- ナノ -

鴇の隠し事もようやっと終わり、すぐさま此方も対策への行動に出ようとしたが学園長がそれに待ったをかけた

時刻ももう遅く、全員の気持ちの整理と鴇の回復が最優先事項だということで今夜は解散となったのだ

時間が惜しく、もどかしい気持ちはあったが、此処までくれば慌てても仕方がない

のんびりとそう言った雅之助に促されるまま、まずは断っていた食事から再開することになった


「お残しは許しまへんで!」


初めは胃に優しいものからということで、鴇には食堂のおばちゃん特製の玉子粥が振る舞われた

あれだけ受け付けなかった食事は、事態の告白して少し楽になったせいか、喉を通るようになった

腹の底に温かいモノが落ちる

そこから熱量が身体へと染みわたることがはっきりとわかる

「鴇先輩、たくさん食べてくださいね」

心配そうにこちらを見やる彦四郎の額を撫でて、鴇もなんとか茶碗2杯分の粥を完食したのであった





食事を終え、湯浴みをし、一息ついて部屋に戻る

何だかとても長い一日だったなと振り返り、ずるずるとその場に座り込んだ


(結局、甘えてしまった)


それが正しい選択だったのか、それだけは今の鴇にもわからなかった

皆が受け入れてくれたことは純粋に嬉しかった

知られたことで精神的には凄く楽になって少し前向きに物事を考えれるまでにはなったと思う

ただ、それが良かったのかと言えば、鴇としては良かったかもしれないが、客観的には彼らにはリスクしかない気がする

ゆるゆると、散らかっていた部屋の書類の片す

この十日、何を書いたかあまり覚えていないが、ざっと目を通せば、間違ったことは書いていないようであった

無意識って怖いなと苦笑しながら巻物を畳めば、背後に気配


「ようやっと、救援信号を出したのかい」

「また、忍び込んだのですか」


覚えのある気配にそっと懐の苦無に伸ばしていた指を引く

いつの間に忍び込んだのやら、部屋の隅から姿を現した大男に溜め息をついた


「顔が見たくなっちゃってねぇ」

「鶴町や伊作に遊んでもらいに来たついででしょう」

「つれない反応だね 今日は」

「今日も、ですよ 私は貴方の出入りを好ましく思っていない側の1人ですから」


時刻は日付の変わり始めた深夜

こんな時間は普通の客であれば非常識だが、忍者にとってはゴールデンタイムだ

特に断りをいれるわけでもなく、彼はよいしょと勝手に部屋の座布団に腰を降ろす


「随分、すっきりした顔をしている」

「……貴方には、関係のないことでしょう」

「あの壊れそうな表情も、私好みだったけれどね」


そう静かに笑った男、タソガレドキ忍者隊の忍び組頭である雑渡昆奈門を鴇が睨みつける

彼は保健委員会と何かと縁があるらしく、伊作や鶴町に会いにしょっちゅう学園に忍び込んでいる

何かを企むわけでもなく、害も今のところないため鴇も黙認していたが、どうやらその間に彼は鴇もお気に入りの対象に加えたらしい

こうやって鴇の部屋にも時折忍び込んでは、いつも問答のようなやりとりを繰り返す

そして、今日彼がやってきた用事も不本意ながら鴇には検討がついていた


「……さぞ、滑稽だったでしょう 見境無く情報を得ようとした私は」

「ふふ、可愛がってあげようと思ったのに」

「私も最低だけど、貴方も大概ですよ 雑渡さん」

