3,相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ



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軽い冗談から常連客のお兄さん…ベックさんと唇を重ねてから少しの時が流れた。
 結局あの日は「冗談って言ったのに…」と不貞腐れる私と「お嬢さんからの据え膳はありがたく喰らわないとな」と笑っていうベックさんに「確かに飛んで火に入る夏の虫は私でしたね」と軽い口を叩きながら、特別何が起きる訳もなく解散となった。
 唇を重ねたからと言って私とベックさんの関係は大きく変わることはなかった。相手はあの切れ長の目に筋骨逞しい体の持ち主。私なんかでは到底隣に立てるものとは思わなかった。その上ベックさんからは「付き合って欲しい」や「好きだ」と言った明確な言葉は伝えられていない。それに、私たちは灰皿の前で会うだけでお互いの連絡先は知らない関係なのだ。

 あの日の口先の戯れは、向こうからも触れてくることなく朧げなできごととなっていた。そのため、ベックさんとはいつも通りの店員と常連客の距離を保っていた。しかし、全てが変わらずにそのままの状態と言うことはなく、一つだけ変わったことがあった。
 灰皿を囲んで話し終えたあとにベックさんが家まで送ってくれるようになった。最初は悪いし、いつも帰ってる道なのでと遠慮の声を上げたが即却下された。

「いつもよりも遅くさせてるのは俺だ。何かあったら困るしな」

 彼に言われてしまえばそれまでで、ベックさんからの好意を無碍にする訳にも行かず行為に甘える形となった。送って貰うのは住んでるアパートの前まで。私が玄関から部屋に入るまで彼は背を向け立ち去ることはなく、静かに見守ってくれている。目が合うと軽く手を振ってくれる彼はとても優しい人だと思う。
 優しくて、見目好い彼には尚更自分は見合わない気がしていた。だからこそ、あの日の戯れは泡沫の夢だと思うようになっていた。

──────

 いつも通り、17時から働き始めてレジの時計が21時30分を指した頃そろそろベックさんが来る頃だなと考えてレジに居られるように店内の品物の前出しを行っていく。今日はペアとなる相手が突如休みとなったので、店長と2人で働いている。店長は忙しい時には店に入るが、忙しくない時は事務所で発注や細々とした仕事をしている。そのためお客さんが居ない店内には、自分だけであった。時間を潰す相手もいない今日はやけに店内が綺麗に整ってしまった。
 勤務開始から4時間30分以上、こう手持ち無沙汰になると物足りなさを感じるようになる。手持ち無沙汰になると吸いたくなる煙草を、前までは退勤後喫煙所で補充していたため我慢できていた。しかし、ベックさんとの密会が始まるとそうも上手くは行かなくなっていた。
 
 店内に鳴り響く入店音にくだらない思考から現実へと連れ戻される。いらっしゃいませ〜と声をかけながら、レジ台へと戻る。入口に視線を向けるとそこには私の密会相手。目が合うと威圧感を感じる目元が緩んだ気がした。今日はなにか物を買うようで、カゴを手に持ち店内を巡り始めた。
 粗方見終わったのか、数個の商品をカゴに入れてレジに向かう彼の姿を認めるとPeaceの箱を2個手に取り、レジにたどり着くのを待つ。

「今日はなんか普段と雰囲気が違うな」

 開口一番に告げられた言葉は、会計に全く関係の無いことで少しだけ呆気に取られる。「こんばんは」と挨拶を返しながらいつもと雰囲気が違う理由を考える。そういえば、今日は顔周りの毛をいつもより多く作っていたなという答えに辿り着く。

「…顔周りの毛がいつもと違うからですかね?」

 道理で印象が違って見えるわけだ、と笑うベックさんにつられて笑いながら「気づくのはベックさんぐらいですよ」と返す。実際店長と日勤の人達はベックさんよりも長い付き合いなのに指摘されることはなかった。こういう細かいところにも気づくのは、ベックさんの"いい男"の部分を感ぜざるを得ない。

「なんか欲しいもんあるか?」

 遠慮して「大丈夫ですよ」と返すが、どっちも意見を譲らず静かな押し問答が続き、白旗を上げた。イケメンの押しには敵わない。弱いのだ。
 欲しいもの、今一番欲しいものは煙草の煙だなと内心考えるが、彼の前では煙草を吸ったことがないし喫煙者だと告げてもいない。「じゃあ」と呟き手に取ったのはレジ横に置いてあるチロルチョコ。安価で口をの中で転がせる。口寂しさを紛らわすにはちょうど良い代物だ。

「そんなんでいいのか」

「十分ですよ」

 会計を終えた彼に「ありがとうございます」と告げる「後で渡す。外で待ってる」と言われなんとも言えないむず痒さを覚える。約束できることの嬉しさから少し口角があがる。今日相方がいなくて良かった。こんなだらけきった顔は見せられない。

