- ナノ -

『ねえ、鴇 雪が溶けたら何になるか知っている?』


あの時キミが問うた言葉を、私は笑って答えずにいたね

答えは知っていたつもりだったんだ

キミが気に入った本は、私が貸したもので、

そこに書いていた答えを当然私は知っていた


『雪が溶けたらね、』


知っていたよ

"水"と答えたら、キミはきっと嬉しそうに笑っただろう

ハズレ!と声高らかに叫んで、そして私に自慢気に言ったはずだ

"春"と答えたら、キミはきっと悔しそうに頬を膨らましただろう

そんなキミの機嫌をとるのも悪くないと思っていた

だって私たちには長い時間が待っているのだから

共に歩み、共に育ち、共に生きることが決まっていたのだから

団子でも食べようかと誘って、外の空気を吸って

大地を裸足で踏みしめて、明るい太陽のもとで笑うのだ


『鴇 ねえ、約束して?』


雪が溶けて、生命が息吹く

土が見え隠れして、その上を澄んだ雪解け水が走る

今年も冬を越えたのだ

私たちは共に、


『春に、なったら』












「鴇先輩!」


強く呼ばれた自分の名に、鴇ははっと正気に戻った

意識が飛んでいたことに内心ヒヤリとしながら、呼ばれた方角を振り返ればそこには可愛らしいくのたまが2人


「おや、珍しいね こんなところに来ているのは」


見覚えのある彼女は、この春無事進級して2年生になったらしい

頬を赤らめて鴇を見る彼女はまだまだ幼さの残る少女であったが、横にいるさらに小さな少女は確か今年入学してきた新くのたまだ


「後輩ができたのかい?」

「は、はい 私も先輩、なんです」

「それは心強いね はじめまして、六のろ 嘉神鴇です」


しゃがんでニコリと笑えば、2人の少女の頬がさらに赤く染まる

2年生になったくのたまの彼女は、去年からの付き合いだ

気の弱い彼女にちょっかいばかり出していた2年生を叱りつけて以来、ちょこちょこと遊びにくるようになった

忍たま長屋に来るのはそれなりに勇気がいるはずだが、折角の来訪を窘めるほど、鴇は野暮ではない

ぽわん、と鴇に見惚れていた2年のくのたまははっとして、隣の1年生に自己紹介をさせた

消え入りそうな小さな声で名乗った彼女に、よろしくねと鴇もそっと笑った

1年生が先輩、と2年生にこそりと耳打ちをする


「なぁに?」

「とても、素敵な先輩、ですね」

「だ、だめ!忍たまはキケンなの!」


褒めてもらえたことはとても嬉しいが、これからも苦労するだろうなと鴇は表情を変えずに考えていた

そんな鴇の表情から自分が後輩に指導しなければと察知した彼女が精いっぱいの静止をするが、ピカピカのくのたまはまだ可愛いお嬢さんだ


「すごく、やさしそうです」

「鴇先輩みたいな忍たまばかりじゃないの!」

「でも、鴇、先輩は怖く、ないです」

