- ナノ -

太陽が地平線の彼方へと飲み込まれ、月が空高くに居座る

警戒して夕刻より待ち伏せてみたものの、訪れたのはいつもと変わらぬ静かな夜であった

時折四方に散った待機者からの近況連絡として、伝書鳩が手紙をよこすが、そこにも異常はないと書かれるばかり


「…来ねぇなぁ」


小さな溜め息と共に留三郎が不平を口にすれば、勘右衛門が苦笑して空を見上げる

今日は昼間から天気が変わりやすく、先ほどまで分厚い雲が空を覆っていた

強い風がしばらく続いていたのだが、雲がそれによって流れ、隙間からようやく目印となる満月が姿を現す

暗い夜道に、月光が注ぎ込む

十分な明るさを連れてきた夜に、勘右衛門は呟いた


「月が出てからじゃあ、奇襲には明るすぎるんですけどね」


丸い、丸い見事な満月が完全に姿を現したのと同時であった

耳鳴りのような、キーンと高い音が鳴り響いたのは

高く、長く鳴るその音に、勘右衛門達が耳障りだと眉を顰めたのと同時である

学園の方へと押し寄せる人の気配と

自分達に降りかかる、嫌な気配に気付いたのは


















その時、八左ヱ門は学園に向けて伝書鴉の返事を返そうとしていたところであった

忍術学園の前に聳える森はとても深い

生徒達は各々近道やら獣道やらを開拓して迷うことはないが、ここは元来迷いの森である

地面の傾斜やぬかるみ、山にも似た環境の此処は、見晴らしは良くないが潜むにはうってつけの場所も多い

八左ヱ門と小平太も森の中の木の上で静かに待機をしていた

森中に仕掛けた罠や鳴子などはまだ反応していない

まだ敵は此処を通過していないようであり、随分と静かな夜と対峙していた


(ってか、本当に襲撃は今日で合ってんのかよ)


八左ヱ門がそう思うほど、静かな夜であった

近くの木の上で待機する七松小平太も普段の騒がしさは当然なく、目を瞑ってじっと待機している

ただ、纏う空気はピリピリと強ばったものがあり、彼のこの戦にかける想いの強さが目に見えなくとも感じられた

それに寒気を覚えながらも八左ヱ門は妙に納得していた


(そりゃそうか、)


今日はいつものような忍務とは違う

敵の狙いは巻物や密書といった「物」ではないし、忍術学園といった「一括りの単位」でもない

嘉神鴇という、いち個人

自分達にとっては、普段から世話になりっぱなしの先輩であり、学園を束ねてきた影響力の大きい忍たまだ

そして此処にいる七松小平太は6年間、嘉神先輩と苦楽を共にしてきた相棒でもある

そっと小平太の姿を盗み見れば、薄く開いた目があっという間に竹谷を捕まえる


「何だ?」

「い、いえ 何も」


まるでピンと張られた糸のような小平太の集中力は、今は視線のひとつでさえも感知できる

慌ててすみませんと謝れば、小平太はまたすっと目を瞑って待機体制に入った


(…完全に、臨戦態勢に入ってる)


