- ナノ -

図太い人間が何と羨ましいことか

そんなことを言った人間に、喜八郎はいつも思う

図太くなければ好きなものを手に入れられないというのなら、私はどこまでも図太くなってやる、と

格好つけたところで欲しいもののひとつも手に入らないのであればそんなものは無意味だ

自分の居場所は自分で見つけるし、欲しいものは欲しいといえばいい

喜八郎はそうして生きてきたし、それでこの場所を勝ち取っている














「綾部、随分髪が伸びたな」

「…………んー、そうですかぁ?」


男らしく骨張ってはいるが、細く長い指が私の髪を梳く

立花先輩のようにサラサラストレートな髪質ではないので、彼の指に絡まって

それを彼は、鴇先輩は静かにほどく


「ふふ、お前の髪、猫の毛みたいで好きだな」

「それ、褒めてますぅ?」

「勿論だとも、癒し効果があるってことだよ」

「ありがとうございまーす」


ごろりと下から鴇の顔を見上げる

視線は決して私と交わらないが、その端正な顔を間近にみれるこの場所は本当に貴重だ

文字を追う彼の視線は穏やかで、一定の音をたてる呼吸音と心音が喜八郎の耳に静かに届く


「鴇先輩」

「んー?…」

「鴇先輩」

「ん―…何?」

「撫でてください」

「ん?」

「駄目ですか?」

「いや、構わんよ」


彼の意識は半分以上読書の中だが、少しだけ誘導することに成功したらしい

クルクルと髪に絡めていた指を止めて、鴇はなめらかに掌を喜八郎の頭部へと移す

あくまで書物を読んでいる鴇の片手間だが、この心地よさを得られるなら何でもいい

喜八郎はご機嫌であった

今日は午前中に蛸壺を掘りたいだけ掘ったし、課題も昨日終わらせている

午後は何をしようか決めかねていたが、鴇を発見し、独占できている

邪魔はなくはないが、


「喜八郎」


降ってきた自分の名前に視線を向ければ、呆れたように私を見つめる立花先輩

(おや、委員会は今日はないとおっしゃってたと思うのだけれど)


「お前、もう四年生だろう いつまで鴇にそうやって甘えるのだ」

「年なんか関係ありませーん 鴇先輩が拒まないのなら、私は毎日でもこうやって来ます」

「自慢気に言うな 鴇、貴様も断れ」

「はは、別に困っているわけではないからな そのうち、な」

「気まぐれで断るなんて、やめてください」

「喜八郎!」

「まあまあ、仙蔵」


お説教は嫌いでーす、と間延びした声で向こうを向いた喜八郎に仙蔵の口元が引き攣る

仙蔵がこうも口をすっぱくしているのにはわけがある

ただ鴇と喜八郎が談話しているだけならば何も問題ない、問題があるのはこの姿勢だ


「膝枕なんて 貴様、母親か」

「ふふ、母にはなれないな」


学級委員長委員会の部屋の前の縁側で、鴇は綾部の頭を膝にのせて書物に読み耽っていた

別にしたくてしたわけではない、ただいつものように綾部が私を見つけて、ごろりと横になり、膝に頭を乗せてきたのだ

だからといって、別に目くじらをたてるような話でもない、そんなことを口にする鴇に仙蔵が溜め息をついて喜八郎を見た 

この気紛れな後輩は、自由気ままに動き回る

晴れれば蛸壺を掘る場所の散策に出かけ、雨が降れば土が掘りやすい状態だからと踏鋤を担いで消えていく

感情表現に乏しく、穴掘りと蛸壺にしか興味がないと思われる綾部喜八郎であったが、彼のお気に入りはもうひとつ

それが嘉神鴇であった


「そういえば綾部、また蛸壺を掘ったと聞いたぞ」

「蛸壺だなんて愛想のない呼び方をしないでください 蛸壺の多亜衛門です」

「何衛門でもいいが、あそこは一年生も通るんだ もう少し違う場所に掘ってはくれないか」

「鴇先輩が入ってくれるなら、検討します」

「うーん、難しいことを言うなぁ お前は」

「嫌ですか?」

「埃っぽいところは好きじゃないな」


人との会話がなかなか噛み合わない喜八郎と普通に会話している鴇は相変わらずであった

突拍子もないことをよく言い出す小平太の相手を6年間も務めているのだ、当然といえば当然かもしれないが、それでも穏やかな表情を見せる喜八郎に仙蔵は正直複雑な気分であった

