- ナノ -

ひゅん、

空気を裂く音が、空の真上から鳴る

月明かりの元、遠く黒い物体が静かに倒れたのを遠眼鏡から見届けて、三郎は顔をあげた


「次、」


真剣な声が三郎に降る

視線は外さず、手だけをこちらに伸ばした鴇にすかさず矢を渡せば、再びキリキリと張り詰める弦の音

雲が強い風に流される

雲の切れ目から月明かりが差し、再び黒く蠢く何かが目に入った瞬間


ひゅん、


冷たく、鋭い音だけを残して一瞬で矢が空へと放たれた

遠いソレへと降りかかった矢は、地に刺さるかのように静かに吸い込まれて、再びソレは地面に伏した

鐘撞き矢倉の上から暗闇に目を凝らす

動く存在はそれ以上目に入らず、三郎は一旦鴇に目視できる敵はいないことを告げた


「お見事」

「馬鹿言え こんなもん、褒めるな」


弓を立てかけて鴇が強い口調で三郎を窘めた

確かに不謹慎であったと三郎も反省すれど、相変わらず風を読むのに長けた鴇の弓の腕前には脱帽する

風の流れる方角、相手までの距離を測る力、正確無比な射撃が音を立てずに相手を仕留める

授業では武芸のひとつとして扱うには扱う弓術であるが、鴇ほどの射手はなかなかいない

似たようなものとして火縄銃も挙げられるが、これに関しては鴇は特段ずば抜けた腕前をもたない

下手というわけではない、弓に比べればというレベルだが


(ジリジリと、耳元で火が走る音が苦手なのだといつか苦言しておられたな)


こんな時、やはり鴇は武士に向いていると三郎は思う

剣術に弓術に馬術と、武士のお家芸を極める形で習得していくのは彼に流れる武家の血がさせるのか

精神力の鍛錬に良いから、と鴇は軽く言うが、そんな一言で済ませられるような武力ではない


「……音が、止まないな」


そんなことを考えていた三郎であったが、呟かれたその一言に意識を現状へと戻した

正面の森は爆音と木々のざわめきで酷い争乱である

暗い森が眩い閃光と火柱でちらつき出す

遊撃部隊である仙蔵達のフォローが追いついたのであろう、それに関しては安堵すれど、チラチラと学園にいる鴇や鉢屋からも視認できる距離にまで敵は近づいていた

こうして音の出ない矢を用いて排除を進めているものの、侵略の波はすぐそこまで迫っていた


「長次と不破達も戦闘を開始したらしい さっき合図があった」

「…そうですか」


広い森と湧き出るように現れる敵に数で押されだした

少しずつ小平太達の守備範囲から漏れた輩の対処を始めると長次から連絡をうけたばかりだ


「突破は時間の問題、ですか」

「ああ、そう遅くもないだろう」

「どうします?」

「…学園内を見回ろう 何だか落ち着かない」

「了解」


ヒラリと矢倉から屋根へと飛び移り、鴇は三郎を連れて学園を駆けることにした

本来であれば仙蔵達の役目であるが、一旦ここの守勢は鴇に譲られた

何も中央でボケッと待っていないといけない身でもない

ザワザワと、風の音なのか胸の奥で何かがざわつく

言葉にできないこの嫌な感じを払拭するように、鴇は短く強く息を吐くのであった
















(静かすぎる)


