- ナノ -

全ての侵入者たちの排除が完了したことを確認して、三郎は口布を外した

学園に蠢く人の気配はまだ消えないが、近くはない

ざわつく空気を辿れば、丁度視線の先に鴇がいた

その時、鴇の後方で何かが動いた

そちらに曲者がいると、鴇に矢羽根で合図を送れば、勿論気付いていたらしい彼が片手をあげた

三郎に鴇の手助けをする気は一切なかった

何の心配もいらない、むしろ心配する方が失礼な話であった

そんなことを考えている間に、鴇の背後から体躯の良い男が現れる

ニヤリと笑って猛進する男に鴇が振り返り、静かに歩いて行く


残り3歩、2歩、そして

男が不躾に鴇へとその太い腕を伸ばした、その瞬間だ


(見事なものだ)


男と鴇がすれ違ったかと思えば、鴇よりもずっと背の高い男の身体が、宙を一回転する

勢いよく、何かに轢かれたように

まあ、何かと言えば、鴇の仕業なのではあるが


柔よく剛を制す

その言葉を体現するのが嘉神鴇であった

見た目からもわかるように、鴇にはとりわけ優れた筋力があるわけではない

同級生の七松小平太と中在家長次のような発達した筋力のない彼が、彼らと渡り歩くために必要であったのは力に対抗できる技術であった

瞬発力と一瞬の判断で全てを攫い、伏せる

柔軟さとそれを為せる相手との間合い、呼吸

それらを見事に制した鴇は、体術に関して何ら引けをとらずに上位に名を連ねていた

線の細い三郎も、そして同じ委員会の勘右衛門もコレに関しては鴇から指導を受け、随分と上達したつもりではあるが鴇と組み手をして勝ったことはまだない


『あーっ!!もうっ!どうやったら勝てんのっ!?』

『それを言っては、私が負けるじゃないか』

『いいじゃん!どんだけ俺たち放り投げたら気が済むんですか!』

『気が済んでないのはお前達でしょうが』


学級委員長委員会の仕事の合間に、一体何度自分と勘右衛門は鴇に挑戦し、倒れたか

地面に放り投げられて唸る自分達と涼しげに笑っている鴇、そして今年からは目をキラキラさせる庄左ヱ門と彦四郎が増えた


『鴇先輩凄いです!』

『ちょっとは手加減してくれたっていいでしょ!後輩の前なんだから〜』

『やだよ、私は黒木と今福の前では絶対負けるつもりないからな』


膨れる勘右衛門を前に、委員長は笑っていた

卒業する前に1度でいいから勝ちたいと思っているが、まだまだ負けてやるものかと委員長は余裕の表情だった

今年、1年生の庄左ェ門と彦四郎が学級委員長委員会に加わって、鴇は目に見えるほどに安堵していた

鴇がどう思っているかは知らないが、委員長自身の後継者探しは完了していたと思う

自分にしても、勘右衛門にしても、どちらも次の学級委員長委員会をまわせるだけの力量と器用さは身についたと思うから

ただ鴇は、委員長は私達の後継者探しを気にしていたのだと思う

4年間、自分たちには後輩がいなかった

ただでさえ、毎年脱落者がでるこの学園で、しかも学級委員長のみが在籍できるこの委員会

しかも在籍資格が「学級委員長」であればいいだけで、学級委員長委員会に所属するのは必須条件ではなかった

例年、敷居の高い委員会と思われたのか、叩かれることのなかった戸

こればかりは私達の努力でどうこうできる範囲ではなかったから仕方ないのだが、それでも委員会の行く末を案じていたのだろう


『2人、入ってくれるというのは何ともありがたい話だなぁ』


庄左ェ門と彦四郎との初顔合わせを終えた夜、ぽつりと呟いた鴇の言葉は本音だったのだろう

三郎は知っている

庄左ェ門達を迎えた反面、鴇は自分と似た境遇になるだろう庄左ェ門達にも何かを残そうとしていることを

間が空いてしまった世代、鴇が今年卒業し、来年は自分も勘右衛門も卒業する

この1年、2年で自分たちのすべてを庄左ェ門と彦四郎に託さねばならない

それがどれほどの重圧で、負荷のかかるものかを知ったうえで

その時、喜びも苦しみも分かち合える同学年の友がいた方が何かといいと思ったのだろう

委員長はそれができなかったのだから


(私は、それに成りえたのだろうか)


