- ナノ -

「伊作も意地が悪い」

「鴇が逃げ切れる理由を用意してこなかったのが悪い」


廊下の柱に寄りかかりながら文次郎が眉を顰めて呟けば、仙蔵が笑いながら縁側に腰掛ける

条件を聞いた鴇も、勝負とあれば仕方ないと再度溜め息をついて、ひらりと中庭へと降りた

体調はまだまだ万全ではないだろうが、そんなのは言い訳にはならない


「嘉神先輩より、鉢屋先輩が強いんですか?」


2人の会話を聞いていた三木ヱ門が首を傾げれば、馬鹿たれと文次郎が溜め息をつく

どうも三木ヱ門は鴇が不利なように聞こえたらしい


「お前は鴇の力量を知らんのか」

「そ、そんなことは!嘉神先輩だって戦闘要員として充分なお力をお持ちだと」

「充分ってのはどれくらいだ?アイツ、小平太との殴り合いだって普通にやるぞ」

「……………」

「さて、始まるぞ」


実際、あまり六年の実習姿を見たことがなかったのだろう

文次郎の言葉に思わず閉口した三木ヱ門を他所に、鴇と鉢屋が一定の距離をとる

慌てて三木エ門も視線を戻す

あの細い身体で殴り合う?あの化け物みたいに強い七松先輩と?


「武器くらいはそれぞれ持ってるよね?まあ、大怪我さえさせなければ何でもありでいいから」


適当だな審判、と留三郎が苦笑するが鴇達は表情ひとつ変えない

お互いに余裕はない

それだけ通したい意地と想いが彼らにはあるのだ

伊作が開始の合図で手をすっと上げてゆくと同時に、鉢屋の目が細まってゆき、


「始め!」


一気に振り下ろされた瞬間に、両者の距離は一瞬で詰められたのであった








正確無比に繰り出される苦無の軌道を手刀で逸らしてゆく

普通なら逸らした腕を捻り上げて苦無そのものを奪うのだが、鉢屋はそこまで未熟ではない

掴まれぬようさっと腕を引いては、地面を強く弾いて距離をとる


(上手いものだ、)


逃げる方向をつま先の向きで確認すれど、それを警戒しているのか時折混じるフェイントで予想外の方向へ跳ねる

トン、トン、とテンポよく、そして軽やかに鉢屋が距離を保とうと逃げる

当然、それを簡単に許す鴇ではない

三郎の回避とほぼ同時に一気に間を詰めていく


「逃げてばかりじゃ勝てないぞ」

「勝つ気もなく、逃げてるわけではないので」


乗らないだろうとわかっている挑発はやはり回避される

鉢屋は自分の型をよく理解しているのだ

細身の鉢屋はあまり肉弾戦を好まない

ある程度の距離をとってカウンターを狙うタイプの忍だ


「っ!!」


簡単に読まれるようヘマをした覚えはないが、動きを読まれ、すかさず鉢屋の掌底が鴇の頭部へ向けられる

逃げたと思えば一瞬で攻撃に転じる、そのタイミングを計る上手さは流石といえた

このあたりは委員会での手合わせでも馴染みの展開だ


「…嫌らしいやり方だな」

「手段、選ぶ余裕はありませんの、で…ねっ!」


掌底で脳を揺らされれば、今の鴇なら簡単に動けなくなる

簡単に流せない勢いに咄嗟に腕を交差させて防げば、身体が後ろへと飛ぶ

がっつりの肉弾戦は趣味ではないが、鉢屋の体術はかなりのものだし、力だってそこそこある

足に力を入れて踏ん張れば、それを待っていたとばかりに鉢屋の追随がやってくる


「……!」


キラリと光った鈍い色に鴇も苦無を再度構える

また苦無同士が音をたてて弾けあい、その間に身体の遠心力を使った重い打撃を挟んできた鉢屋の攻撃を受け止めた

直接的なダメージよりも動きを止めにかかってきている

そんな鉢屋に冷や汗が流れども、どこか楽しんでいる自分もいた


「受けてばかりでも、勝てませんよ」

「はっ、生意気」


挑発するような鉢屋の言葉と目つきに腕が疼く

指の関節がパキリと鳴り、思わず口元が弛む

ざわりと騒ぐ血に少し気を抜けば、鉢屋の動きが一瞬止まり、後方へと退く

笑みを浮かべていた鉢屋が眉を顰めて笑いを引っ込めた

自分の気が変な形で漏れたのを鴇はそれを見て悟った


(っ、挑発に乗ってどうする)


我に返った鴇も瞬時に気を静める

駄目だ駄目だ、理性を飛ばした攻撃など、後輩に向ける馬鹿がどこにいる

これでは小平太と大差ない、そう思って抑止も含んだ吐息を短く強く吐く

鴇は殺気にあてられるタイプではないが、こういった後輩の成長を見る過程は大好きだ

相手が望むなら披露する、そんなことを続けていたからだろう、鉢屋の挑発は鴇にとっては制御を外す理由ともなるものだ


(だからといって、加減できる余力は今はないだろう)


