- ナノ -

1日が過ぎる速度というのは、思っているよりも速いものだ

1度迎えた満月はあっという間に細くなり、無に戻り、再び膨らみ始めている

普段は夜道を明るく照らす満月に不平など覚えぬものだが、刻々とその時を告げに来るこの黄色い月は今は疎ましい


体力は大分戻ったし、あれだけ重かった身体もかなり軽くなった

友や先生方の協力もあり、やれるだけのことはやったと思う

学園内、三方の山々、そして正面の森へと罠を張り巡らせ、仲間内での情報共有に暗号など取り決めだってぬかりなく決めた


あと3日


暦の上でも、そして月の様子からもあと3日で決戦の夜を迎える

残り数日となると、急ぐものもなく、各々の体調管理と思い思いの時を過ごす

鴇も湯浴みを済ませ、縁側で風にあたっていた

ここ数日、思うのはこれからのことと、仇のことであった











「鵺(ぬえ)という名を、知っているか?」


そう問うた大木雅之助に鴇は静かに首を横に振った

夜の鳥、と乱雑な文字で書かれた名の意味を問う


「タソガレドキの雑渡昆奈門からも同じ名前が挙がっている これが、お前が探していた仇の名だ」


そう言った彼に、鴇は食い入るようにその文字を見つめた

鴇にはこの6年間、仇を追うなと固く言い聞かせておきながら、雅之助達、学園側も独自の調査をしていた

それは別段鴇の身を案じてのものではなく、忍の学校として必要な情報を集めていた一端にすぎない

それでも事態がここまで膨れあがってしまえば、隠すことに意味はない

気乗りはしないらしい雅之助が渋々と口を開く


「鵺、という妖怪を知っているか?」


誰か、と問うた雅之助に皆がよく知らなかったのだろう

自然と視線が集まったのは長次だ

図書委員長を務める彼は実に多くの本を読み、その内容を記憶している


「…怪談程度の、話で良ければ」


そしてやはり知っていたのだろう、皆の期待を裏切らず長次が口を開く


「平家物語を始め、妖怪としての鵺は猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇で構成されていると聞く」

「……………」

「姿形については諸説あり、私が見たことのある資料では北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の戌亥(犬・猪)といった干支に準えたものだ」

「妖怪としての、という意味は?」

「元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことだ 気味の悪い声で鳴くため凶鳥として忌み嫌われてきたが、虎鶫(トラツグミ)を指すと言われている」
 

書物のページを切り取ってきたかのように記憶された解説にほう、と誰からともなく感嘆の声があがる

流石だ、と説明する手間の省けた雅之助が話を戻す


「鵺とは辻斬り衆の頭領の名であり、総称でもある」

「辻斬り衆?」


資料を捲った雅之助がこくりと頷く


「道場破りよりまだ悪い 全てを切り伏せ、全てを破壊することに快楽を覚えた集団だ」


鵺、というのは得体の知れない人物を指す時にも用いられる

そしてこの男の場合はそれが起源だ

誰も名を知らない、素性がわからないことから始まり、不気味な夜を連れてくることからこの名を人々が認知した


「鵺は非常に気紛れだ 連日現れたかと思えば、数ヶ月、1年と姿を見せないこともある」


どこから来て、どこへと去るのか、遭遇したものは全て殺されるため誰も知らぬのだと言われてきた


「規模はわかっているのですか?」


仙蔵が問うた言葉に雅之助が難しそうに唸る

戦をするにあたり相手の戦力を知っておきたいのは山々だ、しかし


「はっきりせん」


パラリと捲った資料を示して雅之助が数字を述べる


「狙う相手もバラバラでな 城1つ落としたかと思えば小さな道場を襲っておったり、数十人だの数人だの」

「…人を雇っているということですか」

「何とも言えん 元々多数の組織で希望者だけが行動してる可能性もある とにかくわかっていることは、」


虎、蛇、猿、犬、猪と先ほど長次が述べた獣を連ね、そして最後に鵺と総称を書く


「奴の側近として5名、それを頭領である鵺が率いている」


嵐のように押し寄せる集団は、賊のように金品に手をつけることもあれば一切つけないこともあると言う

ただ実力だけがモノを言い、彼らは誰に捕縛されることもなく、この6年間放浪を続けている


「側近はそれぞれ身体のどこかに名を体現する文字を刻んでいるらしい」


それは自身の表れか、ある意味わかりやすい目印はこちらとしては助かる

そして頭領だが、と口を開いた雅之助の言葉を鴇が遮り口を開く

それだけは鴇だって宙で言える


(忘れるものか、)


