- ナノ -

ヒュルルルル…

闇夜の空気を割くような音と、光が空へと昇る

突然の音に何事かと駆けていた足を止め、猿楽はじっと空を見つめた

高く、高く夜空に打ちあがった花火に暗い闇夜が明るく照らされる

それは猿楽達の向かう忍術学園から上がったものであった


「派手な狼煙だなぁ おい」


子どものやりそうなことだなとヘラリと笑って傍らの相棒を振り返った猿楽であったが、小さな少女の表情を見て思わずため息をついた

この少女は常に無表情で、今だって何も感じることなく空を見上げている


(もう少し、可愛げがあってもいいんじゃないかねぇ)


普通、このくらいの年頃の少女であれば感嘆の声のひとつやふたつ上げたっていいはずだ

花占いや人形遊び、手毬や縄跳びだの子どもの遊びに彼女が、千鶴が興味を示したものはない

この少女はいつだって鵺を第一とし、彼に褒めてもらうためであったら努力を惜しまなかった

鵺が子どもを連れて歩くのは彼女だけであった

もともと鵺は子どもが嫌いだ

面倒なのだろう、それは猿楽だって同じである

そして千鶴はソレを勿論知っている、だから、というのもあるのだろう


「なあ、千…」

「!!」


耳に残る花火の音のあと、微かだが声が届いた

まだ距離は大分ある

猿楽の耳に途切れ途切れにしか聞こえなかったが、最後の声だけは拾うことができた


『―――は、此処にいるぞ!!』


それを聞いた瞬間に、隣にいた少女が再び駆けだした

音もなく、恐ろしいスピードで


「待てよ!千鶴」


追いつき、横に並んで少女の表情を窺えば、何にも興味を示さない少女が、目に光を灯していた

考えていることはおそらく一緒だ

先ほどの狼煙は、味方を撤収させるものなのだろう

普通伝達なんてものは相手に知られないようにするものだが、ここまで大胆な手段を用いたということはそういうことだ

隠す必要がないのだ、もとより相手の戦力はかなり限られているのだから


「早く」

「は?」

「早く、あの人より早く」


そこには彼女なりの意志が見て取れた

千鶴の嘉神鴇に対する執着も、鵺のそれとはまた違ったベクトルで強い

年場のゆかない少女が、1人の青年に殺意を抱く

しかも、会ったこともない相手に、だ

その心境はいかほどのものなのか

なお一層、速度をあげて駆ける少女を猿楽は複雑な気持ちを抱きながら追いかけるのであった



















ひゅん、

暗闇を正確な軌道を描いて縄標が相手の首へと絡みつく

カエルを潰したかのような空気の漏れるような声を引き寄せて、重い拳が曲者の鳩尾に叩き込まれる

嘔吐をするまでもなく、昏倒した相手を見るのは一体今日何度目か

暗闇に、重い打撃音が何度も続く

静かに、ただひたすら静かに敵を沈めていく

正確に、確実に

それが中在家長次の戦い方であった

絵に書いたような手本に、雷蔵はただ感嘆の息を吐いた


「……不破?」

「え、あ、はい?」

「疲れたか?」

「い、いえ、大丈夫です」


見とれていた雷蔵を不審に思ったのか、声をかけてきた長次に雷蔵は慌てて返事を返した

あれだけの数を相手にしたというのに、長次は息のひとつも切れてやしない

静かに闇夜に耳を傾け、周囲の様子を注意深く探る長次の背中を雷蔵は見ていた

図書委員会はこういった学外に出ての活動があまりない

蔵書の調達等で外には出るが、いたって普通の外出であり交戦は目的ではない


「少し、数が増えてきた」

「…はい」

「………小平太が、捌ききれなくなっているな」


それは長次の想定内だったのだろう

特に問題でもないように落ち着いた声で呟いた長次はいたって平然としている

この冷静さとどっしりと構える安定感が雷蔵が長次を尊敬する所以であった

図書室で蔵書に真摯に向かい合う姿の印象が強いが、彼もまた最高学年で六のろの忍たまである

今年の六のろの忍たまは歴代のなかでも戦闘に秀でた者たちである

七松小平太然り、嘉神鴇然り、そして中在家長次もその中に並ぶ者だ

そうは言っても、正直初めはピンとこなかった

鴇にしろ、長次にしろ、どちらかといえば物静かで、喧噪とは無縁に見えていたのだから

