- ナノ -

視界の端で、強い光が生まれて消える

仙蔵達が仕掛けた火薬を使った罠が発動したのだろう

闇夜が数秒間照らされて、昼のように明るくなる


小平太に届いたのは何かが破裂するような音

目蓋の裏の闇が少しだけ白んで、また黒く染まる

ざわりと場がざわついて、断末魔が耳に届く

叫んだ「誰か」は小平太にとって敵だ

それでも、それを認識せずに駆けるこの状態は、正常な状態ではもちろんなかった

頼りになるのは聴覚と嗅覚、そして元々備わっていた第六感と運

誰もが自分の視野を確認できるなか、小平太は闇のなかを駆けていた

そう 現在、小平太は視力を失っているのである




















「鴇は、誰にも渡さない」


時は数十分前に遡る

猿楽と名乗る曲者を追い詰めて、その胸に苦無を突き立てようとした、まさにその時だ


「猿楽 目、閉じて」


不意に背後に現れた気配と声に、小平太は一瞬気を取られた

男の方は押さえ込んでいるから多少のことがあっても問題ない

ただし、突然目の前に迫ってきていた少女の方はそうはいかなかった


その小さな少女は恐ろしく速かった

体躯の大きさは忍たまの一年生達と大差ない

しかし、そのスピードは比較にならなかった

そう、彼女もまた、「曲者」であったのだ


地を蹴るその瞬間でさえ、音がしない

静かに、そして確実に

地面を蹴って、彼女が小平太へと突っ込んでくる

手には小刀、しかし、動きを捉えられないほど小平太は未熟ではない

男の両肩の関節は足で押さえつけたうえで苦無を握った腕を上段に構える

無表情のまま突っ込んでくる少女を見据える


「来い!」

「…………」


迫る彼女の動きは捉えていた

すっとあがった右手の小刀の動きも追えていた

しかし、何か違和感があった


(何だ?)


ざわりと何かが背筋をかける

彼女が小平太のもとに届く数秒、小平太の脳裏をゆっくりと言葉が駆ける

先ほど聞こえた彼女の声が


『目を閉じろ』


少女の手には小刀

真っ直ぐ突っ込んでくるその行動と、言葉が全く結びつかない

両手両足の動きに変わりはなく、小平太は少女の表情を見ようと思った

そして気付いた

少女が何かを口に含んでいることを

何だ、と注視した小平太は、それが小さな竹筒であることを確認した

そして、その竹筒に空いた小さな針穴に気付いた瞬間である


(しまっ!)


少女の頬がぷくりと膨らみ、強く息を吐いた次の瞬間、小平太の視界が紫色の粉塵に染まった


「くっ…!」


ざらりとした粉末の感触が頬を撫で、嫌な汗が背中を一瞬で上る

慌てて猿楽から飛び退き、ぶん、と腕を振って少女から距離を置く

回避できたか、とあわよくばの希望を抱いたが、異変はすでに始まっていた


「っ!!」


痺れるような激しい痛みが小平太の両目を襲う

咄嗟に庇った左目だけかろうじて開いたが、それでも開くにはかなりの痛みが伴った


「形勢逆転だなっ!!」


背後で猿楽の声があがったのと同時に、ジャラリと鉄の擦れ合う音がした

風の切る音、背筋を再度上った嫌な感じに倣うように小平太は慌ててもう一歩左へと飛び退いた


「へぇ!その状態で避けるのか!!」


空気が耳元で鳴る

小平太の真横を通った鉄鎖に冷たい汗がどっと沸いた

あと一歩、もう一歩を誤っていれば、直撃していた

この回避できた状況が、運だけで成り立っていることを理解した次の瞬間、小平太は反転して闇のなかへと駆けた


「!逃がすか!!」


ガン!と側頭部に鈍い痛みが走る

戻ってきた鉄鎖が小平太にヒットしたのだろう

ぐらりと脳が揺れる

吐き気が込み上げてきたが、それよりも目を襲う痛みと背筋をのぼる悪寒の方がずっと強く、小平太は一直線に駆けた


「千鶴っ、追う…うおっ!!」

「…!煙幕」


自分ができる最大の抵抗は、普段使いもしない煙幕と持っていた苦無を力の限り相手に投げ、敵に背を向けた逃亡だけ

身体中の血が沸く

高揚なんかではない、焦燥と恥辱からくるもの

小平太は駆けていた

敵前逃亡

それは、自分が最も嫌う屈辱的な行為であった



















(くそっ!くそっ!!)