一体何度、奴は自分の夢枕に立ったことか


「真っ白な髪と、深い赤の目」

「………おい、鴇 それって」

「そう、私の仇は」
















強い風に、鴇の灰色の髪が靡いた

暗闇へと続く庭をぼんやり見つめて、あの夜を思い出す



現実感のない男だった

まるで霞でも食らう仙人のような、朧気な男であった

ふらりと揺らめくように動いて、次の瞬間、彼の過ぎた後には血の華が咲いた

音もなく、空気が裂けるように私の家に仕えたもの達の首が飛ぶ

屈強なものも、一芸に秀でていたものも、誰も刃がたたなかった

ただ全てを斬り伏せ、喰らい尽くして、私の前に立ったのだ


(――………)


あの男の声は、私の心を蝕んだ

私を取り殺し、魂にさえ手をかけた

さながら伝説の鵺のように


(異人の、男)


紡いだ言葉は同国のものであったとしても、どう見てもこの国の者ではなく、

黒みがかった緋色の瞳は、深淵の闇を彷徨う色であった

私の世界は、あの色と同じ赤に侵された

あの男が刀を振り下ろせば、そこは静寂の始まりであった


(…やめておけ、)


ぎゅっと目を瞑り、現実へと無理矢理帰還する

3日経てば、嫌でも対峙する

それまでは、アレに心を奪われるなんて勿体ない時間をとりたくない

はあ、と溜め息をつき、部屋から持ってきた刀を手にとる

すらりと鞘から刀身を抜き出し、空にかざせば、刃こぼれ1つしていないソレは、見る分にはとても美しい刀だ


(父上、)

