- ナノ -


(これで、今日は最後だな)


書類に目を通し、鴇は大きく息を吐いた

溜まっていた委員会の帳面をつけ終われば、ここ数日の遅れはほぼ取り戻した

戦に備えど、学園の日常だって疎かにはできない

ましてやこれを自分は守りたいのだ

体調との加減は確かにあるが、委員会の仕事の手を抜くつもりはない

ぐっと背筋を伸ばして最後の書類に手を伸ばしたところで、ガラリと部屋の戸が開いた


「あ」


部屋にいるとは思っていなかったのか、入室と同時に鉢屋が声をあげた


「す、みません 声もかけずに」

「いや、問題ない」

「…休んでいなくて、いいんですか」

「これだけ終わらせたらな」


書類を置きにきたらしい鉢屋は静かに入室し、机の上の整理を始めた

普段の変装の徹底ぶりからもわかるが、鉢屋はかなり几帳面だ

彼がだらしなく何かを散らかしたままの姿は見たことがないし、紙面を走る文字だって整然としている

事務のミスもないし、気になるところがあれば自分で直せる

そんな鉢屋だから鴇とも上手くやっていけているのだろう

散らかし癖のある尾浜に比べて、そういう点では鴇は鉢屋を叱った覚えがない

黙々と片付けを始めた鉢屋を横目に、鴇も書類に集中する

しばらくすると鉢屋はほんの数分で片付けを終えてしまったらしい、することがなくどこか時間を持てあましているような空気が漂う


「あ、あの お茶でも、煎れますか」

「いや、いいよ さっき飲んだ」


どこか遠慮気味にかけられた声に返事を返せば、また少しの沈黙が漂う


「お手伝いするものは、」

「これで今日は最後だから、大丈夫だ」

「そう、ですか…」


特に難しい書類でもないし、ほんの数行書き足せば問題のない資料だ

今日は授業に作戦会議にといろいろあったから疲れているだろう

鉢屋の手を煩わせるほどでもないからと思って返事を返したつもりだったのだが、それから何分経っても背後の鉢屋が固まっているような気配が消えない

ん?と不思議に思って振り返った鴇が慌てた声をあげた


「鉢屋、」

「は、い」

「お前、何で泣いているの?」

「泣いて、ません」

「そんだけグズグズになってて、」

「知りませんっ」


正座を崩さず、ただ膝に置いた手をぎゅっと握り固めて鉢屋が泣いていた

それも結構しっかりボロボロと

此処まではっきりと泣かれたのはかなり久しぶりだ

書きかけの書類を放り出して鴇が慌てて鉢屋に近寄る


「何、どうした?」

「何でも、ない」

「阿呆か、何でもなくないだろ どこか痛めたのか?」


何を聞いても違う、と首をふる鉢屋に鴇も困り果てて眉を潜める

鉢屋は昔からこうだ

滅多なことでは泣かないが、1度泣き出すとなかなか泣き止まず、だんまりを決め込む癖がある

しかも、それはきっと鉢屋の矜恃に関わるものでもあるのだろう

理由ははっきりしないが、一番いけないのは、傍にいてやらないことだ

それでやらかしてしまったことが、鴇には手痛い思い出として残っている


「目、擦るな 赤くなる」

「放って、おいてください」

「この状態のお前を捨て置いたら、私切腹ものだよ」


懐から取り出した手拭いで涙を拭おうともそっぽを向かれ、鴇は困惑した

固く握られた拳に手を重ね、ビクリと跳ねたのを無視して指を1本ずつ解く

力を込めすぎて真っ白になった指先にほんのりと血が通うのを見て、鴇は鉢屋に両手を広げた


「ほら、鉢屋」

「嫌、だ 私もう、子どもじゃない」

「知ってるよ いいからおいで」


どうせ鉢屋が来ないことなんて知っている

だから鴇は無理やり鉢屋を自分の腕のなかに引き込んだ

身じろぐ鉢屋にお構いなく、鴇は彼を両腕で抱きしめた

嫌だといいながら伸ばされる手が、いつも矛盾してることは知っている

鉢屋は酷く繊細で寂しがりやなのだ

普段の自信に満ちあふれた笑みとは裏腹に彼はガラスのように脆い面が見え隠れする

幼子をあやすように抱き留めて、ゆっくりと背中を撫でてやれば鉢屋の抵抗がなくなった