激痛が走り、霞む視界の中、何とか闇夜を駆ける

罠の位置は正直覚えていない

それでも此処らの罠は粗方作動した後であったのも手伝って、何とか小平太は戦闘の場を離脱できていた

足りていない視力は、意外なことに竹谷が送って寄越した生物委員会で飼育している狼、桜によって補われていた

逃亡の必要性に陥ったことを認識したのだろう

小平太を上手く誘導しようとする桜に小平太も気づき、その背の毛を片手で掴みながら移動すれば、上手く人の気配のないところにまで退避できた

動いている間にも、酷い痛みが両目を襲う

ビリビリと、嫌な汗が伴う痛み

竹筒に入れていた限られた水でとりあえず流してみたが、痛みはちっとも柔らがない

これ以上は擦って悪化させるわけにもいかないので我慢していたが、このままというわけにもいかなかった


サラリ、サラリ


心臓が嫌な音をたてる一方で、静かな水音が小平太の耳に届く

音を頼りに進めば、そこは小川の通り道であった

クン、と水を匂えば異臭もない

小平太が何を心配しているのか悟ったのだろう、桜が問題ないとばかりに小さく鳴いた

自分よりよほど狼の方が冷静か、嘲笑もそこそこに小平太は小川で急いで目を洗った


「……っ…」


ビリビリと肌を刺すような鋭い痛みは洗い流せたのかなくなった

冷たい水に両目の熱がほんの少しやわらぐ

そこから数分間、小平太は目をすすぎ続けた


(…頼むっ…!、)


恐る恐る、目を開き正面を見据える

ぐるりと周囲を見渡し、視界を確認する

深い闇、濃淡のある黒と灰色の世界

開いた目は、ぼんやりとしか物を認識しなかった

左目はまだいい、視界が霞みこそすれど、多少の色は映る

問題は右目だ、木も岩も小川も、物の形でさえぼやけてしまってろくな見え方をしない


「くそっ!!!」


苛立ちに拳を地面に叩きつければ、視界の端で大きな影がビクリと波打った

桜が驚いたのだろう、それくらいの予想はなんとかできたが、はっきり言って戦える状態ではなかった

手拭いを水に浸し、とりあえず右目に乗せる

目にくらったのは何か、それが問題であった

視力を低下させたのは間違いなく毒であろう

ただ、それがどの程度の致命傷なものなのかがわからない

一時的な視覚の麻痺だけなのか、それとも恒久的な失明なのか

今の状態が毒の進行中なのか最終状態なのか

進行中であれば、これから回復するのか悪化するのか

ガサゴソと伊作に渡された医療道具に手をつっこむも、何をしたらよいかわからず手の動きが止まった

小平太は毒の耐性にはかなり強い方である

だからこそ、普段毒の耐性がかなり低い鴇を補助する位置づけにいるというのに、自分がまず毒でやられるのは我慢ならなかった

薬の調合なんてものは、小平太には到底不可能なことである

自分にできたのは、毒の情報を記憶、記録することだけ

頬についた毒粉を拭った手拭いはちゃんと保管している

失う前の視力で捉えたのは紫色の毒粉

匂いはほんの少し鼻をつくような刺激臭

思い出せば目の奥が疼いて、小平太は小さく呻いた


小平太のなかを渦巻く感情は、痛みよりも激しい怒りであった


(鴇、)


夜はこれからだ

鴇の、大事な夜はこれからなのだ

自分はこれからこの森からも、学園からも、彼に仇なすものを殲滅し、排除しなくてはならないのに


(このザマは、一体何だ)


奥歯を噛みしめ、もう1度、暗い森のなかに視線を送る

視界は変わりやしない

ぼやけて、ろくに見えていない

この周辺は土地勘もある、少し戻れば学園だ 移動はできる

しかし、敵か味方の判断がつかない

相手を識別できるほどの視力が今の自分にはない

これでは


(鴇を、助けられない)


至った結論に、痛みとはまた別のぞっとした悪寒が身体中を駆け巡る

視力を失った今、一体何ができるのだろうか

下手に動けば罠にかかってしまうかもしれない

敵と対峙しても、攻撃がろくに見えなければ防御もままならない

ずるずると、力が抜けてへたり込むように小平太は座り込んでしまった

これからどうするべきか

移動も難しい、対戦だって難しい


(視力が回復するのを待つか?どのくらい?そもそも本当に、)


グルグルと、答えのでない問いが延々と回り続ける

どうすればいい、ぎゅっと目を瞑って叫びたい衝動が苦しくて地面に爪をたてた時である





「!」


ドン!と腹に響くような音が小平太の耳に届いた

その音に、血の昇っていた小平太の頭が一気に冷める

南の空から火が昇り、大輪の花を咲かせているだろうそれは合図だ


(敵が、学園に侵入した)


目蓋の裏で、明るい光が瞬く

花火があがったのは南の空、つまり忍術学園の方からだ

あらかじめ決めていた合図、学園に敵が侵入した際に鴇が出すと決めた合図である

自分がこんなところでこんなヘマをしたせいで、学園に敵が侵入してしまったのだ

情けなくて目の奥がジワリと熱い

俯いた小平太の目から、涙が零れ落ちようとした、その時


「!!」


小平太は反射的に顔をあげた


「鴇、」


南の方角をじっと見つめて小平太が呟く

見えてもいない先にいる、友の名を口にして


「……鴇っ…!」


声が聞こえた

魂が揺らぐような、全身全霊をかけた鴇の声は小平太に届いていた

此処は学園から何キロも離れている

そんな馬鹿なと皆が笑おうとも、確かに小平太の耳にその声は届いていた

力の抜けた拳を、ぎゅっと握りしめた小平太は地面にガン、と自分の額を打ち付けた


(私は、馬鹿か)


