慕情の炎火



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 目の前はただただ赤かった。
 ぱちぱちと燃える炎を視界に収めながら、ずるずると壁を背に座り込む。煙を吸い込み過ぎたからなのか、頭が痛みを訴え始めている。瞼が重い。
 前に立ち塞がるのは、崩れてきた建物だったもの。後ろには窓と壁しかない。4階からでは窓からの自力での脱出は不可能だ。
 まともに空気を吸えず、段々と眠気が襲ってくる。ここで、意識を飛ばしたらダメだと思う反面、少し寝るだけなら大丈夫じゃないかと思ってしまう。何が良くて何がダメなのかの判断も曖昧になる。
 考えを整理しようと、目を瞑り思考に意識を集中させる。大丈夫。きっと誰かが助けに来てくれるはずだ。
 きっと、誰かが…

───────

 新しい家具が欲しくて、商業施設にパウリーを荷物持ちとして連れてきていた。この荷物持ちとは幼い頃からの付き合いで、ずっと一緒に育ってきた。
 幼い頃はアイスバーグさんに憧れを持つ素直な子供だったのに、どうして借金取りに追われるようになってしまったのか。甚だ疑問でしかない。きょろきょろと辺りを見渡すパウリーを見上げ、小さく溜息をこぼした。

「……どうしてあのまま育たなかったんだろ」
「なんか言ったか?」
「小さい時の可愛いパウリーはどこに行ったんだろって言っただけ」
「…ハァ?」

 意味がわからないと首を傾げる彼は本当に可愛くなくなってしまった。そんな彼に心奪われてるしまっているのだから私も大概可愛げがない。
 パウリーのことを好きなのに、気持ちを伝えるわけでもなくただずっと隣に立っていた。今日もただ買い物をするだけなら荷物を送って貰うか、他の人を誘えばいいだけなのに、飽きずに彼を連れてきてしまった自分に溜息が漏れる。
 物憂げに息を吐く私を見て、どうすればいいのか分からないのかパウリーが隣でガシガシと頭をかいている。せっかく楽しい買い物に来ているのだ。彼を困らせては置けないと思考の渦に塗れた意識を浮上させる。

「…少し休憩しない?」
「ちょうど昼時だしな」

 一旦家具選びは中断して、休憩できる場所を探そうと館内地図の前へと移動をする。何を食べたいか、どこにしようかを話していると突然腕を引かれ歩みを止めた。
 腕を引いてきたパウリーを見上げれば、唇に人差し指を当て視線を遠くに向けている。視線を辿り遠くを見れば、そこには借金取りから女性ファンまで多種多様なパウリーの追っかけ達。
 人気者は大変だと思っていれば、追っかけの1人がこちらに気づき物凄い勢いで距離を詰めてきた。その様子を他人事のように見ていれば、途端慌てだしたパウリーに耳打ちされる。

「ッオイ、撒いてくるから適当言ってここで待ってろ」
「え、ちょ、パウリー!」

 言うやいなや、追っ手から逃げるように私の前を立ち去っていくパウリー。そして目の前に迫る彼を求める人達。彼らには幼馴染で仲のいい私の存在は知れ渡っていて、先程まで一緒いたこともバレている。先頭の人達はパウリーを追いかけ続けるが、真ん中の人達は私から情報を得ようと話しかけてくる。
 彼曰く、撒いたらここに戻ってくると言うので、ここで待っていたら追っ手の人達はパウリーに会えるに違いない。
 しかし、今日の彼の日程は私のものなのだ。パウリーが悪いとはいえ、ここだけは譲ることができない。

「パウリーのヤツ、どこ行くって言ってた?」
「さっきなんか言われてたろ!」
「急用ができたから家帰るって、見ての通り置いてかれちゃった」

 お手上げだと言うように顔の横に手を持っていけば、口々に飛び交うパウリーへの文句。仮にもガレーラカンパニーの副社長なのだ、返すのは容易いだろうに何故こんなに追われているのか。
 終わらない鬼ごっこを見送り、後で借金を返すように促すことで少しだけの罪滅ぼしをしようと心に決めた。

 パウリーはなかなか帰ってこず、襲ってくる尿意に少しだけならその場を離れても大丈夫だろうと近くのトイレへと駆け込んだ。個室に入りいつまでも戻らないパウリーに心の中で文句を募らせていると、ドンと言う音ともに激しく揺れた。
 慌てて立ち上がり外に出ようとするが、先程の衝撃の影響かドアが開かない。誰かに開けてもらおうと呼びかけるが、お手洗い周辺には誰も居ないのか返答は無い。何度か体当たりをするが開く気配が見えず、その場に座り込む。
 こういう非常事態の時にはまず落ち着かないと、と静かに深呼吸を繰り返す。漠然とした不安に襲われ震える体に両頬を叩き叱咤し、溢れそうになる涙を抑えるように上を見上げる。
 気づいたのはその時だった。ドアの上と天井に人がひとり通れるほどの空きがある。高さが足りるか不安だったが、ドアがあかない今やるしかないだろう。便座と荷台に足をかけ、ドアの上に手をかける。貧弱な筋肉を使い、上半身も何とか外に出すと一呼吸おき、上半身を横に倒し足を外に出し滑るように地面に落ちる。お手洗いの床に転がるのは衛生面的に凄く嫌だが、そんなことに気をかけている暇はない。

