- ナノ -

教師達が駆けつけた時、その場は酷い喧騒に満ちていた

落ち着けと怒鳴る立花仙蔵と潮江文次郎達6年生

1人の生徒の名を狂ったように呼ぶ5年の鉢屋とうろたえる不破

そして、後から駆けつけたらしい久々知と竹谷も状況が飲み込めていないらしく戸惑っているが、1人の名を同じように呼ぶ

呼ばれる生徒の名にまさか、と教師の間でも緊張が走る


それはいつも仲裁に努めていた忍たまの名

嘉神鴇が部屋の中央で意識を失っていた

唇が切れ、目の下や頬、額を酷く腫らせているところを見ると、誰かに殴られたらしい

誰か、と問う以前に、彼の傍らに立ち尽くす1人の生徒が目につく

七松小平太

嘉神鴇と長い時を過ごしてきた忍たまだ

拳に滴る血は嘉神のものだろう、床板に垂れるそれを拭いもせず、呆然と嘉神を七松が見つめている

自分がしたことの意味はわかっているらしい

七松自体は落ち着いているが、眉間にぎゅっと皺を寄せ、拳は強く握ったままだ

七松に下手に誰も近寄らせたくないのか、中在家長次が庇うように横に立っている

やってきた教師達の目には同じ戸惑いが浮かんでいる

(あの七松小平太が殴った?あれだけ仲の良かった嘉神鴇を?気を失うまで?)


