ホワイトフラグ



Name Change

机の上に置いたスマートフォンが小さく震えたのに気づき、テレビに向けていた視線を小さな液晶画面へと移す。
 画面にはホンゴウからのメッセージ通知が示されいる。ロックを解き、メッセージを表示するとそこには『ホワイトデー、返したいからその辺空いてる日あるか?』と書かれていた。画面上の日付に目をやると3月10日。もうそんな時期かとふと我に返る。

 1ヶ月ほど前の2月15日に、ホンゴウとサシ飲みに行った時まだ街はバレンタインデームードが残っていた。いつもよく付き合ってもらってるしなとお礼の気持ちを込めてチョコレート菓子をホンゴウにあげたのだ。その時普段のお礼だから気にしないでと告げたのだが、彼はきっちり返してくれるつもりなのだろう。
 ホンゴウからの通知を開き、メッセージアプリを起動させる。『普段のお礼だから気にしなくていいのに』と送り、暗に気にするなと送るがホンゴウには通じないだろう。現に直ぐに既読が着いた画面には『気にするから空いてる日教えろ』と返事が来ている。

 『ちょっとまってて』そう一言送り、スケジュール帳を開く。大学生の春休み、と言っても毎日が毎日暇という訳もなく、バイトに、就活に遊びと様々な予定が詰め込まれている。何も考え無しに、春休み前に詰め込まれた友人たちとの予定が詰まっていて早くても空いているのは16日になってしまう。
 ホンゴウとのトーク画面に戻ると『1番早くて16日になっちゃうだけど、大丈夫?』と送ると直ぐに『その日なら空いてる』と返答が帰ってくる。

 『わざわざお返しくれるなんて優しいじゃん』なんて他愛もない会話を仕掛けると『モテねぇからな、貰った相手にはちゃんとお返しすんだよ』とのこと。モテないなんて嘘だ。学部内外問わず人気のある彼は好意に鈍感なだけである。そして周りも積極的に攻めてこないだけだ。積極的に攻めたら、ホンゴウはやんわりと断ってその人との距離をリセットしてしまうから。

 そうなると、なぜ私はホンゴウとサシで飲みに行けるほど仲が良いのか。これはシンプルにわたしがホンゴウに対して恋愛感情を抱いていないからだと思う。今の生活に満足している私は彼氏を作ろうとはしない。1人でいて、たまに人と関わるぐらいがちょうど良いのだ。そう一年次の必修授業中に力説している私を知ってるからこそ仲良くしてくれてる。

 行きたい居酒屋があったんだと思い出し、トーク画面に店の情報を無言で貼り付ける。ホンゴウはそれだけでここに行きたい意志を汲み取ってくれて『行くか』の一言。この居酒屋の難点はいつも飲む場所より少し遠いところだ。甘えすぎて嫌われたくもなく、『ちょっと遠いけど大丈夫?』わざとらしく聞けば『いつもと10分違うだけだろ』なんて男前な返事だ。個人的に10分違うのは結構違うと思う。

 同じ大学に通う私たちは同じ沿線上に住んでいて、わたしの最寄駅の方がホンゴウよりも都心よりに位置し、路線が集まる乗り換え駅だ。2人で飲む時は私の駅で落ち合い目的地へと向かう。ちょうど乗り換え駅で私の最寄りでもあるため待ち合わせの時間は大体しか決めない。ホンゴウから乗ったら連絡が来たら、10分後ぐらいに家を出る。それが私たちのルーティンであった。
 当日もホンゴウから『乗ったぞ』の通知を見ると、身支度の最終チェックをする。いくらホンゴウと言えど、せっかく外に出るのだから綺麗にしたい。髪の毛から爪先、足までをゆっくり確認する。ネイルも禿げてないし、前髪も巻き髪もバッチリ。ホンゴウに会うだけなのがもったいないくらいの出来になってしまった。

 家の鍵を締め、駅までの遠くない道を歩いているとスマホが震える。コートのポケットから取りだし確認すると『着いた』と一言通知が入っていた。大柄で、昨今の黒髪マッシュに抗うような金髪長髪を1つにまとめる彼は待ち合わせにおいて探しやすい。駅の構内に入り、いつも通り改札前のわかりやすい所に立ってくれている彼はやっぱり優しいと思う。何をする訳もなく、ただスマホの液晶を眺めている彼の前に立ち、顔の前で振る。

 「おまたせ、待った?」

 私の存在に気づいた彼は、スマホをズボンのポケットにしまいながら口を開く。

 「いや今着いたとこって連絡入れたただろ」
 「そこは待ってないって答えるんだよ」

 私はいいけどと前置きしてから「本命にはこういう細かいところも大事にしないとダメだよ」と、言うが彼は「はいはい」なんて私の言うことを綺麗に右から左へと聞き流す。取り留めのない会話をしながら2人で改札に向かって歩き出す。
 電車は平日の6時前だからか、ラッシュに当たり座れるところがない。仕方なしに座席の前の吊革を掴みながら電車に揺られる。左に経つホンゴウは背が高いからか、吊革を握る部分より上を掴んでいる。身長が高いとそういうことも出来るんだなぁとしみじみ眺めていると、視線を感じたのかホンゴウがこちらを向いた。私が何か言いたげだと思ったのか、左手で吊革を掴んだままこちらへと顔を近づけてくる。

