- ナノ -

「もう嫌だ、帰りたい」

「………………」

「こんな持久戦、私嫌いだ もう3日も戦況が変わらない」


退屈から愚痴りだした小平太の言葉を、ただ長次は聞き流していた

小平太と長次は忍務に出ていた

国境を小さな城主達が奪い合うその戦での潜入捜査

忍務自体は無事に終わらせた

依頼された情報は、きっちりと運んだし、不備もなかったはずだ

後は戦の勝敗がつくまで見届けてから戻るようにとのことだった

しかし、岩場の陰に身を潜めた小平太は苛々していた

5日ほどで終わるとふんでいた忍務が今日で8日目

戦状況が停滞しているからである

別段、これ自体は珍しいことではない

ただ、この戦、力は拮抗しているというか大きな決め手に両者欠けるというか

とどのつまりどんぐりの背比べ状態のため、決着がつかないのだ

岩場の影やら木の上やら、身を隠し続けて8日

いい加減疲れたし、それに


「…鴇の声が、聞きたいなぁ」


思わず零れてしまった本音に、はっと口を押さえたが、長次にはばっちり聞こえてしまったようだ

忍務中に口にすべき言葉ではなかったと気まずそうに長次を見れば、長次が小さく笑った


「………そうだ、な」

「長次、」

「…鴇も、最近ろくに休みをとってない」

「!長次もそう思うか?」

「思う」

「じゃ、じゃあ、帰ったら鴇を甘味屋に誘っても、いいと思うか?」

「いいと、思う」

「そうか!」


嬉しそうに笑った小平太を見て、長次も笑う

息抜きがてらの甘味屋に誘うくらい、と思うのだが小平太は鴇に対しては昔からとても臆病だ

誰よりも距離感が近いはずの自分たちは、学年を経るにつれて微妙な距離感ができた

それは、互いに後輩を背負う立場になったからだろう

後輩の前では立派な先輩でいたいものだし、隙を見せるわけにもいかないのだから

それを十分に理解している、いや理解せざるを得なかった環境にいた鴇に対し、小平太は昔からの態度を貫いている

どれだけ鴇を好きだと小平太が叫んでも、鴇は静かに躱すようになった

鴇の一挙手一足投に振り回される小平太は見ていて気の毒な時もあるが、それさえも含めて鴇と小平太の関係が長次は好きだった



「…まぁ、忙しいからとまた断られるかもしれないがな…」

「…ボーロ、」

「ん?長次、作ってくれるのか?」

「うむ、」

「そうか!鴇も長次のボーロは絶品だと言っていた それなら大丈夫だ!」


六年間、共に時を過ごしてきた

豪快だが繊細な小平太も、冷静だが大胆な鴇も長次にとっては大事な友である


「早く、帰れると いいな」

「そうだな!」


力強く頷いた小平太のその言葉の直後、

ドン、と空に放たれた空砲の音を聞いて、小平太と長次は顔を見合わせた

今のは合図、戦が終わったという合図だ


「帰るぞ!長次!!」

「…………ん、」


岩陰からひゅっと飛び出して、小平太が嬉しそうに叫ぶ

顔についた泥を親指で強く拭った小平太の目は輝いていた


「鴇が待ってる!!」


















その日、不破に付き添われてやってきた鉢屋の言葉に仙蔵達は顔を見合わせた

あのプライドの高い鉢屋が深々と頭を下げてこう言ったのだ


「委員長を、止めてください」


しかも、学園にいる6年生が集まっている部屋にわざわざ来て、だ

何だって鴇の様子を一番把握している長次と小平太が不在の時に来るのか、と思ったが火急を要すのだろう

しかし、何の話かわからず問えば、鴇の様子がおかしいのだと鉢屋達は言う


(理由が曖昧で、正直判断に困る)


