- ナノ -

「…………………」


緩やかに意識が浮上して、見慣れた天井と景色が映り込む

いつもと少し違うのは、ジクジクと痛む唇の端と


(…湿布?)


そして


「………黒木、今福?」


何やら視界の端でごそごそしていた水色の制服の2人

呼べば、驚いたように肩をビクリと揺らして勢いよく此方に振り返る


「鴇、先輩っ!」

「…?何で私の部屋に…いや、此処は委員会…室?」


何だって委員会の活動部屋で目覚めるのか、その前に自分は一体どんな状態なのか

鴇が考え込むより前に、飛びつくようにやってきた2人の忍たまが堰を切ったように飛びついてくる


「な、んだ どうした? 誰かに何かされたか?」

「先輩っ…よかった…!」

「?なんだ、鉢屋は…」


問えども問えども2人はただ首を横にふるばかりで何も言わない

グスグスと鼻を鳴らしているのだけが聞こえて、よくわからないがとりあえずゆっくりと頭を撫でる


(……え、っと)


状況の把握がいまひとつできないので少しずつ思い出すことにした

ズキン、と痛みはするものの、相当な睡眠をとったせいか、大分身体的には余裕がある

部屋に置いている暦をちらりと見れば、自分の記憶のある日から3日が経っている

服は湯上がりに着る着流し、そして顔中に貼られた湿布


(ああ、そうだ)