場は酷く五月蠅い

喧嘩がおきているわけではない、誰かが暴れているわけでもない

それでも酷く五月蠅い

いつも制止にはいる人間がいないだけで、こんなにも空気は乱れるのか

酷い有様に山田伝蔵は頭を抱えた

言っても彼らだってまだまだ子どもだ

一度大きく入った亀裂を上手く収める方法がわからないのだろう

とりあえず場の収拾をつけようと大きく息を吸った、その時である


「静かにしてください」


まだ幼い声が、突如場に割って入る

その声の持ち主に意表をつかれたようで、場は一瞬の静けさを取り戻す

驚く私達を押しのけて、井桁の忍装束がずんずんと場に割り込み、嘉神鴇の前に立つ


「鴇先輩は、僕らの委員長は五月蠅いのが嫌いです」


1年生の忍たま、黒木庄左ヱ門が前をしっかりと見据えて言い放った

有無を言わさぬ空気を纏い、まっすぐ腹の底からしっかりと


「全員、部屋から出て行ってください」


一切の言い分を聞く気配は、そこにはなかった














「ありがとうございました」

「くれぐれも、無理に起こさないように」


敷かれた布団に、鴇先輩は静かに横たわっていた

校医の新野先生に診察をお願いし、先ほど終わったところだ

念を押して部屋を出て行く新野先生に依頼した庄左ェ門が深く頭を下げる

障子が閉まり、新野先生が退室したのと、庄左ェ門が深く息を吐いたのは同時であった

大活躍であった後輩を横に、勘右衛門はそっと声をかけた


「よかったね 骨は折れてないって」

「はい、顔も冷やしておけば大丈夫とおっしゃってましたし」


はっ、と顔を上げ、気丈にふるまう庄左ェ門は笑えてなんかいなかった

そんな庄左ヱ門を横に、勘右衛門は姿勢を崩して宙を仰ぐ


「庄ちゃんは、すごいね」

「何がです?」

「あんななかに割って入っちゃって、俺にはできないかな」

「…できますよ 誰だって」


桶に張った水に手拭いを浸し、持ち上げてぎゅっと絞る

余分な水分を排除して、綺麗に折りたたまれた手拭がパン、と小気味良い音をたてて整えられる

その一連の流れが庄左ヱ門の几帳面さを物語っていた

静かな部屋で、ポツリと庄左ヱ門が言葉を零した


「誰かが憎み合ってるわけじゃなかったんです 皆が皆、鴇先輩を心配していただけだから」


額の上の手拭いを交換して、庄左ヱ門が困ったように眉をひそめる

深い眠りについた鴇の顔は赤黒くなっていた

頬と顎に貼られた湿布からはみ出てみえるその色は痛々しい

鴇がここまでボロボロになった姿を見るのは勘右衛門も随分久しぶりであった


「診察、保健委員に任せても良かったんじゃないの?」

「保健委員は…その、不運な方が多いので今回は遠慮させてもらいました」

「六年の先輩方は?」

「鴇先輩が起きたら、お説教だの問い詰めるだのされると思ったので」


庄左ヱ門は、自分達が看ると言った六年、五年そして保健委員の申し出を丁重に断った

感情のままにではなく、それこそまるで鴇が人を諭す時のように穏やかに、言葉を選んで、そして追随を許さぬようきっぱりと

最後まで部屋を出ようとしなかった七松小平太に、庄左ヱ門はこう言った


「殴ったこと、後悔してますか?」

「…わから、ん」

「鴇先輩が嫌いで、殴ったんですか?」

「違う 私は、鴇を」

「…なら、大丈夫です 鴇先輩が起きたら、ご連絡します」


傍らに佇んでいた長次に、小平太を連れて行ってもらい、鴇を共にいた勘右衛門と鴇の自室へと運んだ

五年の勘右衛門に手伝ってもらったとはいえ、酷く軽かった鴇に思わず寒気が走った

一体いつから、この人はこんなに不安定な状態だったのだろう


「三郎は?いれてあげないの?」

「はい 駄目です」


手伝おうとした三郎にも、庄左ヱ門はきっぱりと断った

同じ委員会で、先輩であっても、それは許さなかった

三郎は初めは酷く憤慨していたが、後から来た勘右衛門が説得してくれたらしい

庄左ェ門に怒鳴っても仕方がないし、自分も頭を冷やしてこいと言われれば退かざるを得まい

小さく息を吐いて、どこかへと消えていった


「鉢屋先輩も、七松先輩も、鴇先輩のこと大好きです だから駄目です」

「どうして?」

「鴇先輩が起きて、あの人達の顔を見たらまた堂々巡りですから」

「…ああ、この人も頑固だからね」


場が良いように転ぶか、悪く転ぶかの展開が全く見えないのなら、きっかけになりそうな人物は排除しなくてはならない

こうやってまだ事情を知らず、看病に徹しきれる自分や勘右衛門、彦四郎達 委員会の人間が一番マシだ

後輩にこのような姿を見られるのは鴇にとっては不本意だろうが、それはそれでいいと庄左ヱ門は思っている


(少し冷静になって反省すればいいんだ)


