奇麗なキス



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 なんとなく浮上した意識につられ、ゆっくりと閉じていた目を開ける。船の中に窓はなく、差し込む光もない。視界にはただ愛おしい男の姿があるのみで、今現在何時なのかを確かめる術がない。
 目の前で瞳を閉じている男、ホンゴウさんは大抵私より先に起きている。その彼より早く目が覚めたということは、いつもより起きたのは早い時間帯なんだろう。

 もぞもぞと体勢を変えようとするが、繋がれた左手が自由を拒んでいる。寝るときの体勢はホンゴウさんと手を繋いでいるのが主だ。
 女の子が1回は夢見るであろう"腕枕"は、ホンゴウさんによって却下された。どうやら、腕枕をしている時に腕麻痺する橈骨神経麻痺、所謂ハネムーン麻痺が起こるらしい。
 どういうものかと言うと、長時間に腕枕をして寝ていると、目が覚め腕枕をやめた時腕が痺れたり、手首が動かなくなったりしてしまうものだという。原因は腕にある橈骨神経が圧迫されて起こる橈骨神経麻痺だとか。腕枕をおねだりしたら、真面目な顔でこう返さたものだから衝撃的すぎすぎて覚えてしまった。

 「敵襲があった時に動けなかったら困るだろ」と、戦闘能力が高く、大幹部であり、船員の命を預かる船医でもある彼にこう言われてしまえば、引き下がるしかなかった。
 彼と恋人以前に、私もこの船の戦闘員である。自分が原因で船の不利益になることはしたくない。
 妥協案として生まれたのが"手を繋いで寝ること"だった。多少不自由だが、手を繋ぐだけなら痺れることも動かなくなることもない。起床時、繋いだままだったり離れていたり…と様々だが、彼の大きな手を握って寝れることは、危険が多いこの海で安心して寝ることができた。

 私は大抵横向きでホンゴウさんは仰向けで寝るタイプであった。ホンゴウさんの左側に寝る私は、彼の左手を私が右手で握ったり左手で握ったりと日替わりで楽しんでいる。
 今は左手同士で繋いでいた手は繋がれたままで、ホンゴウさんと向かい合っている。どうやら昨晩彼は、寝返りをうったらしい。

 繋いだ手をに力を入れたり抜いたりして彼の反応を楽しむ。手の甲をするりと撫でれば、ぴくりと彼が少し身動ぎをした。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ホンゴウさんを見つめる。いつも見えている逞しい腹筋は、寝る時は隠されている。
 というのも、私が彼に寝間着を進めたのだ。船員の体調を気遣う船医であり、私に腕枕の危険性を説いておきながら寝る時は上裸だったのだ。動き続ける天候を進む船旅では、いつ寒暖差で風邪をひいてしまうか分からない。…というか目に毒だ。半裸の彼と寝るなんて心臓がいくつあっても足りない。
 彼に寝間着の必要性を捲し立て、次に上陸した島で寝る時様の服を購入した。ホンゴウさんが着ると少し大きめの白いパーカー。普段縛っている金髪を下ろし、パーカーを来ている姿は私だけの特権だと口角が上がってしまう。

 パーカーから覗く首筋と喉仏に少しだけの高揚感を感じ、吸い込まれるように首筋に擦り寄った。首だけでもわかる逞しさと喉仏に彼が男であることを再認識する。
 首元から感じる仄かな匂いに、すんすんと鼻を動かす。石鹸の匂いと、染み付いた薬品の匂いと彼の匂いが混じり合った匂いが体に染みわたる。
 ホンゴウさんを感じる匂いに、そっと息をつき目を閉じた。

「満足したか?」

 突然かけられた声に驚き、閉じていた目を開いた。飛び跳ねた体を抑えながら上を向くと、そこには意地悪気な笑みを浮かべているホンゴウさん。
 口元がいやらしげに上がっていることから、寝たふりを決め込んで私の好きなようにさせていたのだろう。起きてないと思って、好き勝手やっていた事が途端に恥ずかしくなり頬が紅潮するのを感じる。
 赤らんだ頬を隠すようにホンゴウさんの胸に擦り寄り、逞しい胸板に自らの頭をぐりぐりと押し付けていれば、繋いでいた手が離され、彼の左手が私の髪の毛を撫でる。しばらく撫でていた手が、腰へと移動しぐっと引き寄せられる。
 ホンゴウさんの胸へ顔を押し付けられ、呼吸が苦しくなり上を向けば彼と視線が絡み合う。

「寝たふりしてたなんて、意地悪」
「どっかの誰かさんに可愛いことされて、タイミングを逃しただけだ。」

 そういうとホンゴウさんの顔が近づいてきたため、慌てて目を閉じる。小さなリップ音とともにキスが額に落とされる。こわごわと目を開ければ、優しげに微笑む彼と目が合った。

