- ナノ -

ごとり、

人が地に伏す音が、嫌に頭に響く

じわじわと広がる血溜まりにゆっくりと息を吐き、

人の喉を切り裂いた己の手の見つめる


(…震えなく、なった)


あの日、仙蔵と共にした忍務の先で見たあの景色を思い出す度に手が震えた

恐れを抱いたのか

無力な自分を思い出したのか

人に触れる度に、ぞっと寒気が背筋を上った

今更ここで立ち止まるというのか、


(ここまで来ておいて?怖いとでもいうのか?)


それを否定するように武器を奮って、鈍っていた勘を元に戻すことに励んだ

心がざわつくのは駄目だ

切れ味が鈍ってしまう

反射的に止まるのも駄目だ

その一瞬で全てを失ってしまう


(お前は忘れたというのか)


何故自分がここにいるのか

何故この道の上に立ったのか


(…そんなわけないだろう 嘉神鴇)


苦無に付着した血を懐紙で拭き取り、放る

それはひらひらと舞い、血溜まりの上に落ちる

一瞬で赤く染まったそれはまるで警告のようであった

口布を外し、吐息と共に言葉を吐く

あの日から、耳に纏わりついて離れぬ言葉を


「武士とは、何ぞや」


記憶の底から蘇るあの忌々しい声と重ねて宙を睨む

あの日の全てを思い出し、

あの日の全てを知りたくて、


「今一度、問う」


ちり、と焦げるような胸の痛みを確認して、鴇はまた静かに目を瞑った


「お前は、誰だ」


その答えが返ってきやしないことを、十二分に理解しながら鴇は吐き出すようにそう呟くのであった
















「……………」

すぐ耳元で跳ねた水音に鴇がゆっくりと目を開ける

働かない頭を無理に動かさず、ぼんやりと記憶を辿る

最近はこうやって気を失っては起きるを繰り返してばかりだ


(そのくせ、一向に寝た気がしない)


段々眠りが浅くなるのは何故なのか

そんなのは鴇の知ったことではないし、仕様のないことだが取れない疲れに愚痴のひとつも零れ出そうだ

小さく溜め息をつきながら、水分を含んだ前髪をぐしゃりと潰す


「………そんなに見つめられると、穴が空いてしまいそうだよ 久々知」

「!!失礼、しました」


いつ入ってきたのか、湯に浸かってウトウトしていた鴇を兵助も湯に浸かりながらじっと見つめていたようだ

いくら疲れていて、ここが音が反響して気づきにくいとはいえ、気を抜きすぎだろう

後輩の前での失態に多少気まずさを覚えながら、鴇は兵助に



「授業、終わったのか?」

「はい、委員会で火薬倉庫の整理をしていたら煤塗れになってしまって」


五年い組の忍たま、久々知兵助は火薬委員会委員長代理に今年就任した

もともと去年からそれを踏まえた指導も土井先生がされていたのだ、何の心配もない、までは言い過ぎかもしれないが十分立ち振る舞えていると鴇は思っている

真面目で几帳面な性格は正直学級委員長委員会にも欲しかったが、それを口にしようがものなら鉢屋は拗ね、尾浜はひどい、と喚くだろう

それが容易に想像できて、鴇は静かに笑った

片や、兵助は兵助で驚いていた

表情にはださなかったが、それはもう心臓は大騒ぎだ

今日は早めに委員会を解散したというのに、自分の性格のせいか管理簿の在庫と実際の在庫が合ってない気がして数えだしたらここまで遅くなってしまった

結局、自分の直感は正しかったので、結果良しなのだが、とにかく身体が埃と煤に塗れてしまって

それで風呂に来たら鴇が眠りこけていた場面にばったり出くわしたのだ


「それは、おつかれさん」


事情を聞いた鴇が静かに笑った

まだ眠いのか、疲れきっているのか浴槽に寄り掛かったまま、息を吐くような笑いはどこか乾いている

いつもの鴇であれば、情報収集も兼ねてもっと会話を楽しもうと話を振ってきてくれるのだが、今日はそれがない

じっと鴇を見つめながら兵助は問うた


「先輩は、忍務帰りですか?」

「…どうして、そう思う?」

「脱衣場に置いてあった忍装束が、汚れてましたから」


それは血で、だろうか?

