- ナノ -

それから2日間、鴇は眠り続けた

疲労というものは正直なもので、身体的にも精神的にも限界がきていた鴇は昏々と眠り続けていた

鴇の身の回りの世話は主に学級委員長委員会が行っていたが、当日の夜から状況の変化はあった

事情を知る者の見舞いを、庄左ヱ門達が了承したのである

庄左ヱ門だってあの興奮した状態の皆を鴇の傍に寄せるのが好ましくないと判断しただけで、こうして静かな日常のなかであれば見舞いは嬉しいものだ

見舞うといっても、肝心の鴇は眠り続けているから何もすることはない

しかし、ただ顔を見ただけでも安心した表情を見せ、皆は特に何も言わずに帰って行った

そんななか、気になることが1つあった


「…七松先輩、来られませんね」

「うーん、そうだね」


真っ先に駆けつけるかと思っていた小平太が、1度も見舞いにこないのだ

起きたら連絡するとは言ったが、別に今は来るなとも言っていない

彼を除いた皆が来たというのに、何故彼は来ないのか

いつもは騒がしいくらいに聞こえる小平太の声が、この3日学園内から姿を消していた
















風が強く吹いている

渦中の七松小平太は、草むらの中で、大の字になって横になっていた


「小平太」

「……長次、」


本来なら風の音に掻き消される自分の声に気付いて、小平太の視線が自分と交わる

周りがあれだけ聞こえないと顔を顰める自分の声を、小平太と、此処にはいない鴇は1度も聞き逃したことがない


「どうした?」

「鴇の、」

「まだ、起きてないだろ」


問われる内容がわかっていたと言わんばかりに小平太が即答する

よくわかるな、と驚いて目を丸くすれば、何となくと小平太が力なく笑った


「鴇は薬の効きが良いからな 麻酔なんて打たれたらしばらく起きん」

「……見舞いは、」


いかないのか、と尋ねた長次の言葉に小平太が困ったように笑う


「長次は、行ったのか?」


そう問われたのでコクリと頷く

睡眠と点滴のおかげか、青白かった顔が多少見られる色になっていてほっとしたところだ

その様子を伝えてみたが、小平太はそうかと安堵の息は吐けど、見舞いに行こうという言葉がでない

ソワソワと落ち着かない感じではない

遠い空をじっと見つめる小平太は、何かをずっと考えているようだった

しばらく黙って小平太の様子を窺っていれば、ポツリと小平太が言葉を零した


「長次、私な」

「ん?」

「鴇が起きるのが、怖いんだ」


その声は、いつもの彼にしてみればとても頼りない声であったが情緒が不安定なのではないと長次は思った

これは小平太のしっかりとした想いの乗った言葉だ

だから長次はただ待った

小平太の気持ちの整理がつけばいいと思うから


「殴ったのは、悪かったと思ってる でも、止められなかった」


小平太はあの時、鴇を否定した

こんな鴇を知らないと思ったし、鴇が変わっていくのに堪えられなかったと呟いた

しかし、そんなのは理由にも何もならないことを小平太だって理解していた

それなのにあれだけ手をあげてしまったのだ

一発たりとも殴り返してこなかった鴇に腹をたててしまって、不破と鉢屋が自分に殴られる覚悟で止めにかかって、ようやっと我にかえったのだ

鴇の血で小平太の拳が赤く染まり、ごとりと畳に落ちた鴇を見て、急に恐怖が込み上げた


「起きたとき、鴇がどんな目で私を見るのか、それだけが怖い」


一発も殴り返してこなかった鴇は自分を見てなんかいなかった

まだあんな目をするのか、何も捉えない、何も見ようとしない


(ただ私達の知らないものだけを追うあの目を)

「そんなの、堪えられない」


(私の知っている鴇でいて)

(私が大好きなままの鴇でいて)

(私の知らない、鴇にならないで)