 仄かに焦げ臭さを感じながら廊下へと出ると、辺りに広がる店にあった商品や崩れた物。
 私が試行錯誤している間に同じフロアにいた人たちは逃げていったのか人の気配を感じない、すっかり逃げ遅れてしまった。
 下に逃げようとやっとの思いで階段にたどり着くが、どうやら下で火災が起きているらしく、前が見えないほど、煙に覆われている。ならばと、階段を上がり階層をあがり最上階にたどり着いた。

 多分、屋上もあるのだろうが別階段なのか道が見えない。煙を吸わないようにしゃがみこみ、口に袖口を当てて進む。ハンカチをトイレから出てきたパウリーに貸した事が悔やまれる。
 窓がある突き当たりにたどり着き、これ以上進むこともできずにその場に座り込む。パウリーは一体どこまで走って行ってしまったのか。どうして彼はこういう居て欲しい時に居ないのか。

「パウリーの馬鹿、ほんとばか」
「……なんでこういう時にいないのよ、」

 溢れてきた涙で視界が霞み、呼吸が苦しくなってくる。下からは定期的に爆発音と、揺れが続いている。もっと安全なところに逃げたいが、もう動くだけの体力がない。そろそろ限界なのかもしれない、きっと誰かが助けに来てくれると信じ、今にも倒れてきそうな柱に気づかずに目を閉じた。

「馬鹿野郎!最後まで気ィ抜くな!!」

 耳に届いたのはここにはいないはずのパウリーの声。ついに幻聴でも聞こえるぐらいに、自分が疲れてしまったのかと思ったが肩を揺さぶられる感覚が嘘ではないことを証明している。
 「目ェ、開けろ」と激しく揺さぶられ、がんがんと鳴る頭の痛みを堪えながら目を開けると、そこには先程別れた男の姿があった。パウリーの手にはロープが握られており、目の前の今にも倒れそうな柱を支えている。

「助けに、来てくれたの?」
「っ当たり前だろ…ッ!」

 揺れる視界で言葉を紡げば、力強い肯定が帰ってくる。手を伸ばし、彼の頬を撫でればざりざりと髭の感触がして、本当に助けに来てくれたことを実感する。
 顔を見つめれば、所々かすり傷がありトレードマークの様なゴーグルは割れてしまっている。全部別れた時にはなかったものだ。全部、私を助けに来たからできてしまったモノだ。

「早く、逃げるぞ」

 当然の様に差し出される手を、素直に受け取れない。私のせいで傷だらけになっているのに。

「…私にはもう逃げる体力がないから…、パウリーだけでも早く脱出して、?」

 そう言って、こんな有事の際でも咥えている葉巻を抜き取る。頬に手を添えて自らの唇を葉巻の代わりに押し付けた。重なったのはほんの少しの時間。それなのに互いの唇は周りの炎に溶接されたのかのように長く感じた。

「…最後に顔見れて良かった。」

 唇を離し、葉巻を口に咥えさせ満足気に微笑む。最後の最後まですっかり我儘な女になってしまった。想いを伝えることができなかったのは口惜しいが、今はそれよりも彼には生き延びて欲しい。頬に添えていた手を離し、腕を下ろそうとしたところを力強い手で握られる。

「〜っダあァもう!ごちゃごちゃうるせぇぞ!!!好きな女が危ない目にあってるのに放っておくわけねぇだろ!」
「でも、パウリーの荷物になっちゃう、」
「うるせェ、黙ってろ!お前だけは俺が絶対助ける!!…ッ死んでもだ!」

 握られた右腕を引っ張られ、抱き寄せられたと思ったのも一瞬。されるがままにパウリーの胸に倒れ込んだところ、膝裏に腕が差し込まれ抱き上げられる。突然動いた視界に、あわてて目の前の金色を抱え込む。

「待って、パウリー!私は置いてって」
「聞こえねェな、黙って運ばれてろ」

 片腕に私を抱き、パウリーは立ち上がる。いつの間に脱いでいたのか、彼のジャケットを頭から被せられる。片腕成人女性を抱えるのは、さすがガレーラカンパニーの職長だなと納得してしまう。
 置いていけと暴れたいが、もう暴れる気力も体力もなくされるがままに体を預ける。そんな様子の私を見て、パウリーが少しだけ鼻で笑った気がした。

