6,役者が一枚上



Name Change

 あまり明るくは無い夜道を、彼女の手を引き歩く。彼女の自宅まではそう距離はないものの、街灯が少ないのことが少し気がかりだ。アルバイトが終わるのは22時、この時間に彼女を家に送っていく度、もう少し一緒にいたいという下心から申し出た彼女の家までの送迎をしてよかったと思う。
 灰皿の前で半ば強制的に選ばせた家行きに、腕を引いて彼女の家まで先導する。逃がすものかと掴んだ手首にちらりと視線を向ける。まるで支配感を強める手の握り方でも拒否を唱えないのは、自分に支配されることも厭わないとでも言っているようで口角が無意識に上がってしまう。

 突然、今までされるがままにされてきた彼女が掴んでいる手をゆっくりと動かし始めた。掴む力が強かったであろうか、と心配になり指が少し浮いてしまう。浮いた指を一本一本まさぐり、絡め取られされるがままに指を遊ばれる。しばらく遊ばれていると、彼女の細い小指が自分の小指に何かをアピールするかのように結ばれた。
 
 暗い夜道を会話するこなく、お互いの指だけの触れ合い。
 彼女の小さな訴えに答えるかのように、なすがままにされていた指を動かす。繋がれた小指を基に指先を動かし、彼女の傷のない手の甲をゆったりと触れる。擽ったさでぴくりと跳ねる彼女の手の甲を押さえつけ、開こうとした指先を覆いこみ丸め込む。繋いでいた小指を抜き取ると、覆いこみ握られた指先と指先の間を撫で付け緩んだ指先に己の指を差し込む。
 手首を掴むよりも満足感の得られる握り方に満足し、握った手に力を入れた。

 先程よりも近づいた距離でしばらく歩いていると、彼女のアパートの前に辿り着いた。アパートはごく普通の五階建てのアパートだ。エントランスもないアパートは防犯的な意味で心配が募るが、住んでいる階が三階だというので少しだけ安心する。階段ではなく階段の隣りにある、エレベーターに乗り三階まで昇っていく。普段はアパートの中に入っていくところをみているところに自分が入っていくのは不思議な感覚を味わう。
 エレベーターを降りると案内された角部屋に足を進める。玄関の前につくと、彼女は繋がれていない左手で鞄の中を漁っている。利き手じゃない方の手で探るのは大変そうだが、まだ手を離し難く、また手をつなぎ続けて困惑する彼女を見たくて握った手を離さない。
 彼女が探し当てたキーケースを引っ張り出し、玄関の鍵を開けドアを開けると中に招かれる。

「どうぞ、狭いですけど」

 そう言うと彼女は靴を脱ごうとするが、離される気配がない手をじっと見つめている。見つめていれば手が離されると思っているのか、視線が繋がれた手と顔を往復する。
 離さなければ、彼女は靴を脱げないだろう。

「あの、手、離して貰えませんか」
「離したいのか?」
「や、」
「……俺は離したくないんだがな」

 恥ずかしげもなく放った本心に彼女からは「え、ぁ、」と、戸惑いの声が漏れる。視線が揺れ動き動揺する姿をしばらく楽しみ、繋いでいた手を離す。手を離せば、少しだけ恨めしそうな顔で見つめられる。そんな姿も愛おしく、笑みが漏れる。
 靴に手を当てて脱ぐ表情は、先程の恨めしさから一転し寂しさを含んでおり目が離せない。靴を脱いだ彼女は廊下に上がると少しだけ進んで自分を待っており、そんな彼女の視線を感じながら体を曲げ靴を脱ぎ、振り返り彼女の方へと歩みを進める。

 初めて入った彼女の部屋は、予想よりもシンプルに纏まっており部屋の入口で立ち止まり、部屋に視線を向ける。部屋はベッドとローテーブルにテレビ、雑貨棚に小さな化粧台と無駄なものが少ない、シンプルで落ち着いたものだった。家という彼女のテリトリーに立ち入れることでまだ知らない一面を見られるようでつい全体を見回してしまう。
 しばらくすると、彼女が笑ったような気配を感じ彼女の方へと視線を向けると、静かに口を開いた。