三郎がよく鴇に鍛錬の相手をしてもらっていると聞いて、雷蔵は長次に頼むのは難しいかなと考えた時、三郎が慌てて否定したのをよく覚えている


『馬鹿、雷蔵 中在家先輩もバリバリの武闘派じゃないか!』

『え、そうなの?』

『見たことないのか?ろ組の先輩方はしょっちゅう青痣を作って白黒つくまで殴り合ってる』


なんと物騒な話かと思ったが、今一つ想像が追いつかなかったため三郎に頼んで鍛錬の様子を覗きにいったことがある

その時の衝撃は、今でも忘れられない

真冬だというのに、薄着で激しく交錯していたのは紛れもなく長次と鴇であったのだ

犬猿コンビのような怒鳴り合いなんてせず、ただ静かに相手の急所を狙い打ち込みあう、その静かだがピリッと肌の切れそうな空気は真剣勝負そのものだった

いつもは騒がしい七松小平太も、2人の動きを真剣な眼差しで追っていた


『こっ…の!』

『………!』


遠目から見ても、2人はボロボロであった

それは小平太もであったが、三人とも似たような傷や痣を全身にもっていて、それでもそれを気にするようなことはなく互いを見据えていた


『最低でも週に3回はこんな感じだ ゾッとするだろう?』

『ずっとこんな調子なの?』

『そうさ 特に誰が優勢とかいうのもないな ぶっ倒れるまでやり合って、最後に総評をしておしまい』

『すごいなぁ…!』

『…ここまで高め合う相手がいるというのも、また羨ましいものだ』


この時の三郎の横顔を雷蔵はよく覚えている

三郎は同級生のなかでも頭二つ分くらい飛びぬけていた

武術大会でも平気で優勝するし、時には先輩方にだって勝つ

この頃の三郎は、自分の力を持て余しがちだったのかもしれない

だけど、


『私も委員長代理に相手をしてもらうけれど、ここまでは全然至らない』

『三郎でも?』

『私なんてあの人からしてみればまだまだ物足りないだろうね』


口では軽い調子で相槌を打っていたが、その様子を見つめる三郎の目は真剣であった

三郎は鴇のことになるといつもこうだ

三郎が願うのは、いつだって鴇と肩を並べて歩むことである

背を追うなんて一歩下がった思想は三郎にはなかった

尊敬する先輩に、離されまいと食らいついていく姿は印象的であった

この時は鴇のことに気をとられがちであったが、雷蔵の関心事はもちろん長次であった

あの静かで忍者らしい動きをあまり見たことのなかった長次が、あれだけ素早く激しい動きができるというのも衝撃であったし、

これまた鴇のように物静かで殴り合いなんて出来なさそうな相手の腕を折りそうな勢いで締め上げる姿にも驚いた


『……………』

『…冗談、よしてよ 降参するくらいなら、折られた方がマシ』


長次の声が聞こえないが、降参するように促したらしい

それに一切応じなかった鴇の言葉に、長次がふっと笑った

あんな表情を、雷蔵は見たことがなかった

長次はいつでも静かで無表情だった

それは彼の性格だと思っていたし、その心根はとても優しいことは十分に知っていたから気にしたこともなかったが、彼もあんな表情ができるのだと雷蔵は初めて知った

そして、そんな表情はこういった忍びとして生きるなかでしか見られないこともまた理解していた


(あの時は、それなりにショックだったな)


自分に見せない長次のあの様子は、自分がそこまで至ってないが故だったのだ

三郎が躍起になって鴇を追っていたのがわかる気がした

同等に、並び立ちたいと願った三郎は、あの表情を鴇からも引き出したかったのだろう

片手間でなく、一切手を抜ける相手ではないと正面から自分を見つめさせたい

それは、思慕にも似た強烈な想いだったのだろう

だから、雷蔵もこうして忍務で長次と共に戦うのはとても好きだった

普段の委員会では見えない長次の表情がよく見える

その一方で、常に学ぶ姿勢も持ち続けてきたつもりだ


「不破」

「はい」

「…まだ、余裕はあるか?」

「はい、大丈夫です」


長次らしい気遣いに、雷蔵は少し困ったように笑った

もう随分と侵入者との交戦が続いているが、まだまだ体力的には余裕がある

それは、長次が大半を引き受けてくれているというのもあるし、雷蔵自体、体力は三郎と比較しても随分ある方だからだ


(忍耐強く、なったものだなぁ)


