- ナノ -

『鴇 ねえ、約束して』

『何?』


記憶の底で、穏やかな声がする

真っ白い手が私に伸ばされ、抗うことなく私もそれを受け入れる


『春になったら、』


この先の言葉だって、覚えている

大丈夫、忘れてないよと言おうと思って手を握りかえした記憶だってある

それなのに


『鴇、』


白い手が赤く染まり、ドロリと溶ける

驚いて振り返れば、あの日が蘇る

広がる血溜まり

転がる人の手足

事切れた見知った者達に、物言わぬ血をわけた人

立ち上る鉄の錆びた匂いが脳を揺らして、視界を赤が染め上げる


『鴇 忘れないで』







『春に、なったら』







「っ!!」

「わっ!」


がばりと起きて、周囲を見渡す

うたた寝をしてしまったのか、一瞬此処がどこかわからず酷く慌てたが、見慣れた図書室であることに気付いてそっと胸をなで下ろした


(重症、だな)


最近はこの繰り返しだ

思い出すのは過去の記憶と先日の赤い視界

目蓋の裏に焼き付いてしまったあの赤を、振り払う術が見あたらない

ぐしゃりと前髪を掴んで溜め息をつく


「…鴇、先輩?」


恐る恐るかけられた声の方を見遣れば、後輩と同じ顔をした彼が

いや、正確に言えば後輩に真似られている顔の持ち主が戸惑いがちに鴇に声をかけていた


「不破、」

「どうかされましたか?」


顔色、悪いですよと心配そうに口にした不破に何でもないと鴇は適当に笑って誤魔化した


「これ、ありがとう 戻しておいてくれるか?」


鴇が不破に渡したのは何十枚もの紙が束ねられた冊子である

これには最近の戦情報や町で流れている噂、出来事やらが綴られている

忍者を目指すのであれば、情報に疎くてはならない

そう何度も口にする学園長に学園ももちろん賛成しており、図書室も情報の集う場所としてそこらに抜かりはない

最新の情報を集めるには人手と足が必要だ

個人では到底集めきらない情報も、此処にくれば恐ろしい量の情報が手に入る

一体学園側がどうやってこれだけの情報を常に所持できているのか明確にはされていないが、利用する者としてはありがたいばかりである


「相変わらず読むのが早いですね」

「ふふ、こればかりは職業病だな」


受け取った冊子の厚みを確認しながら、雷蔵はにこりと笑った

この分厚い情報誌を鴇が借りたのが30分ほど前、いつもの鴇であれば大体15分ほどで読み終える

今日はうたた寝をしていたため、倍の時間となったが、それでもかなり早いと思う

学級委員長委員会委員長である鴇は恐ろしいスピードで事務処理を行う

膨大な量の書類に目を通すため、必然と速読が身についたのだと聞いた

そういえば三郎も本を読むのがかなり早かったと不破が思いだしていれば、鴇が彼の名を再度呼んだ


「松千代先生は、おられるかな」

「あ、はい いつも通り一番奥の部屋に」

「そうか、ありがとう」


最近の鴇はこれが日課だ

情報集の読みあさりは昔から毎日のように行っていたが、此処一週間ほどは読後にこうして図書室の主、松千代万の元を通っている

何をしているのか、それは下級生ではわからないが五年生の不破には明確な答えがだせる













「松千代先生」


本棚の陰に隠れて耳を澄ます

気配を消している松千代先生の小さな声が彼の名を呼ぶ


「嘉神、君」

「すみません いつものを、見せていただけますか」


鴇先輩が松千代先生にそう言えば、先生はそっと一冊の書類の束を鴇先輩に渡した

遠目から見えるその書類の上段には赤い刻印が強く押されている

あれは持ち出し不可、五年生からしか閲覧できない特別なものだ


「これ、やらせてください」

(また、忍務)


パラパラと書類を捲っていた鴇の手が、一枚の書類を指さし松千代先生に申告する

そう、あの書類の束は忍務が書かれたもの

此処は忍術学園、忍者を育てる学園である

様々な授業が行われるが、実戦に勝るものはない そのため学園側もこうやって忍務を生徒に提示する場を設けている

あれには難易度・内容と様々な種類の忍務が連ねられており、生徒は自分でやってみたいと思うものを選び教師に提出する

当然やりたいというだけでは通らず、本人のレベルに合うもの、達成できると学園が判断したものだけが実戦の場として生徒に提供される

この一週間、鴇は情報収集と忍務を毎日のように繰り返していた


「……あまり、感心できるペース配分ではありませんねぇ」

「ちょっとどこまでできるものか、確認したくなりまして」


最近は事務処理ばかりで身体が鈍っていましたから、と朗らかに笑う鴇先輩に松千代先生がわかりましたと簡単に承認印を押した

五年生だと多少判断が厳しいが、六年生ともなると教師側も承認を出す判断がつけやすいようだ

ありがとうございました、と丁寧に頭を下げ、出口へと向かう鴇から慌てて隠れてそっと横顔を覗き見る


(……………っ、)


静かに図書室を出て行った鴇を見て、雷蔵は思わず息を呑んだ

自分の目が映したそれが信じられないと思って



(なんて、)








