- ナノ -

「鴇、少し疲れてるんじゃないの?」


それは保健委員の薬の在庫表や治療用具の管理表に目を通していた鴇にかけられた言葉

保健委員会委員長、善法寺伊作の言葉に振り向くことなく、鴇はペラリと紙面を捲った


「そんなことはない」

「何で意地張るんだか 目の下の隈、濃くなってるよ」

「文次郎に比べれば、軽いもんだ」

「一番酷い人と比較して何になるんだい 目の下、白粉をはたいただろう 隠すくらいなら寝なよ」

「母親みたいな小言はよしてくれ」


伊作の言葉に同室にいた乱太郎は鴇の顔をそっと盗み見た

ぱっと見ても鴇の目の下には隈は見当たらない

そもそも、化粧をしているのかどうかも、正直乱太郎には判断がつかない

はっきりしているのは


(相変わらず、綺麗な人だ)


横顔だが、彼がとても整った顔立ちをしていることははっきりわかる

あまり嘉神鴇と接点のない乱太郎にとって、鴇は未知の存在であった

入学した時、在校生徒の代表として出てきたその人は、とても凛とした人で


『ようこそ、忍術学園へ』


歓迎の挨拶と、学園の仕組み、施設の案内と全ての取り仕切りを担当しており、学園の中心人物であることは理解したし、

学級委員長委員会の委員長であると知った時にはなるほどと妙に納得したものだ


「嘉神先輩!生物小屋、今見学できませんっ!!」

「今度は何が逃げた 毒虫か?」

「いえ、鴉達が小屋を取り囲んでるんですっ!!」

「竹谷、お前の管轄だろう ちゃんと統制とってこい」

「はい!すみませんっ」

「伊賀崎、お前も竹谷を手伝えるな?」

「はい!」

「鴇!!先に裏山見学に行こう!裏裏裏山にも絶好の修行場所があるぞ!走ればすぐだ!!」

「やかましい 今朝確認しただろう 裏山見学は明日、1年生にはまだいけどんマラソンはさせない」

「でもな、鴇!私、今日はマラソン日和だと思う!」

「知るか それより小平太、裏庭の塹壕は埋めたんだろうな?」

「へ?」

「埋めてこい それでお前も埋まってこい」

「嫌だ!私も鴇と一緒に行く」

「平、この馬鹿連れて行け」

「七松先輩!行きますよ!!」

「いーやーだー 鴇!!もう3日も帰ってきてないではないか!!」

「当たり前だ 私は新入生歓迎の準備で忙しい」

「鴇っ!!」

「…新入生の前で説教させるなよ」


一瞬ピリっと空気が凍る

それまで散々騒いでいた七松先輩がビクリと跳ねて、うー、と小さく唸った

次の瞬間、止まった時を払拭するように腰にしがみついていた先輩を投げ返して、嘉神先輩がにこりと私達に笑う


「すまん 邪魔が入った」


先ほどの一騒動なんてまるでなかったかのようにまた案内を始める嘉神先輩に、あの人すごいなときり丸が呟いていたっけ


(嘉神先輩は、いつもお忙しそうだ)