「キミのそういう手段を選ばないところ、私はとても好いてるのに?」

「冗談」


一週間前、鴇が情報収集にでた際、色々な噂をたぐると1人の男に辿り着いた

鴇の探し人ではなく、鴇の探し人を知っているという男

高級呉服店の主人だというその男は御簾の向こうから笑うように言い放ったのだ

藁にも縋るような想いでやってきた鴇に、あっけらかんと


「抱かせてくれるなら、教えてあげてもいいよ」と


随分足下をみられたものだと思ったが、それでもいいと鴇は考えた

八方塞がりで、これ以上の伝手は何もなかったのだから

人払いされた、どこぞの宮かといわんばかりの御簾張りの部屋

こんな若造一人と主人を二人っきりにするのもどうかと思いながら、鴇は静かに御簾の前に正座した

顔をよく見せろ、と自分を招いた男の傍によれば、御簾の隙間から男の手が自分へと伸びる


「!」


自分の腕を掴んだその手には覚えがあった

焼けた黒い肌と忍特有の手のタコ

着物の裾から見えた包帯、そしてその、耳に落ちるように通る声

それが誰のものかと気づき、鴇が目を見開いた瞬間、男は御簾の中へと鴇を引きずり込み、にこりと笑ったのだ

あの唯一包帯で覆われていない片目を、楽しそうに細めて


「嵌められたと気付いた時の泣きそうなキミの顔、いいもの見させてもらったしね」

「ほんと、悪趣味だ」


どうもその呉服屋はタソガレドキ忍者の拠点のひとつだったらしい

残念☆と茶目っ気タップリに鴇に告げた昆奈門を振り払って店を飛び出したのは忌々しい記憶だ

彼は知っているのだろうか、あの後の鴇は苛立ちが止まらず、悔しさで涙を浮かべたことを


「忍としては落第点 確証もないのに不用心近づいて、私が本気じゃなかったから犯られずにすんだだけ」

「ご指導痛み入りますと礼を言えと?それともタソガレの忍び組頭も餓えて大変ですねと労いましょうか?」

「キミが満足させてくれるなら、甘えちゃおうかなぁ」

「…貴方、そんなことを言いにわざわざ?」


言い合うのも疲れたのか、溜め息をつき、止めていた作業である手元の巻物をくるりと巻き始めた鴇を昆奈門がじっと見つめる

あれからが気になって覗きにくれば、鴇は寝込んでいたらしい

一週間前に比べるとまた一段と身体が痩せ、顔色も悪くなっていた

適当に情報を集めてみればなかなかの出来事に巻き込まれており、そらやつれるかと1人で納得したものだ


(…うーん、少し、意地悪をしすぎただろうか)


あれは、尊奈門が鴇を見かけたと言い、近くにいた別の部下が最近何やら情報を集めているようですねと呟いたのが事の始まりだ

部下の報告待ちであの呉服屋にいれば、まだ動き回っている彼を見かけ、上手く誘導して自分の前にこさせれば彼は酷く憔悴していた

いつも冷静で、滅多なことでは動じない彼にしては珍しいと興味を覚え、冗談交じりで抱かせろと言えば、応じる素振りまで見せる

凛と雪のなかに咲く、冬の椿のような強さと清廉さと、刹那的な儚さが彼の魅力であった

それがどうしたことか、近くに呼び寄せて目を覗けば昆奈門も一瞬躊躇った

彼は大層なものを育ててしまっていた


困惑と恐怖と焦り

それから何でもするという、覚悟の色


最近滅多なことでは驚かなくなったが、このことは昆奈門にとっても衝撃的であった 


そして、


(良い濁り具合だとも、思った)


