかったのだろう

少し眉根を寄せて首を傾げた鴇に、喜八郎もはっとしたが何と言ったものかと髪をガシガシと掻いた

しばらく言葉を探るように唸って、ポツリと呟くように言葉を落とす


『変だ、って言われてまして』

『まあ、一般的ではないな  …ああ、そういう話か』


なんて事はないように呟いた鴇に喜八郎が視線を送れば、理解したのだろう鴇が小さく笑った

教師からそう言われた時、喜八郎の頭のなかに真っ先に浮かんだのは踏み鋤であった

周りがいろいろと唸りながら考えるなかで平然としていたからだろう、お前は何にしたのだと問われて答えれば何故か一斉に笑われた

―変わり者の綾部らしい

―お前それはないだろう

―真面目に考えろよ

色々な声が聞こえるなか、喜八郎はその空気の意味が理解できなかったのだ


(何が、おかしいのか)


変えるつもりはない

だけど、悶々としてしまった

何が正解なのか、それをはっきりさせないといけないのかというのすら喜八郎にとっては曖昧で、授業を終えていつも通り穴を掘っていた

ザクザクと地面を抉る

どの角度で土に刃先をいれれば効率よく掘れるか、よくわかる

どう握れば最小限の力で最大の力を通せるのかもわかりきっている

持ち上げてヒュン、と空を切る

うん、スムーズに動かせる

だけれど、

やはり何だかモヤモヤとしていたところ、通りがかった鴇が茶に誘ってくれたのでこうして縁側に座っている


『意図は理解してるんだろ?何故得意武器を作れと言われたか』

『自身に適したものを理解して、極めろという話かと』

『そうだな 最終的に自分の命を守るための武器だ』


貸してごらん、と言われて喜八郎は自身の踏み鋤を鴇に差し出した

それを受け取って鴇がじっくりと見やる


『笑った子達の脳裏によぎったのは、これを武器にするイメージがつかなかったんだろう』


携帯性に特化しているわけでもなく、殺傷能力に秀でたものでもない

ましてや忍具でもないのだ、尚更だろう


『でも、お前はこれがいいんだろう?綾部』

『はい』


ちょっと軽くふるってみてよ、と言って鋤を返してきた鴇の言葉に喜八郎は中庭に降りてひゅんと踏み鋤を振ってみた

どこを支点にすれば一番力が入りやすいか、どう動かせば身体に沿うか、感覚的にだが大分わかるようになってきたつもりだ

だけど、


『鴇せんぱ、…!』


これくらいでいいかと鴇に問おうとした喜八郎は、突然目の前に迫った何かを反射的に鋤で弾いた

何かと思えば、鴇が木刀を片手に切っ先を喜八郎に向けていた

先ほどの衝撃はこの木刀だったらしい

どういうつもりかと問おうとする前に、鴇が勢いよく木刀を喜八郎に振るう

慌てて構えれば、鴇がタン、と縁側から中庭へと飛び降りた

そして


『次、いくぞ』

『ちょっ…!』


カン、カン!と木と木が弾く音が響く

見えないことはないが、喜八郎は鴇の攻撃を防ぐのが精いっぱいであった

鴇の攻撃が思ったより重いのか、何とか受けているが少しずつ腕が重くなる


『ほら、反撃はどうした』

『…っ!』


鴇の言葉に喜八郎は身体を無理やり捩じった

しかし、鴇は反撃をしろと言うが、体勢が全然整わない

カン、カン!、カン!!