そんなことを思いながら


「尾浜先輩が取り乱さないでくれて、助かりました 僕と彦四郎だけだったら到底こんなことできません」

「いやいや、庄ちゃんがいなかったら俺ここまでできないよ」


きっと自分だけなら、三郎や雷蔵達と同じようにただ戸惑うばかりだっただろう

それでもこうやって居られるのは、誰よりも幼かった庄左ヱ門が真っ先に鴇を保護しにかかったからだ

まっすぐ姿勢を伸ばして正座をする一年生を、尊敬の眼差しで見つめる

誰がなんといおうと、この後輩がとった行動は正しい

そしてまだ短い期間だが、しっかりと鴇の背中をみて育っていた後輩に驚くばかりだ


「一番悪いのは、何も言わなかった鴇先輩です」

「言いたくないことは、誰にだってあるんだよ」

「尾浜先輩は、寛容すぎます」

「違うよ、俺は面倒なことが嫌いなだけ」

「面倒が嫌いな人は、此処にもいてくれませんよ」


ちらりと此方を見た庄左ヱ門に勘右衛門が二パリと笑う

この一週間、鴇は休むことなく委員会に通い、職務を全うしていた

しかし、その様子に違和感があったことは自分たちにとっては明らかであった

時折会話が繋がらない、笑っているのに笑えていない、そんな違和感を放っておいたのも自分達だ


"何が"おかしいのかがわからない、それが大きな原因だった


それが指摘できなかったため、疲れているのだとか嫌なことがあったのだろうかと遠慮に止めてしまった

せめて目に見える苦労は取り除こうと委員会の仕事に精をだしていれば、今日の喧騒

駆けつけて、床に倒れた鴇を見て後悔した

違和感はこれを警告していたのだと

こうなってしまった原因の一端は、自分たちが握っていたのに


「俺ね、三郎みたいにこの人が大好き、ってわけじゃないんだ」

「はい」

「どっちかっていうと苦手だった 賢くて何でもできて、それで優しいの 完璧じゃん?」

「はい」

「委員会に入って、初めは失敗したかなって思った ダラダラしたかったのに、この委員会、仕事は多いわ、委員長は尋常じゃない量の仕事こなしてるわ」

「それは、どこの委員会でもそうなのでは」

「えーそうかなぁ?」


小さく笑って勘右衛門が鴇を見つめる

最近ろくにものを食べていなかったらしい鴇の顔は青白い


「でも、鴇先輩は俺達に仕事を無理強いしなかったし、別に働かなくても怒らなくてさ」

「はい」

「鴇先輩の口癖、覚えてる?」

「はい」

「思うように動け ただし、それに責任が伴うことだけは忘れないように」



その言葉が勘右衛門は好きだった

大きな自由と伴う責任、気ままに振る舞うのが好きな勘右衛門にとって、その言葉は萎縮するものではなく、逆に自立を促す言葉となって身に染みた

責任転換もなく、強制力もない

それがとても新鮮で、勘右衛門は委員会に通うようになったのだ

そして月日が経つにつれ、嘉神鴇という人間への興味は深まった

素直に尊敬できる人であり、魅力が溢れる人であった

その人に、甘え続けた結果がこれだ


「僕も、動かないといけなかったんです」

「ん?」


笑って、そして寂しそうに笑って、庄左ヱ門が小さく零す


「鴇先輩の様子がおかしいことに気付いていたのに、遠慮してしまった」


顔色が悪かった

書き損じが普段より多くて、同じことを2度聞くことが増えた時点で聞けばよかった

お疲れですか、なんて生易しい言葉で誤魔化さず、医務室にひっぱっていくなり問いただすなりすればよかったんだ

そうすればきっと、悩みは解消されなくとも睡眠不足と栄養失調に関しては防ぐことができたのに


「僕は、鉢屋先輩達みたいに鴇先輩にはぐらかされても、しつこく聞けたはずなのに」

「……………」

「鴇先輩が嫌そうな顔をされても、それに、気付かないふりして、問えば」

「庄ちゃん、やめなよ」


大きな手が、庄左ヱ門の頭を撫でた

鴇の手とはまた違う、それでも優しい手だ


「そんな後悔を、庄ちゃんがする必要はないんだよ 嫌われてでも、なんて考えただけで悲しいことは口にしなくていいよ」

「でも、」

「一緒にいた時間なんて、関係ない 俺も、庄ちゃんも三郎も彦四郎も皆、鴇先輩に嫌われたくなかったんだ」

「………っ、」

「この人は、よくできた人だったから自分で解決するつもりだったんだよ 俺達の日常に、持ち込むまいと思ったんだ」

「さび、しいです そんなの」

「うん、そうだね」


張り詰めていた緊張の糸が解けたのだろう、ボロボロと涙を零し始めた後輩の頭を撫でて勘右衛門がゆっくりと落ち着かせる

一番、これでいいのかと思い悩んでいたのは庄左ェ門だろう

上級生に物言いし、怒鳴られようが非難されようがガンと譲らず、気丈にふるまうのは想像以上にしんどかったと思う


「鴇先輩だって、わかってたと思う 自分の振るまいのおかしさに、それでも抑止できない何かがあった」

「っ………」

「こんな状態になるまでソレが先輩を蝕んだ それでやっぱり思ったんだきっと、俺達には触れさせまいって」

「………は、い」


大丈夫だよ、と慰めて、勘右衛門が提案とばかりに指をたてる


「とりあえず、隈が消えるまで寝かせて、起きたらまずは美味しいものを食べさせてあげよう 栄養失調だなんて、聞いて呆れるよね」

「は、い」

「それからねー 鴇先輩には心配かけさせた罰として、甘味奢ってもらおう 庄ちゃんも彦四郎も何がいいか考えといてよ」

「そ、れは流石に、」

「え?まだ遠慮するの?俺やだよ、羊羹も団子も蜜豆も食べたいなー」


それは尾浜先輩が食べたいだけじゃないですか、と普段の冷静な突っ込みを始めた庄左ヱ門と小さく声をたてて笑った彦四郎を見て勘右衛門もそっと笑う


(鴇先輩、)


温くなった手拭いを交換して、勘右衛門は鴇の寝顔を見つめた

その視線には、柔らかいものは一切含まれていない


(きっと、事はこんな安直なことではないんでしょう?)


勘右衛門は悟っていた

鴇がこれほどまで頑なに干渉を拒んだものが、このような喧騒ひとつで片付くわけがないと

何かをなそうとしている鴇が睡眠不足、栄養失調を起こしているのもその証拠だ

眠らなかったのではない、眠れなかったのだ 

食べなかったのではない、食べられなかったのだ

精神的にも、物理的にも


(ねえ、鴇先輩 貴方何もわかってない)


この人は理解していないのだ

自分の存在の大きさを、自分の価値を

目が覚めても、きっとまたあの喧騒の繰り返しとなるだろう

鴇が皆を遠ざけようとすればするほど、それは波紋を呼ぶだろう

鴇が何よりもそれを恐れていても


(それでも、俺達には貴方が必要だ)


