Name Change
白いキャンバスに色をのせる。自分の中の空白を埋めるかのように塗り広げていく。
様々な色が広がるパレットに、色を足して、混ぜて、筆に乗せる。そして、キャンバスへとのせる繰り返し。
無心で色を広げて、形を作っていくが今描いている心臓の色に納得いかず、塗っては塗りつぶし、塗っては塗りつぶしを繰り返していく。
絵を描きながら、脳裏をよぎるのは一緒に住んでいる、私の倍ほどありそうな背の高い男。
全体的に個性的な彼。男性がするには、ひどく特徴的なメイクは、唇を大きくはみ出た紅に、流行りの涙袋を強調するアイシャドウとは異なっている。
このお化粧が似合うのは彼しかいないと、私は思う。彼は一体どんな色の心臓をしているのだろうか。
背にしているドアがガチャりと音を立てるのが耳に入り、傍においてあった机の上にパレットを置き振り返る。
この部屋を訪ねてくるのは一人しかいない。首を捻り、後ろを見るとそこには私が思い描いていた人が立っていた。
「ロシー、お仕事は?」
「ただいま、今日で忙しかった仕事が落ち着いたんだ。」
「だからこれからは、ほぼ毎日早く帰って来れるよ。」
そう言い、口に咥えた煙草にライターで火を付けようとしているロシーに、静かに駆け寄り彼をじっとりと見上げる。珍しく今日はお化粧をしていないらしい。
「おかえりなさい、ロシー。…作業場は火気厳禁っていったじゃない。」
「悪かった!つい、手が勝手に」
「スマン」と、長身を屈めて顔の前で手を合わせて謝る彼の口元に手を伸ばす。口から煙草を抜き取りゴミ箱に投げ入れた。彼に視線を戻せば、少しだけ気まずそうに私から目を逸らし、頬をかくロシーにため息が漏れた。
この"つい"の行動によって何回この家が焼失しかけたことか。
───────
彼のドジな一面を見ると、ロシーとの出会いを思い出す。彼と出会ったのは数年前の春頃。大木に珍しい花が咲いたという小高い丘に、絵の参考にと、見に行った時に出会った。
早朝、朝日が差し込み始める空の下、大木を見上げる彼の横顔には涙の筋が垂れていて、つい声をかけてしまったのだ。突然話しかけられたことに驚いたのか、彼はバランスを崩し丘の斜面を転がり落ちて行った。
耳に響く衝撃音に、慌てて後を追いかけるように坂道を下りて行く。傾斜が落ち着いた所で大の字に広がる彼に駆け寄り、手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「っあァ、すまない。」
そう言って私の手を取り立ち上がったロシー。彼の手には土が付いていたようで、私の手にも土が付着していた。鞄から取り出したハンカチで手を拭うと、目の前の彼にもハンカチを差し出した。
最初は何故ハンカチを差し出されたのか理解していなかったようで、「手、汚れちゃっているでしょう」と問いかければ、弾かれたように手を叩き汚れを落とそうとしていた。しかし、朝露の残る土は湿っていて彼の手からは簡単に離れず、掌にハンカチを押付けた。
すっかり汚れてしまったハンカチを、ロシーから受け取ろうとすれば、彼はハンカチを握っていた手を背中に隠してしまった。
「…洗って返す。」
「え、大丈夫ですよ、どうせ洗うので」
「悪ぃから、洗って返す!」
そう言って聞かない彼に、これも何かの縁かとロシーからの申し出を受けいれた。
申し出を受け入れるには、返すのはいつ、どこで返すのかを決めなければいけなくて、その旨を尋ねたら彼は出会ってから何回目かの焦りを見せた。
どうやらそこまで考え着いていなかったらしいロシーに、くすくすと笑いが込み上げる。
思えばこの時から、ロシーに心を奪われていたのかもしれない。
「…もし良かったら、なんですけど」
声をかけると、どうしようかと考えていた彼は私の顔を見るように視線を下に向けた。
「丘を下ったところのパン屋さんの路地をまっすぐ進んで突き当りが私の家なので、洗い終わったら届けてくれませんか。」
「昼間なら大抵いるので」と、付け加えて微笑めば彼は「…分かった」と納得してくれた。