今度は千本を放ってきた鉢屋の攻撃を躱して、どうしたものかと鴇も懐に手を入れた






「どっちが勝つと思いますか?」

「あ?」


目で追うのもやっとの三木ヱ門が、先輩達の意見を聞きたくてその場の者達に問えば、文次郎が視線は2人を追いながら返事を返す

とはいっても、第三者への質問の横流しだが


「五年、どっちだと思う?」

「…うーん、鴇先輩も万全じゃありませんしね…」

「三郎勝てるんじゃないか? まあ、希望込みだけど」

「でも、手数は出してるけれど、なんだかんだで避けられてるしなぁ」

「鴇先輩はまだ攻撃してないしね」

「いや、始まった」


双方の動きを注視して簡単に結論を出さないところは良いが、この相対の本質を見切れていないという意味では落第点だ

ようやく攻撃を仕掛けだした鴇にお、と竹谷達が身を乗り出す

キン、と金属が弾け合う音ばかりが耳に届いて激しさを語るが、2人とも涼しい顔だ

またしばらく技の応酬が続けば、勘右衛門と八左ヱ門が乾いた笑みで呟く


「…また腕あげたんじゃないの、三郎の奴」

「…俺、八割くらいしか見えてねぇ…」


鴇の動きもだが、三郎の動きも追いきれないのは三郎が五年の中ででも一頭身飛び出た実力をもっているからだ

こそこそと肩を寄せて話している八左ヱ門と勘右衛門の上で、器用だよね2人とも、とのほほんと六のはコンビが言葉を交わす


「鴇は本調子じゃねぇなぁ 力の加減が危ういぞ アレ」

「本人も自覚あるから大丈夫だよ あ、何か仕込んだね 身体の軸が少し傾いた」


どこを見たらそこまでわかるのか、これが一学年の差なのだろうか

やはり完全には追い切れないと目をこらしていた兵助の隣で雷蔵もじっと2人を見つめる


「あ!」


雷蔵の思わず飛び出した言葉が、状況に変化が訪れたことを示す

三郎の攻撃を後方への宙返りで鴇が躱すと同時に足袋の裏から仕込まれた棒手裏剣が流れるように飛び出してきたのだ

至近距離から、そして勢いのままに放出されたソレにちっ、と鋭く舌打ちをした三郎が懸命に躱すも、最後に出てきた1本が三郎の体勢を崩す

勝負は一瞬であった

右に傾いた身体を立て直そうとした三郎の軸足を鴇が素早く払い、押し倒す

地面に倒れた三郎が何とか抜け出そうと足掻く前に鴇が苦無を彼の制服に突き立て、動きを封じる

そのまま馬乗りになって先ほど拝借しておいた三郎の千本を鴇が三郎の喉の上に構え


「取った」


そう短く呟いた

駄目か、と五年生達の表情に苦渋が過ぎった時である


「どっちが勝つと思う?」

「「「鉢屋」」」


場違いに思える問いを、このタイミングでする文次郎に四年生・五年生が戸惑うも、六年生達は皆一様に口を揃える

そしてどう見ても負ける寸前の三郎が勝つとまで言うではないか


「伊作 これ、はっ倒すだけじゃ駄目なのか?」

「駄目でーす」

「………ちぇ、鉢屋の勝ちか」


鴇贔屓のはずの小平太までが口をとがらして三郎の勝ちだと言っている

どういうことかわからずに雷蔵が教えてくれそうな長次に目で問えば、長次がぼそりと口を開く


「勝利、条件」

「えっと、」


『"参った"と言わせた方の勝ちね』


伊作の言葉を脳内で繰り返せど、今ひとつ意味がわからない

視線をもう一度2人に戻せば、三郎は暴れることなく腹の上の鴇を見つめている


「鉢屋、降参しろ」

「冗談、私は負けません」

「……痛い目をみないと、言うことが聞けないのか」


喉元に突きつけた千本の先を鉢屋に触れる直前まで降ろせども、鉢屋は表情ひとつ変えない

刺せるわけがないと思っているのか、そんな単純な話ではないことは鴇が一番わかっていた


「っ、鉢屋」

「痛い目なんて、この数日嫌になるくらいみましたよ」

「……………」

「従順でありたいと思った それが私を臆病にした 私は、貴方に甘えすぎた 貴方の横は、酷く心地よいから」

「……………」

「だからこんなことになったんだ」

「黙れ」


ぎゅっと鴇の眉間に皺が寄り、鉢屋を黙らせようとすれど千本が鉢屋の喉に触れることはない

嫌な予感は一刻一刻と迫ってくる

これだから伊作が審判なのは嫌だったんだ

仙蔵と伊作はこういった駆け引きに敏感だ

そして大抵覆せないような状況を用意してくる

いっそ小平太や留三郎なら楽だったのだ

そうすれば地面に這いつくばらせたら勝ちだとか、立ち上がれなくなれば勝ちだとか、強制的な勝ちを得られるのに


(この目だ この目が、怖い)