そうはっきり言うのも薄情な気がするので黙っているが、六年ともなれば、己の鍛錬と称して限界まで忍務を試してみることだって珍しくはない

鉢屋と不破が必死に説明する最近の鴇の実務の内容だって、鴇は最近入学準備やら予算策定の準備に追われ、実戦から離れていたのだ

自分の腕が鈍っていないか、勘を戻したいからと言われれば特段おかしな話ではない


「他におかしいところはあるのか?」

「え?」


いきなり鴇のところに行って、お前最近様子がおかしいぞと問うのは無理がある

何をわけのわからないことを言っている、と鴇に笑いはぐらかされるのが目にみえているからだ

当然の留三郎の言葉に、鉢屋と不破が顔を見合わせる

仙蔵の知る限り、鴇は授業だって受けているし、委員会だってちゃんと出ている

鴇の通常の生活に、忍務が加わっただけで他に異変がないのであれば、此方から何か問うのは難しい


「それ、は」

「鴇だって自分の能力と体力は把握している お前達の考えすぎではないのか?」

「先輩たちは、嘉神先輩と最近お話されましたか?」

「まあ、通常の会話くらいは交わしてると思うが」

「もっと、しっかり話してみてください あんなの…っ」

「…不破、よくわかんねーよ 何を聞けってんだよ」

「…それは、だから…!」


不破がまだ食ってかかろうとするのを鉢屋が止めようと肩を引いた

目が語っている、私達にはこれ以上話しても無駄だ、と

失礼な話だが、そんなことを思われても、こちらだって判断に欠けるのだ

鉢屋と不破、そして私達6年の間でピリ、とした空気が一瞬走ったがそれを掻き消すように入室してきた者がいた


「ただいまっ!」

「小平太」

「おう、いいところに戻ったな」

「なあ、鴇はどこだ?」


埃と泥だらけの忍装束でズカズカと入ってくる小平太に仙蔵が眉を顰めたところで小平太が止まるわけもない

部屋をキョロキョロと見渡して渦中の人間の名をはっきりと呼んだ


「…小平太、足を拭け」

「だって長次、私もう鴇に会わないと死んでしまう!」


一週間も会ってないんだぞ、と口を尖らせつつも足袋をひょいと脱ぎ捨て、長次に渡された布で適当にだが足を拭うのは六のろの教育の賜物か

一気に騒がしくなった室内に先ほどの空気が少し和らいだ


「で?鴇は?」

「いませんよ」


部屋にいないんだ、と口にした小平太に鉢屋の冷たい声が響く

そういえば、どんな集まりだコレ、と小平太が首をかしげる

六のいとはが集まってるのはまあ、違和感がないがここに不破と鉢屋が加わっているのが珍しい

ましてや、不破はともかく鉢屋は鴇以外の6年に興味がないというか、近寄ろうとしないのだから


「委員長は、忍務です」

「鴇が?この時期にか?珍しいな」


この忙殺されそうな時期に職務と忍務を重ねるような荒技を鴇があまりしないことを長次と小平太は知っている

そもそも、鉢屋のこの殺気だった口調は何だ

正座をしているが、顔も上げず酷く険しい表情をしている


(…?)


隣にいる不破も、まあ殺気だってはいないものの、似たように険しい表情だ


「お前達、帰って早々悪いんだが、少し意見を聞かせて―…」

「! 鴇っ!」


顔を見合わせて首をかしげる六のろの2人に、先ほどの鉢屋達の会話を耳に入れてみるかと仙蔵が口を開こうとした時であった

ぱっと顔を輝かせて部屋の障子をスパンと開けた小平太に皆の開いた口が塞がらない

何が聞こえたのか

小平太が断言するような足音や気配は全く感じられなかったというのに、開けた先には話題の男が部屋の前を通り過ぎようとしていたところだったのだ

風呂にでもいっていたのか、着流しを着た鴇がぼんやりと此方を見る

部屋に寄るつもりはなかったのだろう、突然開いた障子に鴇は少し目を丸くしていたが、特段取り乱しはしなかった


「…ああ、おかえり 小平太、長次」


そう言って小さく笑った鴇の表情を六のいとはコンビは凝視した

鉢屋達の言う違和感とやらを確認しようと思ったのだ


(……痩せたか?)


