いつものところで



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 私には付き合っている男性がいる。同じ街に住んではいるがなかなか時間が合わない。相手は海軍将校で遠征もある身だ。その身体に伸し掛る責任と仕事の量は果てしなく多い。遠征があれば船の上、遠征がなくても執務室の椅子の上である。

 彼と私は別々に暮らしているが、彼が家で過ごす時は九割九分九里、私と過ごしている。私にとってはお泊まり感覚でも、彼からしたらほぼ同棲しているような感覚だろう。
 遠征もあり、思うように会えない私は近くに住んでいるのに遠距離恋愛の気持ちを現在進行形で味わっている。正直、会いたい時に会う事はできないので寂しいと言えば寂しい。だが、私には取っておきの秘策がある。

 スモーカーさんと私は元々違う洗剤と柔軟剤を使っている。だから、スモーカーさんの匂いはスモーカーさんの匂いとして確立している。その匂いを持ち帰ること。これが私の秘策だ。
 どうやって持ち帰るのか。それは、彼の家で自分の服を洗濯すること。スモーカーさんの使っているタオルを1枚拝借することだ。
 自分でやっていても変態くさいと思いつつ、会えない時には匂いを嗅いで寂しさを紛らわしている。拝借したタオルは、次のお泊まりの時にしれっと洗濯物に混ぜ入れ返却。また帰る時に1枚拝借して帰るルーティンだ。

 減るのはタオル一枚だけ、スモーカーさんからすれば気づく余地もないだろう。実際、何も言われていないからバレてはいないはずだ。
 枕元に置いてある、スモーカーさんのタオルを手に取り顔に当てながらバレた時を考える。やましいこともしていないし、ただ可愛く寂しくてなんて言えればいいのだが、口に出すとなると恥ずかしで口に出せる気がしない。

 うー、とタオルに対して唸っていると、突然の私以外の生物の音が鳴る。彼の前ではあげられない声を上げながら発信源に目をやる。そこには、スモーカーさんから半ば強制的に持たされたでんでん虫。普段は目を閉じていて、唯一ある関わりとすれば、水を変えてあげたり餌を置いといたりとしたお世話だけである。
 彼からしか連絡が来ないでんでん虫は、近づいて見ると凄く人相の悪い顔をしておりすぐに分かる電話の主に笑みがこぼれる。ガチャと鳴き声をあげるのを聞きながら受話器を耳に当てる。

 『もしもし』
 『俺だ。』
 『誰ですか。』
 『…スモーカーだが、』
 『はい、こんばんは、スモーカーさん。』

 少々、不満げに耳に届く名乗りに思わず声を上げて笑ってしまう。それもまた不満なのか、電話の向こうで少しのため息が聞こえてくる。きっと今眉間に皺を寄せているのだろう。想像が容易だ。

 『こんなお昼にどうしたんですか?』
 『…今日の夜空いてるか?』
 『今日は一日お休みなので、空いてますよ』
 『仕事が早く終わりそうなんだ。…たまには外で飯食わねぇか』
 
 驚いた。たまには、と言う通り彼と外に食事に出ることは稀だ。会う時は大抵夜遅い仕事終わりが多く、外に食べに出るより家でいつも済ませてしまう。

 『大丈夫ですよ。何時頃に行けばいいですか?』
 『そうか。…じゃあ、19時に家にいつものところで。』

 予定もないし、最近会えてない私にとったら断る理由がない。二つ返事で了承する。
 19時にいつものところ、かと時計を見上げれば14時を過ぎたころでまだ余裕はあるなとお風呂場へと向かう。せっかくの休みで十分に支度の時間がある。まずはお風呂に浸かろう。

 ゆっくりお風呂に浸かり、ボディクリームを塗る。髪の毛にオイルを塗布して乾かしていく。スモーカーさんの隣に立つのに恥ずかしくないように身なりを整えていく。
 念入りに準備をして、家事を片付けていれば約束の19時まで30分を切っていて、少し慌てて家を出る。

 待ち合わせ場所になっているいつものところとは、彼と私の家の別れ道である。まだ、お付き合いをする前はよくここで待ち合わせをしていた。帰りにはわざわざ逆方向の私の家まで送り届けてくれていた。
 懐かしい思い出を振り返っていれば、待ち合わせ場所が視界に入ってきた。地面に向けていた視線を上げれば、そこには思い描いていた彼の姿が既にあった。慌てて腕時計に目をやるが時間はまだ、約束より10分も前だ。
 小走りで近寄ると、向こうも私に気づいたのか視線が私に向く。

