7,縁は異なもの味なもの



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 レジを操作し、レジに入っているお金をチェックしようと画面に視線を向ける。画面の左上にある時間をチェックすれば時刻は既に21時40分を示していた。そろそろベックさんが来る時間帯だな、と疲れ切った頭の中で考える。今日はやけに人が多い上に時間のかかる仕事が多く、休むことなくこの時間まで来てしまった。引き継ぎのときに、夜勤の人たちの仕事を増やしてしまわないようにレジ残高を確認し、赤く光り不足を訴えるお金を金庫から取り出し両替をしていく。両替が終わり、抜き取ったお金をしゃがみ込み地面に近い位置へと設置されている金庫に仕舞っていると聞き慣れた入店音が店内に響いた。もはや、反射のように「いらっしゃいませ」と声をあげ、ちらりと店内の入口をカウンター越しに覗けば、そこには鍛えられた身体に黒いシャツを着ているベックさんがそこにいた。
 ベックさんは、店内のドアをすこしだけ屈んで入ってくると何かを探すかのように店内へとぐるりと視線を回した。何を探しているのだろうかと思ったのもつかの間、カウンター越しに目が合えば彼は満足げに口元へ笑みを浮かべると悠然とした足取りでカゴを手に取り店内へと足を進めた。
 先日行われた連絡先の交換から、ベックさんとは一日に1回は連絡を取るようになったことは記憶に新しい。交わされるやりとりの中で、彼は私のシフトを把握しているはずだ。それなのに、店に入りまず私を探してくれることに嬉しさと気恥ずかしさが自らを襲う。マスクの下でほんのり熱を持った頬を手でパタパタと煽り、深く息を吐き気合を入れるように立ち上がった。

 私が覚悟を決めている間は二分にも満たない時間であった。その間にベックさんは店内を半分は見回ったようでレジ列に並ぶ手前まで来ている。慌ててレジ前に移動し、背後にある煙草を手に取り手元へと置くと、ぐるっと店内を眺めていればレジ列に誰か並んだ気配がした。「お並びでしたら、どうぞ」と、視線を向けながら声をかける。どうやら並んでいたのはベックさんだったようで、彼はしっかりとした足取りでレジへと向かってくる。手に持っているカゴにはお酒が数缶と軽くつまめるおつまみたちが入っていた。中には温める商品がいつものように入っていて、「温めますか?」と問いかければ「もちろんだ」と言いたげな顔で小さく頷きが返される。
 その様子を見て、外で煙草を吸いながら彼に「なんでいつも温めるんですか?」と聞いたことを思い出す。ベックさんは、私のバイトが終わるまで煙草を吸いながら外にいて、退勤した私ともう一本煙草を吸い、なおかつ私の家にまで送ってから家へと帰宅するのだ。その間に温めた商品はすぐに冷めてしまい、家で温め直すに違いない。それならば温めなくてもいいのでは?と、投げた疑問。そんな疑問は、ベックさんによって解決する。

「……そのほうが、お前さんが仕事している姿を長く見られるだろう?」
「っえ……?」

 家での温める時間が短くなる、といった理由だと思っていたため意外な理由に本気で言っているのかという目線をベックさんに向けてしまう。驚いていた私の反応が面白いのか、ベックさんは楽しそうに口元に笑いが浮かんでいる。