忍として生きていくなら、これくらい濁っていた方がよい

それが素直な感想であった

この淀んだ色の中には、色々なものが渦巻いている

殺意と狂気とそれに抗おうとする正気

それを上手く1つに纏め上げて何とか自我を保っている彼は芸術品のようであった

ゾクリと背中を走ったそれは惚悦にも似た高揚であったことは秘密だ

普段の鴇は、伊作とはまた違った清廉さをもっており、その目は迷いの欠片もなかった

それをここまで乱しておきながら、よく育て上げたものだと感心した


「世間話しに来たのじゃ、相手をしてくれないのかい?」

「諸泉さんが待ってるのだから、早く帰ってあげたらどうです?」

「じゃあ、私がキミの求めている情報を、本当にもっているよと言ったら、キミはどうする?」


鴇の手がピタリと止まり、ゆっくりと視線を昆奈門へと向ける

その視線に一週間前のあの危うい揺らぎはない

それが惜しいなと思いつつ、昆奈門も鴇を見返した


「何が、望みです」

「要求は同じにしておこうか キミを抱かせてくれるなら、いくらでも教えてあげる」

「確証もないのに近づくのは愚かだと、貴方が口にしたばかりなのに?」

「こう見えても、私の部下達は情報収集に長けているのだけれど?」

「………………」

「さあ、どうする?」


これを得るために、彼は友と距離をとり、倒れるまで駆けずり回ったと聞いた

別に性に餓えているわけでもないし、男が欲しいわけでもない

ただ、この凛と咲くように生きてきた鴇が自分の下でどう乱れるのか、それも前から興味があった

随分卑劣な取引だとは思えど、鴇がどう答えるか、それが知りたい

顔を赤らめることもなく、青ざめることもなく、鴇が昆奈門を正面から見つめ、そして静かに首を横に振る


「へえ、要らないの?」

「ひとつの情報が、どれほど味方に潤沢と救いを与えるかは、知っているつもりです」

「それなのに?自分の貞操くらいで学園の子達を守れるのなら安いものだとキミは考えると思っていたよ」

「そうですよ 別に私は誰かに操をたてているわけじゃないし、抵抗があるわけじゃない 喉から手がでるほど、それが欲しい」


吐き捨てるように告げた鴇をじっと昆奈門が見つめる


「でも、」


あの淀みは、どこに消えたのだろう

あれほど育った激情は、どこに埋めたのだろう


「私は、私を想ってくれる友の、後輩の、親の気持ちをこれ以上裏切るわけにはいかない」


まっすぐに自分を見つめてくる鴇の目には、普段通りの、それ以上の覚悟があった


「彼らはきっとこれを望まない 私が納得しても、それが彼らを傷つけるのであれば、私はそれをしてはいけない」

「随分、キミにとっても都合のいい解釈だね」

「そう聞こえるでしょう それでもいい 私は彼らに不安も疑問ももってはいけない」


信じなければいけない

信じていればいい

何度突き放そうとしても、それを許してくれなかった愛しい者達を

私の身体はもう、私だけのものではない

私が傷つくことで彼らが嘆くのであれば、私は出来うる限り、私を傷つけてはいけない

心優しい者達が、私のことなんかで心を痛めないように


「甘いね そんなので、順風満帆に事が終わると?」

「思っていない だから私は誰よりも前に出て、誰よりも激しく戦わなければならない」

「矛盾してるよ キミ それではキミの負傷は免れない」


それはキミの大事な人達の望むことではないだろうと眉を潜めた昆奈門に鴇はもう1度首を横に振る


「私は僧でもなければ学者でもない 言葉遊びばかりを、追求したいわけじゃない」

「…………………」

「私には責がある こんな事態を招いてしまった責が 皆に降りかかる傷は、私が負うべきものだ」



誰もが傷つかない術なんて、最早ない

誰かを救いたければ、誰かを傷つけなければならない

差し出すものもなく、何かを得ようだなんて図々しい話だ



「傲慢だね キミが思うほど、世の中はそう上手くできていないよ」

「それでもいい 失うことに怯え続けるのは、もう疲れた」

「…何だか、白けちゃったなぁ」

「ご期待に沿えない回答でしたか」

「まあ、ちょっとズルい話だったからね 乗ってきてくれたら儲けもんくらいに思ってたからいいよ」


よいしょ、と立ち上がって昆奈門が戸口に立つ

少し障子を開けば、まだ肌寒い冷気が肌を撫でていく


「今日はこれで失礼するよ」

「何のお構いもしませんで」

「ほんと、キミの入れるお茶、楽しみにしてたのに」


冷たいなぁとぼやけば、招かざる客に出す茶はないとピシャリと返された

その口調はいつもの鴇で、それに包帯下の口元が少し緩む


「あらら、ひょっとしてさっきの言葉、怒ってる?」

「ええ、それはもう 体力が戻っていれば一発ぶん殴ってやろうと思ってたのですが」

「だって、キミ無理矢理されるの嫌がるじゃない 正当な取引にしようと思ったのに」

「さっさと帰れ」


睨んでくる鴇に、じゃあと最後の問いかけを放つ


「知ってる?現実は選択の連続だ」

「………………」

「何か1つしか、大切なものを守れない時、キミは一体どうするのか」


その言葉に鴇がビクリと肩を振るわせ、昆奈門に強い視線を返す

それは学園の授業でも与えられたことのある問いかけであった

意地悪な問いかもしれないが、この場面に遭遇する機会はいくらでもあることを鴇は知っている


そして、その答えは何が正しいのか、未だに鴇はわからないでいる