「鴇?」


廊下の奥から声がかかる

小平太と長次が夕食に誘いに来たのだろう、どうしたと歩を進め、鴇の手の中のソレを見る

2人もこれ自体に見覚えがあった

あの告白に至った夜に、鴇に手紙と共に送られてきた刀だ

何と言えばいいのか躊躇ったような空気に鴇が小さく笑う

今となっては別に隠すような話でもない


「これさ、父の刀なんだ」


緋色の鞘に黒い柄

鞘には家紋が刻まれている

戦場に落ちている刀と比べると、どれだけ質のいいものかは素人目にもわかる


「6年前、持ち去られた父の刀 これは嘉神の当主に継がれるもの、」


本当なら自分が引き継ぐはずのものであった

真剣な眼差しで手入れをしていた父の横顔が過ぎるも、今ひとつ感情移入できないのはこれが他人の手に長い間あったからだと思う


「父は、あまり刀を抜きたがらない人だったよ」


とても穏やかな人であった

剣の腕は誰よりもあったのに、それを誇示することもなく

どちらかというと茶道や禅といった心の鍛錬をよく行う人であった

幼き者には手を差し伸べて、弱き者には慈しみをと

些細なことで心を揺らされてはならぬと弟子達に悟し、軽率な行動に対して厳しく叱った


「どういうつもりで、送り返してきたのだろう」


6年間、これを奴は、鵺は使ったのだろうか

誰かをまた無差別に殺め、この刀に血を吸わせたのだろうか

状態が良好なことから、手入れはしたのだと思う

しかし、何故手入れをしたのか

奴は何を想い、この刀を見つめたのだろう

鈍い色を放つソレへの感情はゆらゆらと揺れる


「…それで、仇を討つつもりなのか?」


黙って聞いていた長次が問うた言葉に、鴇がゆるりと視線をあげて見返す

隣に座った小平太も、じっと此方を見つめている


「どう、かな」


美しい刀身を鞘に収めて鴇が困ったように笑う

真っ直ぐ腕を突き出して、前を見つめる


「仇討ちって言うと、正当な理由を手に入れたみたいだ」

「………?」

「そんな綺麗な話でもなんでもない 私は噛みつくんだよ、弱い奴ほどよく吠えるようにね」


父が一番嫌った行動だ

衝動に駆られて刃を抜き、思慮の届く前に全てを払おうだなんて

それを父が大切にしていたこの刀で成してよいのか、そんなわけがないだろう


「私は確かに武士の子だけど、忍として生きてきたつもりだ」


誇り高い戦いを望んでいるわけではない

矜恃や体裁を守りたいのではない

そんなものは二の次どころか、求めているものではない


「ただ、」


泥臭くてもいい、愚かだと笑われたっていい

正しくなくていい

惨めに地面を這いつくばろうとも、汚辱に塗れたって構うものか

誰かに認められたいわけでもないし、言い訳だってしようと思っていない


「ただ、全てを終わらせたい 私を追うあの日と、私は決別しないといけない そうしないと、」


鴇が零すように呟く

そっと落とすように、そっと隠すように


「そうしないと、私は正しく生きていけない気がする」


刻々と、時は近づいてくる

日が沈んだばかりでうっすらと見える月は、あと3日で満ちる

月が膨らめば膨らむほど、私の心臓はドクドクと鳴るのだ


(怖い、)


体力もこの数日で大分戻ってきたし、あれほど重くて仕方のなかった身体だって大分軽い

自信がないわけではない

腕だってそれなりにあるつもりだ

自分が守りたい人を守れるくらいの、覚悟だってできている

それでも、


(時が、満ちてくる)