人に執着をもたない喜八郎が、鴇に興味をもっている、それが複雑であった


「鴇先輩」

「ん?ああ、綾部 どうした」


どうすれば毎度毎度、膝枕にまで至るのか、その様子が知りたくてある日喜八郎をつけてみれば奴も鴇を発見したらしい

鴇へと声をかけた喜八郎がある程度の距離をおいてピタリと止まる


「私、昼寝がしたいです」

「そうか、天気もいいしな」

「先輩はしないのですか?」

「ああ、したいが仕事も残っている」


普通は此処で邪魔になるからと下がるものだが、喜八郎はそうではなかった

パンパン、と衣服についた埃を軽く叩き、踏鋤や土のついた手拭いなどを固めて鴇のもとへとトコトコと進む

鴇も喜八郎の行動を見ているわけでもなく、手元の書類から目を離さない

そのままゴロリと寝転がり、書類に集中している鴇の膝に喜八郎は簡単に頭を乗せた

少しゴソゴソしているのはしっくり来る頭の位置を探していたのだろう、しばらくするとスヤスヤと穏やかな寝息が聞こえてきた


(何て、自由な)


あまりにも自由きままなその行動に開いた口は塞がらず、頭が痛くなったのは苦い思い出である


「喜八郎、いい加減に姿勢を正せ」

「嫌ですー 私、まだ眠いので」

「喜八郎!」

「どうした仙蔵、今日は機嫌が悪いのか?」


しつこく身をおこすように言う私に疑問をもったのか、鴇が手元の本から視線を外し、私を見る


「違う、機嫌が悪いのは私ではない」

「委員長、お茶が入りました」


私の言葉を遮るように、鉢屋が盆をもって廊下の向こうから現れた

その声に鴇が嬉しそうに問いかける


「鉢屋、草餅は残ってた?」

「……ええ、4つ」

「お、4つあったか 運がいいな仙蔵 食べていけ」


そう、私が喜八郎の退去をしつこく勧める原因がこの鉢屋三郎である

先ほどから喜八郎の機嫌がよくなる度に、鉢屋が不機嫌さが露骨になる

下手をすると殺意さえこもりだしているその視線に彼から後ろ向きに座っている鴇は気付いていない


「…綾部、邪魔だ」

「聞こえませーん」


鉢屋が苛立っている原因は間違いなく喜八郎であろう 連れて帰らない私に苛立ちを飛ばしてきているのだ

鴇の膝から動こうとしない綾部に退くよう鉢屋が口を出したが、綾部はそんな言葉に耳を傾けない


「貴様の都合は聞いていない 委員長の邪魔だから言っている」

「鴇先輩 私邪魔ですかー?」

「貴様の聞き方は卑怯だな 綾部」


鉢屋相手に引かない喜八郎に、鉢屋が酷く不機嫌そうに言葉を吐く

そんな鉢屋を盗み見て、鴇へと仙蔵は視線を傾ける

鴇はそんな2人をちらりと見て、少し困ったように笑っている


「綾部、折角だから食べておゆき」

「…邪魔ですかー?」

「お前の頭の上で茶を啜るのは気がひけるかな、昼寝はまた後でしたらいい」


どちらを肯定するわけでもない台詞をさらりと言う鴇は流石というべきか

これが中途半端に気をもたせる原因ではないか

