- ナノ -


「何で、此処に」

「此処が一番騒がしくて とりあえず人手も足りないだろうという立花先輩の判断です」

「ありがたいかぎりだわ ホント」



喜八郎が掘った塹壕で一休みして、八左ヱ門は大きく息をついた

戦況は芳しいとは言えないが、戦力が増えたことはかなり大きい

今は仙蔵と喜八郎でしのいでいる状態で、滝夜叉丸が八左ヱ門からこれまでの情報を得ているところである


「此処の防衛線は突破されてない ただ、こっちはダメだな」

「私達が此処に来るまでの間に罠は張りなおしてきました 時間稼ぎにはなるかと」

「あー ほんと助かる」


疲れがどっと出て溜息をついた竹谷に滝夜叉丸も苦笑する


(この人は、これだけの範囲を一人で守っていたのか)


人懐っこく、他の5年生よりも座学が苦手なせいかそれほど優秀に思っていなかったが、実践には滅法強いらしい

荒いといえば荒いが、戦況をしっかり押さえている八左ヱ門に滝夜叉丸は純粋に驚いていた


「七松先輩がどの辺りにいるか、わかりますか?」

「うーん、結構進んでるな 疾風(はやて)が合図を送ってきたのがこのあたりだ」

「疾風?」

「生物委員で飼ってる雄狼 七松先輩を追わせてる」


水筒と握り飯を渡しながら問うた内容に八左ヱ門も素直に応じた

自分の言葉に眉間に皺を寄せた滝夜叉丸に八左ヱ門は小さく笑った


「やっぱり気になるか 委員会の先輩だし」

「それもありますが…今回は嘉神先輩絡みですから」


見取り図に印を刻みながら、呟かれた言葉に竹谷が顔をあげた

諦めているのか、険しい表情はどう読むべきか、場が暗くなるのも避けたくて竹谷が明るい声で同意を求める


「そうだよな 七松先輩、嘉神先輩大好きだもんな」

「そんな簡単なものではありませんよ」


思っていたよりも真剣な表情と、冷たい声に竹谷は思わず口を噤んだ

この後輩、時折普段の自信満々な様子はどこへやら非常に思慮深いのだ


「あれは、執念です」


ただ、竹谷には、滝夜叉丸が何を危惧しているのか今ひとつわからなかった

物憂げな彼の瞳は、随分と静かだ


「あの人は、…七松先輩は基本的に物事には執着しない 周囲が思うより、ずっと冷静な判断ができる」

「………………」

「それが、嘉神先輩が絡むと一切の歯止めが効かなくなる」

「…………………」

「あの人から嘉神先輩を取り上げようとすれば、あの人は全力で抵抗しますよ 痛覚も、感情も全て捨てて進むあの人は、誰よりも強く恐ろしい」



自己本位だとか、自信過剰とよく言われるこの後輩ではあるが、実力はかなり高い

個人技に秀でている四年生のなかで、一番視野が広いのは滝夜叉丸であると竹谷は思っている

それは七松小平太や綾部喜八郎と中々自由気ままな人間に囲まれる境遇にあるからだろう、それでも愚痴を漏らせど全てカバーできていることから容易に推測できた


「あまり、1人にはしたくないのです 突き進んだ先を、想像すれば余計に」

「…………………」

「まあ、そんな余裕がない状態というのが現状ですが」


激しい爆音に耳を塞いで、滝夜叉丸が小さく笑う

どこかで理解しているのだろう

滝夜叉丸がどんなに七松小平太を案じたところで、そんな範疇に収まる行動を彼が取りやしないことを

あの人は実に自由だ

それこそが、あの人の強さでもあるのだから

黙って耳を傾けていた竹谷に、我に返ったのだろう滝夜叉丸が気まずそうに咳払いをする

口にしたことはなかったのかもしれない、自身の考えを曝け出してしまったことを後悔してるような様子であった


「無駄口でした 我々も出ましょう」

「……なあ、」


腰をあげた滝夜叉丸に声をかければ、何です?と返事がくる

それに乗じて竹谷も問う


「何が、そんなに七松先輩を突き動かすんだと思う?」

