うつろうぼくら







「○!!起きて!早く!」

珍しく焦った様子で、母が部屋に走ってきた。こんなに慌てるとは地震か火事か、けれども眠い目をこすりながら腕を引かれるまま居間に入る。
姉がテレビを見て朝食を食べる手を止めていた。そんな姉の横で、母さんのキレイハナが慌てている。手にした蜂蜜の瓶が傾いているのだ。

「姉さん、」
「あ、ああ。ごめんねキレイハナ…」

キレイハナは布巾を取りに台所へ向かう。不意に母が大きな声で言う。

「やっぱりグリーンくんよね!」
「…え、?」

『――……xx地方出身と見られる若いトレーナーが、今チャンピオンリーグを下って来ました!』

『我が局のスタッフにより、このトレーナーの詳細については鋭意調査中です』

『関係者によると、この青年が現チャンピオンのワタルさんと先日闘った事実確認は取れています、しかし勝負の状況や結果などは一切外に漏れていないようです』

『青年が今何か、ポケモンを出しました。こちらからはピジョットのように見えます――』

「グリーンくんだね…」
「でしょう!」

目をきらきらさせる母さんが、何も言わないわたしとやかましいテレビを交互に見ている。姉はもうすっかり落ち着いたようで、台を拭くキレイハナを手伝っていた。
テレビには繰り返し、グリーンらしき男の人がチャンピオンリーグから出て来るところ、モンスターボールからピジョットを出すところ、そして飛び去って小さくなる様子が映し出されている。地方局だからこんなにうるさいのか、と思ったら、続いて全国区のニュースでも取り上げられていた。
暫くぼうっとそれを眺めてから、部屋の方から聞こえるアラームに反応して体を動かした。母さんは何も言わないわたしに少し怪訝な顔をしていたが、すぐに洗濯物を干しに庭に出た。
二階に向かいながら、最後にグリーンと連絡を取ったのはいつだったか考えた。雪山で修行をしているレッドは三か月に一回はふらりと帰って来るし、年賀状を送る住所も知っている。電話番号も、麓の山小屋に掛ければ数日中には連絡が付くので、生きてるかな、と思った時に確認はいつでも取れた。しかしグリーンは違う。

(もう四年?…いや、五年?)

一つ年上のグリーンたちが高校に入った年だったろうか。グリーンは急に学校を辞めて、急に旅に出て行ってしまった。何もかもが早かった。行かないで、なんて言う気もなかったけれど、別れ際に電話番号も教えてくれなかったのはショックだった。ひょんなことからグリーンのお姉さんに聞いた電話番号に、捻くれたわたしが掛けることもなく。
わたしは大学に進んで、間もなく折り返しに着こうとしている。レッドは相変わらず山籠もりだし(最近会ってないなあ)、一人で居なくなったグリーンは、……これからどうするのだろうか。
本業を正規のポケモントレーナーにする人間は少ないし、何より門が狭いと有名である。学生時なら尚更で、適正試験の他に国立大学の入試問題に合格しなければならないのだ。それをパスしたグリーンもグリーンだが、

「○、お客さん」
「…は?誰?」
「グリーンのお姉さん」
「何で…」
「さあ?なんか持ってたけどね。早く行きな」

自室でアラームを止めたまま考え事をしていたわたしに、もうYシャツを着てスカートを穿いた姉が来客を伝えた。
時刻は七時二十分。今日は土曜日だが、学校で司書教諭資格の講義があるから休みではない。出掛ける約束もしていないし、はて。
階段を降りながら、様子を見てもらおうとガーディを出した。グリーンのお姉さんはヒーラーなのだ。
ガーディは眠そうに欠伸をひとつしたが、姉との話を聞いていたのか、わたしよりも先に玄関へ駆けていってしまった。

「ガーディ!」
『わん!』
「先に行かないでって、何回…」

母がわたしに気付いてじゃあね、とグリーンのお姉さんに笑いかけた。お姉さんは軽く一礼して、その後ろで待っていたガーディに手を伸ばす。

「…あらあら?」
「おはようございます」
「○ちゃん。この子、見えてるのかしら?」
「、はい?」

見えてる?

「未だなのね」
「え、何か憑いてますか?」

ポケルスでもどこかで貰ってきてしまったのだろうか、とガーディの後ろ姿を見ていたら、瞬間視界がぼやけた。お姉さんはにこりと笑ったまま、ガーディを見ている、けれど。

(…少し高い?)

お姉さんの目線はガーディのその上で、強いて言えばわたしを見るように、この子を見ている気がする。
まさか。

「人型、ってこと?」
「うん。未だ話せないみたいだけど、近いうちに○ちゃんにははっきり見えるようになるわ」
「そんな、いつから…」
『わんわん!』
「うふふ、最近忙しかったものね。毛づくろいも出来なかったし」

あ、そうそう。とお姉さんが持っていた可愛らしいバッグから、ラッピングされた小さな袋が出てきた。差し出され受け取ると、ガーディがもう一度わん、と吠えた。

「昨日珍しい実をレッドくんに貰って、クッキーを作ったの」
「レッド、帰って来てるんですか?」
「ええ。昨日の晩にね。さっき町を歩いてたわよ」
「…」
「そうだ。○ちゃん、グリーンのことなんだけど…」
「ああ、はい」
「まだ連絡がつかなくって。ごめんなさいね」
「…え、と。お姉さん」

こういうときは、おめでとうって言うのかな。
迷っていたら、お姉さんが時計を見て驚いていた。

「いけない、○ちゃん学校よね?」
「はい」
「じゃあ連絡がついたらまた来るわ。本当に困った弟なんだから。…いってらっしゃい」
「…行ってきます」

二人で笑っていたら、ガーディが鼻先で腕時計を小突いた。急げ、と言っているらしい。
快晴の空の下、マサラタウンに戻るお姉さんを見ながら、思いっきり伸びをした。

(嫌な予感はしていた)





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