ネイルしないと出られない部屋



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「……ッ――」

 乾いた洗濯物を入れたカゴを抱え、もう長い付き合いになった雇い主であるサー・クロコダイルの部屋を目指しクロスギルドの広い敷地を歩いていれば、目の前へと突然白い光が燦々と煌めき、強い光に目をぎゅっと閉じた。
 光が収まった気配に強く閉じた目を開くと、そこにはさっきまでいた部屋ではない景色が広がっており、瞬きを繰り返す。何回も瞳を閉じても、目の前に広がる景色は変わらなかった。さっきまで、サーの洗濯物を抱えていたはずなのに、「一体ここはどこなのか」小さくはない疑問を抱えながら周囲を見渡す。
 辺りを見渡すと、壁紙から床・天井まで一面真っ白な部屋。出口とみられるドアは見当たらず、部屋の中心には申し訳程度に置かれた二脚の椅子と何かが置かれている机。この部屋が何なのか、手掛かりを得るために机の方へと歩みを進めた。
 机の上には蓋つきの白い箱が置かれているだけで、他のものは何一つ置かれていなかった。この部屋を出るヒントがあるかもしれないと、両手に収まるサイズの白い箱の蓋を開けた。その瞬間、この部屋に来た時のような強い光が煌めき、再び私は瞳をぎゅっと閉じた。

 *

 光が収まり、目を開ければ先ほどと見える白い景色は変わっていなかった。変わったのは、この部屋に人が一人増えたことだ。嗅ぎなれてしまった上品な香水の匂いを辿り、目の前に立っている一人増えた人……雇い主であるサークロコダイルの姿へと目を合わせ、口を開く。

「……ようこそ?サー、」
「ここはどこだ。」

 冷ややかな瞳で見下され、背筋を汗が伝うのを感じながらサーに状況を説明する。強い光に包まれてここに来たこと。出入口となる場所は見当たらないこと。机の上に置かれていた箱の蓋を開けたらサーが目の前に現れたこと。伝え終わるころにはサーの吸っていた葉巻もすっかり短くなり、火は消えていた。イラついているのか、高級そうな革靴で葉巻は踏みつぶされ嫌な匂いが鼻に入る。
 匂いに顔をしかめる私を横目に、彼は白い壁へと歩みを進めた。慌てて、彼の背中を追いかける。壁際に着いたサーは壁に手をやり能力を発動し、壁を砂へと変えようとするが変化はなく、心なしか部屋の空気が重くなったように感じる。

「ダメそうです?」
「あぁ、」
「……とりあえず、座りませんか。」

 砂に還してしまう彼の力を持ってしても部屋からは出ることはできず、打つ手なしの状態で、立ち尽くすのも体力の無駄である。大きくため息をつく彼にそう声をかけ、椅子へと誘導する。お互い椅子へと腰を掛けたところで、サーから声をかけられた。

「お前の手に持ってる箱には何か入っているのか?」

 その言葉に、自分が持っている箱の存在を思い出す。先ほど開けた時、強い光を発した箱は中身を見ることなく再び蓋を閉ざされてしまっていた。「忘れてました。開けたら戻れるかもしれませんね」そんな冗談を口にしながら、膝の上で箱を開け、中身を覗き込んだ。
 中に入っていたのは、折りたたまれた紙と深い赤色のネイルポリッシュ。箱からそれらを取り出し、机の上に静かに置いた。折りたたまれた紙を開き、書かれた文言を声に出して読む。

「……ネイルしないと出られない部屋」

 書かれた文言の下には、ご丁寧にルールのようなものが記されていた。それによると、どちらがネイルを施してもいいらしい。そうとなれば、取る行動は一つだろう。私にネイルを施してもらうなんて、私が干からびて死んでしまう。ここが夢の世界であろうとまだ死にたくない。

「サー、手を出してください。」
「なんでだ」
「聞いてました?ネイルするからです。」
「俺にしなくてもいいだろう」

 頭に疑問符が浮かんでしまう。この人は話を聞いていたのだろうか。ネイルをしないと出られないのだから、どちらかがネイルを相手に施さなければならないはずなのに。

「お前が自分の爪に塗ればいいだろう」

 俺にはもう関係ないと言いたげに、吐かれるセリフに頭を抱えたくなる。この人はセルフネイルの大変さをわかっていないのだ。自分の利き手じゃない手でネイルポリッシュを塗布する大変さを。

「……できなくはないです。が、結構な時間かかりますけど、大丈夫ですか?」

 暗に早く出たくないのか、と問いかける。この言葉にサーは、早く出たい欲はあるのか黙り込む。

「サーの方が塗る数少ないですし、私が自分でやるより早く出られます。」
「……女がするもので、男がするものじゃないだろう。」
「そうですか?この色、サーに似合うと思いますよ。」

 ほら、と彼の顔の前に小瓶を揺らす。深い赤色は、彼が指に嵌めている指輪の宝石と色合いがマッチしている。それに加え、この落ち着いた色感はサーにぴったりだと個人的に思う。私にはすこし大人すぎる色だ。

「夢のような部屋ですし、戻ったら消えてますよ、きっと」

 黙りこくった彼に追い打ちをかけるように、口を開けば、サーは苛立ちを隠すことな
く舌打ちをすると、渋々といった感じで右手を机の上に置いた。私の勝ちである。その手を持ち上げ指先をじっと見つめる。
 私よりも体温の低い爪先にネイルを施すには、道具が足りない。せめてアルコールとベースコートぐらいは欲しい。そう思っていれば、無造作に置かれた机の上の箱から何かが落ちる音が聞こえ、覗き込めば箱の中には透明なネイルポリッシュとアルコールとラベルが貼られたボトルとコットンが入っていた。随分と都合の良い部屋だな、と思いつつ、ほしいものまで出てくるのであれば、もうこの部屋では何が起きても驚くことはないだろうなと考える。
 ちらりと、目線をサーへと向けると怪訝そうな顔で箱を見つめていた。どうやら彼も、突っ込むことはやめたらしい。