「……本気ですか?」
「あぁ、おれはいつだって本気だ。」

 真面目な声色で言葉を発しているが、発言の内容は不真面目でしかない。まさか、そんな理由だったとはと思考に耽っているとすっかり手に持った煙草の存在のことを忘れてしまっていた。ベックさんから「灰、落ちるぞ」と声をかけられ、慌てて灰皿に灰を落とした。
 そんなことを思い出しながら商品を打ちベックさんの会計を進めていれば、後は温めた商品を袋に入れるのみになっていた。この間に彼と特に会話を交わすことなく、店内放送のみが私と彼の間に流れる。レンジの残り秒数を覗き込めば、十数秒を残すだけとなっていた。ちらりと、ベックさんの後ろに掛けられている時計を見れば時刻は21時55分になっていて私のバイトも残り5分を残すだけになっていた。時間経つのが早かったなぁと現実から離れていた思考は、ピーっとけたたましく鳴り響くレンジの音に呼び戻される。レンジのドアを開け、膨らんでいる外装がしぼむのを待ってから袋の中に入れる。中にお箸等が入っていることを目視で確認して、ベックさんに「おまたせしました。」と、声をかける。ベックさんはお礼を言って私から袋を受け取ろうと手を伸ばす。持ち手の下の部分を持ち、袋を支える私の手をベックさんの少しだけカサついた指がするりと撫でた。驚きで袋から指が離れる。非難の目を彼に向ければ視線が絡み合う。見つめあって数秒、ベックさんは口を開いた。

「またあとでな」

 小さく呟かれた言葉に、ぎこちなく頷きを返した。ドアに向かって歩きだしていた彼に向かい「ありがとうございました。」と、慌てて声をかけた。
 接客が済むと、隣にやってきていた夜勤の人達に簡単な形で引き継ぎを行い金庫の鍵を手渡す。22時を待つだけになり、心が浮き足立つ。今日は何を話そうかなと思っていれば、22時になり「お疲れ様です。」と、声をかけ事務所へと移動した。
 勤怠を切り、制服を脱ぎ去る。ウォークかどこかにいるであろう店長に捕まる前に立ち去ろうと、早々とロッカーから鞄を取りだし事務所を後にした。出入口に向かいながら、スマホをの画面をタップし連絡を確認する。出勤前にベックさんへ送った『バイト行ってきます。』に対して『頑張れよ。』と返信が来ていることに気づき口角が上がる。返事は、今から会うし後でいいかとスマホを鞄に投げ入れ外に出た。
 軽快な入店音を聴きながら、左を向けば灰皿の近くで煙草を口に咥えこちらを見つめるベックさんがそこにいた。少しだけ小走りで灰皿に近づき、「ベックさん」と声をかける。

「こんばんは、さっきぶりですね」
「あぁ、お疲れさん。」

 会うことは決まっていたのに、白々しくさも偶然というように言葉を投げかければ、彼はそんな私を見て楽しげに笑みを口元にたたえ、返事を返してくれる。私が隣立てるように少し、灰皿の前から動いたベックさんにお礼を言いながら鞄をまさぐり煙草を取り出す。僅かに潰れている箱を開け、中に入れていたライターを取り出し煙草を1本取り出そうとする。しかし煙草は見当たらない。
 「ぁ、」と小さく声を上げながら、出勤前に家で吸ったのが最後の一本で予備の箱に持ち変えるのを忘れていたことを思い出した。家を出る前に忙しなく準備をしたからか、すっかり切らしていることも忘れライターだけが入っている箱を持ってきてしまった。いつまで立っても煙が漂わないのことが不思議だったのか、それとも私の小さく漏らした声が聞こえたのかベックさんが私の方へと視線を向けている。中身が入っていない煙草の箱を彼の方へと向け、口を開く。

「煙草、切らしちゃったみたいで」
「……買いに行くか?」

 彼は私がいつまでも吸い始めない理由に納得したように、唇で挟んでいた煙草を指で抜き取り煙をふーっと吐くと、煙草の灰を灰皿に落としながら口を開いた。彼からの提案は、理に適っているというか当然の提案であろう。しかし、私は素直に煙草をバイト先へと買いに行けないでいた。その理由として、そもそも私はバイト先に煙草を吸っていることも、ベックさんとの関係性も明言していない。喫煙者であることは、ベックさんと煙草を吸っているところを窓ガラス越しに見られているため、すっかりバレているであろう。しかし、ベックさんとの関係を明言していない今、店長を含め従業員は聞いてこないにしても関係性を勘ぐっているだろう。そんなわかりきった意識を向けられるとわかっている中、二人で煙草を買いに行くというのも、なんだか気恥ずかしい。中々買いに行こうとせず、言葉もなく渋る私を見かねたのか、ベックさんは低い声を響かせた。