満ちる手前の月が、冷たく光る

カタリ、と震えた指先は何を感じたのだろう


「鴇、」


大きく骨張った長次の手が鴇の手に重なる

ゴツゴツしたそれは、蔵書をよく扱っている長次らしくカサついていた

それでも温かい

ゆるりと長次を見やれば、長次もまた静かに言葉を紡ぐ

私の好きな、耳にそっと落ちる優しい声だ


「長い、夜となるだろう」

「………うん」

「お前にとっては長い夜だ 暗く、冷たいものになるかもしれない だが、」


恐れている場合ではないのだ

それも全てひっくるめて覚悟を決めろという話なのだ

大丈夫だと言おうとした鴇に長次は伏せがちな目をあげて告げる


「明けぬ夜はない」


その一言に鴇の表情が歪んだ


「ただ前を見ていればいい お前の持てる全てがお前を守り、お前の願いは、きっと成就する」

「…なんでさ」

「お前はそれほど、正しく生きてきたからだ」


大丈夫だ、と小さいが確かに届く長次の言葉に胸の奥が熱い


「鴇、私の自慢の友 お前はいつも、正しかったよ」


ボロリと大粒の涙が鴇の目から零れた

鴇自身、それにはとても驚いて、慌てて目を擦る

鴇にとって長次の言葉は何よりも信用できるものであった

その長次が言うのだ、自分は少なくとも曲がりなりにも必死で生きてこれていると

これからの生き方を案じていた

ぐらついた足元は、振り返らないようにしていた

それでも彼は認めてくれたのだ

この6年間、共に歩んでくれた友として


「お前達は、いつも難しいことを考えているな」


突然割って入った小平太の言葉に振り替えると同時に、背中にズシリと重みが増す

引き寄せられて後ろに倒れこんだ鴇をしっかりと抱えて小平太は笑う


「全部払えばいい 鴇にはそれができるだけに力がある 何を不安に思うんだ」

「…それは驕りじゃぁないのか」

「鴇、過ぎる不安はお前の足を止めるぞ」


小平太もまた、真っすぐに生きてきた者であった

小平太はいつだって真っすぐだ

全てを懸けて生きていける小平太は、鴇にとっては眩しい

大切な友

自慢の友

そんな彼らは、微塵も疑ってはいないのだ

私たちは、この夜を乗り越えられると


「?鴇?どうした?」


小平太の腕のなかで反転して、鴇が正座する

隣に座る長次に手招きすれば、長次も首をかしげて近寄ってくる

2人に向かって鴇は勢いよく飛びついた


「わわっ!鴇っ!?」

「!!?」

妙に清々しい気分だった

何も解決してはいないのに、この瞬間は悩みなんて心のなかには何一つなかった

慌てる2人に強く抱きついて、鴇が口を開く

こんな子どもみたいな真似、一体いつ以来だろう

それでも、伝えずにはいられない


「我儘ばかりでごめん、巻き込んでごめん」

「鴇、お前まだそんな…!」

「それでも、」


私はただ、恐れた

私はただ、奪われるのが怖くて意味もない駄々をこねた

それが皆を巻き込むことだなんて、少し考えれば容易に行き着く答えだったというのに

父は私に何度も言った

心を強く持てと、揺るがぬ強さを身につけよと

これは弱い自身の心が招いた結果、

それでも、それでも私は


「それでも、私はお前達と一緒にいたい」


いつまで甘えるつもりなのか

いつまで夢を見るつもりなのか

もう1年もすれば皆バラバラの道をゆく

忍になるもの、商人になるもの、学者になるもの、医師になるもの

数多にも別れる将来への道を、嘆くわけでは断じてない

寂しいけれど、それは当たり前の別れで嘆くものではない

そんな別れが来るまでの残り1年、私はもう誰も失いたくない

親も幼馴染みも共に過ごしてきた道場の者も全て失った私の、心の隙間を埋めてくれた友達

それを奪われるなんて我慢ならない


「一緒に、いたいんだ 長次、小平太」


この6年間、共に笑い、共に切磋琢磨し、喧嘩もした

また力を込めて2人を抱きしめれば、私もだ!と小平太が抱き返し、長次もポンポンと背を叩いた







しばらく戯れていた後、長次が何かに気付いて顔を上げた

「鴇、」

「え?」

「…………」


長次が指さす先に水色の制服

ん?と首を傾げれば、ぞろぞろと小さいのが廊下の曲がり角から顔を見せている

小平太も気付いたらしく、鴇と2人でじっと見つめれば、角の向こうが慌て出す


「見つかった!」

「だ、だから全員で来るのは駄目だって言ったんだ」

「じゃあ誰が留守番するのさ、僕は先輩とちゃんとお話したいからヤダね」

「僕だって!」

「うるさいぞ 1年は組!」

「じゃあ先輩達は後から来てくださいよー 僕たちが先ですからね」


時折見える青色や萌黄色に、一体どれだけ隠れているのやらと笑う

それでもまだ出てこない彼らを見つめていれば、急に押し出されるように下級生達が転がり出す


「ほら邪魔だよー 廊下を占領しないの」

「用があるなら行く ないなら部屋に戻って寝てろ」

「文次郎、お前何でそういう言い方しかできねぇんだよ!」

「あ?やんのか留三郎」


盆に団子やら煎餅やら菓子や茶を乗せて伊作達が現れる

食満せんぱーい、と駆け寄った喜三太達を抱き上げながら、留三郎や文次郎もゾロゾロと続く

何事かと思って倒れ込んだままの状態で見つめていれば、仙蔵が呆れたようにやってくる


「お前達、何をしてるんだ」

「………いや、ちょっと」

「図体のでかい者ばかりでじゃれつくな 見苦しいだけだ」

「…辛辣だなぁ」

「もっと構うべき相手がいるだろうが」


行っていいぞ、と仙蔵のお墨付きをもらった1年生達がわーい、と廊下を駆ける

各々が自分の委員会の先輩やら慕う者達のもとへと駆け寄る

気がつけば、1年生から6年生皆が集まっていた

皆が皆、遊びでないことを理解しており、戦場に出向く者達を案じていた

帰らぬ人になることだって、この学園では珍しいことではない

腕の1本や足の1本、無くして帰る者だって当然いる

だからこそ、元気な姿を、朗らかに笑う友や先輩の顔を目蓋の裏に焼き付けたいのだ

その自信に溢れる格好のよい姿が、待つ者達の心を確かに支えるのだ


(私は、私達は)