 それらを取り出し、コットンにアルコールを染み込ませる。少しだけひんやりと感じるコットンをサーの右手の爪先へとあて、油分を拭き取っていく。手のひらに乗る彼の指は私の指の何倍も太く、節くれだっている指に同じ人間なのにこうも違うものなのかとどうしようもないことを考える。
 「塗りますね」と、声をかけベースコートを塗布していく。サーの爪先は綺麗に整えられていて、彼の傍に仕える男のマメさが伺える。親指から塗布したベースコートは速乾性があるようで、小指の爪を塗り終える頃に親指はすっかり乾いていた。次に赤いネイルポリッシュを取り出し、再び親指へと塗布していく。爪を彩る赤は彼に似合っていて口角が上がる。
 やはり私の見立ては間違ってなかった。親指を握っていた手を放し、人差し指をそっと手に取り、爪先を赤へと染めていく。やっていると慣れてくるもので、とんとん拍子塗るのは進み、薬指にとりかかり始めたころ、サーからの視線を感じ、顔を上げる。

「……なにかありましたか?」
「何でもない」

 左手は鍵爪、右手も不自由となるとやることがなくて暇らしい。話していれば、暇もましかもしれないと先ほど感じたことを口に出す。

「サーの手は大きいですね。」
「…お前に比べたらそうだろうな」

 いまいち、よくない反応に空気が重く感じる。重い空気を取り払うように、勢いよく彼の手のひらに自らの手のひらを重ね合わせ「ほら!こんなにも違いますよ!」と声を上げる。そんな私の様子に彼は少しだけ驚いた顔をしたがすぐに表情は戻り、悪戯気に口角をあげ、自らの指を私の指へと絡め合わせる。
 されるがままに指の間で彼の指の太さを実感していれば、サーの指先が私の手の甲をするりと撫でた。慣れない感覚にびくりと体を動かしてしまう。この反応がお気に召したのか、彼は手の甲をカサついた指先で撫で続けた。しばらく撫でられ続け、じんわりと手の平に汗をかき始めたころ、目の前の彼が口を開いた。

「続きはいいのか?」

 その言葉にハッとし、慌てて手を抜き取ろうとするが、サーの指が私の手を掴んで離さない。

「っネイル、よれちゃうので!放してください!」

 よほど必死な形相をしていたのか、指はすんなりと離される。手にかいた汗を太ももに押し付け拭いとる。離れたぬくもりに少しだけの寂しさを感じながら、深呼吸をする。そして、机の上に置かれた手の小指をそっと手に取り筆を爪先にあて、色を落とした。

 *

 小さく息をつき、筆を小瓶へと戻す。途中サーに弄ばれたため、小指以外はすっかり乾いている。比較的小さな爪を持つ小指だ、すぐに乾いてしまうだろう。

「完成しました。」
「ご苦労だったな、」
「ありがとうございます。多分、夢のようなものですから戻れたら落ちているはずです。それまで見慣れないと思いますが、我慢していてください。」
「…だといいんだがな」

 そんな会話を繰り広げていれば、後方からカチャリと金属音が部屋に鳴り響いた。何事かと、振り向けば白が広がっていた壁に茶色の扉が現れていた。今のは扉の鍵が開いた音だろうか。
 立ち上がり、扉の前へと立つ。いつの間にか後ろに立っているサーからの視線を感じながら、ドアノブに手を伸ばす。ゆっくりとドアノブを捻れば、なんの障害もなくドアノブは回った。「開けてもいいか」と伺いを立てるようにサーを見れば、「早く開けろ」と言わんばかりの視線で見られ、ドアノブを回し扉を押し込んだ。空いた隙間からこの部屋に飛ばされた時と同じような光が溢れ、私とサーの体を包み込むように広がる。お礼の言葉を言えていないと、慌てて彼の方に首を捻り、口を開いた。

「サー、ありがとうございました。また、」

 「あとで」と、続けようとした言葉は音になることなく光へと吸い込まれた。光に包まれながら最後に見た彼の顔は私の言いたことは分かっているとでも言うような得意気な笑みだった。

 *

 再び目を開ける元いた場所に戻ってきていた。何も持っていなかったはずの手にはしっかりと洗濯カゴが握られており、現実に帰ってきたことを実感する。空を見上げ、太陽の位置を見ると部屋の中での時間の経過はほぼないに等しいようであった。
 もし、あったとすれば、サーが突然消えたのだ。周りがこんなに静かなはずはないだろう。そんなことを考えながら、カゴの中身を見て、本来の目的であったサーの部屋へと洗濯物を届ける仕事を思い出す。
 サーの部屋へと向かいながら、彼の手に施した深い赤い色のネイルはしっかりと消えているのか気になった。そんな疑問も部屋を訪ね、サーの指先を見れば解決するだろう。階段を上りたどり着いたサーの部屋の扉を静かにノックする。中からダズによって扉が開かれ、中へと招き入れられる。足音をあまり立てないよう静かに歩き、洗濯した衣服やタオル類を所定の場所へと畳んで仕舞う。
 
 全て仕舞い終え、部屋を立ち去るとき、彼が書類を掴む指先を盗み見る。サーの爪には深い赤が陣取っており、あの部屋が夢ではなかったことを証明していた。
 ネイルをお気に召したのか、剥げたネイルを直せと呼び出され、どうせならトップコートまで塗布するべきだったと後悔するのは数日後のことだった。




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