「やっぱり、大きいですね、」
「……身長がか?」
「身長もですけど、なんて言うんですか全体的に?」
「まァ、人並みよりかはデカいな」

 身長は206cmあるしな、と一年ほど前に健康診断で測った身長を思い出しながら言えば彼女からは驚嘆の声が漏れた。背が高いことは周知の事実、今更だと思っていれば目の前の彼女は顎に手をやり何やら思い返しているようだった。
 思い出すことを終了したのか彼女は、部屋全体に視線を向ければ突然ほんのりと頬を赤く染めながら頭を振っている。その視線の先を辿れば、ベッドの上に視線は向けられいた。ベッドから連想して灰皿の前で囁いた「俺の家なら身の保証はしない」の台詞を思い出しでもしているのだろうか。こちらを振り回すようにからかい余裕さを見せてきたと思えば、時折見せる年齢よりも初な反応を見せる彼女の愛らしさに目を細めた。
 ちょっとして落ち着いたのか、こちらに声をかけてきた。

「座る場所ないので、床でも、ベッドでも、適当に腰かけてください」
「……それは誘ってるのか?」
「〜っ、なんでそうなるんですか!」

 からかうように返事を返す。それに対して、彼女が声を荒げるのが面白く笑ってしまう。違うのにと、不貞腐れる彼女が折りだす様々な喜怒哀楽なリアクションにますます心が奪われる。
 カーペットの上に腰を下ろせば、彼女は手に持っていた鞄を床に置き「ちょっと待っていてください」と、こちらに一言声をかけ、廊下に向かっていった。
 先程通ってきた廊下には、一人暮らしサイズのキッチンがあったのでなにかお茶請けを出そうとしているのだろう。しばらくし、冷蔵庫を開ける音がしたと思えば、ひょっこり部屋の入口から顔を覗かせている。
 
「飲み物、何がいいですか?」
「何があるんだ?」
「麦茶か、お水か、お酒ですね。」
「……麦茶で」

 顎に手を当てて、少し考えた後に言葉を発せば、彼女は驚いたような、拍子抜けしたような表情を浮かべていた。大方、俺が酒を飲むに違いないとでも思ったのだろう。だが、彼女が飲まないときに飲むほどの節操なしではない。

「酒を飲みたくないわけじゃねェんだ。」
「――ただ、2人で飲む酒は一緒の時のほうがいいだろうからな、今はまだお預けだ。」

 そうまだ、お預けだ。
 彼女を手中に収めれば、嫌でも飲む機会があるだろう。その時に楽しめれば良い。
 アルコールに侵された彼女がどのような姿になるのかを思い浮かべる。酒が弱いような質には見えないが、どんな表情を受かべるのであろうか。笑い上戸なのか、泣き上戸なのかそれとも甘えたがりになるのか、どんな彼女でも新しい彼女の一面であることに変わりなく、まだ知らない彼女の一面があることに楽しみさえ抱く。

「じゃぁ、2人で飲める日、楽しみにしてますね。」

 そう言って彼女は酷く大人なびた笑みを浮かべ、再びキッチンへと引っ込んでいった。
 手伝いを申し出ようかと思ったが、あの廊下で二人作業をするには少し手狭でかえって邪魔になってしまう。待つ間、することもなく手持ち無沙汰に部屋を見る。白を基調としてるこの部屋には、服が散らばっていたり物が散乱していたりすることなくまとまっている。
 突然家に上がり込んだというのに、待たせるわけもなくすぐに部屋に上げていた。普段から、この状態のまま保たれているのだろう。部屋にも彼女の性格が現れているようだ。
 がさごそとなにか作業をする音が収まり、しばらくすると小さなトレーにグラスを2つ乗せた彼女がこちらに向かってきた。