「怖いんだ 鴇が遠くに行ってしまうのが」

「…………」

「何も言わず、助けも求めず、鴇はただまっすぐ遠くを見てる それが怖いんだ」


大木先生の話してくれた鴇の生い立ちを、全く知らなかった

家族のことを聞いても、いつも適当にはぐらかす鴇の目を、どうして見なかったんだろう

この6年間、本当に鴇は何も悟らせなかったのだろうか

本当はどこかで泣いていた夜があったのではないか


「なあ、長次 私は鴇に諦められてはいないだろうか」

「…小平太」

「助けを求める相手にもなりえない馬鹿だと、鴇は私を」


呻くように吐いた言葉を遮るように、鈍い音と痛みが頬を走った

驚いて正面を見れば、長次が静かな眼差しで小平太を捉えていた


「お前まで、悲観的になるんじゃない」

「わかってる、こんなの、鴇にはいい迷惑だ」

「違う そんなことを言いたいのではない」


自虐的に笑う小平太に、目を逸らすことは許さないと長次は小平太の胸倉をつかんだ

こんなことをしたことは滅多にないからか、驚いた表情で小平太が長次を見つめている

それでいい、長次は小平太を腑抜けにするつもりはさらさらないのだから


「お前が殴っていなければ、私が鴇を殴っていた」

「………長次、」

「大事な友が、壊れる様を放置しておくような真似、私だって御免だ」


あの日、障子の向こうに佇んだ鴇の様子が異常であったことなんて、長次だって見た瞬間わかった

ざわりと全身に警戒心をたたせた小平太の行動が何よりも正しいことは長次が一番わかっていた

無理やりにでも止めなくてはいけない

少なくとも、頬のひとつでも引っ叩いてこちらと目を合わせないといけないと長次だって思っていた

ぎゅっと眉を寄せた小平太に、長次が語りかける

長次の気持ちの全てを乗せて、ゆっくりと、だけど確実に伝えたい

小平太の、直感も想いも行動も、全て自分がしたいソレであったことを


「…私たちは、事情を知って時が進んだ しかし、鴇はまだ止まったままだ」

「…………」

「目覚めた鴇は、きっと眠りにつく前の目とさして変わらないはず」

「…………」


それがわかっているから小平太も恐れているのだ

鴇は賢い

殴られた理由だってわかっているだろうし、皆が心配していることも伝わっているはずだ

しかし、それだけで鴇を引き留めようだなんて我々にとっては都合の良い話なだけで、鴇は何も救われない

またあのどうしようもない気持ちに駆られて、私たちはいつまでも鴇を否定しようとしてしまうのではないか

そんなのは友を救いたいという綺麗な話でも何でもない、私たちの勝手な気持ちの押しつけだ

まだ納得のいっていない小平太に、長次がゆっくりと語りかける


「時間だけが、解決の道ではない」

「……………そうだ、な」

「第三者の介入が、友の助けが必要な時だってあったっていいはずだ」


どう動くのが正しいかなんて、この時点では何もいえない

しかし動かねばきっと何も変わらない

たとえ動いた結果が最悪を招いたとしても、そんなのはただの結果論で

動かなかった時に最悪を招いた場合よりは、自分達の意志が入った分だけ納得だってゆくはずなのだ


「お前が鴇を殴ったのは、気持ちの押しつけなんかじゃない 鴇を想ってのことだ」

「……………」

「だったら、最後まで引くな 殴るだけでは確かに何も解決しないが、それは私も一緒に考える」


言葉での解決は理想である

それでも届かぬ場合は力押しになったって仕方がないと長次は思っている

それは単純な暴力ではなかったはずだ

嫌われることは恐ろしい、それでも失うことを考えるよりもずっと前進した行動であり、それは勇気の形のひとつだ

誰もが進めなかった一歩を、小平太は進めたのだ

俯く小平太の頭を撫でて、長次が呟く

伝えなくてはいけなかった言葉を、謝らなくてはならなかった言葉を


「一番嫌な役を、やらせてしまってすまなかった」


弾かれたように顔をあげた小平太の目を正面から長次が捉える

誰よりも大切にしていた鴇を、誰が殴りたいだなんて思っただろうか

傷ついたのは鴇だけではない、小平太の心にだって、大きな傷となっていた

小平太がどれだけ鴇を想い、気持ちを注いでいたかなんて痛いほどに知っている

泣きそうな小平太の髪をそっと撫でれば、小平太が長次の胸に額を寄せた

ポンポンと背を撫でればぎゅっと胸元の服の布を強く握りしめられる

こういう仕草は、小平太と鴇はよく似ていた

弱音を吐かず、静かに自分のなかの答えをだす

自分は特にこれ以上何も言わない

この少しの間で、小平太も鴇も進む方向を自身でいつも判断できるのだから


「長次、」

「……何だ」

「ありがとう」


ぱっと離れて小平太が笑う

私も鴇も、好きだと思うあの太陽のような笑顔で

まだ少し無理のある笑顔だが、しっかりとした目を見れば大丈夫だと断言できる

寝ていた傍らに置かれていた大量の花を抱えて小平太が言う

この花には見覚えがある

小平太が2年の時に鴇へと贈った思い出の花、見舞いの品としては充分だ


「行こう 長次」


こうして2人はゆっくりと山を下りるのであった

大切な友と、大事な未来の話をするために

19_目覚めるまでに



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