数日後、ドンドンと叩かれる扉を開ければ、またしても泥だらけのロシーが立っていていた。身長が高い彼は私の家のドアには入り切らなくて、ドアから覗いても胸ぐらいまでしか見えなくて身長差に驚いた。
「シャワーでも浴びていきますか?」
「…また世話になる訳にはいかねェ」
「や、でも泥まみれで街歩いて帰るんですか。目立ちますよ。」
負けじと言葉を吐けば、彼の目尻は段々と沈んでいき肩も沈んで行った。全身から申し訳ないオーラが溢れている彼の背には犬のしっぽのようなものが見えてきた。
私は申し訳ないけど有難い、といった彼の態度に付け入った。彼の細く長い腕を引き、自宅へと引き入れた。ロシーは油断していたようで、中に引き込むのは簡単であった。
着替えを用意するからと、彼を無理やり押し込んだお風呂場で少しだけ待ってもらい、自室のクローゼットからワンピース丈のTシャツを引っ張り出した。
彼は幸いにも下半身に汚れは見られなかったので、上だけの着替えでいいだろうと、Tシャツ1枚とタオルを手に持ちロシーの待つお風呂場へと足早に向かった。
「はい、これタオルと着替え。メイク落としも使っていいので、」
風呂場の装置の説明と、ボトルの説明をし終え、「出たらリビングで待ってるから」と、お風呂セットを押し付けお風呂場を後にした。
リビングにつき、隣接しているキッチン出お湯を沸かしているとお風呂場から「冷てぇ!」と叫び声が聞こえた。
大方、ドジが発動して水の蛇口を間違えて捻ったのだろう。彼の奇想天外なドジにも慣れてきてしまっていた。
お茶で口を潤し、一息ついてるとロシーがドタバタと部屋に駆け込んできた。髪の毛の水分もろくに拭き取っていない彼の姿にため息が漏れる。
ロシーに近づき、首にかけられたタオルを引っ張って屈ませた。わけも分からず屈んだ彼の顔の奇抜なメイクは、綺麗に落とされていて、頬に手を宛てがい素顔をじっくりと観察してしまう。
段々と、目の前にある顔が赤くなっていき、自分がロシーと見つめあっていた事実にじわじわと頬に血が上るのを実感する。
自らの顔を見られないように、彼の首にあったタオルを頭に当てガシガシと掻き乱した。されるがままの彼は犬さながらの姿で母性本能を擽られる。
ぐぅと、粗方の水気を拭き取った頃に彼のお腹から音が聞こえた。
「ご飯、食べていきませんか。一人では食べきれない量作っちゃったので。」
半ば無理やり誘った昼食。「悪いから」と、手振り身振りで断る彼を椅子に座らせて、「食べ物無駄にしていいんですか。」と食べ物を盾に逃がさなかった。
食事を食べながら、ぽつりぽつりと言葉を交わした。自身の名前、絵を描いていること、両親は他界して、一人で暮らしていること。
食べ終えると、世話に鳴りっぱなしで居心地が悪そうな彼に『たまにでいいから、また家に来てご飯を一緒に食べて欲しい。』と告げた。一人で食べるより、誰かと食べる食事の方が美味しいことを自覚してしまった私の我儘。
ロシーは、少しの沈黙の後申し出を受け入れてくれた。哀れな私への同情だったのかもしれない。
こうして、私とロシナンテの少しだけ、奇妙な関係は始まった。
ロシーは忙しいのか、2日連続で来ることもあれば、1ヶ月来ない時もあった。来る時はいつも奇抜なメイクが施されていて、彼の素顔を拝むことは数多くはなかった。
話すことは最近あったことが主で、彼は自分の仕事やこれまでの事を何も話さなかった。彼が話したくないならそれで良かった。
しかし、彼から仄かに香る磯の匂いから"海の男"であることは確信していた。
だから、私は彼の好物や苦手なものを知っていても、深層の部分は知らない。それでも私は良かった。いつ来ても、ロシナンテの変わらないドジに私の知っているロシーはここにいると安心できたから。
───────
一緒に住むようになり、一つだけ、彼が"生き死に"に対してとてつもない色の感情を抱いていることを知った。まるで私を"喪う"ことを恐れているような。
