- ナノ -

ひらり、

屋根から地面へと、音もなく三郎と鴇が飛び移る

着地と同時に、すっ、と鴇が指で線をなぞるように宙をなぞれば三郎が指示通りに離れて駆ける

よく忍務を共にこなしてきた2人の間に細かい指示などは不要であった

三郎は鴇の矢羽根ひとつで全てを理解したし、鴇もまた三郎の視線が何を求めるかを理解していた


(そろそろ来ても、おかしくはない)


鴇が周囲を見やるが、自分の見回り範囲に問題はない

振り返った鴇の視線の先、三郎の見回り範囲で何かが動いた

終わりの夜の始まりだ

鴇はわずかな月明かりだけを頼りに、宵闇へと目を凝らした















ガサリと茂みが鳴った

それが曲者によるものだと判断できたのと同時に、三郎は躊躇なく相手の間合いへと踏み込んだ


「っ!!」


曲者は3人

先頭にいた男が少し、数メートル先行していた

三郎が姿勢を低く、相手の懐へと一瞬で潜り込み真下から男が所持していた槍を真上へと蹴り上げた

急襲に男が驚き、手元から離れた槍を目で追うために見上げた

その瞬間を三郎が見逃すわけがなかった

身体を器用に捻り、三郎が懐から苦無を抜き取り、加速する

男が体制を整えるより前、男の見開かれた目を見つめながら冷静に相手の胸に苦無を突き立てれば、息を呑むような音が微かに漏れた

ビクン、と大きく痙攣したと同時にぐらりと倒れていく身体

それを見届けるより前に三郎は次の行動へと移った


「うわ、っ!!」

「何だっ!?」


ガサガサと後続の男たちがこの時点でようやっと、三郎を視界にとらえた

だが全てが遅かった

動じた方が圧倒的に不利なこの宵闇の中、1人目が倒れるのを力いっぱい後続の連中に向けて蹴り飛ばす

あまり見えてなかったらしい2人目の男は躱すことができずに地面に倒れこんだ

3人目はそれに驚き、大振りな動作で飛び退き、視線を三郎から逃した 

その一瞬であった

三郎がトン、と地面を強く蹴り宙を舞った

1人目の時に高く蹴り上げていた槍を掴み、半身を大きく捻って

槍を真っ直ぐ男に向けて投げつけた


「…………!!」


風を切る音

人の肉に槍が食い込む音

男が槍と共に背後の大木に突き刺さった音

喉を串刺しにされてはあがる断末魔もあがらない、男は静かに絶命した

共に来た仲間が2人、あっという間にやられたことに残された男はパニックになったのだろう


「ひ、ひゃぁっ!!」


ジタバタと自分に被さる遺体を退けようと必死になっていた

完全に腰の抜けた男に向かい、三郎がすっと手を差し伸べた

被さる遺体を退けようとしたからか、縋るように男が隙間から首を一生懸命伸ばした 

そして、

遠目から見て、男の首がガクンと不自然な勢いをつけて垂れた

鴇がうっすらと目を細めれば、三郎が男の首から何かを抜き取っている

千本だけでは致命傷にならない

寸鉄か毒針か、視認はできないがやはり確実に相手を仕留めた三郎がようやく口布をとって息を吐く


「……………」


一瞬で、何も無かった宵闇のなかに血と死が溢れた

それはこの穏やかな学園には似合わぬ景色であった

いつもであれば上級生と教師で駆除していた異物

決して学園の地は踏ませず、決して下級生たちの目の届かぬところで処理をしていたというのに


(仕方ない、か)


今夜はきっと隠しきれぬだろうと思って鴇は小さく溜め息をついた

わかっている

何も下級生だからと甘い夢のような生活を送れるような場所では此処はない

今の2年生までは、実習で戦場に連れて行かれ、生と死が隣り合わせであることを先生方から教わっている

死を目の当たりにした夜は、眠れないと泣いた子、食べ物を数日受け入れれなくなった子、情緒不安定になった子らが確かにいた

しかし、それを延々と引きずった子は今学園に所属する子にはいない

幾人かが学園を去っていくなか、残ったのが今の子達、忍たまである

無理やり理解させたのだ

此処は「そういう」世界に飛び込むための学園だと

彼らは納得せざるを得なかったのだ

そうせねば待つのは「死」なのだから


(だからと言って、慣れてほしいわけでは断じてない)


相手の喉から槍を抜き取り、黙々と遺体を1箇所に集める三郎を鴇は見つめていた

大人びた横顔は、今となっては頼もしいの一言である






三郎はいつだって優秀であった

鴇が四年で学級委員長委員会委員長代理を務めることになってしまった時、学園長は三郎を正式に鴇の相方につかせた

普通であれば、他所の委員会でもいいから上級生を補佐につけてもいいような話であったのに、だ

三年生にあがったばかりの三郎に、四年生になったばかりの鴇

どう考えても補い合えるほどの経験値はなかった

しかし、学園長は強行した

ただでさえ戸惑い、悩んでいた鴇に後輩を隣に置いたのだ

一切の甘えを許さず、一切の妥協を許さないといわんばかりに

自分の膝元にある組織を、学園長は自身の責任のもとに構成した


鴇は必死であった

上級生達の洗礼と、学園を束ねる位置づけの委員会委員長代理の責、気を抜けば非難と嘲笑が集中する

それも鴇だけでなく、後輩の三郎と勘右衛門を巻き添えにして

それは何よりも耐え難い屈辱であった


(思えばあの時が、一番苦しかった)