「良い子だ。そのまま大人しくしてろよ」

 するりと頭に被せられたジャケットの上から頭を撫でられる。小さく頷くと、抱えられた腕に力が篭もる。突き当たりで、退路は柱で塞がれているこの場所から一体どうやって脱出するのかと抱いた疑問はすぐに解決した。
 激しい衝撃音とともに、襲ってくる浮遊感。まさかとは思ったが、パウリーは窓から私を抱えて飛び降りたらしい。浮遊感に耐えきれずぎゅっと首に回していた腕に力を入れてしまう。
 浮遊感が収まり、閉じていた目をうっすらと開けるとパウリーの肩越しに広がるのは外の景色。下を見るとまだ、地面には程遠い高さにいるらしい。彼の顔の方を向けば、どこからかロープを出し、壁伝いにゆっくりと降りてきているらしい。
 程なくして飛び降りれるほどの高さになると、私を抱えたままトンっと地面に着地した。途端に周りに心配そうにこちらを見つめていた人達が近寄ってくる。
 休まる間もなく「無事でよかった」「怪我はないか」と矢継ぎ早に聞かれるが、十分な返事が返せない。

「医者はどこだ」

 うるせェぞと周りの心配を一蹴するパウリーが医者の場所を尋ねると、医者の場所までの道がおずおずと開かれた。パウリーは私を横抱きに抱え直すと、医者のいるところまで歩き始めた。
 自然に抱え直され、気恥しさからジャケットを顔を隠すようにずりあげる。深呼吸をするように息を吸えば、煙の匂いに混ざりパウリーの匂いがして血が顔に集まる。逃げ場がない。

 しばらくして医者のところに着いたのか、柔らかい布の上へと降ろされる。心配そうに見つめてくるパウリーに見守られながら、医師と話をし怪我がないか見てもらう。
 結果として、軽い一酸化炭素中毒とトイレを出た時の打撲痕、切り傷が少々という入院する必要も無い怪我だった。パウリーとその場で処置をしてもらい、そのまま家への帰宅許可が出た。
 幸い自宅まではヤガラブルを使う距離でもなく歩いて帰ることになった。帰るぞと声をかけられ立ち上がろうと足に力を込めるが、気が抜けてしまったのか立ち上がれない。先に歩いていたパウリーが、隣に来ない私を不思議に思い立ち止まり後ろを振り返った。

「さっさと帰るぞ」
「…ごめん、パウリー立てなくて。」
「ハァ?」

 引き返してきて、目の前に立つ彼に両腕を伸ばす。

「…、連れて帰って?」

 そう言って可愛くお願いをすれば、大きなため息とともに背中が差し出される。有難くと、背中に体を預けようとすれば、足に違和感を感じた。
 今日はパウリーとの外出だから、足を出さないマーメイドスカートを履いていたはずだ。それなのに感じる足の開放感にもしかしてと思い視線を足に向けると、嫌な予感の通りいつの間にか破れてしまっていたのか大きなスリットが入ってしまっている。このままおんぶされると太ももまで丸見えになってしまう。私はいいが、彼が生肌に耐え切れるとは思えない。

「どうした?」
「や、あのね、スカートが破れちゃってて」

 首だけ振り返った彼の視線が足へと向かう。みるみるうちに、パウリーの顔が赤く染っていく。わなわなと震え出したパウリーが口を開いた。

「〜ッ!破廉恥!」
「勝手に見たのパウリーじゃん、てか深いスリットが入っただけでそんなに破廉恥じゃない」
「そういう事じゃねぇよ!」

 返したばかりの彼のジャケットが腰に巻かれ、そのまま再び横抱きに抱えられた。

───────

 いつもよりゆっくりとしたペースで進んだ帰り道は、あっという間ですぐに集合住宅の自室前へとたどり着いた。
 家に着く頃には、自力で立てるほどには力が戻ってきていた。鍵を鞄から探し、鍵を開けていると私の部屋の奥の人が帰ってきてしまった。
 まだ、パウリーにお礼もまともに言えておらず、かといって狭い廊下を占領する訳にも行かず急いで鍵を開けてパウリーを玄関に連れ込む。

「今日はありがと」
「おう。途中一人にしちまってごめんな」
「いいよ、戻ってきてくれたから、」

 そう言って思い出すのは、炎の中のあの台詞。
 聞き間違えでなければ彼の好きな女は私のはずだ。うそが下手な彼のことだ、きっと本心だろう。

「ねぇ、パウリー。私もパウリーのこと好きだよ」

 突然の告白に、何が起きたのか分からないという顔を浮かべるパウリー。私"も"から自分の行ったセリフを思い出したのか頬が赤く染まり、口が緩く開かれてた。こんな変な顔も愛おしく思うのだから、惚れた弱みとは厄介なものである。

「本当か?」
「助けて貰ったあとに嘘つかないわよ」

 それもそうだと笑う彼は、葉巻の火を消し私の頬を両の手の平で抱え込む。お互いの鼻先が重なるほどに近い距離に、先程の接吻を思い出す。

「キス、したいの?」
「悪ぃか」
「破廉恥」

 そう言って、近づいてくる顔に私は視界を閉ざした。




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