- ナノ -

自分の顔が整っており、女装すればそれはそれは美しい娘に化けられるなんて、当時の兵助には知るよしもなかった

三年生から四年生への進級が決まった冬、それは突如兵助に降ってかかった






久々知兵助という人間を述べよと言われれば、眉目秀麗、成績優秀の模範生

そんな褒められる言葉がいくつも飛び出るように、久々知兵助は下級生ながらも優秀な忍たまだ

そんな彼だからだろうか、実力不足で困ったことはあまりなく、それ故に人に助けを求める術は今思えば持ち合わせていなかった

町娘に変装した授業も終わり、各自現地解散となっていたなか、兵助は街の中を歩いていた

美味いと評判であった豆腐屋で湯豆腐用の豆腐を買った帰りであった

今夜もきっと冷えるのだろう、雪がちらつく空を見上げていた時である


(寒いなぁ)

「お嬢さん」


誰かに呼ばれ、振り返ってみればガラの悪そうな男達が2人

女装した兵助にニコニコと話しかけてきた


「…何か?」

「もう暗くなるのに、そっちの山道に行くのかい?」

「……ええ、家が遠いもので」


忍術学園は山奥にある

それは容易に一般人がたどり着けないようにしているからであり、何よりも忍である生徒や教師達の身の安全を守るためだ


「俺達が送ってやるよ」

「いえ、それには及びません」


はっきりと断って、帰路についた兵助を男たちがつけてくる


「…迷惑です、ついてこないでください」

「だからさ、夜道は危険だって言ってるだろう?」


じりじりと距離を詰めてくる男達に兵助も一歩二歩と足を急がせる


(面倒、だな)


男達の腰には刀がさげられており、女装中の兵助は丸腰であった

そもそも今日の授業は、そこらの男と普通に会話をして何かを奢らせればいいという単純なものだった

身ひとつで、の課題だ 武器だって特段仕込んではいない

しかし、兵助だって次は四年生だ

体術だってそれなりにできるし、こんな男達くらい簡単に倒せるはずだった


(…ちょっと待った、こいつら)


しかし兵助は気付いてしまった

男達がただの町人ではないことに、歩くときの足の沈め方がかなり独特で、そう


(忍、だ)


感じた違和感は、自分たちのソレと似ているからか

狙われているのは「女」としての自分か、それとも「忍術学園の生徒」としての自分か

その判断がつけられず、適当に撒くことも許されない

恐怖と焦りが混じりだした兵助の顔を見て、男達がニタリと笑う


「お嬢さん可愛いから、変な男にでも狙われたら大変だ」


ジロジロと上から下へ兵助を見定めるように見つめる視線に寒気が走る

ひゅっ、と喉の奥で変な音がした


「ほら、こんなに震えている」

「っ!!」


一瞬で距離をつめられ、耳元で嘲笑うかのように囁いた男に兵助は我を忘れて拳をふりあげた

町娘はそんな芸当しないとか、今はどうだっていい

しかし、そんな兵助の動きは読まれ、腕がガシリと掴まれ、身体がグルリと回転する


「はは、お転婆だなぁ」

「怖がる必要なんてないのにさぁ」


あっという間に草むらに連れ込まれ、地面に組み伏せられる

あまりにも早いその動きに、自分との格の違いを嫌でも感じた


「やめ、」

「ああ、やっぱり女装しているのか」


暴れる兵助の腕を簡単にまとめて掴んだ男の言葉に兵助の動きが止まる

やはり狙いは忍たまとしての自分か、そう兵助が判断するよりも、異常な事態に気付く方が先であった


「は!?こんなに可愛いのに!?」

「私は初めからそのつもりだったがなぁ」

「お前のその趣味、理解に苦しむわ」

「だったらお前帰れよ 俺がもらうから」

「…いや、これなら俺だっていける」


会話がなんとなくおかしい

いや、しっかりおかしい

狙いは忍たまとしてでも、女としての自分でもないとこの男たちは言う


(つまり…!?)


単なる男色の変態が相手だと気付いて別の寒気が兵助の背筋を走る

いろんな意味で迫っている危機は、想定外のものばかりだ


「そうだろそうだろ、まずは俺からだがな」

「放っ、せ」

「お、抵抗するか?その方がやりがいも出てくるってもんだ」


ゲラゲラと笑いながら、男たちは兵助の要望を却下する

ビリビリと小袖が破られ、馬乗りになった男の舌が首筋をつたう

それが酷く気持ち悪い

強く掴まれた腕はビリビリと痺れて、男達の目の奥に揺らぐ情欲の色にぞっとする


(嫌だ…)


どれだけ押しても退かない男の身体

ない胸元をまさぐる手つき

たくし上げられて露わになった太腿を、ざらりとした手が撫でまわす


(嫌、だ)