抱かれている感情を、ふんわりと感じながらも私は特にロシーにアクションは起こさない。
それよりも、彼の口数や喋り方が変化したのが、私に心を許してくれたような気がして嬉しかった。ロシーが落とす言葉は、ロシナンテを、彼を構成する物。一言一句聞き逃すことをしないように耳を立てた。
何よりも嬉しかったのは、彼が家では施された化粧を落としている事だ。不思議なことにロシーは朝、家を出る時にはすっぴんで仕事へと出かけていく。しかし、家に帰ってきた時には、いつものようにあの特徴的なお化粧が顔を覆っている。
でも、それも帰宅直後までで、シャワーを浴びた後には可愛い顔をした素顔に戻っている。まるで、2つの顔を使い分けるような姿に、私がいる家はロシナンテにとって帰る場所になれていることがたまらなく嬉しかった。
それ以外はいつも通り、絵を描いて描いて、完成したら契約しているアートディーラーに声を掛ける。目標は私が今死んでもロシーが生きていけるだけのお金を稼ぐこと。
ロシナンテが私のそばにいて、有難いことに世界的にもちょっと名が売れていて、絵で食べていけるだけの稼ぎがある今の生活は、私は私の人生に悔いを残さないものだ。
彼を置いていくのは、少しだけ心配だがいつ死んでも構わない。
仕事を終わらせてきたという彼は、どうせ食べてないだろうと踏んで私を昼食にと呼びに来たらしい。昼食というには、すっかり遅い時間になってしまったが有難く頂くことにする。
2人並んでキッチンへと移動して、昼食の準備をする。もちろん、ロシーには刃物と火の扱いはさせない。
任せた皮むきや洗い物でも「痛ェッ!」と隣から賑やかな音が聞こえるのだから、彼に刃物を持たせた日には命がいくつあっても足りないだろう。
できた食事をテーブルに並べ、席に着き食べる前に、ロシーの手に増えた細かい傷に絆創膏を貼り付ける。ふと、指先を眺めれば、これまで一緒に料理をしてできた無数の切り傷が目に入り思い出し笑いをしてしまう。
「…どうかしたのか?なんか、変なところでもあったか?」
「何もないわ。…ただ、ロシーといっぱい料理してきたなって思っただけ」
指を見て笑みを浮かべた私に対して勝手に脳内で話を進め、わたわたと焦り出すロシーに笑いが深くなる。ひとしきり笑った後、私を心配して顔を覗き込むように見てくれている彼に、「せっかく作ったのに冷めちゃうから食べましょう」と二人で食卓についた。
手を合わせ、ご飯を口に入れる。パンが嫌いなロシーに合わせて家では専らお米が主食である。
今日のメニューは、余っていたキャベツとウィンナーにご飯を混ぜて炒めた炒飯とスープ。意図せずロシーの好物が重なった昼食に、今日は仕事が早く片付き帰ってきた彼にとっていい日に違いないと確信する。
「そういえば、今日はお化粧外でしてこなかったの?」
「っあァ!溢した!!あっちィ!」
話しかければ、何にびっくりしたか飲んでいたスープを上半身へと滑らせていた。
片手にスープボウル、片手にスプーンを持ち熱さにじたばたと暴れる彼に近寄り手の物を回収し机に置く。机の上の布巾を手に取り、服の水分を拭っていく。
熱いと言っても、飲めるレベルなので感じたのは瞬間的な熱さだろう。冷えてきた服を着たままでは風邪をひくと思い、万歳をさせて脱がせる。近くの床に昨日の洗濯物が籠に入っていたため、服を探して彼に渡す。
「…仕事が、落ち着いたんだ」
「さっきも言っていたわね。仕事でお化粧が必要だったの?」
「うーん、まァ……そんなとこだな!」
いそいそと服を着替える彼がぽつりと呟いた言葉。仕事、とロシーは言うが私と出会った時も施されていたお化粧。
『あの時も仕事中だったのか』なんて私には聞く勇気は出ないし、明確な答えは得られない気がする。でも、ロシーならいつかはロシナンテという人物について、教えてくれるだろう。いつかその時に、聞ければそれでいい。
いつも通り、深く追求することなく食事を終え、片付けをする。ロシーは、高確率でお皿を割るので机の上を拭いてもらう。