まっすぐ自分を見つめてくる鉢屋の視線が痛い

捕らわれたのは鴇の方だ

鴇はまだ鉢屋ときちんと話をできずにいた

鉢屋を傷つけ、追い込んでしまっていたのなんてわかりきっていたのに


「どんなに嫌がられても、私は委員長についていきます それが私の5年通してきた意地だ」

「そんな意地要らない お前は絶対無茶をする そんな姿を目の当たりにしろというのか」

「ええ、してほしいものです 貴方は1度知るべきだ 自分を慕う後輩達を」

「冗談は、大概にしてくれ」

「では委員長は私に何を守れと、」

「だから、」

「私にだって!」


断ち切るようにあげた声に鴇はびくりと肩を揺らした

睨みつけるように、吠えるように鴇を黙らせて鉢屋が強い語気で告げる


「学園も、後輩も友も、大事だけれど私にだって優先順位がある」






三郎は全部吐き出してしまおうと思った

抜け出そうと身体に力を入れても、鴇は関節を抑えて自分の動きを封じている

落ちた体力に少々息を荒げど、力の差が悔しいほどにあるのだって知っている

それでも通したい想いがある

それでも通さねばならない意地がある

口にするのを憚っていても、この人は気づいてしまっている

ならばいっそ伝えよう


「昔から決めている 貴方の邪魔にだけはならないと、そのために鍛錬だって積んできた」


あんな想いはもうたくさんだ

知らないところでこの人が傷つき、壊れてゆくのをただ見てるしかないなんて

私は恐れただけだったのだ

自分が傷つくのが怖くて、知らない委員長を見るのが怖くて、

結局、自分ではない誰かが委員長の手を引くのを、羨ましく思う自分が浅ましくて堪らない


「後悔ばかりは、嫌だ」


異変に気付けど、救えないなんて意味がない

救うという言葉が大層だというのであれば、痛みを理解できなかった自分が不出来で吐き気がする

そして、妬みと自分の無力さに打ちひしがれるのなんてのも性に合わない


「私を使えばいい、貴方がしたいことを体現するくらいの技術も知恵も、貴方から教わっている」


平和ボケしそうなくらい安穏とした生活を共に過ごしてきたが、一歩後ろを歩いていたいのではない

その真っ直ぐ伸びた背中を見つめているだけで満足だなんて思ってはいない

血生臭い戦場を、同じ速度で駆けれることを願っていた


「何だってできますよ、貴方が望むこと、貴方を生かすこと、この身は全て叶えてみせる」


共に戦える昂揚感は、簡単に捨て去れるものではない

綺麗なものばかりではないと呟いた貴方の言葉を、片時だって忘れたことはない

それでも、誰にも譲ったつもりはない

残り一年だって、誰に譲るつもりも盗られるつもりもない

この人の片腕の位置を、居場所を、そして


(嘉神鴇、この人自身を)


三郎は叫ぶ

鴇が何度三郎を拒もうと、そんなこと知ったことではなかった

自分の望みは決まっているのだ

それを譲って、また自分は悶々とする?馬鹿な

そんな柔い生き方を、自分はこれっぽっちも望んでない

この激情を、全力で注ぎたい


「私の誇りは、貴方にだって奪わせない」


それがこんな言葉ひとつで消されるなんて、到底我慢ならないのだから







その仮面の下に渦巻く感情が熱い

睨むように、噛みつくような表情で何という思慕の想いを吐くのか

悔しさと、苛立ちにまかせて何という強烈な想いを放り込んでくるのか


(だから、この勝負嫌だったんだ)


どう見ても、体勢も力量も鴇の勝ちだ

鴇だって、鉢屋がどれほど自分なんかを慕ってくれているかは理解している

気持ちは純粋に嬉しい、だからこそ遠ざけた方がいいと思った


(強すぎる想いは、眼を曇らせてしまう)


それが鉢屋の命に危険を及ぼす可能性があるのであれば、私はそれを受け入れるわけにはいかない

それが私が鉢屋にしてやれること、鉢屋を守れる方法

そう、思っていたのに

しかし、これが鴇のただの感情論であることは自明であった

そしてこれ以上の進展は何もないことなんて、戦う前からわかっていた話だ

どう転んだってこの勝負、初めから勝敗なんて見えていた

この頑固な後輩が、"参った"なんて口が裂けても言いやしないことなんて、ずっと面倒を見てきた私が一番知っている話なのだ

遠ざければ遠ざけるほど、この馬鹿な後輩は自分を追ってくる

どんな荊の道も、屍の山も乗り越えて

それは自惚れか、はたまた絶対的な信頼か


はあ、と大きく溜め息をついて鴇は空を仰ぐ

嫌になるくらいの晴天は、自分の悩みなんて受け付けてくれそうにない

カラカラに乾いた喉は、まだ躊躇っていた

目を閉じて、握っていた苦無を手放す

カランと鳴ったソレを捨て置いて、鴇は右手で三郎の首元を強く押さえた

ドクン、ドクンと掌を通して力強い脈が響く

ゆっくりと目を開いて、三郎の目を正面から覗き込んだ

熱を持った目が、そこにはあった

瞬きのひとつもせず、ただまっすくコチラを射貫く目が、そこにはあった


「……参った、私の負けだ」


鉢屋の上から身体を退けた鴇は、確かにそう呟いたのであった

26_根比べの結末は



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