涙が出た。
父さんを憐れんだわけではない。自分の無力さに絶望したからでもない。無邪気に微笑みかけるその愛に、唯唯満たされたのだ。

『おまえが人狼でないと解ったとき、父さんは幸せでどうにかなりそうだったよ』

包帯を巻き終え、父さんに声を掛けようと立ち上がって移動した。伏せた顔を覗き込んだ身体が、音を立てず静止する。抱えていた救急箱をそっとラグに置いて、柔らかな鳶色の髪に触れた。

「…父さん」

窓の外はすっかりと晴れ渡り、一面の銀がきらりと瞬いている。反射する陽光が眩しくて目を細めると、父さんが身動ぎ顔を上げた。白い肌に淡いオレンジが差し、きれいな双眸が開かれる。
そうして、見とれる俺を見上げて笑むのだ。
――まるで映画のワンシーンみたいに。

「ありがとう」

俺は何も言わずに頷いて救急箱をチェストへ戻すために一歩踏み出した。毛足の長い赤いラグは、夏期休暇に父さんと買いに行ったものだ。

「シリウス、」

急に背後で声がして、振り返ろうと首を引いたときだった。心許無い力を纏った常より低い体温が、ゆっくりと俺の背中に触れる。戸惑いがちに腹へ回された腕は、記憶にあるそれよりも老いているような気がした。昔は肩から首に降りて来たその両腕がただ位置を変えただけなのに、何だか自分は酷く成長したのだと思った。
一度跳ねた心音は思いの外正常に鼓動を続けている。

「…」

父さんと沈黙を共有するのは少しだけ怖い。こんなに近くにいても、父さんの呼吸音は聞こえないのだ。肩口に寄せられた口元から微かだがあたたかな吐息は感じるし、勿論心臓の音も解るのだけれど、父さんはとにかく音を立ててくれない。体調の優れないときなど真っ青な顔で眠るものだから心臓に悪い。

「父さん」
「もうすこし」
「…ん。」

離す気は到底なかったので、手を重ねてソファに戻る。身体を捻って向かい合わせになると、父さんはきょとんと目を見開いた。
何かと思い眉を顰めると、思い切り抱き縋られ頬が熱をもった。

「ふふ」
「…なに」
「正面からハグすると昔は怒ったんだよ」
「…」
「母さんの腕をひっかいたこともあったなぁ」

覚えてはいないが、父さんや祖父母が背中からのハグに執着する理由が解った。
どうやら俺が原因だったらしい。

「…熱上がらないと良いな」
「うん、そうだね」
「何かつくる?」
「今はいらない」

寝室から呪文で呼び寄せた毛布を父さんに掛け、その薄い肩を力強く抱いた。

「おかえりなさい」

帰って来たのだと、漸く実感した。





090905
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