 時計が22時を指すと、深夜勤の人達に金庫の鍵を託し「お疲れ様でした」と言うとそそくさと事務所へと足を向けた。事務所の店長にもお疲れ様です〜と挨拶をすると「お疲れ〜」と緩く返された。この緩さがこの店のいいところだよなと思っていると店長にそう言えばと話を振られる。

「最近あのガタイのいい人と仲良いの?」

「Peace買ってく人ですか?」

「そうそう〜」

 驚いた。見てる人にはわかるものなのかと内心焦りを浮かべる。「…まぁ、なんか最近よく話しますね」仲良いのかという質問を濁して返す。あのお客さんなら大丈夫だと思うけど、と前置きされ危ないことをしてくるお客さんもいるから気をつけてねと忠告を受ける。素直に「気をつけます」と頷き返しお先に失礼しますと事務所を後にした。

 いつもより出てくるのが遅くなってしまった。店を出ると密会が始まった時の刺すような冷たさはなく、乾いた風が頬を撫でる。気合を入れるように小さく息を吐くと左から「お疲れさん」と低い心地よい声がかけられる。ベックさんの顔を見上げながら「お疲れ様です」と返す。

「ほら、ご所望のモノだ」

 そう言って手渡される、彼の大きな手だとかなり小さく見えるチロルチョコ。ありがとうございますと受け取り、包み紙を開け口に含む。口の中でチョコを転がしていると衝撃の一言が耳に入った。

「…煙草は吸わねぇのか」

「え、」

 一瞬、口を滑らせ煙草を吸ってることを言ったのかと錯覚を覚えたが、ベックさんに喫煙者だと告げた記憶はない。え、と口から漏れた言葉に続く言葉が上手く出てこない。ベックさんはいつから私が喫煙者だと知っていたのだろうか。

「いつから知ってたんですか」

 恨めしげに彼を見上げながら言葉を零す。そんな驚き慌て恨む、私の顔に出る感情の起伏が面白いのか彼は酷く楽しそうだ。

「キスする少し前だな」

 いつものシフト外での勤務後を目撃されていたらしい。あの時より前ということはキスを交わした時には、喫煙者だとバレていたのかと考えると頭が一杯になる。煙草がいつもと違うと物足りなさ、口寂しさを覚えることを知っていた事実をベックさんは理解しながらあの誘いに乗ったのだ。
 喫煙者だとバレてないと思いながらとった行動が、ベックさんには全てお見通しだったのだ。理解が追いつくと、段々と羞恥が自らを襲ってくる。恥ずかしい。

「据え膳食わぬは男の恥だからな」

 その場にずるずると座り込み赤くなった顔を隠す私にベックさんは、私と視線を合わせるようにしゃがみこむと楽しそうに告げた。それはもう酷く楽しそうに笑う彼には私は勝てそうにない。

──────

 いつも通り、22時少し前に彼は軽快な音楽とともに現れた。1人ではなく、鮮やかな赤を伴って入店してきた彼は入口のカゴを手に取り店内に歩みを進めた。
 珍しいとは思いつつ、いつか話してくれた"赤い髪の上司"の存在を思い出す。仕事外でも仲が良いなんていい会社なんだろうと考える。

 カゴいっぱいのお酒と食物を手に彼らがレジにやってきた。いつの間にか最初にとったカゴだけではなく2つ目のカゴもある。成人男性の食欲も旺盛なんだと謎の感心を覚えた。

「お弁当類温めますか?」

「おう、温めてくれ」

 ベックさんとはベクトルの違うイケメン。赤い髪の彼は人懐っこそうな笑みを浮かべながら返事をくれた。温める商品をレンジに入れ、お酒とおつまみ達をレジに通していく。途中袋の有無を尋ねると必要との事、袋を用意し中に商品を詰めていく。

「袋、2枚でも大丈夫ですか?」

「あぁ、構わない」

 今日は同行者がいるから密会はないのかなと寂しさを覚える自分に驚く。しかし今はバイトといえども勤務中だ。
 雑念を振り払うように、温め終わった商品も袋に入れながら会計を進めていく。いくら上司と言えども、財布を開くのは年長者のベックさんらしい。会計を終えありがとうございましたと告げると、赤い髪の彼はレジ袋を1つ手に取り入口に向かって歩き出した。袋を手に取らないベックさんを不思議に思い見上げると、レジ台に置かれた手に触れるかさりとした感触。小さな紙を握らされ「じゃあな」と去っていく彼にまたお越しくださいと投げかけた。
 紙の中身を直ぐに見たかったが、あと少しで退勤時間を迎えようとしていたため踏みとどまることとした。

 お疲れ様でしたと後にしたバイト先を背中に喫煙所へと歩みを進めた。鞄から灰色のセブンスターの箱を取りだし、口に咥えライターで火をつける。煙をふかしながら、先程手渡されたメモ用紙を開く。店の明かりを利用してメモを見るとそこには、連絡先と今日は話せない旨の謝罪。必要最低限しか書かれていないメモは実に彼らしい。
 煙草吸いながら少しの物足りなさを胸に感じる。バイトの後に行われる密会。時間は5分にも満たないのに、寂しさを覚える私はどうやらすっかり彼の虜になってしまったようだ。