理解していた

鴇が1人で戦おうとしていたその時から、彼がどれだけの覚悟を決めていたのかを


恐れていた

それが一体どういうつもりなのか、考えただけでも鴇を失う恐怖が小平太のなかを渦巻いていた


鴇は絶対に自分を曲げない

どれだけの敵が鴇に襲いかかろうと、どれだけの恐怖と恥辱で鴇を陥れようと鴇は自分を曲げやしない

あの揺るぎのない目が、恐ろしくてたまらなかった

真っ直ぐ伸びた姿勢と、落ち着いた呼吸に問いたかった

お前は、何処を見ているんだ?と


(そんな、完璧な友ではなかったのに)


あの日、あの夜、鴇がボロボロになって泣いたあの時

鴇がどれだけの重圧と恐怖を抱えていたのかを知った

ここ数年、あんな絞り出すような声で鴇が縋った姿を初めてみた

鴇はいつだって完璧だと思っていた

冷静な判断と、何十手も先を読んだ思考はただただいつも驚かされるばかりで、鴇はそれを平然とした表情でだしてくるものだから

鴇に悩み事なんてほとんどないと思っていた

その優しさがゆえにの悩みはあるだろうが、鴇はいつだってそれを上手く解消していたから


助けて、と

あの震える声は鴇の抱えた闇全てであった

言いたくても言わずに飲み込み続けた言葉だったのだろう

だからあれだけ片意地を張るように、決して折れる様を見せぬようにと拗れたのだ


(あの言葉を、私は鴇に吐き出させた)


すっくと立ち上がり、小平太は闇夜を駆けだしていた

迷うことなく、先ほどの花火の方角へ真っ直ぐに

茂みのなかを駆け、枝葉が自分の頬を小さく裂いたとしても、その速度が弱まることはない

カチリ、と何かを踏んだ感触を得た瞬間、全神経を集中して自分に向かってくる音を捉えて捌く

飛んでくる矢を躱し、自分の足を吊り上げようとする縄を苦無で切り刻み、何事もなかったようにまた駆ける


(あれを、鴇に言わせた私には責任がある)


何とか回避しようとしていた鴇の、腹を括らせた自分たちには責がある

そして、皆がそれを飲んだ

疑うことも、嫌味の一つも言うことなく、当たり前のように皆が自分のもつ身をこの戦に投じた

見えない景色をどんどん両脇に掻き分けて、小平太はまっすぐ駆けた

帰る場所さえわかっていれば、そこにただひたすら駆ければいいだけなのだ


(視力を失ったくらいが、何だというのだ)


移動するのが困難?

罠を回避できない?

敵と対峙した際どうする?

そんな些細な理由で、自分は鴇を諦めるというのか

今もこの戦場で己の身を曝け出す鴇を放っておくというのか

自分はこんな些細なことでへたり込んで


(決めたはずだ、約束もした)


手の1本や足の1本、声だって視力だって失おうと、必ず迎えにゆくと

鴇に理不尽な暴力が降りかかるのであれば、私は全力で彼を守るのだと

この6年間、私が胸を焦がしながら共にいたいと望んだ友は、私の持ちうる全てを差し出してもいいと思わせた最高の友なのだ


私が困った時、鴇は必ず助けてくれた

私が苦しい時、鴇はいつも支えてくれた

公平に、公正に、私を導いてくれたのは紛れもなく鴇だ

その友が、今まさに苦しんでいるというのに私は足を止めるのか

その友が、危機に陥っているというのに私は何を怖じ気づくのか


(本当に恐ろしいのは、お前を失うことだと嫌になるくらい知っているのに)


ガサガサと、自分に駆けてくる音に耳を澄ます

足音の感覚は広く、地を蹴る音が雑だ

この歩幅は忍たまではないし、忍の大先輩である忍術学園の先生方がたてる音ではない

視界に黒い影が行く手を妨げる

大振りの動きに容赦をするな

忍刀を戸惑うことなく振り抜き、肉を裂く感触を確かに手に覚える

手の届く距離で初めて左目が相手がならず者であったことを捉える

これでいい、この今までに培った経験と勘が今の自分を支える力だ

強い血の香りの中を小平太は掻き分けて駆けた

ある程度の反撃をその身にうけることを覚悟して

あと十数キロ、裏々山を往復するよりはずっと短い距離だ


「鴇、待ってろ 必ず」


ジクジクと目の奥の痛みが続くなか、小平太はさらに速度をあげた

まっすぐ、ただまっすぐと大事な友のもとに帰るために


「必ず、お前のもとに行く」


その言葉を証明するかのように、小平太は再び敵を地に沈めるのであった

38_君が傷口に沁みる



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