不破の髪を模したそれは存外柔らかく、肩口に押さえつけた鉢屋は静かに嗚咽をあげた

じわりと肩が熱をもつ

ぎゅっと鴇の胸のあたりを掴む手は、昔に比べると随分強くなったが、それさえも懐かしくてゆっくりと息を吐かせる


「どうした、鉢屋?」

「…………………」

「黙っていては、私気付いてやれないよ」


それでもだんまりを続ける鉢屋は昔と変わらない

昔はあの手この手であやして、ご機嫌とりにいそしんだものである

それはそれで個人的には懐かしくて微笑ましいが、解決には至らないのでこちらからいくつか話を振ってみる


「不破と喧嘩でもしたか?」

「…………………」

「何か、失敗したのか?」

「…………………」

「我慢ならぬことでもあったのか」


どれも外れたらしく返事をしない鉢屋の髪をとりあえず撫でる

これほどまでに鉢屋を痛めつけた何かが思いつかない

大体今日は、そんな暇あっただろうか だって、


「今日はお前の思い通りになっただろうに 私にも勝てて、上機嫌かと思ったんだが」


何気なく呟いた言葉であったが、大きく鉢屋の肩がびくついた

それに鴇は首を傾げた


(………え?)


ぎゅうっと抱きつく腕の力が強くなったのと同時に、原因が自分にあるのだと鴇は気付いた

ただどれが、鉢屋をここまで追い込んだのか、それがはっきりとわからない

倒れる前からのことも考えれば、かなり色々とやらかした覚えがあるが、どうしたものか


「お、」

「ん?」


少しの間黙った鴇に不安をもったのか、怖ず怖ずと俯いたままの鉢屋が声を出す

これを逃せば多分次はまたかなり後になるだろう、そう思って鴇も静かに鉢屋の言葉を待つ


「怒って、ますよね、」

「……?何に?」


何も気付いていないと鉢屋はこれはこれでヘソを曲げるのだが、こればかりは聞かないとわからない

イチかバチかの問いだったが、今回は鉢屋の地雷を躱したらしい、鉢屋が続けて口を開く


「随分、勝手な真似をし、た 詮索、も、我が儘、も」

「…それは、私がお前に怒られる話であって、お前が私の機嫌を伺う話ではないよ 鉢屋」


怒ってなんかいない、そう告げるのに鉢屋は嘘だと首を横に振るばかり

何がこんなに鉢屋を頑なにさせているのか、わからずに困っていれば鉢屋がまた口を開く


「だったら、なんで、」

「ん?」

「なんで、目を、合わせてくれないっ………」


尻すぼみに消えてゆく声にようやっと原因がわかって、髪を撫でていた鴇の手が止まった

鉢屋の敬語が外れる時は、余程我慢ならなかった時だ

グスグスと鼻を鳴らし、まただんまりを始めた鉢屋に鴇が自身の行動を振り返る


(ああ、そうか)


ようやく合点のいった鴇が自身の行動を振り返る

倒れる前と、今に至るまで、自分は鉢屋を拒絶してばかりだった

ついてくるなと釘を差し、質問を全て却下した

心配で気遣う言葉を全て受け流し、他所で戦えと追い払った

目覚めてからもそうだ

相対の後もろくに時間をとれず、雅之助の話を聞いていたし、先程もすぐに終わるからとろくに鉢屋の顔も見ないで答えた

そういえば、入室してきた鉢屋と目を合わせた覚えもない

普段であれば、それほど気にしなかったかもしれない

それでも、鉢屋は疚しさでいっぱいだったのだ

鴇の嫌がることをし続けただけでも鉢屋には負い目があったし、鴇が怒鳴っても一歩も引かなかったどころか無理やり押し通した

鴇の方は、自分なりに鉢屋の気持ちに応え、受け入れたつもりではあったのだが、この後輩はそれが実感できなかったのだろう

不安と不満と困惑とが溜まりに溜まって膨れあがって、私の態度がそれをブスリと突き刺してしまったのだ

案の定、それに鉢屋は酷く焦った

一向に目を合わさない自分、話のきっかけをつかみたいと手伝いや茶を淹れようと声をかけても鴇は全て拒絶した

鴇からしてみれば、鉢屋の手を煩わせるほどの範囲ではなかっただけなのだが、鉢屋は鴇が怒っているように思えたのだろう


(不器用な、後輩だ)