「鴇先輩だって…!」

「鴇先輩だって…?」


じーっと自分を正面から見つめる後輩と、この後何と続けるのが正しいのか悩んで彼女はうー、と唸った

怖いのかと言われれば、全然怖くない

忍たまは野蛮で粗暴で下品だから近づいてはならないと、自分たちの先輩のくのたま達は口をそろえる

ただ、鴇は、どの条件にも当てはまらない


私が転んで足を捻った時、軽々と抱き上げて手当をしてくれた

その時の鴇は自分にとってはキラキラ輝いて見えたし、こっそりと覗き見た忍たま同士の演習では鋭い目つきだが、いつまでも見ていたいくらい格好よかったのだ

忍たまには近づいちゃだめ、

それを教えたかったはずなのに、今日此処にきてしまったのは、後輩に鴇を見せたかったのだ

とても素敵な先輩がいるのだ、と教えてあげたかったのだ


「先輩の言う通り、忍たまに隙を見せてはいけないよ」

「へ?あ!」

「あんまり可愛いと、食べてしまいたくなる」


なんとも光栄な会話に鴇がクスクスと笑えば、会話が筒抜けであったことに気づいた2人が顔を赤くする

そんな恥ずかしさを払いたいと思った少女が叫ぶように声を張る


「わ、私達、美味しくないですよ!」

「わからないよ?とても柔らかそうだし、甘い匂いがする」


もう少し上級生のくのたまなら、そう耳元で囁いて手の甲に口づけでもすれば喜ぶのだが、いかんせんまだまだ幼い彼女達は顔を赤く染めるばかり

苛めすぎてはいけない思い、鴇は別の話を振ってみた


「ところで、今日は自己紹介をしにきてくれたのかな?」

「ち、違います!そんなんじゃ」

「忍たまに、何か悪戯をしてきなさいってシナ先生が」

「あ、駄目!しゃべっちゃ!!」


慌てて口を塞ぐも、可愛い新くのたまは簡単に口を滑らせてしまって

その素直さに鴇が微笑まし気に眺めていれば、2年生が少しだけ鴇に挑むようにこちらを見た


「鴇先輩っ!」

「うん、なぁに?」

「あ、あのっ!」

「うん」

「………あの、…」

「悪戯、しないの?」

「……っ!!」



にこりと笑って首を傾げてやれば、何故か言葉につまる2年生

ずっと顔が赤いが熱でもあるのだろうか、どうしたものかと1年生を見れば、彼女もまだ頬が赤い

そういえば今日はいろんなところで後輩達の叫び声が聞こえていた気がする

下級生の頃は、忍たまよりもくのたまの方が過激で容赦がない

鴇だって1年の時に鯉が大量に泳いでいる学園の庭の池に落とされたのは苦い思い出だ


(たしか、この手の課題は何かしないと教室に戻れないものだったなぁ)


ここに来てから、随分時間が経っている

初めから手こずってどちらが悪いと喧嘩にまで発展してしまうケースだって少なくない

それを考えると放っておくのも忍びない


(もう池には落ちてやれないけれど)