ついこの間まで山岳耐久マラソンで半べそかいていたというのに、

培った5年間を振り返って雷蔵は小さく笑った

これは、図書委員会に所属したが故の恩恵であることを雷蔵は知っている


6年間の学園生活のなかで、忍の特性というのは2つの要素で構成される

1つは自身の適性 これは普段の授業や実習で各々が自身の才能を見いだし高めていく性質である

忍術、体術、学術、幻術、その他もろもろ

鉢屋三郎の変装術は彼の秀でた才能を極めてきた結果であり、立花仙蔵が火器系統の術を得意とするのもまた同じである

もう1つは委員会により形成される性質

委員会には特性がある

例えば体育委員会では、日頃の尋常でない運動量から強靱な肉体と多少のことでは怯まない精神力が身につき

その裏で、身につくのは戦忍としての振る舞いである

全てを薙ぎ倒す力量と、状況をかぎ分ける第一線での鋭い嗅覚

下級生のうちは何かと口を尖らせていた滝夜叉丸が黙々と七松小平太の後をついていくようになったのは、恐らくその意図を知らされたこともあるのだろう


(まあ、委員長の性格によってこの説明がどこまで丁寧にされるのかは怪しいところだけど)


話を戻すと、雷蔵の属する図書委員会もやはり特性があった

正確性と忍耐力、これに関しては図書委員会に属する忍たまは秀でている

普段は大雑把な性格である雷蔵だが、こういった作業を求められる場合は自信がある

古書の復元には忍耐力が、書物の管理には正確な記憶が、それぞれ必要となるからだ

そしてもうひとつ、図書委員会の人間には得意な分野があるのだが、


「不破」


再度かけられた声に、雷蔵ははっと意識を戻し、視線を長次へと向けた

周囲の空気はざわついているが、敵の姿は視認できない


「はい」

「…学園内に、撤退する」


長次の言葉に雷蔵は素直に頷いた

思いだしたのは数十分前に空に咲いた大輪の花火であった

前もって知らされていたソレは、学園内への侵入を内部の人間が見受けた時の合図である

闇夜を一瞬明るく照らしたソレは、長次の眉間の皺を深く刻んだ

あの合図は鴇と三郎が所持していたものだったからだ

すぐさま撤退するかと思っていたが、長次は雷蔵に今まで撤退を言い渡さなかった

それは、自分達の守護範囲はあくまで正門周辺であるからで、引き際にはまだ速いと長次が判断していたからだろう

まだか、と思えど長次に雷蔵が撤退を進言しなかったのは、長次が親友である鴇よりも己の忍務を優先したことに対しての敬意であった

学園を囲う塀も、強固な正門も随分と損傷を負ってしまった

それでも、突破されていないのは雷蔵や長次、そして援護してくれている先生方の成果だ


「…此処は先生方に任せよう 私達は侵入した敵の大筋を断つ」

「鴇先輩達と合流しますか?」

「…ああ それが、いい ここからは、鴇の補佐に回る」



土を強く蹴って、長次が誘導するように前を走る

学年の忍たまのなかで最も体躯の大きい彼であるが、流石忍たまというべきか、その姿に無駄はなく身のこなしは軽い

音も最小限に抑え、速度も落ちない

彼は彼なりに親友である嘉神鴇の身を案じているのが、雷蔵には痛いくらいわかっていた

だから先ほど、鴇のもとに戻るといった時の長次は少し安堵したのだ

誰だって、納得のいく結果を望んでる

それは自身の目で見たいものだろう

知らぬところで大事なものを奪われるなんて、納得がいくはずもないのだから


(お前も、そうだったよね 三郎)