鴇の立場も、立ち位置も、三郎は理解していたつもりであった

学園長からの無茶ぶりに、三郎だって何もビビらなかったわけではない

それでも委員長の、鴇の震える手を握るくらいはいいじゃないかと思ったのだ

あの手が、どこまでも自分に優しく温かかったのを三郎は知っていたのだから

鴇は今年になって、なお一層清廉さが際立つようになった

三郎と勘右衛門2人がベッタリと甘えてきた鴇とはまた違う、絶対的に頼れる委員長そのものであった

だから余計かもしれない

あの穏やかさも、凛とした姿も、全てが三郎には眩しくみえる

鴇があまりにも綺麗に笑うから、三郎もまた、それをずっと見ていたいと願うのだ


(…なんて、何をこんな時に懐かしんでいるのだか)



はっ、と我に返って三郎は思わず苦笑した

何故か頭を過ぎった日常に気をとられている間にも、鴇の周囲の状況は次々と変化する

地面に巨体が叩きつけられる音、相手が呻くその間を待つことなく鴇が懐から苦無を抜いた

慌てて身体を起こそうとうつ伏せの状態から自分の腕で地面を押し上げて立とうとした相手の首根っこを、鴇が掴んだ

算段が違ったのか、男の表情には動揺と恐怖が浮かんでいた

絶対的な格の違い、それを今の相対で悟ったのだろう

空気が漏れるような、ままならない声が絞り出る


「ま、待てっ」


珍しい光景であった

音もなく、鴇がすっと相手の首の血管を切り裂いて、ポイと捨てるように手を放した

巨体がジワジワと広がる血の海に沈む

その姿には容赦の一文字もなかった

普段から必要以上には相手を傷つけない、多少のことは目を瞑って黙認する鴇が、早々に人の命を奪ったことに三郎は少し動揺した

相手とのレベルの差は歴然で、本来なら拘束だけにしろと三郎は鴇に言われるかと思っていた

今三郎が対峙した3人についてだって殺めておいて今更だが、いい顔されないと思っていた

それがどうだろう

命乞いをした相手の目を見ても、鴇は何事もなかったかのように相手の息の根を止めたのだ

伏した男を振り返ることなく、鴇が三郎の方へと歩んでくる

その目はしっかりと定まっていて、三郎は少しだけ躊躇して鴇に話しかけた


「委員長、」

「鉢屋 怪我はないな」

「はい」

「?どうした」

「委員長、あの」


聞くのは野暮で、無粋で、意味のないことだと思った

聞いたら呆れられるか、そんな恐れもあったが、確かめたいと思った

自分の軸を正しく持っていたかったのか、それとも鴇の考えていることを知りたかったのか

多分両方だ、と思いながら鴇を見上げれば、鴇が先に悟ったのだろう、口を開く


「為すべきことを、為すだけだ」


表情を変えることなく呟いた鴇を三郎はじっと見つめた

その目に揺れはない、覚悟を決めた鴇の目であった


「どんな甘言も、どんな理由も知ったことじゃない 私は私の為すべきことを為す」

「…………はい」

「私の甘さが後輩たちの身を危うくする そんな馬鹿な話があってたまるものか」


それは、あの時の鴇によく似ていた

学級委員長代理として就任した四年の春

私達に被害を及ばすまいと必死に歯を食いしばっていた時の鴇に


べっとりと血糊のついた苦無を鴇が懐紙で拭き取った

真っ赤に染め上がったソレを地面に捨てれば、再び苦無は鈍い色を放って生まれ変わる

人を殺める、武器だ

鴇は学園のルールである絶対遵守の誓いを自分に立てたのだろう

何人たりとも、学園に侵入し、害をなすものを排除する

校内の見回りを中心とする用具委員、学園の敷地を巡回する体育委員

そして学園長のお庭番である我々学級委員長委員会の上級生では暗黙のルールである

その排除が、死を指すかは個人の見解によるところはあるがそれはこの際問うまい


「呆れているか?こんな状態に陥って、ようやっと腹を括った私を」

「いいえ」

「私はいつも、初手が遅い」


小さく溜め息をついた鴇の頬に三郎は手を伸ばした

先ほどの交戦でついたらしい血を、指先で拭った そして


「悔いの残らぬ夜にだけ、なればいいと思います」


そう呟いた三郎に鴇が一瞬大きく目を見開いて、苦笑した

それに三郎も静かに笑った

今日は言葉を間違えたくないと思う

三郎は添いたいのだ

鴇がしたいことを十二分にできるように

何と言うのが正しいのかはわからない

ただ、鴇の願いが成就すればいい

それを為せる後押しをしたい

その一心だけだった