近づいてくる男の顔に、兵助の目から涙が零れた時である


「がっ……」


強い力で押し戻されるように、男が兵助のうえで仰け反った

バタバタともがくように動く男をよく見てみれば、自分に跨る男の首には細い組み紐が幾重にも巻き付いている

その背後に立ったその人物の姿に、兵助がようやっと気づいた


「誰に手をだしたと思ってる」


酷く冷たい声が、暗い夜道にそっと落ちる

男たちの落とした提灯が地面で燃え、ゆらゆらと影が揺れる

聞こえた声は自分の知るもので、その名を呼ぼうと兵助は息を吸ったのだが、


(呼ぶな、久々知)


飛んできた矢羽根に、兵助は慌てて言葉を飲み込んだ

敵の、しかも忍の前で仲間の名を呼べば、どこで復讐につながるかわからない

ギリギリと締め上がる紐に、男が首をひっかき暴れるも、その人は、嘉神先輩は手を一向に緩めない


「こういう理不尽な暴力が、大嫌いだ」

「っ……あっ……」

「大の男が寄ってたかって、反吐がでる」


もう1人いたはずの男を視線で捜せば、いつの間にやられたのか近くの木に頭をめり込ませて気を失っている

木の幹に血が流れ落ちているのを見れば、容赦のない攻撃だったということが容易に想像できた

緩む気配のない様子に男が焦って腰に手を伸ばす

ぶら下げていた刀を抜こうというのか、それに気付いた兵助よりも一枚も二枚も鴇は上手であった


「やらせるかよ」


刀の柄を上から足で踏みつけ、抜刀を不可能とすれば、さらに焦った男が激しくもがく

そんな様子をじっと見やりながら、男の耳元に鴇が唇をよせる


「次に同じことをやってみろ 今度はその薄汚い手ごと切り落としてやる」


呼吸困難で青くなってきた男が、小刻みに震えだしたのと、鴇の手刀が彼の首の後ろにストンと落ちたのは同時であった

ガクリと力の抜けた男が兵助の上に落ちようとしたが、鴇が胸倉をつかみブン、と投げれば兵助の久しぶりの自由が手に入った



「大丈夫か?久々知」

「…ど、して 嘉神先輩」

「今日のお前達の演習の監督役でな 全員街から帰ったのを確認して戻るところだったんだ」


兵助の体を起こし、泥や土埃を払う鴇に兵助はひどく安心した

あまり多くは関わったことのない先輩であったが、彼がとても優秀で、とても優しいということは三郎が口癖のように語っていたのを知っていたからだ

ぐしゃぐしゃになった髪を、丁寧に鴇が梳いていく

その指ざわりがとても優しくて、兵助の目に涙が浮かんだ


「久々知?どこか痛むか?」

「違、ありがとう、ござい」


グラリと、視界が揺れた

緊張の糸が切れたと同時に、酷い疲労と脱力感が襲いかかる


「久々知!?」


倒れこんだ鴇の腕のなかが思っていたよりも温かくて優しくて、兵助は完全に意識をとばしたのであった




















ぼんやりと意識が浮上し、あたりをゆっくりと視線で探る

見慣れた天井にそこが忍たま長屋であることに気付いた

だが、誰の部屋なのだろうか

1人部屋らしいそこは、綺麗に片付けられている

文机の上には大量の巻物や本が積まれているものの整然としているし、机の上には一輪挿しに咲く椿の花

ごちゃごちゃした忍たま達の部屋と比較しながら身体を起こせば、鈍い痛みが右手首に走って、それが記憶を急激に引き戻す


(ああ、そうか 俺は)


両手に押しつけられた時の力の感触がまだ残っている

ブル、と消えない恐怖に身体を震わせた時だった


「気分はどうだ?」


静かに戸が開き、一人の忍たまが入室する

片手に小さな土鍋の乗った盆を持ち、やってきたのは自分を助けてくれた鴇であった

何時かわからないが、夜着を纏い、髪も緩く無造作に縛っている姿は目新しい

ああ、彼の部屋だったのかと思えば、何だかこの部屋の雰囲気にも納得ができる


「食欲はあるか?夕飯食べそこなったからなぁ」

「えっと、…あの、」

「湯豆腐にしてみた 好きだろ?」

「………いただき、ます」


小さな土鍋に入った豆腐を取り分ける鴇を盗み見る

正直言って、全体的に先輩方とは関わったことがないため、兵助は嘉神鴇がどんな人物かは詳しく知らない


四年ろ組の学級委員長委員会委員長代理

五年、六年に学級委員長がいなかったため、四年生でありながら委員長代理を今年一年見事に勤め上げたというその人

春からもきっと委員長代理を続けることは容易に予測できる


物腰は穏やかだがすっと伸びた背筋と切れ長の目

器をもつ手つきからして、優雅で品がある


「熱いからな 気をつけるんだよ」


女顔ではないが、どこか色気もある

同級生の立花先輩と並べばそれはそれは華のある絵となるというのも納得できた

色素の薄い灰色の髪は緩く癖がついていて、

美しい容姿と無駄のない所作を兼ね備えているのに、なよなよしく見えないのは動きのどこかにメリハリがあるからだろう


(なんて、言ってたっけ…?)


