- ナノ -

「……あれ?鴇は?また委員会?」

「いや、外出しているそうだ 女装して出て行くのを団蔵達が見たと言っていた」


夕飯を口に運びながら答えた文次郎に、そうと相槌を返して伊作も席についた

食事は時間がずれることも多いが、基本同学年で食べている

朝は鍛錬の時間や起きる時間が違うため、バラバラなのだが昼・夜は共にする確率は高い

それなのにもう4日、鴇は姿を見せていなかった


「ろ組は何か課題が出ているの?」

「特に聞いてねぇなぁ」


町に繰り出すと言われれば、用事として思いつくのは課題か息抜きかのどちらかである

ただし懐具合だってあるのだから遊びに通い詰めるというのは考えにくい

そうなると課題かと思うが、そういった話はすぐに話題となるため聞き逃したとは考えにくい

伊作が疑問を口にしたが、文次郎が首を横に振った


「昨日も外出してたんじゃねぇか?アイツ」

「え?」

「山伏の衣服が一組、貸出中になってたぞ」


そういえば、と口にした留三郎の言葉に伊作は顔をあげた

忍術学園では変装も立派な忍術のひとつである

町娘、町人、商人、山伏、僧侶、流浪人…様々な身分、職の人間に化けるために学園は変装用具を常に貸し出している

鉢屋のように変装を生業とするものはこだわりもあるため自前なことが多い

しかし、生徒達が自前で用意するのは性別を偽るという大仕事の女装用くらいであり、それ以外は変装する場も限られているため学園の用意するものを使用するのが一般的なのだ


「夜は帰ってきてるのか?」

「ん?ああ、基本外泊は認められてないしな 昨夜、風呂帰りに会ったぞ」

「…そうか」

「委員会にも出ているな 鴇の押印がされた決算の見積書が昨日会計委員会に届いた」


文次郎と留三郎の言葉に伊作と仙蔵もそれなら、と顔を見合わせる

何か学園長から頼まれているのかもしれない、学級委員長委員会委員長である鴇は顧問である学園長からの仕事をうけることも珍しくはないのだから


「あれ?そういえば小平太と長次は?」

「ああ、任務にでてる」


逆に1週間の長期任務が小平太には与えられていたらしい

今回は長次を選んだようだ 

鴇が忙しかったことと、4日前の任務の同行として先に仙蔵が鴇を選んだためだろう

思いだしてみれば大分静かな日々が続いていた

鴇の様子をこうやって皆で推測しなければならないのは、鴇の様子をあらかた把握している小平太と長次がいないからだ


「まあ、帰ってきてるならいいんじゃないか」

「そうだな」


鴇に限って、変なことにはならないだろう、そう判断してこの日は皆通常通り食事を続けたのであった












「は、ぁ…」


話題の中心であった鴇は、歩き疲れた身体を縁側に横たわらせて深く息を吐いた

随分埃っぽいからこのまま風呂に行こうか、そんなことを考えながらぼんやりと宙を見つめる

ごろりと寝返りを打てば、自分の腕が目に入った

夕日によって赤く色付く身体に、気分が悪い

それが嫌でもう1度寝返りを打って仰向けになれば、鴉が飛んでいるのが見えた

日も暮れてきたのか、空が燃えるように赤く染まっている


(収穫はなし、か)


思っていたよりも難航している現状に思わず舌打ちがでる

今日で3日、しらみつぶしに情報を集めに出ているが、想像以上に情報がない


(明日は、もう少し遠出してみるか?)