そう問うのは何だか意地悪な気がして、そうかと鴇も暗に同意を示した

別に隠すような相手ではないし、何らおかしなことではない

学級委員会委員長である鴇が数多の任務を手掛けていることは五年生のなかでは有名なのだから


「委員会の方は、相変わらずお忙しいですか?」

「まあ、少し落ち着いたけれどもう少し、って感じだな」

「三郎と勘ちゃ…勘右衛門が真面目に取り組むのは委員会くらいですね」

「…普段は違うの?」

「2人とも要領いいですけど、基本怠け者ですからね 最低限しかしないです」

「ふふ、そうなのか」


楽しそうに話す兵助の言葉に、鴇も可愛い後輩を思い出そうとするが何だか記憶が曖昧だ

最近何の話をしただろうか、自分は彼らに何を指示しただろうか

委員会には欠かさず行っているはずなのに、そこらの記憶がするりと抜けている


(はち、や)


遠い、記憶が、酷く遠い

あの世話焼きな後輩は、何か言っていなかっただろうか


(…いつ、の話だったか)


夕闇のなか、鉢屋が私に向かって何かを叫んだような気がする

あの日、外にでてしたことは覚えている

酷く気分の悪い仕事であった

欲しかったものは何も得られず、手ばかりが汚れて

その赤が、目に焼き付いて離れなくて


(何、だっけ?)


辿る記憶を数えてみても、あの赤しか思い出せない

燃えるようなあの色が、不愉快で仕方がなかった

必死にしがみついて、何かを求めた鉢屋に、


(…私は何をした?)


頭がいたい

キモチがワルイ

ズキズキとうずくのは頭か胸か、このまま潜ってしまったら、少しはスッキリするだろうか


「―――…先輩、」

「鴇先輩」

「……ん?」

「俺、今から変なことを言います」


駄目だ、また意識が飛んでいた

直前の会話が何だったか、はっきりしない状態に鴇は背筋に冷たいものが走っていた

それを悟られるのは嫌だった

そんな中、黙りこくっていた鴇の顔を覗き込んだ兵助が、突然妙なことを言い出した

何を、と笑えども、兵助はいたって真面目な顔だ

大きな目が、真っすぐに鴇を見据えていた

鴇は知っている

これは、踏み込もうとしてくるやつの目だ


「……どういう前置きなんだか、それ」

「先輩、何か、おかしいです」

(ほら、きた)