攻撃の速度があがるにつれて、受ける感覚が短くなる

息が切れて、腕があがらなくなってくる


『重心をもっと前 足を肩幅より広めに開く』


合間に聞こえた声に咄嗟に従えば、急に息がしやすくなった

驚くより先に鴇の木刀がまた飛んできて構えたが、今度は随分軽く感じる


『下から受けるんじゃなくて高さをそろえろ 交錯させればいい』


その一言に喜八郎の頭のなかで何かがストンと落ちた

体制が整えば、息も整う

重かった腕も楽にあがって視界が広くなる

鴇の木刀を受ける直前、少し軌道を変えて空を掻くように振るえばがっちりと木刀に鋤が絡む、そして


『いいんじゃないか?』


カラン、と吹っ飛んだ鴇の木刀が地面に落ちて音をたてる

肩で息を切りながらソレを見つめていれば、鴇はニッコリと笑うのであった











ひゅん、

暗闇から飛んできた矢を素早く鋤を振るって叩き落とせば、滝夜叉丸が線輪を間髪いれずに飛ばす

するとまた重い音が木から落ちる音がした

今ではもうすっかり手足の一部のように扱えるようになったこれは、鴇が与えてくれた力のひとつだ

武器として改造された鋤をそっと喜八郎が撫でる一方で、滝夜叉丸がどうだと喜八郎へと息巻く


「音なく仕留める それが忍というものだ」

「結果は同じ 過程が違うだけでしょ」

「何をいうか、そもそも」

「殺しの美学って奴かい?拙僧も混ぜておくんなさいな」


言い争う2人の間に、突然気配が割って入った

妙に間延びした高い声と、ぞくりと背筋を走った殺気に身構えると同時に滝夜叉丸は首に鋭い痛みを感じた

視界に走った赤に、喜八郎が目を見開き、叫ぶ


「滝っ!」

「目を離すなっ!!」


瞬時に距離をとったものの、滝夜叉丸の首筋を熱い何かがしたたり落ちる

自分を背に隠し、振り返ろうとする喜八郎に滝夜叉丸は叱咤をとばした

目を逸らしていなかった状態でさえ捉えきれなかったのだ、油断は禁物だ


「おんやぁ?浅かったようで」


ヒリつく痛みを手で探れば、ベトリと血が掌に纏わりつく

首の皮1枚とはよくいったものか

出血は派手だが、傷自体は全然浅手だ

それよりも相手から目を離すなと再度忠告して、滝夜叉丸は相手をじっと見遣った


「滝、どこやられた?」

「大したことない 少し切っただけだ」


ニコニコと笑みを浮かべた猫目の男

法師のような出で立ちだが、彼が右手に装着した鉤爪が嫌でも目に付く

刀のように切り結ぶものではないが、殺傷能力は高い

先には赤い血が滴り落ちており、自分の首筋を裂いたのはアレかと滝夜叉丸は目を細めた


(それ、よりも)


傷の痛みよりも、その攻撃が目で追えなかったことの方が危機感を煽る

4のいに所属する忍たまのなかで、滝夜叉丸も喜八郎も周囲よりも頭ひとつ抜きんでている

忍術しかり、体術しかりだ

5年、6年の先輩には及ばずとも、そこいらの武芸者には負けない自信だって技術だってある

それなのに、


(視界にすら、止められないとは)