「せっかくだ。こっち、吸ってみるか?」

 彼は私に代替案を提案し、ズボンのポケットからひしゃげた煙草の箱を取り出し、私の方へと差し出してきた。「すみません、ありがとうございます。」と、自らのタバコの箱をポケットに突っ込み、ベックさんから箱を受け取る。箱から煙草を取り出そうと箱の上の方へと視線を向ける。ソフトタイプを吸う彼は、銀紙は半分しか開けないようで几帳面さが覗ける。中身が減っている箱の煙草を入り口の方へと寄せ、箱を少し振り一本を振るい出す。取り出した煙草を唇に挟み、ベックさんに箱を返す。ポケットに突っ込んだ自分のライターを取り出し、右手でライターを持ち左手は口元を覆い隠すように動かす。カチッと安いオイルライターに音を立て生まれた火に照らされ、煙草に印字されている金の文字が照り返す。見慣れない光景に数回瞬きをし、息を吸い込みながら煙草に火を灯した。
 煙草の匂いは、普段吸っているセブンスターのレーズンの香りと同じように甘い匂いはするものの、バニラのような甘さが鼻孔をくすぐる。自分が吸っているものよりも重いはずの煙草は、思いの外吸いやすい。口に入れた煙は重いタールを甘みが包み、それらが剥がれてきたかと思えば段々とスモーキーな味わいが姿を表していた。いつもとは違う味わいを感じつつ、息を吸い込み灰に煙を流し込んでいれば、ふとベックさんの方から視線を感じた。つい、隣にベックさんがいるのに存在を忘れ、煙草を味わってしまっていた。焦りながら彼の手元を見れば、先程灰を落としていたはずの煙草の火は既に消されていた。

「意外と、吸いやすいんですね。」
「もっとガツンと煙で殴られるのかと思ってました。」

 煙を吐き、灰を灰皿に落とし言葉をポツリと零す。途中のスモーキーな香りは口には残らず、どこからか現れた甘さが口内を動き回る。まるで私に甘いベックさんのような複雑な香りと味わいに一口で満足してしまいそうになる。彼から来るであろう返答を聞こうと、再び口元へ煙草を運んだ。

「クセになるだろ?」
「……自分のが一番って思いたいですけど、正直癖になります。」

 彼は私の満足感に溢れる顔を見たのか、口角をニヤリと上げ悪戯げに私へと笑いかける。問いかけられた言葉に煙を吸いながら頷きを返す。吸った煙を吐き、彼に率直な感想を返す。その言葉を聞いたベックさんは、更に悪い顔をして口を開いた。からかわれる予感しかしない。

「乗り換えるか?」
「嫌です。今日だけです。」

 「次は、切らしませんから」と、熱い決意表明のようにベックさんに言うと、彼は残念そうに肩をすくめている。その姿は、ちっとも残念ではなさそうである。その後も行われたあの手この手の銘柄の移住の誘いを、断りながら煙草をふかしていると、あっという間に煙草の火種は尽きようとしており、灰皿でぐりぐりと火を消した。
 煙草を吸い終えれば、この場所にもう用はなく、ベックさんと手を繋いで帰路についた。二人で話していれば、バイト先からの帰路はあっという間ですぐに別れの時となった。と言ってもまたすぐに会える、次に会えるのはまたバイトの後。そう思うと寂しさもそこまで大きくなく、家に入るのを見守られながらその日は解散になった。
 部屋に入り、シャワーを浴びようと着ていた服を脱ぎ去る。ふわりと香る香りは、自分の付けている甘い香水の匂いに混じって香るいつもとは違う香り。二人で吸った煙草の煙は、思っていたよりも体についてしまっていたようである。自分のものから香るベックさんのクセになる煙草の香り、なんとなく匂いを嗅いでしまう。鼻で少しだけ吸い込むと、甘いバニラのような匂いが獰猛なスモーキーさを隠すように漂ってくる。甘い餌を垂らし、狙った獲物は逃さない、とでも言いたげな匂いに本当にベックさんの香りみたいだな、私はそう思いながら洗濯機の中へと服を投げ入れた。




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