あまり先輩を敬わない三郎が、この人のことを喋る時だけはどこか自慢気だったことを思いだした

珍しいものだと思いながらも気にとめなかったのは自分と関わりがなかったからだ


「久々知?」

「へ、あ」

「ぼんやりしていたから、まだ疲れてるだろう」


食器を受け取った嘉神先輩が心配そうな目で俺を見る

忘れかけていた記憶が急に蘇り、思わず身体が強張る


「すまない もう少し早く駆けつけていればよかったんだが」

「い、え 俺が気を抜いていたんです」


あんなに間近で悪意をぶつけられたことはなかった

あんなに抵抗のできないことも今までなかった

無力だった自分に苛つくのと、未だ消えない恐怖にカタリと身体が震える


「お前が悪いんじゃない あんなの、お前は何も悪くない」


優しい手が俺の髪をゆっくりと撫でる

安心できるはずなのに、何故か身体は震えが止まらなくなってきた


「お、俺 あれくらい対応できないと、いけな…」

「久々知、今はそんなこと気にしなくていいんだ」


それを落ち着かせるように、嘉神先輩は何度も何度も髪を撫でる


「私も似たようなものだったよ 初めて向けられた悪意に、何もできずにいたものだ」

「違、俺、次は四年生になる…のに、」

「違わんよ」


視線をあげれば、嘉神先輩が困ったように眉をさげていた

震える手を、そっと鴇が包み込む


「人から向けられる悪意なんてものは、本来は知らなくてよいものだ」

「…………」

「恐ろしいと感じるのは、致し方のないことなんだ」


ホロリと涙がこぼれる

安心したのと、自分が情けなかったのと多分同時

それでも、自分は、


「俺は、忍者になるんで…す あんなのにっ…動けなくなってたら…!」

「たしかに私達は忍だ 人を欺き、傷つけ、命を奪う生き物だ」

「……っ…」

「上級生になって、情を捨てられるようになれと先生方に何度も言われた 寂しい話だ」

「…………」

「情をなくせばきっと楽だ 自分の不甲斐なさに泣くことも、自分の犯した罪の意識も、受けた痛みも恐怖も全て放棄できる」


恐怖も、畏敬も、喜びも悲しみも、いつか捨てられるようになるだろうか

感情をなくしてしまえば、こんなにも自分のなかで蠢くこの恐怖さえなくなってくれるだろうか

そうしたらきっと、こんなにも震えることはなくなるだろう

この優しい人も、きっと


「捨てられ、ました…か?」

「捨てたくないと、思っている」

「……で、も」


それでいいのかと問いたい兵助を、鴇がぎゅっと抱きしめた

耳にあてられた彼の心臓が、ゆっくりと確実に音を刻む


「自分の痛みを忘れたら、相手の痛みにも気付かなくなるだろう それは、果たして正しいのだろうか」


鴇の体温が、兵助の震えを止める

静かに、確実に


「私はそれが怖いんだ、怖くて怖くて悲しくて、逆らうように自分が感じた通りに動きたいんだ」


そして先生に呆れられるのだがな、そう言って笑った鴇に兵助もぎゅっとしがみついた

上級生たちは、遠い存在であった

皆背をピンと張り、悩みなんてないように前を見据えるその姿に憧れたのと同時に、自分はああなれるのだろうかと不安であった

春から四年生、私がああなれる保証なんて何一つないと思うなか、等身大で受け入れてくれる人がここにいた

この人は、今を全力で生きようとしている人だった



「なあ、久々知 何かひとつ、自分のなかに確かなものをもっておくんだ」

「確かな、もの?」

「私が尊敬してやまなかった先輩がおっしゃった言葉だ」


人の請け売りですまないが、と言う鴇に首を振って、静かに耳を傾ける


「守りたいもの、譲れないこと、許せないこと、失いたくないもの 何だっていい1つでいい」

「…………」

「それさえあれば、生きていける 強く、在れるんだ」

「先輩、は…何、を………」


トクリ、トクリと一定に鳴る鴇の心臓の鼓動に安心する

こんなに他人に近寄ったことはない

伝わる温もりに目蓋が重くなり、やがて兵助は目を閉じた

膝の上で眠る兵助の髪を優しく撫でて、鴇は寂しそうに笑った



「…私の"確かなもの"は、お前に聞かせるにはあまりにも、」







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(委員長代理)

(…なにかあったか、鉢屋)

(頼まれていた資料なのですが…え、兵助?)

(少し体調を崩したみたいでな、今晩は私のところで預かるよ)

(しかし、)

(尾浜にも伝えておいてやってくれないか 心配しているだろうから)

(何が、あったのです)

(何もないよ)

(……嘉神先輩、)

(何も、なかったことにしておいてはくれないか 鉢屋)

(…………)

(できれば、久々知にもそれを問わないでやってほしい)

(…………)

(鉢屋、)

(…先輩が、そこまでおっしゃるのなら、私からは何も)

(すまない、鉢屋)

(貴方に謝られるのは嫌です)

(…そうだな、ありがとう 鉢屋)

(それでは、私はこれで)

(ああ、そうだ鉢屋)

(はい?)

(進級おめでとう 来年も、よろしく頼む)

(!…私の方こそ、来年もご指導のほど、よろしくお願いします)

04_確かなモノ



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