 ローテーブルの奥の方の床に腰を落ち着けている俺に対し「どうぞ」と、グラスが差し出すと隣には座らず、斜めの位置にトレーを抱えた彼女が座る。差し出されたグラスを受け取り、麦茶を含み口を潤す。斜めに座った彼女を見れば、何かを思い出しているのか俯きがちに視線を落としている。
 特にこれといって交わす言葉もなく、ほんのりと頬が色づいている彼女の名前を声に出した。その声に反応し、下に落ちていた視線が上がり、絡み合う。

「隣に来ないのか?」
「行ったら、狭くないですか」
「狭い方がお前をもっと感じられるだろう。」

 家に上げておいて隣に座ってこない、変なところで奥手な彼女にもどかしさを覚える。口説くように、彼女が乗ってくる言葉を落とせば、押しに弱い彼女は乗ってくるだろう。
 読みどおりに乗ってきた彼女は、静かに自分の左側へと移動をしてきた。思った通りに話が進み、近くに彼女からやってきたことに満足感を覚えていれば、床に置いていた左手に彼女の右手が重ねられた。
 夜道でのやり取りのような小さな訴えではなく、大きな訴え。細い指先が、倍はありそうな指を這う。撫でるように這わせられる指の感触が擽ったく、ぴくりと手が震えてしまう。そんな動きさえも逃すまいと指が搦めとられる。

「……ベックさん、本当に私の事好きなんですか」
「好きだな」
「それは、付き合いたいとかそういう……?」
「あァ、いずれはな」

 何度も確認のように、自らの気持ちを確認される。好意を隠す気も、はぐらかす気もなく正直に答えていく。返事をセカしたいわけでもなく、この好意が彼女にとって重荷になってしまっていないかがだけが気がかりだ。少し弱気になっているような彼女の気持ちに比例するように、強気で握られていた手の力が緩む。
 大丈夫かと彼女の顔を見れば、不安げな表情を浮かべており視線を向ける自分の存在に一切気づいていない。やはり、彼女にとって自分の好意は重荷になっているのかと、先程までの懸念点が頭をよぎる。
 実際のところ、彼女は自分を好意的な目で見ていると感じている。そうでなければ、ただの客と煙草は吸わなければ一緒に家まで送られはしないだろうし、唇を重ねることすら許されなかっただろう。
 彼女はもう十分、自分に領域への侵入を許可している。

 遠くに飛んでいってしまった思考を取り戻すかのように、彼女に搦められていた手を動かす。今度はこちらから指先を交ぜわせ、手を繋ぐ。手を繋いだ感触で、飲み込まれていた思考の渦から抜け出したようで、目線が静かに持ち上がる。
 くいっと手を引き、目線をこちらに向けさせる。
 
「お前を、急かせるつもりはない。」
「待つのは得意だ。忍耐力には自信がある。なんせ落とすために、数日置きに店へと通ってるんだからな。」
「お言葉に甘えて……、もう少しだけ待っていてください。」

 この場は、一旦保留ということで落ち着いた。もう少しだけ我慢を強いられるが、たまには待つのも悪くないだろう。向こうからすれば散々かもしれない。しかし折角の機会だ、彼女の一挙一動を楽しむことにした。
 色々考えて、喉が渇いたのか彼女はグラスの麦茶で口内を潤している。自分も喉を潤そうとグラスを手に取り、口に麦茶を含めば、体が紫煙を求めて始めていることに気づく。部屋を見渡したとき、灰皿らしきものは見当たらなかった。禁煙のアパートも多いので気にならなかったが、彼女は普段どこで紫煙を燻らせているのだろうか。

「ベックさん、煙草吸いませんか」
「……この部屋で吸っていいのか?」
「流石に、ベランダになりますけど」

 繋がれていた手が離され、隣りにいた彼女は立ち上がった。
 そのまま、ベランダに向かうかと思えば、玄関の方へとぱたぱたと移動をしていった。不思議に思い、後をついていけば玄関に備え付けられている靴箱の中を覗いている。何かを取り出し、振り返った彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべた後悪戯な笑みを浮かべた。

「サンダル必要だなって思って」

 そう言って、眼前にサンダルを掲げられ理解が追いついた。ベランダに出るためのサンダルを探してくれたらしい。しかし、明らかに男物のサイズのサンダルを掲げられ、ある疑問が浮かぶ。