自然と滲み出た冷や汗を拭って、八左ヱ門は小さく息を吐いた

そしてそれも当たり前か、とまた納得する

八左ヱ門のあまりよくない記憶力でも、小平太は常に鴇の隣にいた

そして彼が鴇へ想いを寄せているというのは周知の事実だが、その想いがどれほど強いかというのも八左ヱ門は理解している

八左ヱ門は同じクラスの鉢屋三郎が嘉神鴇に執着し、隣のクラスの久々知兵助が彼に傾倒していたのを長年見続けていた

誰の想いが一番強くて、誰を応援するとかそういった比較も無責任なこともするつもりはない

ただ、この七松小平太の嘉神鴇に対する好意の寄せ方は、すがすがしいほどまでにはっきりとしていた

三郎のように思慕か恋慕かわからぬ狭間のものでもなく、兵助の敬愛と恋慕の混じる忍ぶようなものでもない

だから同学年で一生懸命な三郎や兵助を応援すると八左ヱ門は断言できないのだ


「よし、これでいいか」


生物委員会委員長代理の八左ヱ門の腕には、普段世話をしている鴉が一羽

足に異常なしと書いた紙を巻き付け、空に放とうとしていた時である

急にカッと目を開き、胸元から苦無を抜き出した小平太が姿勢を正す

何事かと思えば、小平太が小声だが強い口調で言葉を放つ


「来た」

「へ?」


次の瞬間だ

高鳴りのような音が周囲を満たし、その奥から湧き出るような人の気配がいくつも現れたのは

強い殺意も所々に混じっている


響く高い音は知っている音だ

これはトラツグミの鳴く声、そう


(鵺(ぬゑ)の、鳴き声!)


放とうとした鴉の足の手紙を毟りとり、襲撃有という意味を込めた赤丸を殴り書き、それを結わえた鴉を放つ

八左ヱ門が振り向いた瞬間、疾風のように松葉色の塊が駆ける


「七松先輩!」

「竹谷、こいつら森から出すな」

「了解っす!」

「危なくなったら離脱しろ 私は先にいく」


その言葉の直後にゴキン、と鈍い音が鳴り、小平太が敵をまず一人仕留めたのだと竹谷は悟った

声の主は一瞬で遠くまで駆け、次々と気配のもとを断ってゆく

八左ヱ門も指笛を鳴らし、森中に忍ばせている山犬や鳥達に臨戦態勢の解除を知らせる


ざわざわと、森がざわめく

森に仕掛けた鳴子がガラガラと不気味な音をたてる

八左ヱ門もさっさと加勢をしに行かねばならないのだが、まずは敵の姿を知るかと小平太が沈めた賊へと歩み寄る


(…盗賊くずれか?)


小平太に首の骨を折られたらしい男の身なりは、忍や野武士とはまた異なるものだ

粗野な雰囲気と持ち物からは統率された、精鋭なといった空気は読み取れない

1人、2人と調べてみたが似たり寄ったりな人間ばかり


敵の事情を知りそうな相手であれば即時に始末するような真似はしない

これはどちらかというと物盗りやならず者に近い

だからこそ小平太は何も言わずに彼らを沈めたのだろう


(うーん よく、わかんねぇなぁ)


ただ、森に入り込んでいる気配のうち、只者ではなさそうな強い気を放つものもいる

恐らく小平太はそれを仕留めに向かったのだろう

であれ、ば竹谷がすべきは、このただ欲のもとに突き進んでいそうな雑魚をなるべく此処で始末することだ

こんなものが学園に到達すれば、よくないことが起こるのは明らかなのだから

ガサリと草が揺れ、委員会で飼育している山犬の一匹が姿を現す


「よし、いくか」


小平太が向かったのとは逆の方向へ、八左ヱ門も山犬と共に森を駆けるのであった













「始まった」


長次が呟いたのと同時に、溢れてくる人の気配に雷蔵の背筋がピンと伸びる

夜に響いた高い音と、それを追うように竹谷達の潜む森からの伝書鴉が一直線に学園へと戻った

検知した旨、雷蔵も鳩を空へと放つ


「数が多いですね」

「ああ、すぐ此方にも来るだろう」


目の前の森からは夥しい数の人の気配がする

それに比べて東西の山からは音も異変も感じられない

襲撃する集団の大半を正面突破にあてたか

均等に分散した自分達の考えを裏切るかのような相手方の作戦に長次は思わずため息をついた

こちとら少数精鋭で望んでいるのだ、そこらへんを考えてほしかった


(しかし、ゼロではあるまい)