 「どうかしたか?」
 「ううん、ホンゴウって背高いんだなって再認識しただけ」

 ホンゴウは「なんだそれ」と、笑いながら近づけた顔を元の場所へと戻していった。しばらくすると、駅に着き自分の前の座席に座っていた人が席を立った。ホンゴウに座るかどうかの目線を送ると、お前が座れと言わんばかりに左から小突かれた。渋々座席に腰をかけるとホンゴウがずれてきて目の前に立った。

 視線の先にはホンゴウが着ている白いニット。なんとなく、白いニットを見つめていると黒い点が目に付いた。少しだけ目を凝らして見てみるとそこにはゴミが付着していて、取ってあげようと腕を伸ばす。ネイルの施された指先で、ゴミを摘むとびっくりしたのかガタイのいい巨体が後ろへと動く。親指と人差し指で掴んでいるゴミをホンゴウに見えるように見せる。ホンゴウは吊革を掴んでいない手を口元に当て驚いた顔をしている。
 
 人が沢山いる中声を出して会話をするのが少し憚られて、首からかけているスマホを手に取りメッセージを送る。『ゴミ、取っただけだよ』腕に着いているスマートウォッチで通知を確認したホンゴウは、スマホを取りだしなにやら打ち込み始めた。しばらくして震えたスマホを見ると『ありがとな』の一言。結構打ってたのに一言なんだとくだらないことを思いながらスマホを閉じた。それから電車に揺られること数分、お目当ての居酒屋の最寄り駅へとたどり着いた。

 人の流れに流されながら改札を出て、駅の外へと出た。電車の中で調べた位置を頭で思い出しながらあっちかなとホンゴウに伝え並んで歩く。

 「今日は飲みベーション高いからね、飲むよ」
 「飲みベーション関係なくお前はいつも飲んでるだろ」

 「いっぱい飲むから家までよろしくね」なんて笑いかければ「いつもちゃんと連れて返ってるだろ」と、一言投げられる。毎回家まで連れ帰ってくれるホンゴウには感謝の気持ちでいっぱいだ。酔っている女なんてどうとでも出来るのに、律儀に送り狼にならず家に送ってくれる彼は紳士であり良い友達だ。今夜の帰りも安心して帰れるから沢山飲もうなんて決意を固める。

 居酒屋のドアを開けると、中はSNSで話題になっていただけあって盛況している。先にドアをくぐったホンゴウが、近くに来た店員に2人できたことを伝えるとカウンターへと通される。来ていた上着を脱いでいると、荷物カゴが足元にあるようでカゴの中に荷物を入れる。2人でひとつのようでホンゴウの荷物も一緒に収納する。

 2人並んでカウンターに座り、メニューを開く。昭和の雰囲気を漂わせるこの店はメニューも昔ながらのものが多い。まずはアルコール、とドリンクメニューを眺めていると隣から「いつものか?」と声がかけられる。いつも私たちはまずビールから飲むのだ。頷いて肯定の意を示すといつの間にか呼ばれていた店員に「生2つ」と注文をしていた。すぐに手元に届いたジョッキを、ホンゴウとカチリと合わせ乾杯する。

 その後に注文したおつまみをつまみながら、来期の履修授業、健康診断にガイダンス…といった大学の行事についての他愛ない話をする。おつまみも美味しく、お酒もだいぶ進んだ頃今日飲むことになった主題へと移った。ホンゴウは「そうだ、お返し」と呟き、いそいそと荷物カゴに入れていた紙袋を手に取りこちらへと渡してくる。

 「ほら、バレンタインのお返しな」

 チョコ美味かったと続ける彼から紙袋を受け取る。「中見ていい?」と、問いかけると頷きが帰ってきたので中に入っているラッピングされたものを引き出す。
 袋の中身は2つの箱で、透明なビニールの窓から箱の中身を見ることができた。ひとつの箱にはマドレーヌとマカロンの焼き菓子の詰め合わせ。もうひとつの箱にはどうやら紅茶のティーパックが入ってるようだ。
 「美味しそう」と、ポツリ零す。「お前紅茶とかそういうの好きだろ」とすかさず返される。

 「私のことよくわかってるじゃん」
 「もう3年の関係だぞ、知ってるに決まってる」
 「流石イケメン」
 「思ってもないこと言うな」
 
 じゃれあいのようにぽんぽん掛け合いを進めていく。こうやってホンゴウとはあまり考えずに会話ができるのが心地よい理由だなと考えながらアルコールを体内に流し込んだ。

──────

 肩が揺すられる感覚で意識が浮上する。俯きがちだった顔を上げるとそこにはお手洗いに立ち上がったホンゴウの姿。一軒目だけで飽き足らず二軒目に足を運んだ私たちはあれからも酒を飲み続けた。どうやらホンゴウがトイレに立った短時間で眠気に襲われていたようだ。