静かな寝息をたてる鴇の眠りは深い

新野先生に頼んで軽い麻酔も打ってもらった

深い深い眠りについて、夢さえも見なければいい

浅い眠りは悪い夢ばかりを呼ぶのだから


「庄ちゃん、彦四郎、しばらく此処を任せてもいいー?」

「?いいですけど、どちらに?」

「あはは、三郎が拗ねてるだろうから、様子見にいってくる」


追い出した身としては気になっていたことなのだろう


お願いします、と他に追求はせずに見送ってくれた庄左ヱ門にほっと息をついて勘右衛門は鴇の部屋を退室した







パタリと障子を閉めて真っ暗な廊下に目を凝らす


「気配消すの、やめろよ」

「………そろそろ、始めるそうだ」


夕闇に紛れるように座っていた三郎が囁いた声も、また闇に融けた

一瞬開いた障子から鴇の様子を確認したらしい三郎は何も言わずに立ち上がり歩を進め、勘右衛門もそれについて行く


「どこに行くの?」

「戦術室 あそこが一番人が集まりやすい」

「5、6年だけ?」

「ああ、下級生には漏らすなとのことだ」


静かに廊下を歩く

いつもなら鴇が見廻る時間だ

規則違反している奴がいないか見てくると、言葉では規律正しいことを言っていたが、実際は何か悩みを抱えている生徒がいないかの確認であった

そんな機会を利用して、自分達はよく鴇をつかまえて甘えたものだ


「……勘右衛門、」

「大丈夫、今は深く眠っているからしばらくは起きないよ」

「私達の、することは」

「躊躇うなよ」


先回りして強い言葉を使った勘右衛門に三郎の目が開く

振り向いた三郎の目が揺れるのを、勘右衛門が叱咤した

ここで躊躇すれば、また戻ってしまう

もう進むしかないのだ、そうしないと、あの人は戻ってこない


「鴇先輩はきっと知られたくないと思うだろうし、詮索する俺達を疎ましくさえ思うよ」

「……そうだ、」

「それでも躊躇うなよ 見ただろ あの人、あのまま放っておいたら死ぬよ」


縁起でもない言葉を放った勘右衛門に三郎の視線が鋭くなったが、勘右衛門は言葉を和らげなかった

だって真実だ

あんな不安定な状態がいつまでも続くわけがない

あんな状態で戦場に出れば、簡単に命を落とすだろう

一瞬の判断の遅れが命を左右する、俺達はそういう世界で生きていこうとしているのだから


「喪う痛みに比べたら、失う痛みの方が全然マシだ」

「…………………」

「しっかりしなよ 天才鉢屋三郎が、情けない顔をするな」


ドン、と背を叩けば三郎の焦点が定まる

そう、今からするのは鴇の過去の詮索だ

口の固い鴇は何があっても語らないだろう

喋ってくれるいつかを待っていれば、いつかを待たずして鴇の方が力尽きる

鴇が明かさないというのであれば、"ソレ"を知っているという者から紐解いて

あの人を蝕む元凶を叩いてやる

俺達は絶対領域にだって踏み込んでみる

嫌われたって、かまわない

彼を慕う後輩達が、これ以上泣くような真似をさせるわけにはいかない

こんな気持ちを抱えて悶々と悩むくらいなら、いっそ飛び込んでしまった方が余程いい

ガラリと図書室の戸を開けば、視線が一斉に集まる

どうやら自分達が最後だったようだ


「あの馬鹿は、どれだけ心配させれば気がすむのだか」


やれやれと呟いた声の主は酷く懐かしい人であった


「聞かせてください 嘉神鴇に、何が起きているのか、何をしようとしているのか」


場を代表して立花仙蔵が問う

どこから話そうか、ガリガリと髪を掻いて主が口を開く


「始まりは、儂とアレの出会いからになるな」


何故鴇が忍術学園に入学したのか、話はそこから

元忍術学園教師、大木雅之助が深く息を吐いて話を始めた






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お前はきっと怒るのだろう

何故話すのだ、何故勝手なことをするのかと

儂だって無粋な真似だというのは重々承知だ

しかし、お前には見えていないのだろうか

線を引かれてしまった者達の戸惑いが、距離をとられてしまった者達の悲しみが

お前はいつでもそうなのだ

儂と出会った、あの日からいつまでも変わらない


お前の考えていることがわからんよ

お前の考えていることは難しい

お前は何故、


(お前を慈しむ者達から逃げるのだ)

17_踏み込む決心



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