「…何故、そんなことを?」

「うちにも、いるからな あの人に傾倒してる奴」


じっ、と滝夜叉丸が竹谷を見つめる

誰かに問いたいと思っていた

三郎が鴇を慕う姿を長く竹谷は見てきた

後輩が先輩へと抱く想いとしては、想いが強すぎると思っていた

冷静沈着で人と距離をおきたがる傾向のある三郎の鴇への執着も、七松小平太のそれとは違った熱量で強い


嘉神鴇


魅力的な人だと素直に思う

竹谷にとって、鴇は信頼できる先輩だ

冷静で、頭の回転が速くて、それで嫌味も高飛車な態度もとらない

できた人だ 誰もが慕う立派な先輩だ

しかし、「尊敬できる先輩」それだけの言葉で片付けられない魅力があるのかが竹谷にはわからない


三郎に問うたこともあった

だが、三郎は第三者の理解を求めてなどいない

ただ笑って、幸せそうに笑って鴇を見つめるのだ


『お前には、わからないだろうさ』


幸せそうな、あの笑みが理解できないのだ

滝夜叉丸が知っているとは思えない、しかしそれを少しでも理解できたら読める気がした

三郎の動きも、小平太の動きも

期待も込めて滝夜叉丸を見つめるが、滝夜叉丸は静かに首を振った


「私からは何とも」

「…そう、だよな」

「ただ、」

「ただ?」

「嘉神先輩は、想いを裏切らない人ですから」


戦輪を懐から出して、滝夜叉丸が真っ直ぐ前を見る

この先は、小平太が進んだ道だ


「想えば想う分だけ、あの人は応えてくれる なんの躊躇いも、打算もなく」

「………………」

「あの人は、無意識にそれをする それが何より、人を捉えることを知らずに」

「………………」

「甘く、じわじわと身体の中を快楽に近い充足感が満ちる それを、」

「……………!」


話を遮るように、右手側から現れた気配に竹谷が構えると同時に、滝夜叉丸が先に前に立った

木陰から飛び出してきた侵入者に滝夜叉丸がクルクルと指先で弄んでいた戦輪を放つ

戦輪は大きく円を描き、キラリと一瞬だけ光った細い仕掛け糸をブツリと切った

張ってあった罠が、大きくしなった木の枝が勢いよく爆ぜ、男の顔面へと強打する

戻ってきた戦輪は再び滝夜叉丸の指先へとすんなりと収まって


「それを私がどうして止めることができましょうか 咎めるような非は、何もないのですよ」

「…静観するのが、正しいっていうのかよ」

「正しいか間違っているかなんて、それこそ明確なものはありません」


失神した男の手足を縛り、そこらの草むらに放り込んで滝夜叉丸は溜め息をもう一度ついた


「ただ、あの人達の間で交わされる想いは刹那的で、私は嫌いです」

「…………?」

「あれがいつか、あの人達を追い込むように私には見える」


賢く、冷静な見解だと思う

否定もせず、肯定もせず、ただ傍観者に立った見解

こう言ってしまえば薄情に思われるかもしれないが、呑まれない位置に立てていることを考えれば最適な手段である


恐らく5年生でこの位置に当てはまるのが勘右衛門で、勘右衛門と三郎の中間に位置するのが兵助だ

ただ滝夜叉丸と違うのは、勘右衛門も兵助も、気を抜けば引きずり込まれる状態であるということだろう

完全に距離が置けぬから、彼らは敬愛と思慕の間を行き来するのだ


「ですが、」

「ん?あ、」


何かを告げようとした滝夜叉丸の後ろに、仙蔵と喜八郎が戻ってきたため竹谷は話を一旦中断した

2人は戦闘をした形跡こそあれど、傍から見る分には無傷である


「平、状況は」

「侵攻範囲は此処に」

「寄越せ」


書き込んだ地図を手渡し、仙蔵がじっとそれを眺める

眉間に皺こそ寄れど、相変わらず綺麗な顔である


「撤退だな」

「え?」


ものの数秒で出された決断に竹谷が驚きの声をあげた

まだまだ森は騒がしい、それに此処から引いたところで後ろは学園である