「猪名寺、私の顔に何かついているか?」

「へ?あ、いえ ごめんなさい!!」


手を止めてじっと見つめていた私に嘉神先輩が声をかけられた

視線こそ交わらないものの、何か咎められたようで慌てて謝れば伊作先輩がもう、と溜め息をつく


「乱太郎 謝らなくていいよ 鴇、眉間に皺!後輩に気を遣わせないでよね」

「眉間に皺もよるさ 何だこのギリギリの在庫は」

「しょうがないじゃない 予算が通らないんだもの」

「予算申請はいつも真っ当な数字で出してるのに、何で通らないんだ」

「…はは、文次郎の手にまでなかなか届かなくて…」

「この不運委員長め」


お茶を煎れるね、と誤魔化し笑いを浮かべて立ち上がろうとした伊作先輩の肩を嘉神先輩がぐっと抑える

立つなという無言の行動に伊作先輩が首をかしげた


「何?」

「立つな 崩れるぞ」

「へ?」


動くなよ、と伊作先輩に念押しして嘉神先輩が伊作先輩の真横に積んでいた本の山を横によける

言われてみるとたしかに書物と伊作先輩の間の距離が近すぎる

もし伊作先輩が立ち上がっていたら接触して崩してしまっただろう

大量の資料の上に倒れ込めば、また片付けにも時間がかかってしまうところだった


「…いい、私が煎れる」

「わ、私!煎れますよ!」

「いや、保健委員は下手に動くな 庇いきれない」


そう言って立ち上がった嘉神先輩が、ひょいと私が丸めていた包帯の端を私の近くに置き直す

その行動の意味がわからなくて、首を傾げれば、嘉神先輩が苦笑して私の横を指さした


「気をつけないと、囲炉裏の火が燃え移るぞ」

「あ!」


どうやら布の裾が囲炉裏の中にまで入ってしまっていたらしい

灰を被っているのを慌てて叩けば、その隙に嘉神先輩が手際よく茶の準備を始める

遅れをとったと追おうとすれば、伊作先輩が待ったをかける


「乱太郎、鴇に任せよう 鴇の煎れるお茶、美味しいし」

「そうそう じっとしていてくれ」


コポコポと湯の注がれる音に、立ち上る湯気が柔らかい

湯呑の白湯を茶瓶に手際よく戻して、茶葉を蒸せばほわりと煎茶が香る

どうぞ、と差し出された茶を一口含めば、本当に美味しい


「じゃあ、お茶請けのお饅頭を出そうか」

「どうぞ、嘉神先輩」

「ああ、ありがとう」


伊作先輩が出してあげてとおっしゃったお饅頭を差し出せば、嘉神先輩も受け取ってくださった

こんなお饅頭あったかなと思いながらもパクパクと食べていれば、嘉神先輩が少し怪訝そうな顔をしている

それに気付いた伊作先輩が声をかけた


「鴇、どうがした?」

「…いや、」

「味悪かったかな?賞味期限は大丈夫なはずなんだけど」

「いや、何でもない」


何となく心配になって嘉神先輩を見つめていれば、その視線に気付いた嘉神先輩は何事もなかったように饅頭を口に押し込んだ

私は美味しいと思うのだけど、嘉神先輩の好みではなかったのかもしれない

ちょっとしたお茶休憩も終わって、再び作業にとりかかる

それから30分くらい経って、

首をコキン、と鳴らして嘉神先輩がぐっと筋肉をのばす

お茶もなくなり、嘉神先輩のお仕事も終わったようだ


「おつかれさま どう?」

「とりあえず、在庫状況はわかった 予算会議ではちゃんと配分されるよう私も意識しておく」

「うん ありがとね」

「とにかく状況を報告するとこまでは最低限踏ん張れ あとは押し込んで無理やりでも通してやるから」

「そう言ってくれると心強いよ」

「嗜好品じゃないからな、必需品に対してはこちらも補助するさ」


適当に片付けて立ち上がった嘉神先輩が保健室の出口へと向かう

次の用事かとお見送りをしようと立ち上がれば、伊作先輩が座ってていいのにと笑う


「じゃあ、私は委員会に戻、る」

「嘉神先輩?」


障子に手をかけて、退室されようとした嘉神先輩が突然よろめいた

それに驚いて声をかければ、嘉神先輩の目つきが鋭くなった

気のせいでなければ、伊作先輩を睨んでおられて


「伊作、」

「どうしたの 鴇 また眉間に皺寄ってるよ?」

「…お前、やっぱり」

「ほら、乱太郎が怖がっちゃうじゃない」

「…邪魔したな」


少し強く障子を閉めて出て行った鴇の様子の変化に乱太郎は伊作を振り返った


「あ、あの 私何か失礼なことしたんでしょうか?」

「ううん 乱太郎"は"何もしてないよ」


ニコニコと笑う伊作先輩はそれ以上何もおっしゃらない

状況が把握できず、乱太郎はただ首を傾げるばかりであった











(あの、馬鹿 やりやがった)


一歩、一歩と歩を進める度に視界がぐらりと揺れる

覚束なくなってきた足取りを否定するかのように鴇が柱を強く握る


(あ、と 今日やることは)


思い出そうと思案を巡らせても、グルグルと廻るばかりで何も出てこない

襲ってきた猛烈な睡魔に思考が奪われる


(大分強いやつ、盛られたな)


やはり先ほどの饅頭には睡眠薬が入っていたか

食べた瞬間感じた違和感を大事にすべきであったのだが、出された饅頭を残せば、きっと猪名寺がまた何かと気にかけるだろう

それが嫌で飲み込んでみたが、やはり直感は正しかった

後輩を上手く使った伊作に舌打ちをする

鴇は味覚には鋭い方だと自負している

食べて食あたりを起こしそうなものの味の判別はできるし、大概の毒もわかるはずだが、伊作の作るものはどうにもわからない

伊作が本気で調合した薬は、味も見た目も変わらない無味無臭

それを見破れるようにならない限り、こういったお節介は今後も躱すことは難しいのだろう


(躱すことができるとすれば、小平太の野生の勘ぐらい、か)


ふらつく身体を何とか鞭打って、鴇はとりあえず長屋へと戻ることにした

無様にそこらで眠りこけるなど、鴇の矜恃が許さないのだから






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(嘉神先輩、何だかふらついていませんでしたか?)

(さあ?気付かなかったなぁ)

(身体、壊されないといいんですけれど)

(大丈夫だよ 睡眠をちゃんととれば、すぐ回復するから)

(なかなかゆっくり休んでくださらなさそうですけどね)

(大丈夫、明日には元気になるよ)

(え?)

(ふふふ、何でもないよ)

10_天敵



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