私達は忍で、心は刃のなかに隠せと言われている

それでも私達は忍である前に人間で、子どもで、仲間が好きで、感情というものに振り回される存在だ

理解はしている

力のない者は力のないなりに、力のある者は力なき者達のために

戦う舞台は違う、されど、心は共に戦場を駆けようと


自分の幼さを嘆く者もいる

自分の未熟さに後悔する者もいる

しかし、本人にしか為し得ない戦いだってそこにあるはずで

だから最後に、こうしてどんちゃんと楽しく騒いで不安を少しでも取り払いたいのだ


「鴇、先輩」


随分と揉みくちゃにされた鴇を、どこかかしこまった様子で庄左ヱ門と彦四郎が見つめている

甘えたいのに、どこか気恥ずかしい

優等生はこの葛藤が損だよな、と昔の自分とよく似た後輩達に鴇が笑う


「おいで 黒木、今福」


よいしょと身を起こし、腕を広げれば、ほっとした顔をして2人が飛び込んでくる

特にこの2人は話したいことがたくさんあっただろう

今回、一番危険が及ぶのは鴇であると、容易に想像できたのだから


「話は、聞いてるね?」

「……はい」

「心配ばかりかけて、悪い先輩でごめん」

「鴇先輩が悪いんじゃないです」


はっきりと言い切った庄左ェ門と彦四郎に鴇が笑う

強い視線が眩しいと、いつも思う

そしてこれが希望だともいつも思っていた


「私ね、心残りがたくさんあるんだ」

「はい」

「お前達の歓迎会、まだやってないのもその1つ」

「え?」

「鉢屋や尾浜と相談してたんだけど、したいこともたくさんあって」


小さな頭を撫でれば、普段は冷静な2人の頬が赤く染まる

私は、ここに帰ってこよう

この子達と、また春をやり直して、共に歩もう


「ちゃんと戻ってくるから、待っていて」


鴇の言葉に庄左ェ門達の背筋が伸びる

曖昧なものではない、明確な約束をしてもらえたことがどうしようもなく嬉しかった

鴇は自分たちを見ていてくれる

一緒に歩こうという意思が、確かにあることは格別な話であった


「ぼ、僕も剣術の稽古見てもらう約束してます」

「僕も字の書き方教えてもらうって約束してます!」

「私達だって手裏剣の練習みてください」

「先輩、私と蛸兵衛に入ってくれるって約束ですー」

「喜八郎、出任せは言うな」


そのままの勢いで、別方向から押し寄せてきた人の波に鴇が埋もれる

これが鴇の日常であった

そして、ずぼりと鴇の脇に手が差し込まれ、ぐいと引き上げられる


「う、わ」

「駄目だ!鴇は私のだ!」

「…………小平太、お前なんて大人げないんだ…」

「こればっかりはいくら後輩が可愛くても譲らん!」

「小平太小平太、鴇の息が詰まってる」


力任せに引き抜いて、私の!と力の限り抱きしめたのがまずかったのか、小平太の腕の中で鴇が青白い顔でぐったりしている

後輩から先輩をとりあげた小平太に仙蔵や文次郎達が溜め息をつき、

鴇への乱暴な扱いに腹をたてた三郎が鴇を奪還しようと画策するのを落ち着けと雷蔵や八左ヱ門が宥めて

その間に鴇に抱きつこうと近づく綾部を滝夜叉丸や三木ヱ門が慌てて止める

いつもの学園、いつもの日常、それにコホリと咳を吐いて鴇がそっと目を細める


(大好きだ)


この日常が、この空気が、この一瞬が、全て好きだ

丸く肥えてきた月を睨んで心を決める


(絶対に、渡すものか)


その様子を向かいの長屋から穏やかな表情で見つめていた雅之助に、

鴇は強い決意を秘めた視線をよこすのであった

28_いとおしむように目を閉じて



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