思い出して思わず天を仰いだ

最後の記憶は小平太との取っ組み合いだ

取っ組み合いというには、随分と一方的だったがそれは別に構わない

非は自分の態度にあったのだろうから


「よう、色男 可愛い後輩を泣かせとるとは、なっておらんの」

「………慕って押しかけてくる女性もいない貴方には、解決方法を聞いても無駄ですかね」


ガラリと開いた戸の向こうに立っていた彼に驚くも、そんなのを悟られるのは真っ平御免だ

ずかずかと部屋に入り込み、よっこらせと腰を降ろした同居人

第二の父である大木雅之助をジロリと睨めども彼はどこゆく風だ


「黒木、今福、大丈夫か?」

「は、い すみませ、こんなつもりじゃ、なかったのに」

「ごめんな、さい」

「構わん構わん、むしろ身の回りの世話を焼きっぱなしだったんじゃ、今度何か美味いもんでも奢ってもらえ」


雅之助の前で姿勢を正した1年生達は、慌ててぐしゃぐしゃになった顔や服を整えた

鴇はどんな表情で見送ったものかと悩んでいるようで、雅之助は2人をとりあえず退室させることにした


「ついでで悪いが、起きたと伝えてきてくれ」

「わかり、ました 鴇先輩、あとでお粥もってきます」

「すまんな、2人とも」


深く頭を下げて、退室した後に残ったのはしばらく会話をしていなかった親子が残った

どちらから切り出すわけでもない、静まり返った部屋の空気はどことなく張り詰めている

しばらく、そんな時間が流れたあと、ゆっくりと雅之助が口を開いた


「おい、馬鹿息子」

「…………何ですか、親父殿」

「皆と、話をしろ」


やはりそう来るか、と鴇は小さく息を飲んだが、すぐさま静かに横に振った


「鴇」

「…嫌だ」


雅之助の纏う気配がビリビリと増す

それでも嫌なものは嫌なのだ

こちらは譲るつもりは一切ない


「これは、私の問題だ」

「友や後輩にあれだけ心配をかけても、か」

「それでも、私から言うことは何もない」


口の端に貼られた湿布を剥がせば、血がにじんでいる

迷惑をかけたことを言われると辛いが、ここで妥協はできない

私だって何も考えていないわけでも、何も感じていないわけでもない

それでも言えないし、言わない、言いたくもない

俯いて布団を握っていれば、雅之助が深く溜め息をつく


「予想どおりの回答で、泣きたくなるのぉ」

「…思ってもいないことは、言うだけ無駄ですよ」

「知っとるよ お前に回りくどいやり方は無駄だというのもな」

「だったら放っておいてはいただけませんかね」

「無理だな もう皆、無理矢理にでも介入してくるだろうさ」

「……ちょっと、待って まさか」


声色で気付いてしまった

まさかと思い、視線をあげれば雅之助がじっとこちらを見つめている

いつものふざけた態度ではない、組んだ指先の上の鋭い視線は、獲物を逃がさない時の目だ

その視線に鼓動が嫌な音をたて、背中にじとりと汗をかく


「話したぞ 全て、儂の知っている話は」

「勝手な、ことを!」


頭にカッと上った血のままに鴇は雅之助に怒鳴った

人が寝ている間に、何てことをしてくれているのか

眉をぎゅっと顰め、雅之助を睨みつけたが彼はそれくらいは何ともないらしい

落ち着いた様子で淡々と言葉を吐く


「周囲を振り回したのだ、これは義務の範囲だ」

「そんなのは、私がっ!」

「「鴇」」先輩っ!!」」





突然廊下が騒がしくなり、ガラリと開かれた戸から濃紺と深緑の制服が転がり込んでくる

一気に騒がしさの増した部屋に鴇の反論は強制的に止んだ

しかし目覚めてよかった、と安堵の息を吐く生徒をよそに、鴇の眉間の皺は深く刻まれていく


「はいはい、ちょっとごめんねー」


鴇の顔を覗き込んでゆく同級生やら後輩を押しのけて、伊作が鴇の前に座り

何だ、と睨む鴇を無視して触診やら脈を勝手に取り始めた


「はい、口開けてー」

「何で、」

「さっさと開ける」


有無を言わさない伊作の声に渋々と口を開ける

鴇だってこれだけの人間を巻き込んでしまった後ろめたさはあるのだろう

とりあえずは大人しくされるがままにしていた

伊作の検診がひととおり終わったのと、恐らく最後の見舞客であろう小平太と長次が入室してきたのほぼ同時であった

何故か小平太は大量の花を抱えている


「げ、お前またそんな大量の花…」

「仙蔵、活けてくれ」

「それだけの量はもう活けるとはいわん とりあえず横によけておけ」


ガヤガヤと部屋のなかは騒がしい

皆何かを問い詰めるわけではない

求めるような視線もなければ責める視線でもない

その様子を鴇は静かに見ていた


(それでも、彼らは知ったという)


私の過去を、私が隠してきた過去を

それであれば、私がとるべき態度は何も変わらない

ただひとつだ


「用がないなら、出て行ってくれないか」

「鴇、」


発した言葉に空気が凍るのがわかる

雅之助がやめろと名を強く呼んだが、そんなの知ったことではない

どれだけ自分が我儘で、相手の好意を踏みにじる行為をしているかなんてわかりきっている

それでも止まらない

止めてはいけないし、止められないのだ この衝動は


「言ったはずだ 放っておいてくれと」


何も、感情を込めないように努める

それがいい、それが一番互いが傷つかないはずだ

そう思いながら、一方でズキズキと頭が酷く痛む

もう3日も無駄にしてしまった

疎遠になった情報が気になる

あれから、何が変わったんだろうか


「いい加減にしろ 鴇」

「うるさい!そっちこそいい加減にしろっ!!」


咎める雅之助の言葉を遮り、吐き捨てるように怒鳴る

それに驚いたのか、雅之助の肩がびくりと跳ねた

焦りと、頭痛から酷く苛々する

放っておいてほしいのだ

関わらせたくないのだ

あんなものを、知ってほしくない


「私が何をしようと、お前達には関係のない話だ」

「鴇、皆君が心配なんだ」

「知ったような口をきくな!」


伊作が穏便に話をすすめようとするのを言葉で跳ね退ける

1度切った堰はもう止まらない

ただただ、伝えるだけでは足りぬというのであれば、言ってやる


「私の過去を知ったそうだな だから何だと言うんだ 同情か、情けか?大きなお世話だ!」

「鴇、やめなよ」

「この言葉も態度も人に向けるものじゃないことなんて嫌になるくらいわかってる!でも、邪魔をするなら容赦はしない!」


止めようとする伊作の手をパン、と払い、鴇は吠えるように怒鳴った

感情のままに立ち上がった身体はグラリとふらついたが、止まるわけにはいかない

これを許したら、きっとズルズルといってしまう

そんなのは駄目だ

私は、それを自分に許すわけにいかない


「頼むから何も言うな、何も聞くな」

「………」

「放っておいてくれ 私自身で決着をつけたら、戻ってくるから」


これは私の勝手な行動で、あれにお前達が関わる必要なんてこれっぽっちもない

私が勝手にしたいだけ、しなければならないと思い込んでいるだけと思ってくれればいい

無駄かも知れない、杞憂かもしれない

それくらいであってほしいのだ


(だけど)


手を払ったのに再び支えようとする伊作を、威嚇もこめて睨みつける

一瞬止まった動きを横目で流し、戸口へと進む

決別は、きっと今でなければ駄目だ

無駄でも杞憂でもなければ、手遅れになる

この機会を逃せば、これは私にいつまでも付きまとうだろう

決別してみせる

これからのために、これまでのために


(だから、お願いだから)