多分、私が一人でやった方が色々早いのは確かだ。それにロシーと暮らし始めてから割れない素材のものを使い始めている。だけど、一緒に住む時に決めた"できることは二人で"の約束の下、なるべく家事は二人で行う。
片付けが終われば、久しぶりに絵を描いているのを見たいというロシーを連れて作業場に戻る。
部屋の入口に寄りかかりこちらを静かに見る彼からの視線を背に受けながら、パレットを手に取り目の前のキャンバスへと向かう。
描いているのは、後ろに立つロシーの心臓。彼の心臓は、彼の人生を最初から支えているものだ。
そんな心臓を描こうとすれば、自分なりにロシナンテという男について理解が深められるような気がした。
自らの観察力と考察力を求められる絵は、苦手ではない。自己解釈を深めれば深めるほど、出来上がった絵画はよりいいものになる。
ふと振り返れば、なかなか筆が進まない自分をただただ無心に見つめるロシー。
彼は今何を思っているのだろうか。何を考えているのだろうか。仕事で何をしていたんだろうか。これまでどんな人生を送ってきたのだろうか。
─────無性に、彼についてもっと知りたいと思った。
「……ねぇ、ロシー?」
色を乗せた筆を手に持ったまま、入口に立つ彼へと近づいていく。いつもは、迷いなく描き進める私が描く手を止めたことにロシーは少しだけ目を見開いていた。
「私は今、何を描いていると思う?」
「……おれに絵心はねェからな。正確には分からねぇが何かの臓器か?」
「ほぼ正解ね。今、貴方の心臓を描きたくて描いているの。でも私には上手く貴方を表現できなくて、上手くいかないの。」
突然の問いかけにも、考えられた正確な答えが返って来る。彼が私の描くところが好き、というのを疑う訳では無いが嘘ではないのだろう。
「描けないなら、無理に描かなくてもいいんじゃないか。」
私を心配しての言葉。
その言葉に、じんわりと胸が温まるのを感じながら、キャンバスを振り返り言葉を零す。
「絵が描けないなら、私にはもう価値がないの。描けないぐらいなら死んでもいいわ。」
私の言葉に彼が息を呑む気配を感じる。
ロシーの方を向いて顔を見つめる。
「ねぇ、ロシナンテ……貴方の全てを私に教えて、」
───────
「なァ、…煙草、吸ってもいいか?」
彼は私に断って、口元に煙草を咥え火を付けた。普段は煙草を吸うなんてことは絶対に許さないけれども、今はロシーがロシナンテを語るための舞台の小道具になってもらおう。
ロシーに長くなるから座るように促され、机の上に筆たちを置き、キャンバスの近くに置いてあった椅子をずりずりと2つ引き摺りながら運ぶ。
なんとなく、こういう話は向かい合うより隣あった方がいい気がして入口の横の壁際に2つ椅子を並べた。
煙草の煙が窓に流れていくように、ロシーは左側の椅子の背もたれを逆に返して座った。あまり行儀がいいとは言えないが、背もたれに肘を着いている。
横目で一連の流れを見ながら、自身も椅子に腰を落ち着けた。
「あちッ!」静かな空間で彼は突然声を上げた。見れば、ロシーの手にある煙草はもう短くなっていて、彼は携帯灰皿を取りだし火を消そうとしたが、エイムがズレて指先に押し付けてしまったらしい。
少しだけ異様な空気が漂っていても、変わらないロシーのドジに肩の力が抜ける。しばらく熱さに悶えていたロシーがぼそりと何かを呟いた後に、咳払いをして口を開いた。
「俺には、もう1つ"コラソン"って名前があった。」
「まァ、ある組織…海賊団の中でのコードネームだな。」
「ある組織っていうのは?」
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
一瞬、時間が止まったような気がした。
ドンキホーテ・ドフラミンゴといえば王下七武海の一端で、余程の世間知らずでなければ知っている。
最近国を揺るがしたか何かで海軍によって捉えられたニュースを新聞で見た。これがきっかけで七武海システムがなくなる、なくならないの話が浮上したはずだ。