さてどうしたものかと思っていたら、ふと少女達の手に握られていた花に目がゆく

青紫の花弁が美しい、春竜胆(はるりんどう)だ


「それ、私の髪に挿して」


え?と戸惑う少女達にいいから、と勧めれば流石女の子、上手く髪に花を挿し込んでくる

まるで花飾りのように綺麗に挿されたそれを感心して少女達を見れば、少女達もどこか楽し気だ

しかしこれは遊びではないと自覚してもらわねばならない そう思って鴇は口を開く


「こうみえても私、最上級生でね それなりに成績だって優秀だと自負してるんだ」

「ええ、知っています くのたまの先輩達が鴇先輩と立花先輩は諦めなさいってよくおっしゃってますもの」

「おや、結構な高評価じゃないか そんな私にこんな悪戯をした貴女達は、とても凄いってことになると思わない?」


ようやく話がわかったのか、顔を綻ばせた彼女達に鴇は懐から髪紐をとりだして手渡す

ずるいという人もいるかもしれないが、これだって自分が行動を起こしたからできたものだ

忍術を仕掛けるのも、皆の憧れの鴇とこうして話すのだって、難易度から言ったら変わらない


「何か戦利品がいるのだったね これを持っていくといい」

「わあ…!」

「女々しくて申し訳ないのだが、後日返してくれると助かるよ」


緋色の髪紐の先に、真鍮でできた飛燕の留め具がユラユラ揺れる

知る者が見れば、これが鴇の私物であることは一目瞭然だ


「さあ、早く戻らないと シナ先生は時間にも厳しい方だから」


遠目にも何組かのくのたま達が教室に駆けていく姿が見える

あれに遅れると、それはそれでやっかいだろう


「「鴇先輩っ!」」

「お?」


よいせ、と立ち上がろうとした鴇に、いきなり飛びついてきたくのたま達に鴇も姿勢を崩す

もともと前傾だった姿勢だ、前に引かれれば逆らえない


「「ありがとうございました!!」」


満面の笑顔と真っ赤に染まった耳

頑張っておいでと走り去る少女達を微笑ましく見送れば、背後に気配






「…何奪われちゃってるんですかっ…!」

「髪紐?大丈夫、返してくれるって」

「違いますよ!!接吻!!されてたでしょう!!」

「頬にだろ 別に口吸いされたわけじゃない」

「当たり前です!唇奪われたら私本気で怒りますよ!!」

「何でお前が怒るんだよ 鉢屋」


ワナワナと拳を震わせ、じとりと睨む三郎に鴇が首をかしげる

お礼代わりに頬っぺたへの口づけなんて、可愛いものではないか

ゴシゴシと手拭いで顔を拭おうと躍起になっている鉢屋を放って鴇が笑う


「あんなに可愛いのに、あと2年もしたら平気で毒入り団子とか渡してくるんだよきっと 悲しいよな」

「貴方にそんなもの絶対食べさせません!私の忍生命にかけて!!」

「そんなことに忍生命かけるな それに2年経つ前に私もお前も卒業している」

「大体!何だってあんな遊びに付き合ってるんですか まだまだ仕事残ってますよ!」

「大丈夫だよ 午前中に大分片付けた」

「ならば少しは休んでください! ずっと働きっぱなしではないですか!!」

「そんなことないさ 適当に休んでる 少しくらい可愛い後輩に付き合う時間もあるさ」

「…っ、だったら私を構えばいいんだ」

「ん?」

「!!」


怒りの勢いのまま口を飛び出した言葉に、鉢屋が慌てて口を手で押さえる

恐る恐る鴇を窺えば、鴇がきょとんとした顔で此方を見ていた


(なんて、ことを)


ここ最近、こんな大声で勢いがままの我が儘を言った覚えはなかった

もう5年にもなった 大人で頼れる鉢屋三郎を目指して格好つけていたというのに台無しだ

顔に熱がのぼる 心臓がバクバクいっている


「…き、聞かなかったことに」

「それもそうか」


頬を拭っていた手を絡み取られ、よしよしと髪を撫でられる


「こ、子ども扱いしな…」


しないでくれ、と怒りたい反面、待ち望んでいた温もりに声が喉で滞る

少しかさついた指先が、三郎の目元をゆっくりと撫で、頬に温かい掌が添えられる

穏やかな視線が正面から三郎を捕らえる

するりと頬を撫でたその動きにビクリと鉢屋の身体が跳ねる

いつの間にか抱きしめられるほどの距離に詰めてきた鴇に三郎の心臓が無駄に跳ねて


(…これが、無意識だからタチが悪い…!)


顔が熱い

それを間近で見られたくなくて三郎はそっぽを向いた

離れたい、けど離れたくない

ドギマギとそんな葛藤を三郎が戦っていたなかである


「なあ、このまま2人で花見でもいこうか」

「何言ってるんですか 仕事残ってるんですよ」

「いいじゃん こんなにいい天気だもの、室内にこもるのは勿体ない」

「同じことを1週間前に私が言った時は却下したのに」

「甘味屋でお茶して帰ってこよう 甘酒だって好きだったろう」

(甘酒?)



自分は甘酒が好きだとは言ったことがない 突然何を言い出すのか、と思ってみても鴇は至って真面目な声色だ


「冬が終わる」

「?えぇ」

「春が、来るはずなんだ」

「?」


その視線は至極優しくて、至極真剣で、どこか違うところを見ていた

自分をまっすぐ見ていたはずの彼は、どこを見ているのか



「春が、来たら」


それ以上の言葉を飲みこんで、鴇は静かに目を閉じていた

断ってはいけない、そんな空気を纏いながら


「…そのお誘い、是非」


誰に向けた言葉なのか、そんな疑問を口にだせないまま、三郎は静かに首を縦にふるのであった






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(雪が溶けて、雪解け水が大地の表を走る)

(きっと澄んだ色だ どこまでもどこまでも、澄んだ色)


(あの日のような赤い水ではけしてない)

(ほら、春がくる だから、どうか)

09_春が来たら



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