「こんなところに美女が転がってていいんですか?」

「鉢屋」


突然降ってきた言葉に視線を傾ければ、呆れたように鉢屋が自分を見下ろしていた

気配を消して近づくのをやめろ、と鴇が言えば、鉢屋がそっと笑う


「驚いてくれないかな、と思いまして」

「いつだって驚いてるさ 大体、美女とは大げさだな」

「何言ってるんですか 襲われても文句言えないですよ その姿」

「それで?この姿勢か」

「ええ、まあ」


隣に座るかと思っていた鉢屋が鴇の両腕を押さえて覆い被さるように見下ろしている

跨りはしなかったのは多少の遠慮か、先輩への敬意か

近づいてくる顔に鴇も適当に笑う


女装をした鴇は大層美しい

もともと中性的な顔立ちをしており、細身で手足もすらりと長い

立花仙蔵と組んで男を誑かしにに行けば、大変高価な貢ぎ物をもらって帰ってきた

売るには高価すぎて、手に余らせたのも記憶が新しい

それ以来、鴇は女装をあまりしなくなったが、実に勿体ない話である

そして、鴇の変装は今している武家の女の方がそんじょそこらの町娘や身売りの女よりも三郎は好きだ

清楚で凛として、控えめにひかれた紅にくらりと来る

町娘では庶民的すぎて、鴇の魅力を持て余してしまうのだから

ぼんやりとそんなことを考えていたのがバレたのだろう、鴇がにやりと意地悪そうに笑う


「お前好みだろ」

「…よくご存じで」

「こういう娘がいたら、紹介してやるよ」

「要りませんよ 貴方がいるなら」

「それはそれは、身に余る光栄だね」


軽口で聞き流そうとする会話を続けながら、三郎は思う

この人は、どこまで鈍いのだろうか

この人は、どこまで鈍いふりをするのだろうか

鉢屋は自分の想いを多少なりとも理解している

この思慕と恋慕の間を漂うこの感情は、何と呼ぶのか

この想いに惑う瞳を正面から見るくせに、彼は何でもないように私に笑いかける


「ならば、抱きしめてもいいですか?」

「ダメだな 武家の女は身持ちがかたいのだから」

「では無理矢理にでも、」

「そういうの、私が大嫌いだと知っての言葉か?」

「…残念、またの機会にします」

「ふふ、そうしてくれ」


覆い被さって、首元に顔を埋める程度に止めれば、鴇がすまんなと鉢屋の髪を撫でる

その謝罪の言葉は何に対してなのか、どういう意味を含むのか、

そんなことをごちゃごちゃ考えていたが、鴇の匂いにどうでもいいかと思考を止める

トクントクンと、鴇の心臓が静かに耳を打つ


「聞いても、いいですか?」

「んー、どうした」

「最近、どちらに行かれているのです?」

「ん?」

「ここのところ、毎日外出されてますよね?」


ドクン、と大きく鴇の心臓が跳ねた

それを三郎は逃すつもりはなかった


授業も委員会も決してすっぽかしたりはしていない

やることはやってから鴇はどこかに消えていく

外出届が毎日出ていることは小松田さんに確認した

問題は行き先と用件だ


「…何だ、気になるか」

「そりゃ、もちろん」

「野暮用だ 大した話じゃない」

「話せない内容ですか」

「はは、逢瀬じゃないから安心しろ」

「そうやって、また誤魔化そうと」


はぐらかそうとする鴇に腹が立って、起き上がって鴇の顔を覗き込んだ鉢屋だったが、ギョッとして思わず言葉を失った

鴇の視線があまりにも虚ろであったからだ

例えるなら虚空

何も映さず、ただぼんやりとその目に夕焼けの空が映りこんでいる

燃えるような、赤い瞳

鮮烈な赤ではない、薄暗い、錆びた赤を連想させるその色

ゾクリとした何かが、三郎の背を駆け上がる


何か、とても嫌な感じがする

これは、放っておいていい色ではないと警鐘が鳴る


「い、委員長 貴方、一体」

「野暮用だ お前が気にするような大層なものではないさ」

「待ってください まだ話は」

「鉢屋」


ゆったりと身体を起こして部屋に戻ろうとする鴇を呼べば、鴇もゆっくりとこちらを振り返る

どんな言葉でも、三郎は受け止める気でいた

無理難題だっていい、急な用件だって構わないと思っていた

だって、自分と鴇の関係は、遠慮し合うような間柄ではないのだから

それなのに、


「詮索するな」


その強い言葉に身体が動かなくなる

思っていた以上にその言葉は衝撃的で、鋭い視線が三郎の手足を縛った

追ってくるな、と目で威嚇され動きを止めた三郎を見て、鴇が寂しそうに笑う


「これは、私の探し物なんだよ」

(誰にも、干渉はさせない)


言葉の裏が聞こえたような気がして、その一言だけ告げて、鴇は廊下の向こうへと消えた







身体の力が抜けて、三郎はずるずるとその場に座り込んだ


(あれは、誰だ)


ドクドクと、心臓が嫌な音をたてている

じわりと浮かぶ汗が、三郎の面の下で伝い落ちる


自分の知っている鴇はあんな目をしない

あの人の目は、陽だまりのような柔らかさを閉じ込めていたのに


自分の知っている鴇はあんな声を出さない

あの人の声は、夜の静けさを纏っていたのに


いつだって穏やかで、いつだってあの人は大人で

誰をも拒んだりしなかったのに


あんな絶対的な拒絶をするあの人は誰だ


(お願いだから)


カタリと震える自分の身体をぎゅっと抱く

何に震えたのか、鴇を恐ろしいと思ったのか


(私が?彼を?)


触れることを恐れたのか、触れて拒まれることを恐れたのか

そんな感想を抱いた自分が恐ろしくて三郎は強く目を瞑った

どうか、


(どうか、お願いだから)


ズキズキと痛む心臓を抑えて、三郎が小さく泣いた

自身のなかに渦巻く直感は、きっと外れてくれやしない

いつもは黙って横にいてくれたあの人が、どうしてこんなに遠く思えるのか

これからやってくるだろう不安の波は、きっと自分を直撃するのだろう

それでも願わずにはいられない


(私の知らない貴方に、ならないで)


その声が届きやしないことを、誰よりも三郎は知っていた







-----------------------------------

1日、1日と朝が来て夜が来る度に貴方は変わってゆく

止めなくてはいけないと思うのに

何かしなくてはいけないと思うのに

あの何も映していない瞳に映るのが恐ろしくてたまらない


声をかけるタイミングがわからない

伸ばす手の図々しさが私を縛って

視線を合わせることすら難しく思えてきて


知らない貴方に染まっていく

それだけははっきりとしてるのに、止める術を誰も知らない


後生だからあの人を、


(闇夜の向こうに攫わないで)



その声さえも、恐ろしくてだせないのだ

13_交わらない視線



prev | next