寂しい、寂しいと抱きつく鉢屋が声も出さずに泣く

忘れていたつもりはなかった

人一倍強情なくせに、人一倍寂しがりやなこの後輩のことを

いつも自信に満ちていて、弱音を見せないのが鉢屋の美徳であった

そしてそれが永遠に維持できるわけがないことも鴇は知っていた

だから鴇はいつも鉢屋を見ていた

鉢屋が張り詰めて、そのまま弾けてしまいそうになる前にこうやって時間をとって話を聞いて

荒れることも、孤独で打ちのめされるようなこともないようには気を遣っていたはずなのに、どうして自分がその引き金を引いているのか


「本当に、本当に怒ってなんかいないよ 鉢屋」

「嘘だっ……」

「嘘なんかつくものか それにさっきも言ったが、本来ならお前が私に怒っていい話だよ 鉢屋」


どれだけ鉢屋を傷つけたのか、ここまで情緒不安定になる様を見てようやく気付く

鉢屋が他に甘えていける場所なんて、不破以外にないのも知っていて

それでも不破にだって言えない、鉢屋のなかの絶対譲りたくないものは自分だとも知っていた

どれだけ不安にさせていたのかがようやっと身に染みる


「委員長、は 私を嫌いになったんだ」

「なってないって、本人が言ってるだろ 信じろよ」

「厄介な、後輩をもったって、思ってるんだ」

「思ってないって お前はいつも勝手な飛躍をする」

「今だって、面倒だって 思ってるんでしょ」

「思ってないって、何でそう距離をとりたがるんだよ」


グラグラと、崩れてしまいそうな鉢屋を1つずつ立て直す

引きつけを起こし、言葉遣いも少し幼くなってしまっている

本当に?、と何度も問うてくる鉢屋を撫でながら、本当に、と何度も念を押す

ぎゅうっとしがみつくように抱きつく鉢屋が、数年前の姿とかぶって懐かしい

ゆっくりと背中をさすって何度もごめんと呟けば、鉢屋に泣き声も少しずつ収まってくる


「心配かけて、悪かったよ 鉢屋」

「…もう私、あんなの、嫌だっ…」

「うん、気をつける すまなかった」


落ち着いてきたのだろう、ボソボソと言葉数が増えてきた鉢屋に鴇も言葉を返す

伏せていた顔を、そっと覗き込めば目を腫らした鉢屋がいた

面をつけても、高揚した状態は隠せないのだろう

上気した頬と、熱量がはっきりとわかる


「泣かないでおくれ、鉢屋」


指の腹で、まだポロリと落ちた涙を拭う

両手で鉢屋の頬に触れれば、鉢屋がこちらを見つめながらまたハラハラと涙をこぼした

美しいと思った

そして愛しいと思った

自分をここまで想い、振り回されるその姿を目の当たりにしながら、鴇は場違いにそう思った

何故この子は自分なんかに捕まってしまったのだろう

それほどの価値が、私にはあるのだろうか

まだ涙の止まらぬ鉢屋をもう一度鴇は抱きしめた

静かに静かにただ抱きしめ続けたのであった











随分時間が経って、ようやく鉢屋が落ち着いたように見えた頃、鴇は静かに切り出した


「これからの、ことなんだがな」


そう切り出せば、鉢屋はいそいそと懐から抜け出し、鴇の前に座りした


「大丈夫か?」

「は、い すみません お見苦しい、とこを」

「いや、ゆっくり構ってやれなくて、すまない」


まだ目も赤く、グスグスと鼻は鳴るが、真っ直ぐ姿勢を正して正座するその姿は流石である

そういうところがまた凄く好きだとか、こんな時くらいもう少し甘やかせてやりたいのに、と色々なことを思いながら鴇も話を続ける


「あまり日もないんだが、委員会は通常通り行おうと思っている それは、最低限の責任だと思うから」

「はい」

「各自の担当箇所での打ち合わせと、全体での確認事項、私はそれに加えて鍛錬のし直しがある かなり、忙しくなるだろう」

「はい」

「無茶を言うと思う 負担も強いると思う」

「はい」

「それでも、ついてきてくれ」


最後の言葉に鉢屋が反射的に鴇の顔を見つめた

鴇もそれ以上は尋ねることなく鉢屋の目をしっかりと見つめれば、鉢屋の目に光が戻る