人数比は明らか正面に割かれているが、それは人数であって戦力も同じ比率とは限らない

むしろ人の気配のない東西にこそ、精鋭が紛れている可能性は高い

小平太もそれくらいは認識しているだろう

この気配の多さでは、いくら小平太が森から出すまいと思っていても無理がある

そして正面突破を狙う相手が、先陣をきる特攻隊長役の人間を置かぬわけがない

頭領の鵺こそいないやもしれないが、五本指に入る人間はまず間違いなく存在するはずだ

そうなれば、小平太が気にすべきはその特攻隊長の撃破であり、それ以外の人間の取りこぼしは二の次で構わない

そのこと自体は小平太に話してあるので、無茶な行動はすまい


「雷蔵、準備はいいか」

「はい」


もちろんです、と答えながら何かをつけていた雷蔵の顔には狐の面

いつもは鉢屋が着用するその面を、何故か今日は雷蔵が着用している


「……珍しい、な」

「そうですね まあ、たまには」


じっとみつめる長次に苦笑しながら、雷蔵がはぐらかすように笑う

普段この面は鉢屋と雷蔵が共に戦う時に着用するものだ

同じ顔が2つ並んだ時、懸念するのは双子か片方が変装しているかである

前者であれば気にせず済むのだが、瓜二つの人間に化けられる人間がいると知った時、敵の警戒度は跳ねあがる

それを防ぐための面なのだが、


「三郎ほど優秀ではありませんが、頑張ります」

「……私は、お前に不安をもっていないが」

「あは、嬉しいです」


何故今日に限って雷蔵が面をつけているのか、それが長次の懸念の材料とはなったが、今は考えている場合でもない

ほわりと面の下で笑ったであろう雷蔵に長次もそれ以上の追求はしないこととする

さて、と正面の深い森を見つめる

森中に仕掛けた罠の発動する音、それに掛かったであろう賊の悲鳴

一部で爆発音も鳴っているし、空には八左ヱ門が従えている鳥達が旋回している

これからの戦況を表すかのような音を耳にして、長次も静かに縄標を懐から取り出すのであった












「鴇」

「…わかってる」


学園の屋根から正面の森を見つめる鴇に、隣に降り立った仙蔵が声をかける

険しい表情なのは敵戦力が中央に寄ったことについてだろう


「やはり正面の敵が多い 私達はそろそろ動く」

「ああ、頼む」


遊撃部隊となっている仙蔵達は、基本配置が決まっていない

今回のように戦況を見分けて不足している箇所へと赴くのが常だ

そんなことを言っている間にドン、ドンと腹に響くような鈍い爆発音が次第に数を増す

暗い森を閃光弾が幾度か照らし、戦闘の激しさを序々に語り始める

駆けつけるために身支度を整え、口布があてながら最終確認だと仙蔵が鴇達に念を押す


「いいな、「取り決め」は必ず守れ そこにはお前の意地など関係ないぞ」

「わかっているよ」

「鉢屋、鴇に何を言われても靡くなよ」

「わかっていますってば」


同じようにぞんざいな返事をする学級委員長委員会トップ2に仙蔵が疑惑の視線を向ける


「…何 その目」

「…貴様等は結託するからな タチが悪い」

「なんて言い草だ」

「学園に侵入された時点で、合図は送りますって」

「私達だけではない、学園の子達へも危険が迫るんだ そこは守るよ」


利口で聞き分けの良い言葉を吐く2人

それでもまだ仙蔵の目は不信の色を纏っている

鴇と鉢屋、2人はとても優秀な忍だ

だからこそ、2人で大概のことが成せ、上手く処理してしまうことが多い

鴇も鉢屋も、リスクを重視して行動をとるタイプの忍だ

それを踏まえれば安心してよいはずなのに、仙蔵が何度も念を押すのは2人の"リスク"に対する考え方が他の者達とは違うからだ


「鴇、私達は戦場に出た 私達は守るべき対象ではないのを頭に叩き込んでおけ」

「…だから、わかってるって」


自分の身に危険が迫った時、普通であれば周囲へ救助を求めるが、鴇達はなかなかそれをしない