彼はその一員だったというのか。
「最近捕まった、七武海の?」
「あァ、ドフラミンゴは俺の兄だった。」
兄なら、捕まる時ロシーも一緒に捉えられただろう。捕まらずにここにいて、彼は帰ってきた時"仕事が落ち着いた"と言っていた。
「…ロシー、あなたのお仕事は海軍なのね?」
横顔を見つめれば、彼は遠くの私の絵を見つめながら頷いた。海の男の見立ては間違っていなかったらしい。
「そうだ。おれは海軍としての身分を隠し二回目の潜入をしていた。ローのような子を絶対に増やさない為に」
「ローって?」
「聞いたことあるだろ?最悪の世代の一人、死の外科医トラファルガー・ロー」
潜入が二回にも及んでいるのは、一回は病に冒されたローくんを助けるために二人で海賊団を離れたからだという。
「病の名は『珀鉛病』」
「…白い町フレバンスか、」
珀鉛病…完治が難しいとされる奇病とされ、フレバンスは滅びたはずだ。その町の生き残りの少年が生き延びるのには沢山の試練があっただろう。
今はなくなってしまった白い町、1回だけ拝んでみたかったなと思うのは芸術家の性だろうか。
ぽつりぽつりと語られる、ローとロシナンテの壮絶な旅路。助けたい一心で、海賊団から連れ出したのに逆にローを苦しめてしまったこと。ロシーは一体どれだけのものを抱えているのだろうか。
「ローを治す為には、オペオペの実が必要だった。」
「ある時ドフラミンゴから連絡が入った。連絡は、オペオペの実が世界政府との取引に使われること。その実を奪ったら、おれが食べてローを治療するという内容だった。」
「おれには、ドフラミンゴが知らない悪魔の実の能力がある。能力者は二つの能力を手に入れられない。だから、能力を使い、オペオペの実をドフラミンゴと政府を出し抜いて手に入れた後はローに食べさせた。」
「ロシーの持っている能力って、聞いてもいい?」
「ナギナギの実、声を含むあらゆる音を遮断できる能力だ。周囲や自分に対象が出す音が聞こえなくなる。例えば今、おれ自身にかけたらおれの音は誰にも聞こえなくなる。」
世にも珍しい能力持ちが自分の近くにいて、今力を展開させていることに驚きで、口をはくはくとさせ声にならない言葉を漏らす。
「でも、いくら音が漏れないとはいえ、ドジなロシーがよくバレずに実を盗めたわね」
「あァ、最後にドジして銃弾を撃ち込まれたよ。」
どの場面でもドジはやはり発動してしまうらしい。
一瞬穏やかになる空気は、長くは続かずすぐに彼の壮絶な話に再びひりついた。
「大丈夫だったの?生きてるから死ぬことはなかったんだろうけど」
「いや、ダメだった。追っ手から二人で逃げたが、限界があった。宝箱にローを入れた後に能力を使った。その後追っ手は何とかできたが、ドフラミンゴから逃れられなかった。実を強奪した時点で海軍から、食べさせたローを隠れさせたことだドフラミンゴから、おれはもう立派な裏切り者だ。」
いつの間にか取りだした煙草を口に咥え、火をつける。作業場での2本目の許可は出していないが、今日はしょうがない。火が燃え移らないように細心の注意を払う。
「そのあとは、どうなったの?」
「ドフラミンゴに撃たれた。急所が少しだけズレていたのもあって意識を失ったが、命までは失わなかった。海軍が近づいていたこともあって、あいつは死んだかどうかの確認をしなかった。不幸中の幸いだな。」
「でも、ローくんとは離ればなれになっちゃったのはどうして?」
「ちょうど、雪の降る日だった。海軍に発見されたおれは仮死状態だったらしい。死んだと思ったローはおれの命を無駄にするまいと逃げたんだろうな」
そこからはこれまでの話を踏まえれば、私でも想像できるお話だった。海軍に救助されたロシーは、裏切りの実績はあったもののドフラミンゴに関する情報を出したことでお咎めなしとなったそうだ。
しかし、その時点での情報ではドフラミンゴを捕らえることが出来ず、生きてることを隠して生活することになった。
