「忘れ物ない?」
「うん」
「あ、これ皆で食べなさい」
「…父さんのチョコレートだろ」
「暫く甘い物は控えるように言われたんだよ。マダムポンフリーに」
「…」
「戸棚も冷蔵庫も甘い物しか入ってなかったからね」

手渡した五枚の板チョコは、僕の大好きなブランドのミルクチョコレートだ。シリウスはトランクを開き替えのローブにそれを挟むと、背後から肩をつつかれ振り返った。
黒梟のアンが、鳥籠の扉を開けるよう催促している。

「ジェームズ君のヘドウィグも大きくなったろうね」
「ああ」
「アンと並んだら画になるだろうなぁ」

アンはシリウスの肩に乗り、あやすように寄せられた細い指先で遊んでいる。シリウスは鳥籠の扉を開きテーブルに載せて、ローブを羽織った。

「ごめんね、ついていけなくて」
「いいよ」
「シリウスも六年生か」
「…まだ半年あるけど」
「早いなあ」

掛け時計を確認する。特急の発車時刻まで、一時間を切った。いってらっしゃいと声を掛けようとしたら、シリウスがこちらを向いた。

「…無理すんなよ」
「はいはい」
「まだ本調子じゃないんだからな」
「うん、わかってる」

不満そうな双眸が垣間見え、少し意地悪を言ったかと自省した。
シリウスが自分の身を案じてくれたことは、この六日間で酷く思い知らされた。マダムの薬が切れてから暫くは体調が優れず、熱に魘されることこそなかったが、酷い倦怠感と疲労感に襲われ、立つことも出来なかった。シリウスはそんな自分に文句のひとつも言わず、いっそこちらが心苦しくなるほどに介抱してくれたのだった。
昔は狼化しても一日程度でけろりとしていたのに――、と少し切なくなったのも事実だ。シリウスには輝かしい未来があるが、自分は老衰に向かうばかりである。そう思うと哀しくなる一方で、どこか安堵する気持ちもあった。

(僕が死ねば、シリウスは気兼ね無く生きていけるのだと。頭の片隅でいつも誰かが囁いている)





「父さん」
「……ぁ、何?」
「泣きそうな顔してた」
「…してない、」
「何考えてるか知らないけど」

アンがピイと成鳥らしくない鳴き声をあげた。

「俺は父さんが好きだ」

泳がせていた目線がシリウスに引きつけられる。ひとつ息を吐いて、声が震えないように口を開いた。

「僕もシリウスが、…大好き、だよ」

瞼を下ろしそう告げる。嘘は無い。誰が何を言おうとこれだけは譲れない。シリウスは僕の希望だ。
不意に何かが頬に触れて、肩が跳ねた。そっと瞼を上げると、どこまでも真っ直ぐなダークグレイの瞳と目が合う。

「…シリウ、ス」
「泣いてる」
「…」
「父さん、俺…」

「――あ、ほら、そろそろ漏れ鍋に行きなさい」

時計を見遣れば発車まであと三十分ほどだ。手の甲で目許を拭い、シリウスの背を押した。暖炉の前にトランクと鳥籠を運び、シリウスに持たせる。

「父さん、」
「フルーパウダーは多めに使いなさい。失敗したら怖いから」
「待って」
「待たない。もうすぐ列車が来るよ」
「…、」
「いってらっしゃい、シリウス」
「っ!」

手向かうのをやめたかと思いきや、シリウスは肩においた僕の両腕を力一杯振りほどき、こちらを向いた。
驚いた僕は数度瞬きしてシリウスを見る。

「……俺は、」

右手を掴まれ、シリウスの顔に翳すように持ち上げられた。意図が解らず困惑する僕を見て、彼ははっとしたように息を吐く。
それからにやりと笑ってみせて。

「――いってきます」

青く暖炉が光った後、熱をもつ手首をぎゅ、と握り締めて、今さっきまでシリウスが立っていたそこを見遣った。
僕が手首へのキスの意味を知るのは数時間後のこと。





end

090906
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