はっきり言って、大きな変化は感じられない

何も変わらない、鴇の様子はいつもどおりに思えたし、違和感は感じなかった

強いていうのであれば、少し痩せた

ただ、疲れているだけのようにしか見えないがこんなのは最近続いていた話である

文次郎や伊作達と目を見合わせたが、奴らも同じ感想らしい

首を傾げる私達と、それを厳しい目で見つめる鉢屋と不破

この様子も、奴らは気に入らないらしい


「泥だらけだな 風呂、空いてるから入ってくればいい」


いつもどおりの穏やかな鴇

いつもどおりの柔らかい声

それなのに


「…………」


障子をあけた小平太が石のように固まっている

てっきりまた飛びつくのかと思っていたのに、小平太は何かに驚いたかのように黙って鴇を見つめていた

いや、凝視していた

そして、


「!小平太!!」


突然であった

ズカズカと皆の前を横切り、小平太がいきなり鴇の胸倉を掴んだ

皆が止めるより前に力任せに小平太は鴇を引き倒し、畳の上へと放り投げる

鈍い音と共に倒れた鴇が体制を直そうとするのを許さないと言わんばかりに小平太が鴇の上へと馬乗りになる

驚いた文次郎が小平太を怒鳴りつけたが、小平太は聞こえちゃいない


「小平太、お前何して…!」

「……………」


いきなり畳に叩きつけられた鴇は背中の痛みに小さく呻いており、よくわからないが小平太を退かそうと動いた留三郎と伊作を長次がすっと遮った

どういうつもりかと問う前に、長次も険しい表情をしていることに気付き、思わず動きが鈍る

小平太の暴挙を止めない長次にも驚いたが、鴇を力任せに扱った小平太にも驚きである


「おい、小平太 お前何…」

「答えろ 鴇」


腹の底に響くような声であった

周りの声全てを無視して、小平太が鴇に怒鳴る


「お前、何をしてる!!」


あまりにも漠然とした問いに、場の空気が一瞬止まる

そんな問い方があるかと思ったが、鴇には通じることがあったようだ

少しだけ目を見開いて、それからそっと目を瞑って静かに開けて

激しい怒りも、呆れも見せずに淡々と鴇が答える


「何の話だ」

「何をしてると、聞いているんだ」

「何も、してないさ」


退けと呟いた鴇の言葉を無視して、小平太が鴇の両肩をさらにぐいと押さえつける

一切の抵抗を小平太は鴇に許すつもりがないようだ

鴇もこの体制からの戻しは難しいと判断したのか、畳の上で大人しくされるがままである

それに任せて小平太の問いは続く


「いつから食事をとっていない」

「食べているよ 量は減ったかもしれないが」

「いつから寝ていない」

「寝てるよ 不規則だけれど」

「いつから笑っていない」

「おかしなことを言う、さっきも笑ったつもりなんだが」

「鴇」


全てを否定する鴇の言葉と態度に、小平太の眉間の皺がぎゅっと寄る

鴇の肩を押さえていた小平太の手がすっと離れる

そのゴツゴツとした手が、少しだけ震えて鴇の顔へと伸ばされる

それを見つめながら、鴇も小平太をじっと見据えていた


「答えろ 鴇」


鴇の頬を包んで、小平太が呻くように問うた


「何がお前を、そんなに傷つけた」


震える小平太の声が鴇に落ちるが鴇は沈黙を保っている

鴇を睨み続ける小平太と、鴇の視線は交わったままで

いつものような軽口の叩き合いは一切ない

それどころか、


「知ったような口で、問うな」

「…鴇」

「お前の勝手な憶測で私をどうにかしようとするなよ」

「…っ!!」


鴇の口から出たのは否定ではなく、拒絶であった

もう一度退け、と呟いた鴇に小平太が怒って鴇の胸ぐらを掴む


「鴇、お前っ…!」

「大体、いきなり人の胸ぐら掴んで何様だ」

「それは、」

「さっさとどけ 疲れてるんだ 今日は寝たい」


否定と嘘と拒絶を繰り返す鴇を、どう扱えばいいのかわからない

わからないけれど小平太は悟っていた

このままでは駄目だ、と

何がと問われても答えられる明確なものは何もないけれど、このまま引き下がっては絶対駄目だと

全身が感じていた

これは、誰だ


「…鴇、気付いてないのか」

「何が?」

「血の匂いだ、染みついてるぞ」

「知ってるよ 風呂に入っても、落ちないんだ」


その言葉に小平太の瞳孔が大きく開く

小平太の言う匂いは、きっと小平太にしかわからないものだ

しかし、それは確かに匂い、それはあまりにも鴇には似合わないものだった

それなのにわかっていると自嘲気味に笑った鴇に背筋がぞくりと泡立つ


「何で、お前っ」

「これでいい これならきっと、覚えていられる」

「何を、だ」


震える手を否定するように、小平太はさらに強く鴇の胸ぐらを掴んだ

それでも鴇は笑う

私の大好きな笑顔とは、かけ離れた笑顔で

私の知らない、虚空を捉えた目で私を見つめて

私の知らない、無機質な音で繋げた声で


「これを忘れたら、私は生きる意味がない」







そこからはもう、覚えていない

遠くに聞こえたのは留三郎達の怒鳴り声

覚えているのは、止めてくれと両腕に縋ってきた不破と鉢屋の声

じわじわと痛む拳は、真っ赤な血が滲んでいた

私のものではない

とても大事にしていた親友の血

ゴツゴツと、響く鈍い音と痛み

この混沌とした感情と、どうしようもないやるせなさが腹のなかで行き場もなく渦巻いていて

最後に聞こえたのは

(意識を失った鴇がずるりと畳に落ちた音だった)






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(私は知らない)

こんな目で私を見る鴇も、こんな声で私に語る鴇も、こんな笑顔をつくる鴇も


私の大好きな鴇は何処だ

私が焦がれた鴇は何処だ


誰かが鴇を隠した

誰かが鴇を傷つけて、殺した

想像もできないくらい、酷い何かで鴇を壊した奴がいる


息を吐くのと同じくらい平気で嘘をつく君を

陽だまりを簡単に捨てようとする君を

私は絶対に認めない

それがもし、君が望んだことだとしてもだ


(鴇を殴った自分が嫌い、)

(それでも戻ってこようとしない鴇も馬鹿だ)


どんな手を使ってでも、ひきずり戻してみせる

私の大好きな鴇を

私は絶対諦めたりなんかしない

16_誰かが彼を殺した



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