すっと、自分の前に立ち塞がる2人を見て眉を潜める

射貫くような強い視線が、彼らの決意を物語っている

怯みそうになるが、それでも駄目だ


私は、行かなくてはならない

誰も共になどさせない



「どけ、邪魔だ」

「嫌だ、どかん」

「…布団に、戻れ」


一切の怯みもなく立つ親友に、これほど苛立ちを覚えたのは初めてだ

ドロドロと痛いくらいの怒りと憤りが込み上げてくる


「邪魔を、しないでくれ」

「駄目だ 行かせん」

「どうして?」


道を塞ぐ小平太と長次を睨みながら問う

喋りながら、苛立ちが増していく


「いつだってお前達は私の気持ちを汲んでくれたじゃないか それなのにどうして、私が一番したいことをさせてくれない」

「……………」

「お願いだから、放っておいてくれ」


小平太だけではなく、長次も同じ行動をとるのが納得のいかない話であった

何度もお前達に汚い言葉と苛立ちをぶつけたくない

何度もあんな殴り合いをしたくない

身体ではなくて、心が軋むようなあんな、


「お前を、失いたくない」

「っ!!!」


長次が呟いたその一言に、鴇のなかの沸点が振り切れる

同じ気持ちのはずなのに、距離感なく踏み込んでくる2人が許せなかった

優しい言葉はただただ苛立ちに変わった

思わず長次の胸倉を掴み、感情に逆らうことなく振り上げた拳が長次の頬に落ちる



その寸前で小平太が鴇の拳を掴んだ


「離せ」

「駄目だ、鴇」

「お前は散々私を殴っておいて、私には人を殴るなと?随分勝手な話だぞ 小平太」

「殴った方だって痛いから、言っている」


緩むと思った小平太の腕の力は一切緩まなかった

卑怯な言葉を使ったというのに、どうしてそんなに真っ直ぐ私を見るのか

長次だって、私は理不尽な暴力を振るおうとしたのに、どうしてそんなに落ち着いて私を見るのか


「やめろ、見るな」


一触即発な空気を誰もが感じていた

下手に動けない、そんな空気だったのに


「失礼しまぁーす」


突然ガラリと開いた扉と間延びした声

緊張感の欠片もない事務員、小松田秀作が人当たりのよい笑顔で立っていた


「嘉神くんに、お届け物でーす」


親元を離れて暮らしている忍たま達にとって、届け物は喜ばれることが多い

それを思ってか、小松田さんは手紙や荷物を受け取ればすぐに生徒にもってきてくれる

しかし、今は空気を読めないにもほどがある


「小松田さん 今はちょっと…」

「名前は聞けなかったんだけどぉ」


戸口付近にいた仙蔵が小松田さんを追い出そうとすれど、空気の読めない彼はニコニコと笑ってまた一歩踏み込む

そして、妙なことを口にした


「7年前に預かったものだから、返してほしいって」


どうしたものかとちらりと鴇を見た仙蔵だったが、鴇の顔色がはっきりと変わったのを見てギョッとした

もともと血色が悪かったが、顔面蒼白の文字通り、鴇の顔からは血の気が引いていた

それに気付いた小平太も掴んでいた鴇の腕を解放する


「………」


もう鴇は小平太達のことなど見ていなかった

彼の視線は、小松田さんの手の中に釘付けられていて


「手紙と、何かな 重いねぇ」


はい、と伸ばされた小松田さんの手に乗った荷物を鴇が受け取れば、彼はそれでは、とすんなり戻っていった

震える手で鴇が手紙を開き、黙って読む

もう鴇には周囲の状況は目に入っていない

視線が文を追うに連れ、鴇の顔からはさらに血の気が引いていく

最後の文を読み終えると同時に、堪えきれなかったのか鴇が荷物を取り落として近くにあった手桶に顔を突っ込んだ


「鴇っ!?」


突然嘔吐を始めた鴇の背を、慌てて伊作が擦る

約2週間、まともな物を食べていない鴇には吐く物などないはずだ

それでも胃液だけを吐くような、空回るような嘔吐を何度も鴇が繰り返す

鴇が取り落とした荷物から転がって出てきたのは1本の見事な日本刀

そしてヒラリと舞って落ちた手紙を仙蔵が掴み上げ、読むべきかと雅之助を振り返る


「いい、読め 仙蔵」

「やめっ、…ろ、………」


ギリギリのところで堪えていた緊張にも限界が来たのだろう

嘔吐が止まらない鴇はそれでも隠したがったが、それを伊作が押さえつける


「やめろ…た、のむ やめてくれっ…!」


懇願する鴇には気がひけるが、此処まで参ってしまえばそうも言っていられない

こうなれば人の秘め事よりも優先すべきことがある

すっと浅く息を吐いて、仙蔵は静かに手紙を読み始めるのであった





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覚えているだろうか
あの赤のなかで、私がお前に見せた光景を