思い返してもぞくりと嫌な汗が背を伝う

自分は七松小平太との組合だって、委員会で毎日のようにしている

いくら小平太が手加減をしてくれているからといって、こんな感覚を味わったことがない

首の皮1枚繋がったことだって、自分が躱せたからか相手が手を抜いたからなのかもわからないのだ

ポタポタと、血が垂れるのを他所に男が口を開く


「忍の学校と聞いてねぇ、さぞかし面白いのだろうと思っておったんよ」

「………鵺の、一味か」

「へえ、ようご存じで」


ニコニコと男が真っ直ぐに掌を滝夜叉丸と喜八郎へと向ける

何かの攻撃かと身構えたが、そこには武器は存在しなかった

右手の掌に刻まれたのは「蛇」の文字

それに目を見開けば、男がカラカラと笑う

アタリであり、ハズレだ

何だって4年生しかいないこの場で敵の重要人物の一人と遭遇せねばならぬのか


「そう身構えなくてよろし 拙僧なんて、大した使い手やないんやから」

「…そのわりには、殺る気満々じゃぁないか」

「あはは、バレてしもた?ちょっと手ごたえありそうでワクワクしててなぁ」


ビリビリと、先ほどから感じる殺気が痛い

その証拠に、前に立つ喜八郎が先ほどから一瞬たりとも男から目を離していない


「我を忘れると仕事にならんからぁ、先に教えてちょうだいな」

「……何を、」

「嘉神鴇は、どこにおりますの?」


主目的だから当然か

それでも誰が答えるかと2人が睨み返せば、男が困ったように笑う

想定内というのか、大した問題ではないのだろう

肩をわざとらしく竦めて声高らかに笑う


「やっぱ教えてくれへんよねー 子どもらの結束ってのは固いもんやしぃ?」

「…馬鹿にす、」

「なぁ、坊は嘉神鴇やあらへんの?」


反論しようとする最中、滝夜叉丸の言葉を遮って男が声を発す

まっすぐと指された指先に、滝夜叉丸は意味がわからずに眉を顰めた

ここにいるのは自分と、


「特徴だけは知っててなぁ 灰色の髪と整った顔立ち、坊と特徴がよう似てんのやけど」

「!」


まっすぐと指された指先に、立つ喜八郎は真っ直ぐに男を見返していた

特徴だけを聞けば、喜八郎は十分鴇と一致する

珍しい灰色の髪の色しかり、顔立ちしかりだ

だが、どう言われようと此処にいるのは綾部喜八郎だ 嘉神鴇ではない


「何を、」

「それで?」


馬鹿な、と否定しようとする滝夜叉丸を静かに喜八郎の声が掻き消した

驚いて息を呑んだ滝夜叉丸を他所に、喜八郎が一歩前に出て相手を睨みつける


「僕をどうしようっての?」

「おや、やはり坊がそうかい ちょいと拙僧と来てくれないかね?」

「どこに?」

「鵺の旦那が、坊と会いたいんだそうな」


開いた口が塞がらない、それと同時にゾクゾクと嫌な予感が滝夜叉丸の背を走る

じいっと男を見る喜八郎の眼差しにはブレがない

いつもの、したいことをする曲がらない意志の強い眼差しだ


「いいよ」


話が滝夜叉丸の理解の外でどんどん進んでいく

意味がわからない

そう思う一方で、嫌なシナリオが一気に組み上がる

考えただけでゾッと寒気が走り、慌てて撤回を求めて口を開いた


「喜…っ!!」

「あぁ、お連れさんは遠慮してぇな」


目を離したわけではなかった

それなのに、一瞬で喜八郎と滝夜叉丸の間に飛び込んだ男が目前へと迫る

充分に距離をとったはずであった

油断もしていなかった、それなのに滝夜叉丸の警戒心も守備範囲もすっとばすように潜り抜けた男の顔が迫ってくる


「滝っ!!」


横を抜かれた喜八郎の焦る声が届くが、それどころではない

ギラリと、鉤爪が暗闇で鈍く光る


「坊もかいらしいけど、用があるのはこっちの子だけなんや」


ザクリ、と身体に鈍い音が響く

吹っ飛んだ身体が、ガラガラと塀の上の瓦を引き連れて砂埃が舞う

首に受けた熱と、同じ熱が胸の上を駆け巡り

斬られた痛みと、圧迫する鈍痛に息が詰まる

グラグラと揺れる視界と、またもや目前に迫った男の武器が眩しい


「堪忍なぁ 往生しぃや」


しゅっ、と空気を斬る音が降り注いできた、それと同時である


「ねえ、僕も気が長い方じゃないんだけど」


ひゅん、と喜八郎の踏鋤が男の首筋に直撃する前にピタリと止まる

ニコニコと笑った男が、全く動じないまま口を開く


「おお、怖い」


滝夜叉丸の首を貫く鉤爪が先か、喜八郎が男の首の骨を叩き折るのが先か

両者一歩も動けぬ状況なのに、男は笑みを浮かべるのをやめない


「嫌やわぁ そない怖い声出さんくてもええやないの」

「用があるのはこっちでしょ?余計な時間とらせないでよ」

「はは、肝の据わった坊やね 気に入ったわぁ」


放っておいても問題ないし、お別れするの待ったるわ

カラカラと笑って引いた鉤爪と男に入れ替わり、喜八郎が滝夜叉丸をのぞき込む