「もちろんです」


ついてきてくれるか、と問うのは鉢屋には失礼な話だった

あれだけの気概を見せてくれた鉢屋に、今更気持ちを問うのは意味のない話で

これは信頼である

私から、今までついてきてくれた鉢屋に対する絶対の信頼


「あと、な 鉢屋」


そしてこれは、その信頼に対する警告

少し言い淀んだ自分に鉢屋は気づいただろうか

何と伝えようかと悩みながら、鴇は口を開いた


「無茶だけは、しないでくれ」

「…?何の、話です?」

「お前の気持ちは、本当に嬉しい だけど、私がお前を大事にしたいという気持ちも、わかっていて」


お願いだ、と祈るように告げる鴇に鉢屋が首を傾げる

鉢屋はピンと来てないのだろう、それでも鴇はずっと言い続けている

彼が、私の後輩で

私と共に歩むことを望んできたこの5年間

これだけは、何度でも釘を打たねばならないのははっきりしていた

だって鉢屋は、「それ」をする傾向があるのだから


「私が引き起こしておいて何なのだけど、誰も欠けてはならないんだよ」

「大丈夫です 貴方を悲しませるような真似、私がさせません」


力強いその言葉は、望んでいるソレとは少し違う

本当なら安心していい言葉なのかもしれない

ただ、認識の不一致がやはり起きている


「鉢屋、私はお前も欠けてはならないと言っているんだ」


させない、という言葉が引っかかる

その強い目に不安がもたげる

鉢屋の思考は私とよく似ている

長年連れ添ったせいか、そんな姿ばかりを見せてしまったせいか、絶対的な成果を、鉢屋は私に見せようとする


「危険だと思ったら引いてくれ その判断を、お前は間違いなくできるのだから」


鉢屋は自分が興味をもったものに対しての執着が恐ろしく強い

不破もそう、変装もそう、そして自惚れているわけではないが私に対しての執着もかなり強い

自惚れではない

そう言い切れるくらいには、鴇は鉢屋の自分への執着を知っていた

だから恐ろしいのだ

そして、それに本人が気付いていないのが一番致命的だ

それが怖くて、鴇は昼間、鉢屋を自分から引き離そうとしたのだから


「鉢屋、優先順位を間違えるなよ」

「もちろん、です」

「まずは、お前の命だよ 鉢屋」

「………はい」

「鉢屋、」


そう言った鴇に、鉢屋はこう答えたのであった


「わかりました」と


返事までに空いたほんの少しの間が、鴇の心に小さな不安を残すのを、鉢屋はどこまで理解してくれるだろうか








「わかってると思うか? あれ」

「………嫌な、質問だな 仙蔵」


顔がグシャグシャになったので直してきます

そう言って三郎が部屋を去ったのと同時に屋根裏から仙蔵が姿を現した

細かい打ち合わせがしたくて来たのだろう、脇に抱えた見取り図や兵法書を鴇が受け取る


「こういう時のお前の気配の無さは、本当に嫌になる」

「あれだけ甘やかしていたら、出て行くに出ていけんわ」


何か茶菓子でも出そうか、と問えば要らぬと仙蔵が返す

鴇でさえ仙蔵の気配に気付いたのは、鉢屋が泣き止んでからだ

泣かれてしまい、そこまで気が回らなかったといえばそれまでだが、多少の気恥ずかしさと気まずさがある


「しかし、お前と居る時の鉢屋は、私達の知る奴とは別人だな」

「あれは頑固で負けず嫌いなところがあるからな 皆の前ではなかなか自分をさらけ出せないのだろう」

「それで手放せないと?」

「……手厳しい言葉だね」


畳に図面を広げていく仙蔵を手伝い、鴇も資料を手にとった

大分考え込んでくれたのだろう、仙蔵にしては珍しく色々と書き殴ってある

手は動かしながら、鴇がぽつりと尋ねた


「さっきの、話だけどな 仙蔵」

「何だ?」

「やはり、危ういと、思うか?」


何が、はつけずに尋ねれば、そうだな、と仙蔵が呟く

鴇が何を聞きたいのか、仙蔵はわかっているのだろう

一から説明する必要のないこの敏い友が、ありがたかった