湯の波紋を見つめていた鴇は、ゆっくりと視線をあげた

髪を高く結い上げて、此方を見つめる兵助に口を開いたが、止めてまた視線を落とす

何と答えるのが正しいのか

何も返さないのは認めるような気がして、鴇適当な言葉を紡ぐ


「たしかに、変なことを言うな」

「勘右衛門も言っています 先輩、何かおかしいって」

「…私もお年頃だからな、いろいろあるさ」


要領を得ないというか、明確な指摘ができない兵助の問いから、鴇は逃げることにした

手持ち無沙汰に水面を指先で弾き、適当にはぐらかしてみたが、兵助はそんな気がさらさらなかったようだ

兵助が鴇の手を掴んだ

会話に集中しろ、と言わんばかりに

真っ直ぐすぎるその視線は、実に居心地が悪い


「鴇先輩、気付いてます?俺と全然目を合わせてないこと」

「疲れてるんだよ」

「いつもの貴方なら、いくら疲れててもそんなこと口にしない」

「買いかぶりすぎだよ 私だって人間だもの」

「先輩、俺の手を握りかえしてくれませんか?」


ぞっとした

湯に浸かっているのに、どうしてこの人の手はこんなに冷たいのだ

いつも優しく撫でてくれていた指先が、何かに怯えるように震えているのは何故なのか

いつも正面から見つめてくれたあの眼差しはどこに消えた

いつまでも話していたいと思ったのは、この人がとてもやさしく笑うからだ

恥ずかしくなるくらいの甘い言葉と、逃げ出したくなるくらい真っ直ぐな視線が自分を射貫いていたからだ


「離してよ、久々知」


こんな口先だけの躱し方を、するような人ではなかった

人の目を見ず、話をするような人ではなかった


「嫌です 俺、貴方が好きです 大好きです」

「あはは、今日は大胆だね 久々知」


貼り付けられた笑顔に泣きたくなる

感情も何も込められてない言葉は、宙に容易に散っていく

少なくとも、人の好意をこんな簡単に鴇先輩は聞き流さなかった

困ったように笑って、それでもありがとうと呟いてくれるこの人が、俺は大好きで大事だった

それなのに


「俺を、見てください ちゃんと」

「見てるよ」

「見てない 貴方の考えていることが、全くわからない」

「わかる必要、ある?」

「俺は貴方のことが好きなので、理解したいです」

「強引なのは、嫌われるよ 久々知」

「それでも、俺は聞きたいです」

「もう、やめてくれないか」



一向に引かない兵助に苛立って、鴇は自由であったもう片方の手で湯を強く叩いた

バシャ、と跳ねた水と強い語気に兵助が怯んだその一瞬に、鴇はさっと手を引いた


「!先輩、俺っ…」

「お前も、鉢屋も、私に何を求めるんだか」

「先輩、」


湯から立ち上がり、鴇は兵助を見下ろした

拒絶の意をはっきり込めて、言葉を紡ぐ


「私は応えられないよ 誰にも、何にも 私は自身のことさえ、わからないのに」

「違う、貴方はいつだって」

「やめてくれ」


はっきりと告げた言葉に思わず兵助が息を呑む音が聞こえた

自分を見つめる兵助の目が揺れる

そこに含まれる感情の理解を、鴇は放棄した

そんな余裕など、どこにもないのだ


「眩しい言葉を、囁かないでくれ」

「……………」

「私はそれに答えない、応えられない」

「先輩、それでも皆、」

「楽しい日々は、今は要らない」


鴇の告げたその一言に、兵助の動きが止まった

明言された離別の言葉、それを告げた側の鴇だって、ここまで自分は冷たい声がでるかと笑いたくなるくらいであった


「……どうし、て」

「思い出したんだ 忘れていたつもりも、なかったはずなのに」


ポタポタと滴る水

ふと水面を見ると、赤い血溜まりの中に自分は立っていた

気持ちが悪くて、湯を払うも、それはドロリと鴇の脚に絡みつく


「覚えてる、忘れるものか」

「せん、ぱい」

「ぬるま湯にいたから、曖昧になってしまっていたんだ きっと」


ズキズキと頭が痛い

グラグラする

何がダメだったのか、何を忘れていたのか


(違う、何をしたいのか、私はちゃんと覚えてる)

「先輩、顔色が」

「やめろと言ってる」


ふらりとよろめいた鴇に近寄ろうとする兵助に真っ直ぐ手を伸ばして告げる

嫌いになりたいんじゃない

でも、今はイラナイ


「酷い言葉を、吐きたくない」


思い出せない、

もう、ずっと思い出せていない

私は鉢屋に何を言った

私は久々知に何を言おうとしている

私を慕ってくれる彼らが眩しい

大好きで可愛くて仕方のない彼らに、私は私に近づいてほしくない

私は、一度これを失う大失態を犯している


「お願いだから、放っておいて」


選ぶ言葉も何もなくて、ただ逃げるようにそう伝えて、鴇は風呂場から立ち去った

結局、身体は何一つ温まることのないままに








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大切な人が、苦しんでいる

それを俺自身はどうにかしたいと強く望んでいるのに

どう動いてもあの人を傷つけてしまいそうで身体が強ばる


俺を嫌いたくないと言ったあの人の言葉を信じるのなら

傷つけたくないと踏ん張ろうとするあの人の拳に手を重ねるのであれば、

俺はあの人が泣きわめこうが、連れ戻さないといけないんだ



音が聞こえる

あの人が壊れていく音が

軋んで悲鳴のような音をたてるその中で


(助けてと誰かが叫んでいた)

15_冷たい指先



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