「あァ、ありがとうな。」
「……一応聞くんだが、このサンダルは誰のなんだ?」
「残念ながら、父親のものですね。」
「そりゃァ、良かった。」

 彼女に疑問を尋ねれば、笑って返事が返ってくる。もし、元彼といった男の影を持ち出されたすぐにゴミ箱に捨ててしまうところだった。
 ベランダへの短い道のりを前後に並び進みながら、尋ねられる。

「元彼のって言ったら、どうしたんですか?」
「今すぐ棄てて、今からは自分の靴を履いたな。」

 笑いながらそう返せば、彼女から「物が無駄にならなくて良かったです。」と、言われる。全く持ってその通りである。
 途中で彼女の鞄の中から煙草を回収し、ベランダの入口にたどり着いた。彼女が冷たそうな金属の鍵を開け、引き戸を引く。雨ざらしになるのが嫌なのか、中に入れてある自身のサンダルを履いて先に外へと出た。
 彼女が運んでくれたサンダルが地面に置かれ、足を入れ外へと身を投げた。その間に彼女は、エアコンの室外機の上に置いてあった灰皿を回収し、手すり壁の上に移動させていた。

 手すり壁に並び、ズボンのポケットからジッポと煙草を取り出す。中指でダイヤルを回し火をつけていれば、隣で箱から煙草を取り出した彼女も、ライターで火をつけようとしている。しかし、手に持っているライターのオイルが切れてしまっているのか中々火がつかない。火がつかないライターをみて、彼女が予備のライターを取りに行こうと部屋に戻ろうとするのを見て、声をかける。

「火ならここにもあるだろ」

 「火ぐらい貸す」そう言って彼女の方にジッポを差し出す。「今日は甘えてばかりですね」と言いながら彼女はジッポを受け取り、火をつけようとするがジッポをうまく扱えないようで、カチカチと空回りするばかりである。
 火がつかないのを見かね「貸してみろ」と言い、ジッポを手に取りすぐに火を点ける。
 ジッポを受け取ろうと伸ばされた彼女の手を避け、口元に加えている煙草へと火を移す。火を使っているため、暴れることも叶わず、口に煙草を咥えているため離すこともままならず、されるがままに彼女は火を受け取った。点火した煙草を一吸いすると、口から煙草を離しこちらを恨めしげに見上げた。

 「付けてくれるなら、一言言ってくれればいいじゃないですか。」

 紫煙とともに、文句が吐き出される。
 先程まで、関係性に悩んでいたとは思えない態度に思わず笑ってしまう。

 「散々してやられてるからな、仕返しだ」

 そう言えば、彼女は納得してなさそうに相槌を打ちながら灰皿に灰を落としていく。壁に肘を付きながら煙を揺らす彼女の隣で煙を燻らせる。一足先に吸い始めた自分の煙草はすっかり短くなってしまい、先に灰皿で火を擦り潰す。
 いくら、季節が春先に向かっていても外はまだ肌寒い。煙草を吸い終えた彼女は、寒いのか腕を抱き擦りながら灰皿を室外機の上へと戻しに動いている。部屋に戻ろうとする彼女に声をかけ、何かと振り向いた彼女を手招き、近くに呼び寄せる。

 今日の目的がまだ終わっていないだろう。

 なんの疑いもなく近づいてくる彼女の腕を引き、体を引き寄せる。突然引き寄せられた彼女の頭が胸元へと当たったのを感じながら、彼女の折れてしまいそうな背中へと腕を回し抱きしめる。彼女が上げた驚きの声は体の肉に吸われ、くぐもった声へと変化してしまっている。
 腕の中からほのかに匂う彼女の香りに少しだけ鼓動が早まる。柄にもなく高まっていることに彼女は気づいているだろうか。

 「今日の目的がまだだったなと思ってな、」

 抱きしめられながら耳元でそっと言葉を囁く。その言葉に彼女の顔が弾かれたように上がる。
 腕の拘束を少しだけ緩めると、お預けにしていた口づけをそっと唇に落とした。

───────役者が一枚上




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