 「待ちました?」
 「いや、今来たとこだ。」

 本当か嘘か分からない表情と声色で伝えられる。本当か嘘かを尋ねたいところだが、彼の性格上今来たというのだからその主張が譲られることは無いだろう。
 二人並んでご飯屋さんまで歩く。店を決める会話を振られなかったから、彼の中でもう店を決めてくれてあるのだろう。
 たどり着いた先は落ち着いた雰囲気のご飯屋さん。取り扱っている食事は、家庭的な料理が多くついついお酒が進んでしまった。
 店を出る頃には、1人で歩くには頼りなくなっていた。見かねたスモーカーさんに腕を掴まれ家路につく。行く時よりも近い距離が嬉しくて、逞しい腕につい抱きついてしまう。

 「スモーカーさん、」
 「どうした、酔っ払い」

 ついつい、楽しげになる口調に隣の彼が笑いながら返事を返してくれる。普通のような出来事がとてつもなく嬉しい。同時に、不安も心に募っていく。

 「…迷惑かけてすいません」
 「気にすんな、なんならおぶってやろうか」
 「歩けます、」
 
 全然残念じゃないくせに、残念だななんて言葉を吐いている彼は優しい。ついつい、彼の優しさに甘えすぎてしまうが、お酒が入っている時ぐらい許されるだろうか。
 途中で買って貰ったお水は、上手く力が入らず開けることができなくてスモーカーさんに開けてもらった。やっぱり彼は優しい。

 スモーカーさんの家の近くにあるお菓子屋さんが目に入る。くいくいと、抱きついている腕を引っ張り足を停めさせる。

 「甘いの、買ってきましょ」
 「…食えんのか」
 「甘いのは別腹です。」

 立ち寄ったお菓子屋さんで、1番に目に付いたカヌレを購入し、家への道を歩く。春風に吹かれ、スモーカーさんの家に着く頃にはすっかり酔いも覚めてきていた。
 先程までの舌足らずな喋り方と、大胆な行動を思い出し少しの恥ずかしさが込み上げる。酔いなのか恥ずかしさから赤くなっているのか分からない頬を、手で扇ぎながら玄関に入る。

 靴を脱ぎ、手を洗ってキッチンでお湯を沸かす。カヌレに合わせたデザートタイム。私は紅茶でスモーカーさんは珈琲。それぞれのマグカップに注いだら単身者らしいワンルームのテーブルへと運び入れた。
 ふかふかのソファに座り、買ってきたカヌレを取り出し、スモーカーさんに手渡す。私にとって普通サイズでも彼の手にあるのを見ると少しカヌレが小さく見えてつい口角が上がる。

 「まだ酔ってんのか」
 「ううん、スモーカーさんの手大きいなって思ってただけです」
 「そうか?」

 そう言いながら、スモーカーさんは片手でカヌレを齧りながらもう片方の手をまじまじと見ている。眺めている方の手に自らの手を重ねぎゅっと握る。

 「ほら、やっぱりスモーカーさんの手は大きいですよ。」
 「お前とじゃ、元々の体格差があるだろうか」
 「…確かに、まぁでも私から見れば十分大きいです。」
 「そりゃあ、そうだな。」

 宥めるような、子ども相手のような返事に少しだけ頬を膨らませる。こっちは本気で言っているのに、そんな私を見て彼はまた笑みを深めている。
 こんなことを気にしてもしょうがなく、時計を見れば22時近くを指していた。今日は泊まる約束もしてなかったし、お暇しようかなと考えながら空いたマグカップを流しで洗う。
 洗い終わり、ソファに座るスモーカーさんに声をかける。
 
 「そろそろ、帰りますね。」
 「泊まっていかねぇのか。」
 「……たまには、1人になりたいかなって思ったんですけど、」
 「気にすんな、1人になりたいかったらそもそも飯に誘わねぇ」

 確かに、と1人で納得してしまった。「じゃぁ、お言葉に甘えて」と返すと「風呂、行くぞ」とあっという間に風呂場へと連行された。
 そこからはあっという間で、お風呂で全てのお世話をされ、気づけば布団の上へと転がっていた。明日はお互い仕事ということもあり、軽いスキンシップを交わして眠りに落ちた。

 窓から差し込む光が眩しくて、窓から顔を背けもぞもぞと目の前のモノに擦り寄った。
 やけに温もりを感じて、ゆっくりと目を開けるとそこには生傷が散らばる肌色があった。驚いて息を飲むと、頭上から声をかけられる。

 「朝から積極的だな」

 スモーカーさんに笑われている気配を感じる。覚醒していない頭で、昨日泊まっていったことを思い出し恥ずかしくなり掛け布団の中に潜り込んだ。なんで半裸で寝ているんだと恨みが募るが、この人は普段から半裸みたいなものだったと思い頭を抱える。
 中々出てこない私に痺れを切らし、スモーカーさんに布団を剥ぎ取られた。