覚えているだろうか
あの黒のなかで、お前が私に見せた光景を


覚えているだろうか
私がお前に問うた言葉を
お前が私に投げた言葉を


お前の父は、答えられなかったが
お前ならばきっと答えてくれるだろう

もう会えぬかと半ば諦めていた私を、お前が探していると耳にした

7年という、実が成るには充分な時間を私はお前に与えた


今一度、会いにいこう

あの日と同じ、満月の夜に

私と、私の連れと共に


お前は全力で応えるべきだ

お前のもつ、大事なもの全てを賭して答えるべきだ

それだけが、お前に残された最後の道だ



今1度問おう

「武士とは、何ぞや」


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「鴇」


もう胃液すら吐けない状態の鴇の前に長次と小平太がしゃがみこむ

胸元をぎゅっと押さえつけて、蹲った鴇の顔から血の気は引いている

そんな鴇の名を、小平太が静かに呼ぶ


「鴇」

「でていく」


感情なく、ポツリとそう言い放った鴇をじっと2人が見つめる

口元をグイと拭って、よろりと立ち上がりながら鴇が呟く

鴇の表情は、絶望に満ちていた

カタカタと、震える指先は力を入れたくても入らないようで

絞りだした声は酷くか細かった


「も、駄目だ こっちが先に見つかった 今すぐ、出て行く」

「鴇」

「す、まん 厄介事を、持ち込むつもりは」

「鴇」

「こんな、はずじゃ」

「違う 鴇」


先ほどまでの怒声はどこにいったのか、消えいりそうに、そして泣きそうな声で鴇は謝り続ける

通り抜けようとする鴇の手を無理やりひいて、小平太は自分の腕のなかに引き込んだ

まだ一人で対応しようとする鴇に腹立たしさを覚えながら


「言え、鴇 私達はお前と離れるつもりは毛頭ないぞ」

「ほんと、に やめてくれ もう、駄目なんだ」

「聞きたいのは、そんな言葉じゃない」


随分と痩せてしまった鴇の身体を強く抱く

こんなに動揺した鴇を見たことがなかった

これは何というのだろう、頼りない?情けない?違う、それは鴇のことを指すものではない


「お前に心配されなくてはならないほど、弱い私達ではない」

「こんなお前を放っておくほど、私達は薄情じゃない」


降ってくる長次と小平太の言葉を聞くまいと、鴇が固く目を瞑る

蹲るように、揺らがないように、鴇も懸命に堪えているのだろう

ただ、そんなのはもういらない

もう十分だ


「鴇」


怒るように、ぎゅうっと強く力を込める

何をこんなに悩むのか、何故こんなに迷うのか

それだけが腹立たしい


「私達は、お前を逃がさないぞ」

「…やめて、くれ」


震える鴇の声と、胸元がじわりと熱い

小平太には理解できない

あれほど我慢強い鴇が、泣いてまで拒むことが


「一緒に、これからも生きていくんだ」

「………………」

「悩むことなど何もない お前はただ、手を伸ばせばいい」

「そんな、わけには」

「くどい」


鴇の抵抗の一切合切を、小平太はもう許す気はなかった

強く、そしてはっきりと鴇の言葉を小平太は切り捨てた


「私達を頼れ」


その言葉に、応答は何もない

けれど、鴇からの強い拒絶はなくなった

ゆっくりと辛抱強く待てば、恐る恐る鴇が小平太の名を呼んだ


「こ、へいた」

「おう」

「……………っ…」


また言葉を飲み込んだ鴇に、小平太の眉間に深い皺が刻まれる

与えたいのは安堵であった

もう充分、悩みすぎるほど悩んだではないか

これ以上、お前は一人で何を悩むというのか


「言え 鴇」


どうしても最後の一言を告げれない鴇に、小平太が強い言葉を放つ


「私はこんな状態のお前を逃がさない」

「……だめだ、」

「お前が私に言ったんだ 困っているお前を、見捨てやしないと 私だって同じだ」

「…それと、これとは」

「違わない 何も違いやしない」


お前は優しすぎるんだ

そう言ってぎゅうっと頭ごと抱えて抱きしめる


「お前はいつもそうだ 助けが必要なのに、いつも一人で決めてしまう」

「……………」

「さっさと言え 私は準備できている」


自分の懐から、鴇が歯を噛みしめる音が聞こえた

胸元を握る指先が、痛いくらいに握りしめてくる

時折、小さく吐き出すような呼吸が聞こえる

それを全て耳にしながら、小平太は待つ

ひたすら待つ


「こ、へいた、」

「おう」

「…こっ、へいた…っ」

「おう」

「たすけて、…くれ」


ボロボロと涙を零して、幼子のように鴇が泣いて言葉を零す

堪えていたもの全てを吐き出すかのように、鴇が噎び泣く

ようやっと発してくれた言葉に、小平太が久しぶりに笑った


「任せろ」


わっ、と上がった歓声と駆け寄ってきた忍たま達

もみくちゃにされながら拳を突き上げた小平太に、よくやったと同級生達が満足そうに頷いた


20_待ち望んだ言葉



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