そっと喜八郎を起こして、鴇も手元の書物をパタリと閉じる


「鉢屋、お前も座れ 悪いな手伝いばかりさせて」

「いえ 忙しいのは重々承知です 何でも言いつけてください」 

「お前は本当に頼もしいね 鉢屋」


ふふ、と穏やかに笑う鴇に先ほどまで堅かった鉢屋の表情もどこか穏やかだ

しばらくぶりに自分に向いた鴇の視線を鉢屋は簡単には逃がさない


「お茶です」

「ん?これは学園長先生への贈答品じゃないのか?」

「よくお気づきで」

「いや、いい茶葉だなと狙って…じゃなかった思った記憶があってな」

「お好きだと思って、学園長からもらっておきました」

「ふふ、さすがだな」

(ふむ、これはなかなか)


鴇が笑えば、鉢屋の目元もそっと綻ぶ

立花仙蔵が知る鉢屋三郎は嘉神鴇が絡むと印象がガラリと変わった

鉢屋三郎はどこか他人を見下す傾向をもつ忍たまであった

本人の実力は下級生の頃からピカイチで、こと変装に関しては天才の名をほしいがままにした

彼はどこか冷めていた 人と深く関わろうとせず、自分の興味関心事にだけ没頭する

考えてみれば喜八郎と似たタイプだ


(そんなことを言えば、きっと鉢屋は否定するだろうがな)


鉢屋の関心事は得意な変装と常時顔を借りている不破雷蔵、そして自分の委員長である嘉神鴇であった

他の六年には敬語やら遠慮やら形だけみせる鉢屋だが、ぶっちゃけ内心どうでもいいと思ってそうだ

そんな奴が、鴇には心底気を遣っている

そして、洞察力に優れ、頭の回転の速い鉢屋を仕事の多い鴇が頼るのも理解できる

鴇が鉢屋に何かを求めれば、鉢屋はそれに全力で応えようとする

ただ、何が鉢屋をそこまで突き動かすのか、仙蔵は知らない

第一、仙蔵の記憶がたしかであれば、入学して間もない頃、鉢屋はずっと鴇に何かとつっかかっていた覚えがあるのだが


「お、やっぱりこの草餅も当たりだな 流石、尾浜の勧める甘味屋だ」

「勘右衛門はここいらの店は完全に把握してますからね」

(癖の強い者を手懐けるのが上手い奴だ)


小平太に喜八郎に鉢屋に

鴇の回りには何故か個性の強い者達が自然と集う

それが何故なのか、仙蔵はこの6年鴇を見てきたが理解できないでいた

仙蔵だって鴇を気に入っている

鴇の物事の考え方は非常に合理的だ

要・不要の判断が速く、何手も先を見据えているものだから後で面倒なことにもなりにくい

頭の固い文次郎にはできない柔軟な対応のできる鴇は仙蔵にとってとても楽な相手だった 


(それは駆け引きでもいえることだったが)


ただ仙蔵には鴇が理解できないときもある

鴇の対応が大人すぎる時があるのだ

どこか悟ったような、諦めにも似た色を目に浮かべた時の鴇は酷く残酷な対応をする

それは忍として必要だと常々仙蔵が鴇に口をすっぱくして言う言葉だが、それを鴇がすると仙蔵は何故か嫌な気持ちに駆られるのだ


(勝手な話だ)