 手渡されたメッセージアプリの連絡先を追加し、スタンプを送ると「無事に帰れたか」とどこまでも優しい彼に胸がときめく。あの日の赤い髪の彼はシャンクスさんと言うらしい。シャンクスさんに飲みに誘われ断ったところ、家にまで着いてきてしまったそうだ。嫌そうにしているベックさんの想像が容易で、画面を見ながら笑ってしまった。

 あの日から1週間、連絡はなんだかんだ続いている。バイト前に「バイトしてきます」とだけ返しスマホをポケットにしまう。あれから返事は来ているのだろうか、気になるが勤務中にスマホは見られないのでもどかしさを覚える。
 いつも通り働きレジを捌いているともう22時が近づいていた。

 22時少し前に彼はシャンクスさんと軽快な音楽とともに現れた。また着いてきちゃったのかなと裏側を知っていると赤い髪の彼が可愛く見えてくる。上がりそうになる口角を抑えながらレジで煙草を用意する。
 先週と同じようにカゴいっぱいのお酒と食物を手に来るのかと思ったら彼らはペットボトル飲料を手に取ると颯爽とレジにきた。
 いらっしゃいませと声をかけ、会計を進めているとシャンクスさんに話しかけられる。

「なぁ、お前ベックと付き合ってんだろ?」

「…え?」

 突如親しげに投げられた爆弾。困惑から手に持っていた炭酸飲料を思わずレジ台に倒してしまった。
 私たち付き合ってるんですか?と目線をベックさんに向ける。ベックさんは諦めたように大きく息をつき、シャンクスさんの首根っこを掴み、前のめりになっている体を引き戻している。

「まだ、口説いてる途中だって言っているだろう」

「えぇ?」

 どうやら私はベックさんに口説かれている途中の立場だったらしい。よかった、付き合っているというのはシャンクスさんの早とちりのようだ。
 というか、口説いている途中ということはベックさんは私のことが好きなのだろうかと疑いと困惑。そして、無性に嬉しさが溢れる思考回路。

 上手い言葉が返せない私を見兼ねたのかベックさんはシャンクスさんに「お前が困らせたんだからな」と言った。「悪い悪い」と全く悪くなさそうな顔でシャンクスさんは返事をする。少しは申し訳なさを持って欲しい。
 彼らは会計を終えると「じゃあな〜」「またな」と口々に言い立ち去っていく。立派な言い逃げである。

 私たちのやり取りは、声の大きいシャンクスさんのおかげで店長にも聞かれていたらしく「やっぱり口説かれてるの?」なんて興味津々に聞かれてしまった。「からかわれてるんですよ」とこれ以上の詮索を許さなかった。
 22時に退勤し、スマホを連絡をチェックするとベックさんから「外で待ってる」と一言連絡が入っていた。「今行きます」とだけ返し急いで店を後にした。

 喫煙所に足を進めると見慣れた逞しい身体が立っていた。向こうは私に気づくと「お疲れさん」と声をかけてきた。

 「最後の最後で疲れました」

 嫌味のように、店長からの追求が酷かった旨を付け足して言う。笑い事ではすまないことなのに彼は悪戯が成功したように笑っている。

「シャンクスさんはどうされたんですか」

「『俺は邪魔者だから帰る』っていって帰っていった」

 この場に居ない彼を不思議に思い疑問を投げかけると、既に帰ったという。これではもう本当に言い逃げである。
 「まるで嵐のような人ですね」と思ったことが口から漏れる。その言葉が聞こえたのか彼は「否定は出来ないな」と呟く。普段から振り回されていそうだ。
 あの時言われた、『ベックさんが私を好きなのか』という事について冗談ぽく聞いてみる。もし、嘘だとしても逃げ道があるように。

「ベックさん、私の事好きなんですか」

「あァ、シフトに通いつめるほどにな」

 なんてことないという風に告げる彼は、手に持った煙草を灰皿に押付け火を消す。どうやら逃げ道は必要なかったようで、その流れるような動作を見つめる。
 突然腕を引かれ、引力には抗えず彼の胸に飛び込む。先程まで煙草を持っていた手が顎に添えられ、瞬間見つめ合う。
 顔が近づいてきて反射的に目を閉じる。しかし、口に与えられると思った温もりは与えられなかった。眼前からゆっくりと移動した彼の吐息が耳にかかる。

「続きは、ここか俺の家かお前ん家どれがいい」

 かかる吐息に体を震えさせると、続けざまに「俺の家なら身の保証はしない」と囁かれる。身の保証がされない家とは何なのか。ここでの密会はもう店長にバレている。今も監視カメラで見ているに違いない。そうとなれば、1つしか選択肢はないだろう。どうせ彼にはもう敵わないのだ。

「…私の家で、お願いします」




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