黙りこくった鴇の髪をそっと撫でて、昆奈門は耳元で囁くのであった


「ちゃんと気持ちを整理してから、戦いに臨むんだよ」と



振り払うように昆奈門を払った鴇を笑って、昆奈門は闇夜に消えた

彼を闇の向こうまで睨んだ鴇は知らない


彼の目が、彼を案じるようにそっと細まっていたことを

髪を撫でるその指先が、壊れるのを恐れるかのように優しかったことを




トン、トンと屋根から塀へ、塀から学園を囲む木々を渡れば忠犬のように待つ部下の姿

近づけばこちらに気付いたのか、到着を待たずして大きく息を吸うのが見えた

ああ、説教の時間だ


「何してんの?」

「何してるじゃないですよ!こんな時間に押しかけて!!誰に迷惑かけたんです!」

「失礼だなぁ 鴇君との逢瀬を楽しんだだけじゃない」

「嘉神君にまた… ああ、今度お茶菓子でも持って行かないと…」

「…尊奈門はいいよね あの子、お前にはお茶出すもの」

「は?」



実は嘉神鴇と尊奈門の関係は良好だ

真面目で礼儀正しい尊奈門は鴇には好印象であったようだし、尊奈門も年が近く、落ち着いてしっかり話のできる鴇は良い友達らしい

土井半助への挑戦や学園へのお使いの帰りには尊奈門は必ずといってもいいほど鴇に顔を見せにいってるし、鴇もそれに対して笑顔で迎え、お疲れ様ですと茶までふるっている

その姿を見た時には、扱いの差に衝撃を受けたものだ


「今日もお茶出してもらえなかったんですか?」

「うん」

「?組頭、ちゃんと嘉神君に情報渡してあげたんですよね?」

「ご褒美もらおうとしたら、断られた」

「はぁ?」


会話が成り立っているような、いないような

不思議に思って何と言って渡したのかと問えば、まあなんと卑劣で破廉恥な取引をしようとしてるのか

顔を真っ赤にして尊奈門が上司を叱りつける


「貴方って人は!嘉神君が怒るのは当たり前でしょうが!!」

「だってー」

「何でそう天の邪鬼なんですか!あの子を心配して集めさせた情報なんだから、素直に渡してきたらいいじゃないですか!」

「尊奈門は駆け引きを理解していない」

「その駆け引きに失敗して凹んでるのは何処の誰です」

「私はお前と違って、お茶以上のものも欲しいの」

「茶すら出してもらえないんなら、やり方を見直すべきです!」


尊奈門のくせに偉そうだ、とブチブチ不満を言っている上司に尊奈門が小さく溜め息をつく

嘉神君の様子がおかしいと気付いたその日から、彼が欲しがっている情報を探るよう指示したのは他でもない組頭だ

丁度他の仕事がなかったというのもあるが、それでも諜報部隊の精鋭を迷うことなく使った彼にとって、嘉神君はお気に入り以上のものなのかもしれない

そして、流石というか、あっという間にある程度の情報を5日で集めた精鋭隊に脱帽する

そして年下の友人の身を案じていたのがばれたのか、集めた情報を隠すことなく見せてくれた組頭の前で、尊奈門は思わず彼の表情を仰いだ

片目しか見えないが、その目が不機嫌そうに細まったのを尊奈門は確かに見た


(随分大層な相手に、目をつけられてしまったものだ)


これを渡してこい、と言った組頭に、なかなか鴇が笑ってくれないとぼやいていたことを思い出す

直接渡してあげたら喜んでくれますよと助言をしたつもりだったのだが、何をどう間違えてこんな結論にいたってしまったのか

今日の手土産は、嫌な言い方をすれば「貸し」にさえできるほどの価値のあるものだったのに


(…実は、奥手か?この人)

「お前、今失礼なことを考えているだろう」

「そ、そんなことありません 渡せなかったなら、私が持っていきますよ」

「持ってない」


ギロリと睨む上司に慌てて首を振り、手を出せば上記の答え


「お、落としたんですか?」

「馬鹿なことを言わない ちゃんと置いてきたよ」

「へ?あ、そうなんですか」

「ちょっとからかっただけなのにー」

「…反省のないうちは、当分嘉神君のお茶はお預けですよ」


嘉神君の元に届いたならいいか、と安堵して、尊奈門はふてくされるように帰路についた上司の後を追うのであった

翌朝、例の情報は無事に嘉神鴇によって発見される

それが誰が置いていったものか、心当たりを思いだして今度はお茶くらい出そうとそっと笑った鴇を、昆奈門は知る由もなかった



















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大人な雑渡さんも好きですが、真面目な尊くんも大好きです

鴇と尊奈門は茶飲み友達

ちゃんと入門票にサインしてさえくれれば、鴇だって歓迎してくれるのです


雑渡さんは鴇にちょっかいかけ過ぎて嫌われております

真面目な話をしてくる時は、鴇も彼を忍としては尊敬しているので聞きますが、ちょっとからかおうとすると完全防御モードに入ります

鴇と尊奈門の話のネタは大体決まっています

土井先生に挑んでは負け、挑んでは負けで落ち込んでる尊奈門を鴇が励ますか、あの問題ある上司の愚痴を聞くかのどちらか(笑)

吐き出すだけ吐き出して、年下に何を泣き言言ってるんだと我に返る尊奈門

顔を真っ赤にして謝る尊奈門を、可愛い人だと鴇が癒されてるのは秘密です

おそらくもう一話、同じ時間帯の話を書いてから作戦会議入ります

22_深夜の密会



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