男は言葉のとおり、喜八郎と滝夜叉丸と距離をとり此方の様子を窺っている

応急処置だけは許してくれるのか、喜八郎が頭巾を裂いて滝夜叉丸の傷を押さえつけた


「…どう いう、つもり、だ」
            
「どうもこうも、アイツは「僕」に用があるって」


無表情で止血作業をする喜八郎の胸倉を掴み絞るような声で滝夜叉丸は問うた

普段から読めなかった思考が、ここにきてまだ拍車をかけるのか


「お前は違う、だろう お前、は」

「後手に回れば、それだけ被害が増えるんだよ 滝」

「だ、からといって」

「これ以上、余計な口出しするなら黙らせるよ」


無表情と思っていた友の目の、瞳孔が完全に開いていることに気づいて滝夜叉丸は息をのんだ

感情の起伏がわかりづらい、何を考えているかわからないと思っていた友の、真意がそこにはアリアリと書かれていた

この目をする時の喜八郎がどれだけ厄介か滝夜叉丸は知っている


「今は、生き残ることだけ考えてなよ」


忍としての、友がそこにいた

欺き、潜り、奪い去る、それを忠実に実行しようとする友がそこにいた

それであれば、自分だって同じ気持ちだ

痛む身体にぐっと力を入れて、滝夜叉丸は喜八郎へと縋った


「?滝?」

「ま、だ 私は戦える…っ 私と、お前なら…っ」

「あれはダメ、敵わない」


即座に返された言葉に、滝夜叉丸は息を飲んだ

自分は自覚したくなかったそれを、喜八郎がはっきりと言い切った

敵わぬから退くのか

そんなのは、自分の矜恃にも、体育委員会の方針にも反していた

それに喜八郎も普段から逃げをよしとした戦い方をしない

どちらかと言えば前にしかでず、後退するくらいなら当たって砕けるタイプだ


(それなのに、こんな戦法をとるとは)


情報を奪う意味もあるのだろう、そしてこの場で全滅することを避ける意味もあったのだろう

感じていた胸騒ぎはこれだ

圧倒的な戦力差、あの猫目の男の方が自分達の何倍も上手だ

それを自分よりも先に感じ取った喜八郎は、線を引いたのだ

生き延びる手段を、さらに前に進める手段を

それが、滝夜叉丸にとってどれだけ気分の悪いものかを無視して

それが、どれだけ先行きの暗いものかを理解して


「出血は派手だけど、そこまで深くない」


ゲホっ、と肺から無理矢理息を吐く

血の味がする口内の息が暗闇に融ける

グラグラと、視界が揺れて意識が微睡む

ぼやけてきた景色の向こうで喜八郎が滝夜叉丸の頬を叩く


「誰も、寝てていいなんて言ってないからね」

「……っ…………」

「後は上手くやってよ 滝」


ポツリと呟いた喜八郎を、滝夜叉丸は呼び戻そうと大きく息を吸った

一言名を呼べばいいだけだ

コイツは綾部喜八郎と言う

嘉神鴇とは似ても似つかぬ頑固で阿呆な忍たまだと

腹に力をいれようとした、その瞬間であった


「お願いだ あの人の、力になりたい」


強い目だった

自分が目標にする、先輩によく似た強い目だった


「もらってばかりなんだ 何かひとつくらい、あの人がいるうちに返したいんだ」

「…望まれてるとでも」


その恩をこんなところで鴇が返してほしいとでも考えていると思うかと意地の悪い問いをすれば、喜八郎が目を伏せて小さく笑う


「思わないよ それでも、当たり前のようにもらい続けるのはダメだ」

「…やめろ 先が、みえない」

「それでもやる これがあの人を生かす道に繋がるかもしれないんだ」

「いい、かげんに」

「諦められるわけ、ない」


あまりにも揺るぎのない真っ直ぐな目に、滝夜叉丸は思わず息を飲んだ

強く縛られた止血帯に胸が詰まりそうだ

喜八郎の服を掴もうとした手がゆっくりと落ちる

それにそっと笑って喜八郎がくるりと背を向けた


(だから、)


どうして自分は去っていく友の背を見つめることしかできないのか

どうして動かぬ身体を、どうすることもできないのか

暗闇に完全に消えた2人の気配に、滝夜叉丸は震える腕を地面に叩きつけた


(だから、お前はアホ八郎だと言うのだ)


馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿だとは思っていなかった

心中では喜八郎への暴言が渦巻くというのに、こみあげてくるのは無力な自信への嘲笑であった

力が足りないことが、これほど歯がゆいことだと知らなかった

友との別れが、これほど苛立つこととは知らなかった


(どうして、こんなにも自分は無力なのか)


ユラユラと揺れる視界を堪えながら、滝夜叉丸はズルズルと重い身体を引きずるのであった

41_土足で踊るにはぴったりの夜



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