仙蔵自身もその傾向はあるのだが、鴇も鉢屋もその危機を封じ込めようとするきらいがあるのだ

死なば諸共、自分達の手に負えきれぬものを仲間に解放するというのをとても嫌がる

たしかに鴇と鉢屋の2人で手に負えぬなら、学園にいる忍たまには対処が困難であろう

しかし、今日の戦はそんなことを言っていられない


「お前を、生かすための戦だぞ 鴇」


鴇を討たれれば全てが終わるのだ

戦だけではない、鴇の死は、幾人もの忍たまの心を見事に砕くだろう

そういったことに、鴇は疎い

何が何でも生き延びるということの難しさを、鴇はまだ理解できていないのだ


「鉢屋、」


正面の森をじっと見つめる鴇から少し離れて、仙蔵は三郎を呼んだ


「何ですか、またお説教で…!」

「いい加減真面目に聞け」


はぐらかそうとする三郎の胸ぐらをつかんで仙蔵が目を合わす

笑っていない仙蔵の目に、三郎もすっと笑みを引っ込めた


「あれを、殺すな」

「だから、わかって…」

「わかっていない」

真っ向から否定した仙蔵に、三郎がむっとした表情で睨み返す

適当に流した返事はしていたが、鴇の生死がかかっているのだ

内容としてはこれっぽっちも適当なことを思っていない


「私は、あの人に傷のひとつも負わせないつもりで戦います」

「腕や足の1、2本 使い物にならなくなっても構わん 身体は治る」

「…七松先輩と同じ発想ですか、それくらいの気概で望むと言っているのですがね」

「貴様もその考えを捨てろ」

「何を、」


自分の気持ちも、考えも否定されて黙っていろというのか

反論しようとした三郎を、仙蔵の強い視線が射貫く

それは、仙蔵の先輩としての教えであった


「嫌というほど見たのだろう 鴇が傷ついていく様を」

「…………………」

「何が鴇を殺すのか、何が鴇を死に至らしめるのか」

「それ、は」

「よく考えて行動しろ 鉢屋 お前のこだわりが、思わぬ事態に鴇を落とさぬように」


これ以上は何も言わん、そういって突き放すように三郎を解放して、仙蔵が喜八郎と滝夜叉丸を連れて闇へ紛れる

残された三郎は、闇に潜む鴇を見つめていた

灰色の柔らかい髪が、夜の風にふわりと靡く

真剣な視線の先は、仲間達が潜む森へと注がれたままだ

何が鴇を殺すのか、

何が鴇を死に至らしめるのか、

仙蔵の言いたいことを、少なからず三郎はわかっているつもりだった

鴇にも何度か似たようなことを言われている

それでも、三郎にだってわからぬことがあった


(何が、この人にとっての最適解なのか)


鴇はいつだって笑ってくれる

穏やかに、そっと花が咲くように

それを失いたくないと思うのは、間違いなのだろうか

もっと、もっと切羽詰まった境界線レベルでの話を、しないとならないのだろうか


「鉢屋」

「は、い」

「大丈夫だ」


どこまで聞こえていたのか、ドキリと跳ねた心臓を隠すように三郎は無理やり声を抑えて返事をした

それに鴇は気づいただろうか

わかっているつもりだ

この人が何を大事にしてきたのかを、この人が何を慈しんできたのかを

だからといって、それとこの人の命、どちらを選ぶかと問われれば

どちらが尊いのかと迫られれば、


(そんなの、私は)

「鉢屋」


浮かない顔をしていたのだろうか、困ったように笑って鴇がくしゃりと三郎の髪を撫でる

そのうち、三郎が少し落ち着いてきたのを確認して鴇が口を開いた


「ついておいで」


長い、長い夜の始まりだ

今はただ、この人の背と、この人の声を追うことだけに集中していればいい

未だグルグルと脳内を廻る仙蔵の言葉を掻き消すように、鉢屋は強く地面を蹴ったのであった

30_あの日の夜を始めよう



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