雷蔵は自分の未来より、親友の鉢屋三郎の行く末を案じていた

鉢屋三郎という忍たまを、雷蔵は周囲の友と比較すれば随分深く知っているつもりである

冷静沈着、そこいらの忍では歯がたたないくらい才能に溢れた忍たま

手先も器用で頭の回転も速く、忍らしく口上も嘘も達者で、自信に満ちている

そんな誰もが羨む才能をもつ三郎は他人の視線というものを全く気にしない忍たまであった

人は、自分よりも遙かに秀でた他人を認めることがなかなかできない生き物である

それゆえか、周囲が三郎に嫉妬のようなあまりよろしくない感情を抱く方が先で、彼は低学年の頃友人が少なかった


『1人は寂しくないのか』


雷蔵が今のように三郎と双忍と呼ばれる以前の話、まだ三郎が心を開ききってくれなかった入学して数ヶ月しか経っていない時のこと

誰だったか、三郎にそう問うた時、雷蔵は何て酷い問いかと耳を疑った覚えがある

それは彼が孤独であることを認めさせ、あまつその現状を自分達が産み出していることに気付いていての問いなのだから

幼少期特有の、どこか優越感に満ちた意地悪な表情で問うた同級生の彼に、三郎は全く動じることなくこう返したのだ


『私には、鴇がいる』


その淀みのない回答に、第三者であったはずの雷蔵が大きな衝撃を受けた

そう言い切った三郎の鴇に対する絶対の信頼と、揺らがない純粋さ

それが酷く衝撃的だったのだ

委員会に、少し大人じみた1つ上の先輩がいるとは聞いていたが、この三郎にそこまで言わせる人間なのかと

この一癖も二癖もある三郎に慕う先輩がいることに喜びつつ、何だかとても羨ましくて悔しい思いをしたのは今でも覚えている

それからの5年間、三郎には常に嘉神鴇の名が寄り添うようにあった

雷蔵は三郎の親友であり、戦友であり、相棒である

それは周囲の誰もが認めることであり、たとえ認められなくとも雷蔵はそう思っている

三郎がただの天才でなく、努力を惜しまぬことや面倒見がよく情に厚いこと

誤解されがちだが、相手を見下すようなことはなく、ただ人付き合いが不得手なのや表現が不器用なことなど、いろいろ知ってきたつもりだ

それでも、


『雷蔵 頼みが、あるんだ』


昨夜、深刻な表情でそう口を開いた三郎の声が脳裏に蘇る

三郎が、重たい口を開いて告げた言葉はつい先程のように思い出せる


『―――――――、』


深く、深く畳に擦りつけるように頭を下げた三郎の姿に雷蔵はやはりと素直に思った

葛藤と不安と、雷蔵には想像もできないくらい悩んだのであろう三郎は酷く思い詰めていた

それは頼まれる側の雷蔵が気の毒に思うくらいに

はあ、と雷蔵が息を吐けば、ビクリと三郎の肩が跳ねた


『馬鹿だなぁ そんなこと、頼むような話じゃないよ』


断られるとでも思っていたのか、三郎は凍ったように固まって雷蔵を見つめていた

それが雷蔵はとても腹立たしかった

三郎は自分のことを何だと思っているのかと

だから雷蔵は言った、想いの全てを言葉で伝えるのは難しいが、正直な気持ちを三郎に告げた


『キミが望むなら、僕だってそれを叶えてあげたいと思うよ』




ドン、と遠い箇所から腹に響くような音が伝わる

誰かが砲でも打ったのだろうか、激しさを増す戦場に雷蔵は思わず足を止めた

長次も耳を澄ましてどちらの方角に向かうか迷っているようであった

いくら合図があがったといっても、その場に留まるような真似は流石にしないからだ


(三郎、どこだ)


いつも、自分たち2人は一緒であった

三郎が笑う姿も泣く姿もよく見てきた

彼が鴇に馳せる想いも、慕う姿もずっと見てきた


嘉神鴇


雷蔵の大事な友を、ずっと大事にしてくれた先輩

彼を望む三郎の気持ちも含めて、雷蔵は失いたくないと思っている


(三郎 お前、また無茶してないだろうな)


長次が鴇との合流を望むように、また雷蔵も三郎との合流を強く望むのであった


40_そんな貴方達の背を追いたい



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