 「そろそろ帰るぞ」
 「まだいける」
 「今寝てただろ、ほら立て」

 腕を掴まれ、上着を着せられる。自分で着れると思ったが思うように動かない体を感じ、相当アルコールが回ってしまったことを自覚する。コートのボタンをノロノロと着けている間にホンゴウは私のカバンまで持ってくれていて、机の上に置きっぱなしにされていたスマホをこちらに手渡してくる。お礼を言いつつ受け取り、首からスマホをぶら下げる。
 お会計、と虚ろな思考回路で思い出すが伝票が見当たらない。伝票を目で探し、動かない私をホンゴウは手首のあたりを引いて歩き出す。ホンゴウが持ってるのかなとされるがままに腕を引かれていると、レジを通り越して外気を浴びた。ホンゴウの袖を引っ張ると、彼は足を止めこちらを向いた。

 「ホンゴウ、お会計は?」
 「さっき払っといた」
 「え、」
 「もうお前が酒に飲まれてたからな」

 だからトイレと言ったのに長かったのか、と変な納得をしてしまう。ホンゴウは、口を閉じた私の手をまた引いて駅へと歩みを進め始めた。

 「ちょ、待って、いくらだった?」

 腕を引かれながら、ホンゴウに問いかける。今度は足を止めずに、彼は言葉を発した。

 「今日はお返しだから気にするな」

 いくらホワイトデーのお返しだからって、私があげたのは市販のチョコレートなのに。それでも引き下がらない私に彼は一言、言葉を紡いだ。

 「黙って奢られてろ」

 男の顔を立ててな、そう言われてしまってはこちらはもう大人しく奢られるしかなさそうである。それはずるい、とポツリ言葉を零す私に彼は心底面白そうに笑う。私の負けだ。

 いつの間にかたどり着いていた駅から、電車に乗り何とか二人並んで腰を落ち着けた。店から電車に乗るまで持ってくれていたカバンを受け取る。

 「また飲み行こうね」
 「おう、お前いつ空いてんだ」
 「今決める?」

 カレンダーを見ながら予定を擦り合わせる。今日はたまたま予定が詰まっていただけで、普段からそんなに埋まることの無いスケジュールはまだ空白が多い。固定シフトのバイトを以外の日時を告げる。ホンゴウの予定と組み合わせるとちょうど3週間後が遠すぎず、近すぎずの日程になりそうだ。

 「じゃあ、次に会うのは3週間後だね」
 「その前に大学始まるから会うだろ」
 「あ、そっか」
 「次はガイダンスだな」

 忙しなく動く風景と比べてゆっくりな会話が進む。いつもよりも長い電車だからか、流れる会話がゆっくりだからか周りよりも自分たちの時間の流れがゆっくりに感じた。

 最寄りの駅にたどり着く頃には、酔いも冷めてきていてホンゴウに腕を引かれずにマンションまでの道を歩く。駅のコンビニで買った水を飲みながら次はどこで飲むかを話しているとあっという間にマンション前まで来ていた。

 「食べたら感想送るね」

「送ってくれてありがと」とマンションの前につき、ホンゴウに紙袋を掲げながら告げると彼は悪いことを思いついたような顔で口を開いた。

 「意味、調べとけよ」

 じゃあなと手を挙げ去っていくホンゴウを見送り、エントランスへと足を踏み入れる。

 …意味とはなんの事だろうか。食べたらに対しての意味。もしかしてバレンタインデーのチョコに告白の意味があるようにホワイトデーのお返しにも意味があるのだろうか。
 乗り込んだエレベーターで検索画面を開く。検索タブに『ホワイトデー マドレーヌ マカロン 意味』と入れ検索をかけるとホワイトデーのお返しの意味一覧と今の私が必要としている物が上へと出てきた。ネイルを液晶にあてながらスクロールしていくと、表にされた意味一覧。マドレーヌとマカロンの欄を探しだす。
 表にはマドレーヌには『あなたとより特別な関係を築きたい』マカロンは『あなたを特別な人だと思っている』の意味があると記されていた。
 自分の住んでいる階を告げる音声が流れているのが遠くに感じる。今まで意識されていないと思っていたホンゴウから突然の告白に頭がパンクしそうになる。
 閉まるエレベーターから慌てて降り、自宅の鍵を開けているとスマホが震えた。通知にはホンゴウの文字。どうせ家に着いたか?とかそんな通知だろうと、メッセージを大して見ずにアプリを開く。意味を尋ねようと文字を打っていると目に入るホンゴウからメッセージ。

 『そういう事だから。覚悟しろよ』

 どうやら、私は白旗をあげるしかなさそうだ。

──────

 「おまたせ、待った?」

 私の存在に気づいた彼は、スマホをズボンのポケットにしまいながら口を開く。

 「いや、待ってない」




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