『なあ、仙蔵 これは、随分身勝手な決断だと思わないか』


仙蔵は、昔鴇がそう呟いたこの言葉を今でも忘れられずにいる

そしてその時の鴇の暗い目も


『それでも、』

『やらなければ、ならなかったはずなんだ』


あの震えた声と裏腹に、奴の目に浮かんだ色は何だったのか




「仙蔵?」


かけられた言葉にはっと意識を戻す

顔をあげれば鴇が不思議そうに此方を見ている


「草餅、苦手だったか?」

「いや、美味い」

「そうか ならいい」


茶を啜って嬉しそうに笑った鴇に仙蔵も適当に笑い返す

目の下の隈が少し濃くなっている鴇を見て、綾部に声をかける


「さて喜八郎、帰るぞ」

「えー」

「えー、ではない 我々も予算会議の準備がある」


嫌です、とそっぽを向く喜八郎の首根っこを掴めば、喜八郎がぷーっと膨れる


「今年はどうだ?予算はとれそうか?」

「ふ、私が文次郎から予算をとれないと?」

「心配はこれっぽっちもしていないかな」


むしろ心配するなら文次郎の方だな、と鴇が笑う


「入念な前準備があれば、あれの攻略などたやすいからな」

「あまりえぐいと、文次郎側につかないといけなくなるからお手柔らかにな」

「それは喜八郎に言ってくれ 去年は気合いを入れすぎたからな」

「蛸壺の樽衛門だったっけ?埋めるのに苦労したと留三郎がぼやいていた」

「あれは会心の出来でした」


思いだして身体がうずき出したのか、むくりと起きて踏鋤を抱えた綾部に鴇が口を開く


「綾部、」

「怪我させない加減くらい、簡単でーす」


唐突な言葉を口にした綾部に鴇が一瞬きょとんとして、そしてそれが鴇の望んだことだと理解してくつくつと笑う


「そうか、よろしく頼む」


とても嬉しそうに笑う鴇に喜八郎もにっこりと笑うのであった









今日はもう駄目だ

このまま鴇の膝に戻るのも全然アリだが、鉢屋三郎があれだけ睨んでいるのだ

相手をするのも面倒だし、張り合う必要もない


「喜八郎、」


そんなことをぼんやりと考えていれば、前を歩いていた仙蔵に呼ばれて喜八郎が返事を返す


「何ですか?」

「あまり鉢屋を煽るな」


仙蔵の言葉に喜八郎が首をかしげる


「鉢屋だけじゃない、小平太もだ」

「煽った覚えはありませんけど」

「あれだけ鴇に甘えれば、喧嘩を売ったも同然だろう」

「私、我慢するの嫌いです」


また適当な返事が返ってくるかと思っていれば、存外強い言葉が返ってきたことに驚いて仙蔵が足を止めた

振り返ってみれば喜八郎がまっすぐに此方を見つめている


「鴇先輩といるの、とても好きです 蛸壺の中にいるのと同じくらい安心します」

「……………」

「鉢屋先輩みたいに傍にいるだけで満足なんかできません 七松先輩みたいに鴇先輩が甘やかしてくれるのなんて待ってられません」

「喜八郎、」

「甘えたいから甘えます あの人が何も言わないことを都合よく解釈して、図々しく、鈍感なふりをして」


珍しく目を見開いた仙蔵に綾部がまた飄々とした表情で宣言する


「嫌われるのにビビって、欲しいものを取り逃がすなんて絶対イヤです」

「……………」

「そこに先輩も何もないでしょう 実力主義、ってやつです」

「…ふ、はは、はははは!」


込み上げてくる笑いに逆らわず、珍しく仙蔵は声をあげて笑った

それはもう、盛大に

そんな仙蔵を見た喜八郎がはて、と首をかしげる


「とうとう壊れましたか?立花先輩」

「お前のそういったところ、私は気に入っているぞ 喜八郎」

「?どうも」

「お前はやはり作法委員会だよ」


正面突破は必要ない

罠でも策略でも使えるものは何でも使えばいい

小狡かろうと厚かましかろうと得たいものを得られれば、確かに何も問題ないのだ

思っていたよりも自分の考えを引き継いだ後輩に仙蔵は何だか頼もしささえ覚えたのであった










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(鉢屋?)

(……なんです)

(何怒ってんの?)

(…別に、怒ってなど)

(そうか?)

(そうです)



拗ねてる三郎も可愛いと思います

08_争奪戦



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