- ナノ -

忘れていたわけではない

むしろそれが私の生きる意味だったはずだ


この学園の日常は酷く温かく、酷く甘い

それを捨てたいわけではないし、それを否定する気はさらさらない

だって、私はこの生活が大切なのだから


しかし、忘れてはならぬのだ

忘れてはならぬとあの声が言うのだ


『鴇』


あの声を取り戻さない限り、

いつまで経っても、春は来ない



















「……………」

「おい、鴇 どうした 息が切れてるではないか」

「そう、みたいだ」



その日、仙蔵は鴇と任務についていた

簡単な任務だったと思っている

圧政を強いてきた小さな城の主の暗殺

それをまだプロではない忍たまがやるのかと問われれば、微妙なところではあるがこういった仕事も珍しい話ではない

それほど忍術学園に対する依頼側の信頼は高いということだ

初め、任務を受けたのは仙蔵である

誰か1人、相棒として連れて行けと学園長に言われ、選んだのが鴇であった

こういった自由に相手を選択して連れて行ってよいと言われると、仙蔵は大抵文次郎か鴇を選んでいる

相方には相性というものがやはりある

純戦力がほしいのであれば、小平太を連れて行けばよいのだが、統制が非常に難しい

流れる血の量とあてられる殺気によっては小平太は制御不能となり、あとあと面倒になるため仙蔵の選択肢に小平太はない

小平太自身もそれは思うところがあるらしく、自身の相方としては鴇か長次を主に選んでいる

伊作も仙蔵は苦手であった

人として、知識としては手元に置いておきたいものなのだが、忍としては伊作は酷く扱いづらい

無駄な殺生、殲滅戦を伊作は嫌い、しかも事が終われば治療を始めるからだ

そんな伊作を説教するつもりは毛頭ないし、伊作も辞めるつもりは更々ないだろう

それぞれに相手に対し、苦手な面、好ましい面があるなかで、仙蔵は鴇とは酷く相性がいいと思っている

鴇と仙蔵は相性もよいし、戦力としてのバランスもよい

互いに頭の回転が速く、一を聞いたら十まで聞かずとも、というところがあり説明が省ける

戦力としても鴇は近・中距離戦を得意とする忍だし、仙蔵は中・遠距離戦を得意としているため互いのカバーがきく

そして今夜も互いの得意分野で攻略することとなったのだ

仙蔵が見張りを焙烙火矢で引きつけて仕留めている間に、鴇が城内に潜入し、城主の首をとる

時間はさほど必要ではなかった

思っていたよりも見張りの数は少なかったため、仙蔵の担当分はすぐに終わってしまったからだ


(手伝いにいくか)


本来なら、城内の鴇の連絡を待つべきなのだが外がこれだけ少なかったのだから内部にそれだけの人員がいるのかもしれない

そう判断して仙蔵もそっと城内へと潜り込んだ


(……何だ?)


城内は恐ろしく静かであった

ところどころに人が倒れ、事切れている

試しに伏していた家臣らしき者を仰向けにしてみれば右肩から左腰にかけての見事な太刀傷


(鴇、ではない?)


鴇も刀の扱いは酷く上手いが、今日のような任務には武士がもつような刀は携帯していないはずだ

していても忍刀だが、あれではこんな太刀傷にはならない

そもそも、今日の任務は「暗殺」だ

こんなに人を殺める予定もなければ、強行手段にでる予定もなかった


(鴇は、どこだ)


嫌な感じが拭いきれない

仙蔵は慌てて城主がいると思われる一番奥の部屋へと駆けた






(赤、い)


視覚の全てを、赤が塗りつぶす

床に広がり続ける血の海に、ごろりと転がる人の手足

男も女も、そして幼子でさえも、全てが停止していた

むせ返る錆びた鉄の匂いに眉を顰めながら、仙蔵は部屋の中央に立っていた探し人に声をかけた


「鴇」

「…………」

「おい、鴇」


立ち尽くしていた鴇の肩を強く揺らせば、我に返った鴇が驚いたように仙蔵を見た

開ききった瞳孔が、次第に落ち着いて

鴇がブンブンと首を振って、何事もなかったかのように口を開いた


「すまん 合図をしていなかったな」


ざっと鴇の上下を確認しても、鴇は返り血のひとつも浴びていない

手にもった武器にも血がついていないことから、鴇がこの惨状を産んだわけではないらしい


「何があった」

「わからん、私が此処に来たときにはもう」


そう淡々と述べる鴇だが、酷く顔色が悪い

ざっと仙蔵が周囲を見渡せば、床に吐瀉物と空になった竹筒


(吐いたのか)


口をゆすいだのだろう

血とはまた別の液体を見て仙蔵はすんなりと悟った

ただ、こんな人の死に鴇が吐いたというのが疑問であった

文面だけを大人しく捉えれば、もう人を殺めることも六年にもなれば慣れているといっても過言ではない

それなりの数も経験も重ねている鴇が今更動じているというのが納得のいかぬところであった


(……ん?)


城主の家族だろうか

まだ5つくらいの幼い子どもも、他と同じように胸を切られ死んでいた

抵抗なんざ皆無であっただろう、そのまま後ろに倒れたように大の字で倒れていたその姿に気分が悪くなる

そして子どもの顔には鴇が乗せたと思われる手拭いがあった


「鴇、あまり私物は残さない方が」

「いいんだ それは、そうしておいてくれ」

「しかし」

「いいんだ」


竹筒を回収し、手拭いも回収しようと考えた仙蔵だがそれだけ強い口調で言われてしまえば手がだせない

まあ、別に名前が書いているわけでもないからいいかと思い、鴇を振り返れば、鴇は先ほどから視線をあるものから逸らさずにいた


「…これが城主か」

「そうだ 私が殺すはずだった男」


一番上座にいた男は、立ったまま事切れていた

今度は左下から右上へ抜かれたらしい刀の軌道が、屏風に散った血が如実に物語っていた


「一閃か」

「………そうだ、な」

「どこかの傭兵かもしれんな 仕方ない、目的としては達成されているし、撤退するか」

「……………」

「鴇?」


返事を返さない鴇を不審に思って表情を伺えば、鴇の顔色は先ほどから変わらず酷く悪いままだ

青白い顔の表情は険しく、瞳がゆらゆらと揺れて不安定だ


「誰ぞ、問う」

「………?」

「武士とは、何ぞや」


うわごとのように呟かれた小さな言葉を、仙蔵は拾っていた

そして鴇の目の奥の光が未だにゆらゆらと揺れていることに気付いていた

言葉の意味を問おうとした時、廊下の向こうから騒がしさが近づいてくる


「…!人が集まってくる 行くぞ、鴇」

「……………」

「鴇!」

「…ああ、了解だ」


脱出を促せば、鴇も我に返ったのか仙蔵の言葉に今度ははっきりと相槌を返した

そして窓へと足をかけたときに、仙蔵はたしかに見た

先ほどの子どもの額に手をあてて、強く目を瞑った鴇を

誰かの名をそっと呼んだ、鴇の姿を




この日からである

嘉神鴇の様子がおかしくなりだしたのは

この日からである

嘉神鴇のなかの何かが確実に変わったのは





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記憶の底で、彼の人が嗤う


私の未熟さを

私の無力さを

首にかけられた手が私の命を容易く握る


さあ、

(生きて私に会いにおいでと)

(お前は生かしておくのだからと)


私の心臓は、どこで鳴るのだろう

私の心臓は、たしかに鳴っているのだろうか

私は、


(一体何をしていたのだろう)

12_過去との邂逅



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