「おはよう」
「おはよう、ホンゴウさん」

 ホンゴウさんは意外とスキンシップが好きだ。手を繋いで寝てくれるし、隙あらば頭を撫でてくる。彼から送られる目覚めのキスは、いつも額が頬でどうしてか唇送られることはない。なんでなんだろう。多分、彼なりの理由があるのだろうがそれを私には推し量ることができずつい、わがままを言ってしまう。

「ねぇ、ホンゴウさん。唇にちゅーして欲しい」
「ダメだ。寝起きの口内は汚いんだ。起きてる時は分泌した唾液によって口内は清潔に保たれてる。唾液には洗浄作用があってな、その唾液が俺らが夜眠っている間は減って、口の中が乾燥する。そうすると細菌が一気に繁殖するンだ。」
「だから、朝イチのキスは唇にはしねぇ。」

 出た。やっぱり綺麗好きで医療に通ずるホンゴウさんに、ロマンチックを要求するのは間違っているらしい。
 しかし、彼の言うことは正しい。今もつらつらと細菌の数を語っているが、どうやら寝ている間に細菌はよく磨いていても1000億個の細菌がいるらしい。そんな事実を知ってしまえば、寝起きに口でキスをするのが嫌になってしまう。
 少しだけむくれてホンゴウさんの目を見つめれば、彼は困ったように頬をかいている。そして私を宥めるように頬をかいていた手を頭に乗せてきた。
 されるがままに撫でられていれば、頭を撫でていた手はいつの間にか私の頬へと来ていてそっと目線を合わせられる。

「歯、磨き行くか」
「うん」

 ホンゴウさんはベッドから先に降りると、パーカーを脱ぎ捨ていつもの前が全開な服装に着替えている。シンプルに寒そうだ。私は、着替えを横目で見ながら髪の毛に軽くブラッシングを施し、歯磨きのセットを手に取る。
 水場に置いておけば、紛失するか無断使用されるかの2択だ。個人的なものは共用部に置かないに限る。
 部屋の外に出て、二人並んでまだ朝が早い廊下を歩いていく。毎夜毎夜何かと宴が行われるこの船では、朝ちゃんと起きている方が珍しい。
 共用部に近づくにつれて増える、廊下に転がっている酔っ払いの屍を越えていく。後で転がっているアイツらは、ホンゴウさんのお世話になるに違いない。
 洗面所に着くと、手に持っていた歯ブラシで歯を磨いていく。隣に医者の目があるからいつもよりも丁寧に。丁寧に磨かないとキスは得られないのだ。
 綺麗に磨き終わり、口をすすぎ終わると隣に立つホンゴウさんの袖をくいくいと引っ張りこっちを向いてもらう。仕切り直しだ。

「ね、ホンゴウさん、ちゅーしよ?」

 彼の首に手をかけてお願いすれば、苦笑いを浮かべるホンゴウさん。ちょっとだけ積極的に行き過ぎたかな?なんて思うけど、して欲しいものはして欲しいものだ。「はいはい、仰せのままに」と投げやりに返事をしたホンゴウさんの顔がゆっくりと近づいてきて、唇が重なる。
 しばらくの間、硬い身体からは想像がつかない柔らかな唇の感触を楽しむ。1回重ねてしまえば離れ難く、背後から近づく気配に気づかず短いキスを繰り返す。

「朝からお熱いな」

 頭上から降ってきた声に肩がびくりと震える。声の持ち主に気づきながら恐る恐る後ろを振り返れば、そこには酒瓶を片手に持っている白髪混じりの男がそこにいた。どうせ酒を嗜みながら徹夜したに違いない。

「…ベック、見ないでよ」
「仲間が使うとこでやるお前らが悪い」

 いじけた様に文句を垂れれば、至極真っ当な返事が返ってくる。何も言い返せず、ホンゴウさんの方を見ればそれはもう楽しそうに笑っている。
 育て親同然のベックにキスシーンを目撃されるのは些か気恥しい。ホンゴウさんなら、近づいてきていたベックの気配には当然気づいていたはずだ。

「ホンゴウさん、気づいてたら止めてよ。」
「お前が可愛らしく強請ってくるから止められなかったんだ。」

 「ごめんな」と、微笑みながら謝る彼に怒りは湧いてこずに力んでいた肩を下ろす。許せないのは見て見ぬふりをすればいいのに声をかけてきたベックだ。後ろを向いて、ベックにあっかんべーと舌ベロを向ける。

「なんだ、俺にもキスして欲しいのか?」
「そんなわけないでしょ!」

 どう足掻いてもベックには勝てない。悔しい。元凶はあのベックを連れてきたお頭のせいだ。今日はホンゴウさんに頼んで、お頭には二日酔いの薬を出さないでもらおう。
 ホンゴウさんの腕を引き、水場の出入口を目指す。

「ホンゴウさん!ご飯食べいこ」






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