「おびきだされてるぞ 防衛線が前に出すぎている」

「しかし、敵もそれなりにいますし…」

「直進することしか脳のない三下連中だ 付き合う必要はない」


さっさと地図をたたみ、仙蔵が喜八郎に適当に罠をしかけるように指示を出す

いまひとつ納得のいっていない竹谷の心境を悟って、仙蔵が口を開く


「何人か遭遇したが、どれも野盗に近い奴らだ 戦の仕方をまるでわかっていない」

「そうですが、」

「こんな猪のような連中ばかりなら、我々がこれだけ警戒する必要もないし、役所の方でも鵺の一味は捕らえられるだろう」

「立花先輩、簡易版で構いませんよねぇ?」

「ああ、すぐ設置できるのでいい」


喜八郎の方は仙蔵の意向を汲めたのだろう、時間をかけずに設置できる罠を次々と仕掛けている


「大方の人数は減らせた しかし、それに引き替えて此方の出方も相手にはバレてるぞ」

「…くそ、そういうことか」

「第二波が本命だ これだけ前にいては取りこぼす 一旦引いて、最終地点の学園で迎え撃つ」


竹谷も理解できたため、学園への撤退をすべく立ち上がる

急げ、と告げる仙蔵に動物達はどうするかと尋ねれば、しばらくは現状維持を命じられた


「威嚇にはなるし、我々よりも移動は獣達の方が何倍も早い」

「七松先輩は、どうしますか?」

「連絡はつくのか?」

「此方からは送れます」

「ならば、撤退だけ告げてやれ タイミングは小平太に預けろ」

「命令でなくていいのですか?」

「奴は鼻が利く 戦況の節目は簡単に悟るさ」


最前線にいる小平太の方が、状況を把握できている可能性が高い

もう既に後続の敵と交戦している可能性だってある

そうなった時、下手に命ずるよりは自由に動かしてやった方がよい


「どうせすぐに鴇から侵攻の合図が出る 鴇が呼べば、小平太はすぐ戻る」

「…そうですか」

「それよりも東西の連中にも撤退を連絡しろ 文次郎あたりは気付いてるかもしれんがな」


内密に広範囲に信号を送れるのは獣を使役している竹谷のみである

竹谷が呼び寄せた鴉達に指示を送る間、仙蔵はじっと森の奥を見つめていた

飲み込まれそうな暗闇の中、小平太はどこまで進んだのだろうか

この戦、敵の全体像が見えてはいないが、概要は先程述べた内容で大きな差異はないと思う

学園の場所を知らぬのであれば、四方八方からの人海戦術で来るだろうが相手は1度学園に到達している

これだけ東西が静かなのであれば、人手を割くべきはこの正面で正しいはずだ


(あとは、個人で撃破するしかない)


そうなれば手練れと遭遇する率が最も高いのは最前線にいる小平太である

第二波にどれだけの数が控えているかはわからないが、さして多いようには思えないし思いたくない

ただ控えているのが"何"かによって大きく状況は変わってくる

剣豪であれば一対一に拘るであろうし、忍であれば隙を見せれば突いてくる

術師であればその術式を警戒せねばならぬし、鳥獣使いであれば使役するモノを見誤ってはならない


(小平太 お前今、どこにいる)


小平太が1人で先に進んだことは、あまり好ましいとは言えなかった

こうなるだろう、と予測はしたもののだ

周辺を見回った際、仙蔵が見たのは一撃で沈められたと思われる野武士の数々であった

正確な斬撃は小平太のソレだ

容赦のない攻撃は奴らしく、そして今回の戦への怒りが見てとれた

その"怒り"が、不安を煽る要素であった

何のために組を作ったのか、わかっていた結果ではあったが、思わず仙蔵は舌打ちをした


今の小平太は、この広い森に放たれた獣だ

獣は喰らう

己の領域を侵されまいと、己の世界を奪われまいと

たとえ罠が仕掛けられていようと、敵が何十いたとしても


小平太は譲らない


己の心臓とも言える鴇を、絶対に


(戻れ、小平太 戻れ)