三郎の様子がおかしいと気付いたのは、昨夜のことであった

音もなく部屋に戻ってきて、ぼんやりと座り込んだ三郎に気付かず、どうしたのさ、と軽い気持ちで飛びついた三郎の身体は酷く強ばっていて

驚いて顔を覗き込めば、赤く腫れた目が私を不安げに見た

笑う余裕すら失っていた三郎を問い詰めれば、初めは固く口を閉ざしていた三郎が僕に一言だけ漏らしたのだ


「あれは、誰だ」


そう言って、ぎゅうっと僕を抱きしめてグスリと鼻を鳴らした

そんな三郎は初めてで、どうしてあげたらいいのかわからず抱きしめ返せば三郎がグスグスとまた鼻を鳴らす

肩口がじわりと冷たくなって、三郎が音を殺して泣いているのに気付いた

滅多なことでは泣かない三郎を、此処まで追い込んでいる人間なんて容易に想像がつく


「鴇先輩に、何かされたの?」

「ちが、う」


鴇先輩の名を出せば、三郎が僕にしがみつく力に一層の力を込めた

あの人は悪くないとそれだけは譲らない三郎だったけれど、こんなの疑う余地もない

三郎、と咎めるように強く名を呼べば、三郎が堰を切ったように言葉を吐く


「あの人、は 何も 言わ、ない」

「三郎、」

「関わるなと念を押された それでも、私は退きたくない」

「うん…?」

「でも、どうしたら、いいのかっ…わからないんだ」


三郎がわからないものを、僕がなんとかできるなんて思ってはいない

それでも、どうにかして三郎を助けてあげたくて、僕は元凶となっているであろう鴇先輩の様子を観察することにした

三郎が何が言いたいのかもピンと来てない

でも、いつものソレとははっきりと違うのだけはわかる

朝一番に図書室にやってくるの鴇先輩を迎え入れて、朝から彼を観察していたが、正直いつも通りだと僕は考えていた

いつも通り情報収集をして、此処最近の日課通り忍務をもらいに松千代先生を訪ねて

そこまでなら僕はきっと三郎に何でもないよと笑って報告できただろう


(三郎、これのことだろう)


僕も見てしまった、気付いてしまった

人と話す時には上手く隠していたのであろう、それでも一人になった時のあの人の


(なんて目を、しているんだ あの人は)


忍務をもらう前と後の目の色の違いに僕は唖然とした

松千代先生はとても恥ずかしがりやで、生徒の顔はほとんど見ない

だから気付かなかったのか

あんな目をするあの人は、


(僕だって知らないよ 三郎)







ドクドクと心臓が嫌な音をたてている

松千代先生が職員会議に出て行ったのを見計らって、奥の部屋へと忍び込む

此処は図書委員顧問の松千代先生と図書委員会委員長である中在家長次しか入室を許されていない禁書置き場

今は長次が忍務中のため、委員長代理として雷蔵も入室は可能であったが、中の詮索までしていいわけではない


(それでも、)


はらりと頁を捲れば、誰がどの忍務をうけたかの一覧が出てくる

本来これは、生徒のプライバシーをも守るものだ

暗殺、色を使うもの、潜入捜査、そのようなことを行う忍務を誰がしているかなんて第三者が知ってはいけないし、知りたくもない


(それでも、僕は)


三郎をあれだけ傷つけた鴇先輩に腹を立てていた

三郎を救いたいと思っていた

そして、三郎と兵助があれほど焦がれる鴇先輩のことだって心配だった

いつも凛として、いつも正しくて、いつも穏やかで、いつも大人な彼が僕だって大好きだった

指をすっと落として松千代先生が書いた繊細な文字をなぞる

日にちと忍務を照らし合わせて唖然とする

なんだってこんな


(あれは、)


あの目に巣くっていたのは何だったのか

今になってようやく理解する

書類を元の位置に戻して静かに図書室を出る

部屋に戻って立ち尽くせば、ドクドクとまた心臓が嫌な音をたてる


「雷蔵」


突然かけられた声にはっと視線をあげれば、三郎が何とも言えない表情で僕をみていた

その目が問うている

何を知ったのか、と


僕がしたことは図書委員として、してはいけないこと

忍たまとしても、してはいけないこと

それでも、それでも僕はこれを胸の奥に放り込んだままなんてできない、堪えられない


「さぶ、ろう」


同じ顔、同じ姿の半身を抱きしめて目を閉じる

鴇先輩の目が忘れられない

そう、あれは あの目に巣くっていたのは


(狂気にも似た、殺意)


ゆらゆらと、揺れる瞳の奥に紛れていたのは何かよからぬもの

あれは育つ

芽吹いたあれは、きっとどうにかしなければ留まることをしないだろう


「駄目だ」


お節介かもしれない

越権行為かもしれない

そして鴇先輩は拒むだろう


それでも、僕らは失うわけにはいかないのだ

もう5日も続けて忍務を行っているあの人を

合戦の加勢、残党狩り、暗殺と何かに駆られるように人を殺め続けているあの人を


「止めないと、駄目だ」


迷うことなくはっきりとそう告げた僕を、三郎は強く抱きしめた

ありがとう、雷蔵

そう言った三郎に、僕も言った

気付いてくれて、ありがとう 三郎、と







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僕らは理解している

忍が綺麗な生き物ではないことくらい

色を使って情報を得ることを軽蔑するわけではない

人を殺めることを咎めるわけではない

それを正しいとか、間違っているとかいう権利だって当然ない

あの人が無闇やたらと人を殺めて、悦ぶような人ではないことだって理解している

それでも、それでも僕らは失いたくないのだ

そっと笑うあの人の 綺麗な笑顔をいつまでも

僕らの名を呼ぶ、あの吐息にも似た優しい声を


拒まれたって堪えてみせる

そんなのは、


(貴方を失うことに比べたら、酷く軽い痛みなのだ)

14_巣食う狂気



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