 「……おはようございます、」
 「おはよう」

 挨拶を交わすと、額にキスを落とされる。素直にそのキスを受け取り、身体を起こしお返しに唇を髪の毛に落とす。甘い雰囲気に、野犬の名も廃れている。
 朝はお互い食べないので、珈琲を2人で飲みながら今日の予定について話していく。どうやら彼は今日も遠征やすごく遅くなることは無いらしく、今日のお泊まりも確定した。

 「また夜に」
 「おう、気をつけてな」
 「スモーカーさんこそ、気をつけて」

 仕事のカバンは自宅のため、一旦自宅に戻り泊まり支度をした。向こうには最低限、泊まれる用意はしてあるが次の日の出勤を考えるとお泊まりセットを作った方が楽だった。
 服や化粧品を詰めながら、先日持ち帰っていたもうすっかり匂いは落ちてきてしまっていたタオルを思い出し、一緒に鞄に詰めた。
 いつも通り、出勤をし昨日休んだ分溜まった書類を片していった。普段は憂鬱な気分だが、今日はお泊まりの約束をしているから少しだけ気分がいい。
 残業はしないと心に決め、いつもよりもハイスピードで仕事を片付け終業の時刻とともに職場を後にした。

 自宅につき、スモーカーさんからの連絡を待つ。キーケースには、「いつ来てもいい」と手渡されたスモーカーさんの家の鍵がついている。1人であの部屋にいるのはなんだか寂しさが募るので使うことはあまりなかった。
 昨日干した洗濯物たちをしまい、ソファで小説を読んでいるとプルプルと呼出音が鳴った。2日連続で鳴るのは珍しいと思いつつ、何かあったのか不安が募る。
 受話器を耳に当てると朝まで聞いていた、思い描いていた通りの人の声が耳を撫でた。

 『もしもし』
 『俺だ、スモーカーだ。』
 『はい、どうかしましたか?』

 昨日、電話口で遊んだからだろうか、ちゃんと自ら名乗られて微笑みがこぼれる。

 『悪い、急に遠征要請が入っちまって今日家に帰れそうにない』

 海軍という特殊な職に就く彼の隣に立つ以上、有事の対応には理解があるつもりだ。約束していたことがなしになってしまうことは寂しいが、我慢するしかない。

 『大丈夫ですよ。今日は家でゆっくり過ごそうと思います。…気をつけて、頑張ってきて下さいね。』
 『あぁ、また帰ってきたら連絡する。』

 そう言って切られたでんでん虫を、少しの間ぼーっと見つめる。こちらの気持ちを悟られてないことを小さく祈る。彼の負担にはなりたくない。
 気を紛らわせようと、鞄に詰めたタオルを取り出すが薄れた香りでは気休めにもならなくて深い溜め息を吐く。
 これを使って、タオルだけ交換してこようかと血迷った考えが脳に浮かぶ。今まで、タオルを取ってきたことはバレていないし、家に勝手に入って交換したところで彼は気づかないだろう。

 決断すれば早いもので、日が落ち切る前にとスモーカーさんの家に向かった。鍵を預かっているので悪いことでは無いのだが、何故か悪いことをしている気分でドキドキする。
 今朝ぶりの玄関を開け、靴を脱ぐと一目散にタオルが置いてある洗面所へと向かった。洗濯物の中に持って帰っていたタオルを混ぜる。そして、1番上のタオルを手に取り腕に抱える。帰ろうと踵を返そうとした時、扉の開く音がした。
 海軍が多く住むこの地域に入り込む泥棒なんて居ない。十中八九、帰ってきたのはスモーカーさんだろう。
 鍵が空いていることと、靴があることで私の存在に気づいているのか、玄関から名前が呼ばれ「来ているのか」と問いかけられる。状況は非常に不味く、段々と近づいてくる足音に心拍が上がりきる。

 「何してたんだ?」

 洗面所を覗いた彼は、私が手に持っているタオルに目線を向けられながら声をかけられる。滅多に自分から家に入らない私が、洗濯物を片付けようとしていたなんて下手な嘘は通じないだろう。
 ぎゅっとタオルを握る手に力が篭もる。正直に言っても引かれないだろうか、嫌われないだろうか。

 「……寂しくて、」
 「スモーカーさんに、会いたい時に会えないのが寂しくて、タオルをスモーカーさんの代わりにしてました…」
 「今日、会えると思ってたので、その時にタオル変えようとしたんですけど急に遠征が決まってしまったので、」

 だから、こっそり新しいタオルを拝借しようかな、と頬に血が上るのを感じながら、なんとか言葉を紡いでいく。怖くてスモーカーさんの方を向けず、抱えていたタオルに顔を埋める。
 どうしても、気になってしまい目線を上げるとそこにはガシガシと頭をかくスモーカーさんの姿があった。沈黙に耐えきれず、怒ってますかと尋ねようと喉を通ろうとした声は音は、聞こえてきた彼の声によって宙へと消えた。

 「…帰ってきたら家見に行くか、」




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