暗い、暗い森に念じる

先陣をきらせたら右に出る者はいない小平太の配置を間違った覚えはない

敵の大将を1人で討ち取ってくることはこれまでだって何度もあった

先駆者の強さは全体の士気に大きく影響する、そんなことも考慮して許可した配置であった

ただそれは、鴇が傍にいたことが前提だ

小平太がどこまでも進んでも、鴇が奴の行動範囲を把握していた

外れるリミッターを上手く制御していたのも鴇だし、小平太も鴇の前では無謀な行動はとらなかった

今、鴇も長次も此処にはいない


(小平太の行動を制御するものが1人もいない)


信じていないわけではない

鴇がいなくとも、小平太には充分な実力と判断力を持ち得ている

しかし、奴の思考回路まで考慮にいれたかと言われると自信をもてない


鉢屋に関しては伊作と同時に最大限の考慮をしたつもりだ

鉢屋は鴇と離してはいけないと思った

鉢屋の気が漫ろになり、精神が不安定になるくらいであれば、目に見える範囲に置いてやるのが正しい選択だと思った

鉢屋は鴇の目が届いてる方が、能力をいかんなく発揮出来る

それが依存かどうかなんてのは、また別の機会にでも考えればいいことだ

そういう意味では、小平太は揺らがないと仙蔵は判断した

鴇がいようといまいと、成すべきことを奴はする

ただそこに懸けられる、小平太の鴇への想いの強さを私達はきちんと推し量れていたのだろうか


(小平太、)


暗い森に、もう一度強く念じる


(お前が、鴇を揺らがすな)


手綱を逃れ、小平太が解き放たれた状態に1番危惧するのは恐らく鴇だ

先程竹谷には鴇が呼べば小平太は戻ると告げたが、鴇は小平太がそんなに単純でないことを熟知している


『あれを私が制御してるだなんて、大きな勘違いさ』


鴇のなかでの小平太の忍としての評価は高い

お目付役で鴇を小平太につけようという戦術を仙蔵がとろうとすれば、いつも鴇はそう言って少し引く


『あいつは、賢いよ あいつの言葉には力がある』

『しかしだな、』

『誰も、止められやしないのさ 小平太は、誰よりも自由なのだから』


その言葉に含んでいた意味は何だったのか

6年間、近くで見てきたというのに未だにわからない2人の思考に、仙蔵はチッと舌を打つのであった








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兵書のように綺麗に掌の上で人は踊らない

理性と感情が入り交じって、人は予期せぬ行動にでる

そんなのはいくらでも知っていた話であった


(いいか小平太、今回は鴇が傍にいないんだ 自粛を覚えろ)

(?何言ってるんだ 仙蔵 鴇がいないから、私達が頑張るんじゃないか)

(貴様が頑張りすぎていつもどうなるか、忘れたとは言わせんぞ)

(………………む、)

(あまり単独行動をするな 引くときは、)

(引くつもりなんてない)

(は?)

(私は絶対譲らない 鴇を諦めるくらいなら、)


その後の言葉を、私は聞かなかったことにした

その言葉への非難は一切しなかった

止めるだけ無駄なのが、小平太の目を見れば容易に想像できたからだ


(だからといって、お前が果てるのを、鴇が望むと思うのか)


今思えばどうしてその一言だけ念を押さなかったのか

ただそれだけが、小さな心残りで、仙蔵の心にドロリと居座るのだ











「鴇を諦めるくらいなら、私は死んだ方がマシだ」


真っ直ぐ前を見て、はっきりと言い放ったソレを、私はどう受け止めるのが正解だったのだろうか

35_よく似た地獄を分けあって



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