西の山へと配置された文次郎と兵助、三木エ門は敵の捜索にあたっていた

正面の森が騒がしくなったことに反して、東西は静かなものである

それに違和感を感じていた

正面は陽動か、それとも本当に正面突破のみを相手は戦略としてとったのか、それを見極めなければ学園には戻れないと判断してのことであった


「あの、」


高い木の上から周囲を見渡していた文次郎に背後から声がかかる

振り向けば指示を受けていた箇所の見回りを終えたらしい久々知兵助が立っていた


「報告」

「異常なし 人影も、罠の発動も見あたりません」

「そうか」


先に聞きたいことを済ませた文次郎が、で?と兵助に話の続きを促す

口布を外し、報告を終えた兵助は、言おうかどうか少々迷ったようであったが、意を決して口を開く


「学園に、戻った方がいいのではないかと」

「私達まだ何もしてませんよ?」

「田村、少し黙ってろ ……理由は」


兵助の突然の申し出に、一緒に行動を共にしている三木ヱ門が反論しようとするのを文次郎は止めた

三木ヱ門の言い分もわかる

自分達に与えられた忍務は"西の森"の守護、兵助の発言はそれを放棄しようという話なのだから


「守る範囲が、広すぎます」


きっぱりと言い切った兵助を、じろりと文次郎が見遣った

それだけでは説明不足とわかっているのだろう、兵助が言葉を続ける


「正面の森に大半の人員が割かれており、こちらは全く音沙汰がない 闇雲にいるかどうかもわからぬ敵を追うより、敵が必ず訪れる学園に戻った方がいい」

「正面は陽動かもしれん 此処を離れていい判断にはならねぇぞ」

「どうやって確証を得るつもりです?そんな不確定な要素に全てを賭けるわけにはいかないでしょう」


嫌なところを突かれたと文次郎は心の中で小さく笑った

その判断が難しくて、こうやってどうしたものかと悩んでいるのを彼は見越したのだろうか


「俺達には手も目も足りない 余裕のある守備体制でないのであれば、それはもう筒抜けも同然だ」

「ザルってことか なかなか辛辣だな」

「潮江先輩だってお気づきでしょう この配置の難しさを」


ゆっくりと文次郎の視線が兵助へと向く

自分を真っ直ぐ睨む兵助は考えが纏まっているようであった

初めの躊躇はどこへやら、力強い論破が始まる


「戦は攻められる側が圧倒的に不利です 堅固な城、溢れる人員があるのでなければ尚のこと」


戦に慣れている忍術学園で、この配置については大分揉めたことを文次郎は知っている

教師達に仙蔵や鴇が険しい表情で何時間も揉めた上でのこの配置、意味を取り間違えると一瞬で崩壊する

これは"初期配備"、固定位置ではない

兵助はその次の段階を見据えだしたのだ


「戦況が変わればソレに準じた動きをすべきだ 正面が陽動かどうかはもう関係ない あれだけ戦力を注がれたのであれば、こちらは突破されるのを見越して次に回る必要がある」

「小平太が抑えきれないと?」

「あの人だって人の子です 人としての限界範囲がある」


久々知兵助は優秀な忍である

実技もさることながら、戦術だってしっかり立てられる

根拠と正確さに長けた論理的な思考と、精神論に基づかない判断は冷静なものだと評価も高い


「俺達は、この地点に固執する理由がない 補給点でも救護地点でも何でもないこの森は、ただの一戦場だ」


じっと、睨むように文次郎が兵助を見つめる

他の忍たまであれば目を逸らすであろうソレを、怯むことなく兵助は真正面から捉えた


「他に言いたいことは?」

「……それは、どういう意味です?」


却下という意味なのか、兵助が眉を潜めるのを見て文次郎が小さく笑った


「早まるな その割りきった判断は悪くない」

「では、」

「いいだろう 戻りながら、話せ」


このまま留まるのも後々のリスクに繋がる、そう判断して文次郎は兵助と三木ヱ門に撤退命令を下したのであった



















「正面の罠が、発動しすぎている気がするんです」


木から木へと飛び移り、文次郎達は学園へと駆けていた

時折木陰に身を潜めて後をつけられていないか確認すれど、やはり人の気配は感じられない

広がるのは静かな闇夜だ


「八左ヱ門が従える動物達も騒いでいる それだけ派手な動きがあるというのは、いささか違和感があって」

「ただの陽動ではない、そう言いたいのか」

「はい」


撤退、と言えど、学園まではそれなりに距離がある

張り詰めた状態から少し息のあがった三木ヱ門の様子を見ながら、兵助は話を続けた


「罠は1度発動してしまえばそれで完結 獣達だって、潜んでいることがわかればそれで情報としては事足りる」

「後続があると」

「恐らく」


それは文次郎も感じていたことであった

正面の騒がしさに比べ、東西が静かすぎる

そこには東西への警戒心も強まるが、正面の騒がしさへのもう一段階踏み込んだ分析が必要だった

数で押しにかかっているのではない、相手は恐らく学園までの道のりを確保しにかかっているのだ

誰かは知らぬが、敵は1度忍術学園までは到達している

鵺から鴇への手紙がその証拠、そうなれば、次に懸念すべきは学園への侵入である

捨て駒をいくら使ってもいい、その代わり、自分達が侵入する際のリスクは低くしておきたい

敵がそう考えていると仮定すると、現在の状況も納得がいく


「後続は別に数は必要ない 奴らの目的は煩わしい罠や守備網の排除だ」

「今攻めてきてるのは金で雇われた三下か」

「ええ」


一際高い木に登り、戦下を臨めば正面の森では所々強い光が放たれていた

恐らく罠に仕込んだ閃光弾やら焙烙火矢だろう

そして仙蔵達が正面の森の援護に駆けつけていることを全てまとめて考えると、


「…時間がないな」

「はい、早く戻らなければ」


眩い光は暗闇では恐ろしく目立つ

時折の強い光はゆっくりと、そして確実に学園に近づいていた

圧されているだけの話ではない

あの光が学園に到達した時、すなわち第一波が学園に侵入した時、鴇達が仲間に合図を送る手はずになっている

それはつまり、自分達だけでなく


(相手の、進軍開始の合図になる)


ヒヤリと嫌な汗が背筋を走る

本当の戦闘開始はまだなのだ

この時間も、無駄な戦いでは断じてない

しかしその消耗戦に1番の戦力である上級生が駆り出されている現状は想像するだけでゾッとする


(気付いてるか、鴇 仙蔵)



また大きな爆音が森に響き闇夜を照らす

その音を振り払うかのように、文次郎達は学園へと駆けるのであった

34_静かすぎる夜を捨てて



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