「…やはり、お前は馬鹿だよ」

「なんですか、いきなり」

「お前ほどの腕があれば、もっと楽な道を選べるだろうに」

「平坦な道なんて、退屈で真っ平御免です」


乱れた三郎の前髪を鴇の細い指が撫でる

それだけで何だかとても安心できた

いつもの、三郎が見慣れた鴇の笑顔と温かさ

自分が信じていればいい、絶対の人である

少しだけ視線を伏せて、鴇が懐に手をいれた

そして


「信号を、送ってくれ 鉢屋」


準備していた花火玉を、鴇が三郎へと投げ寄越す

それをキャッチした三郎が火打ち石を取り出し、着火の合図を待つ

じっ、と合図を待てば、鴇がポツリと三郎を呼ぶ


「なあ、鉢屋」

「わかってますよ この合図の意味くらい」

「上げたら、さ」

「嫌です」


その言葉に鴇が小さく眉根を寄せた

まだ抵抗があるのだろう、困った表情をする鴇に三郎が溜め息をついた

本来であれば、合図は音だけに頼る

花火なんて上げれば、闇夜を照らし、自分達の居場所を知らせるようなものだからだ

しかし今回の目的は2つ

1つは学園への侵入者の連絡を幅広く明確にするため

もう1つは鴇の居場所を知らしめるためだ

離散する敵を目的地へと導く

仲間内にはこれは誰の目にもわかる合図として花火玉の許可をとった

外の敵を、「学園」に呼び寄せる手段として


しかし、鴇の本意はそこにはない

彼は自身を、「嘉神鴇」を餌に敵を呼び寄せるのだ

内外問わず、人間の興味を引いて、この長い夜の幕引きを自身でつけるつもりで

彼が1人に拘っていたのは、このせいだ


「そろそろ私も怒りますよ まだ人の心配してるんですか貴方」

「そりゃあ…するさ」


彼の性格をよく知る者は気付いていた

中在家長次も、七松小平太も

だから彼らは外へと向かったのだ 母数を減らし、彼への負担を減らす その一心で

自身を餌にすることに何の抵抗も持たなかった鴇であったが、まだ不安要素があるらしい

それが私だ

委員長のもとに敵が集まる、つまりこの場にいる私にも危険が迫ることを気にしたのだろう

躊躇する姿があまりにも彼らしくて、三郎は呆れた表情で着火を促した


「早くしましょう もたついてる間にも、敵は侵入してきてます」

「鉢屋」


地面に置いた鉄筒に花火玉を詰め、カチンと三郎が手持ちの火打ち石を大きく鳴らした

先延ばしにしたところで、何の意味もないのだ


「言ったはずだ 貴方に付いて行くと そこには後悔も迷惑も何も無い」

「………………」

「貴方が鬼になると言うならば、私も共に鬼へとなります」


散った火花が導線へと落ちる

ジリジリと導線が這うように燃え、そして


「前だけを向いてくれればいいんです 私は、そんな貴方が好きだから付いて行く それだけだ」

「……………」

「一緒に、いたいんです 委員長」


夜空に眩い閃光と雷鳴のような音が響いた

数秒間、昼間のように空が明るく照らされ、周囲四方が数十メートル明らかになる

見えた人影とざわめく空気、その中で真っ直ぐに自分を見つめた三郎に鴇が笑った

ありがとう、音にもならないその口の動きを三郎が確認できたのと同時に、鴇が大きく息を吸った


「侵入者達よ、よく聞け そして鵺に伝えろ」


鴇の灰色の癖のある髪がキラキラと花火の光に反射する

一瞬で光が自分たちに降り注ぎ、それに対抗するかのように凛と、よく通る声が夜の静寂をかきわけて木霊する


「嘉神鴇は、此処にいるぞ!」


普段から大声を出さない鴇の、珍しい吠えるような声であった

ビリビリと、鼓膜ではなく背筋を駆け上るようなその声が三郎の心臓をカッと熱くする

照らされた空が再び闇夜へと戻るその瞬間、三郎は確かに見たのだ

ギラギラと光る、鴇の燃えるような強い目を


(そうだ、これが私の知る委員長だ)


きっと鴇はこの夜を誰にも譲らない

その気迫を見れたことに満足と改めて気合いを入れ直して、三郎も背筋を真っ直ぐに伸ばした

光が落ちるその一寸前、鴇が三郎にはっきりと言った


「行くぞ、鉢屋 ついてこい」

「了解」


再び訪れた闇、今の一瞬で変わったものが確かにある

近づく気配と揺れ動く空気

敵がターゲットを絞ろうと動き出した気配を確かに感じて鴇と三郎は静かに闇へと再び潜むのであった


37_あなたの隣で息をしたい



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