「だからといって、どう在るべきかは難しいところだ」

「…そうだな、」

「お前は、鉢屋の世界の軸になってしまった」


そう言えば、鴇が少し眉を寄せた

不破もまた、鴇と似たように鉢屋の世界を象るものだが、少し意味が異なる

不破は鉢屋にとっての映し鏡のような存在だ

2人が並ぶことによって、鉢屋は自分と不破との違いを認識し、己の在り方を問うている

似ていて非なる、それが個を産んでいる


しかし、鴇は違う

鴇は鉢屋が「鉢屋三郎」として、個として単独で成り立つための存在だ

鴇の隣に不破が立ったところで、そこに大した意味はもたないし、そこに居るべきは鉢屋三郎ではないのかと皆の認識だって位置付いている

嘉神鴇という人間が、鉢屋三郎という人間の存在を確立させている

鴇が鉢屋を受け入れなければ、鉢屋は単独では在れないのだ


「突き放したら突き放したで、鉢屋は無茶をするぞ お前に認めてほしいと、躍起になるさ」

「………………」

「鉢屋は恐ろしく優秀だ それは私達も認めよう だが、お前が絡むと落差が酷い」

「……私は、鉢屋を駄目にしているのだろうか」

「単に駄目になるのなら、私達は鉢屋だけでなく、小平太もお前から引き離している」


思うところはあるらしい、小平太の名を出した時も鴇の目が力なく揺れた

鴇は気付いている

何を危惧すべきか、何を恐れるべきか

鴇も敏いのだ、だからこのまどろっこしい関係に名をつけられずにいるのだ


(それでも、止められまい)


否定できないのは、鴇への想いによって鉢屋も小平太も存外な力を発揮できているからだ

たゆまぬ努力は今の奴らを形成し、優れた忍へと存在を押し上げている

しかし快くないと思うのもまた事実

鴇が絡むと鉢屋も小平太も酷く不安定なのだ

絶対の想いが、依存との間で揺れている


「誰も悪くないのだろう、それでも好ましいとは言い切れん」

「……………」

「そんな顔をするな、なるようにしかならん話だ」


鴇の言葉は酷く甘い

鴇の眼差しは酷く温かい

それは大層心地がよいのだが、捕らわれてしまった時の弛緩が酷い

身体も、精神も、

何もかも差し出したくなるあの衝動は仙蔵には受け入れがたいのだ


(清廉さが、毒になるのか)


物思いに耽りながら、鴇を盗み見る

誠実で、まっすぐで、端正な横顔は確かに美しい

愛でるに値すると仙蔵でも思うのだ、単純な小平太にも、執着心の強い鉢屋にも刺激は強かろう

それでも鴇は眩しすぎる

闇深く、泥のように生きる忍には、正直向かないと何度思ったことか


「鴇、覚えておけ」


真っ直ぐと、そして強い眼差しで見つめる仙蔵に、鴇も手元の資料から目を離して見つめ返す


「ブレるな 絶対に」


その言葉に鴇が大きく目を開く


「何を言われようと、何があろうと、お前はブレるな」

「仙蔵、私は」

「反論なんざいらん」


困惑に心を揺らされれば、それは隙である

虚言に惑わされれば、それは転落の始まりである

苦痛に怖じ気づけば、それは尊厳の崩壊である


「お前はお前を手放すな お前は誰よりも高潔であれ」


それが、お前を慕う者達を生かす道だ

そう言い切った仙蔵に、鴇は困ったように、それでも確かに首を縦に振ったのであった

















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信じたい

信じていたい

そんな言葉を盾にするつもりはない

どうか踏み間違えないで

どうか囚われないで

私はお前を、私の世界に閉じ込めたいわけじゃない

その真っ直ぐな瞳を、

その真っ直ぐな想いを

どうかお前の未来のために使って

お前はもっと、広い世界を知ればいい

27_ここのところの心のすべて



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