所謂学園の中心になる委員会におかれた上級生にあがったばかりの忍たま

世代の不遇というものが確かにあった

鴇をフォローしようという上級生ばかりではなかった時代である

執拗な嫌がらせに、理不尽な物言い

1人で泣いたことだって何度もあった

こればかりは、長次や小平太に頼るわけにはいかない話であった

至らぬ自分、届かぬ力

情けなさと恥辱が鴇を何度も襲った

内容が内容だけに誰にも相談できず、声もあげずにただ歯を食いしばって布団に潜りこんで

ただただ耐えた

至らぬ自分が未熟なのだと、不甲斐ないなら己を磨けと

そうはいっても、ほんの数日で劇的な成果なんて得られやしない

それはわかっていたものの、心は折れそうであった


(全部を捨てたいと思った それでも、)


それでも踏ん張れたのは三郎がいたからだ

三郎は鴇を貶す奴らを決して許さなかった

もともとよく懐いていた

学園長が三郎を鴇の片腕としてからはなお一層

まだ下級生のくせに、上級生に喧嘩を売り、手酷く返り討ちに遭おうとも、鴇には理由を明かそうとしなかったことが何度もあった


『…お前も、馬鹿だね』


私のことなど放っておけと三郎に何度も言った

それなのに三郎は決して首を縦に振らなかった


『私のことなんてどうでもいい 私は貴方が嗤われるのだけは我慢ならない』


威嚇するように歯を剥きだして、三郎が譲らずに吠えたのは鴇への侮辱の撤回であった

一体自分の何が、そんなに三郎のお気に召したのか

それを鴇は知らない

三郎は不平不満を口にせず、毎日欠かさず学級委員長委員会の戸をくぐった

それは三郎の矜持だったのかもしれないが、鴇にとっての救いでもあった

至らぬ自分を信じてついてくる三郎

自分の行いが正しかろうと正しくなかろうと、共に歩いてくれる三郎は確かに鴇の何か大事なものを貫かせてくれたのだ


(それに見合う、生き方をしたかった)


この四年の春である

鴇が腹を括ったのは

自分が揺れてはならぬと

自分の落ち度から言い掛かりをつけさせることなく、付け入る隙を一切を見せることなく、

決して後輩に火の粉が飛ばぬように、鴇は今の鴇の基礎を必死に作ったのだ


(私は、お前に何を残してやれるだろうか)


こんなところにまでついてきた三郎を鴇は想う

あの小さく、苛烈であった三郎が、懸命に鴇を追ってくる

これは、三郎の執念だった

随分甘えた

随分無理をさせた

本来であれば、逃がしてやるべきであった

自分が学級委員長委員会委員長代理の命を受けて、あれだけ悩み苦しんだのだ

それを三郎にも背負わすなんてのは、普通であれば回避すべきであったのだ

それなのに、


(これは私の罪だ)


三郎に自分に依存するなと言いながら、先に依存したのは鴇の方だったのだ

鴇を理解してくれる三郎を、要は鴇は手放せなかっただけで

なまじ賢く、なまじ器用な三郎が自分と同じように背伸びをしてくれたから

鴇は委員会が抱えた課題を共に背負ってもらったのだ


(私が、お前の行く道を曲げてしまったのだろう)


三郎が手の中の苦無の血を懐紙で拭った

一瞬で赤く染まったソレに何の反応も見せずに三郎は苦無が欠けてないかを確認する

その自然な挙動は立派な忍びの動きであった

その姿に違和感はない

鴇は少しだけ目を伏せた

これまでの日々の記憶の中に、三郎はいつだって共にいた

言葉にするのもおぞましいような任務も共に駆けた

血を吐き、死を覚悟したような瞬間も共にいた

学園長は、そんな世界に鴇だけでなく、三郎まで放り込んだ

そこに、どんな方針があったのかは鴇も知らない


(それでも、私は お前が)


大事にしたいのは、そんな血に塗れた記憶ではなかった

瞼の裏に残るのはあの書類と蔵書に囲まれた小さな部屋の、少しだけ背筋が伸びるあの部屋のなかで

鴇の隣で笑うあの姿であった

勘右衛門と共に、年相応に意地を張って、ふて腐れて、大人になりきれないような我が儘を言って自分に甘えてくるあの子達だ


(お前が、明るい日の下で笑っていてくれたらいいと思っている)


過った想いに眉を顰める

綺麗な思い出にばかり縋りたくなる自分は、現実逃避をしたいのだろうか

目の前で三郎が誰かの心臓を貫いたとて、それは三郎なのだ

何も変わりやしない、大切で大事な後輩なのだ

じっと三郎を見つめていた鴇であったが、ふと三郎から矢羽根が飛んだ

それが含む意味は理解している

了解の意を込めて鴇は鉢屋に小さく手をあげた

想いに耽ってばかりもいられない、背後で揺れた空気に今度は此方かと鴇は気を引き締め直すのであった

36_孤独だけつれて、歩かねばならなかったのに



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