それからもドフラミンゴの情報を追っていたロシーは、ローが台頭してきたこと、まだドフラミンゴがローを、オペオペの実を諦めていないことを踏まえ、再び潜入を決めたらしい。
「今まであの化粧をしていたのは、潜入をしていたから。今日していないのは潜入が解けたからだ。」
「あのお化粧に意味があったのね…」
「…これが俺にあった過去のことだ。」
話終えると、二本目の煙草もすっかり短くなっていて、彼の指先で摘むのがやっとになっていた。このままでは火に触れてしまいそうだなと、灰皿で火を消そうとするロシーを見ながら思っていた。
あぁ、やっぱり火がついてしまった。次は私の番だ。
「ロシー、貴方に話してないことがあるの。」
指先の熱さに大袈裟な対応をとるロシーに私の夢のことについて、と前置きしてから話し始めた。
「私は絵が描けないなら、自分にはもう価値がないと思っているの。描けないぐらいなら死んでもいいと思うぐらいに。…でも、一つだけ目標があるの。」
「…目標?」
二つの揺れる悲しげな瞳に見つめられながら、頷く。
私のこのバカげた夢に彼はきっと、怒ってくれるだろう。優しい人だ。自分の命を投げ打ってまでローを助けるくらいには。
「私の目標は、私が死んでもロシーが暮らせるだけのお金を稼いで貴方より早く死ぬこと。」
「…おれは、そんなこと望んでいないぞ!」
「わかってる。分かっているけど…もう、置いてかれていかれたくないの……」
怒りを顕にするロシーに、申し訳ないという気持ちを抱きつつも、脳裏をよぎるのは、若い時に早世した両親のこと。
置いていかれる気持ちはもう、もう味わいたくない。
「…ドフラミンゴは捕まった、ローは新たな仲間と歩み続けているんだ。おれにはもうきみがいればよくて、きみ
しかいなくて、そんなきみにはおれよりも長生きして欲しいッ…、」
「嫌よ。置いていかれるのは嫌なの…!ロシーと暮らすことの楽しさを知ってしまった。もう、私には貴方が居ない生活は耐えきれない。」
お互い一人の苦しみを味わったもの同士、そう簡単には引き下がれない。もう、一人の生活には戻りたくないのだ。
静かに立ち上がった彼は、私の今まで描きあげたキャンバス達にそっと手を伸ばした。
「おれは、きみが描く絵を死ぬまでずっと隣で見ていたい。…だから死ぬ時は一緒、」
まるで心中のような台詞は「でも、」と続けられる。
「きみがどうしても、この世界が嫌になってしまって消えてなくなりたい時、その時はきみがおれを殺して、その後追いかけてきて。」
「そんなこと、」できないと続けようとした言葉は彼の声に遮られる。
「できないなら、まだ死にたいなんて思わないでくれ!それでも死にたいと思った時は一緒に連れてってくれ。一緒にきみの気持ちを背負わせてほしい。」
───────
「…ねぇ、ロシー。私たち死ぬ時は一緒よ。」
「だから悔いなく生きましょう。悔いなく、死にましょう。本当に貴方にやり残したことはないの?」
立ち上がったロシーに近づき彼の大きな背に腕を回す。ロシーは私の背に、彼の迷いを表すようにゆっくりと腕を回してくる。
少し屈んだかと思えば、腰に回った手に抱き上げられる。急に上がった視点に慌てて、ロシーの肩に手を置く。
「っ、やる時はやるって言って!」
彼の肩を揺さぶり吃驚するからと、ロシーに怒る。私を抱えながら揺さぶられても、さすがは海軍、元七武海に潜入していただけのことはある全くダメージがない。
揺さぶられながら、彼は嬉しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「ッあぁ!すまなかった…嬉しかったんだ。まだ、きみが生きていくれることが嬉しくて。」
「きみが言うことは、全部真実になりそうで、全部叶いそうだから、きみが叶えたいことがないのか聞いてくれたのが嬉しかったんだ…」
そう言う彼の瞳からは、大量の涙が溢れ出てきている。今日、ロシーは化粧をしていなくて良かった。彼の零す綺麗な涙が青黒くなってしまうところだった。
「出来るなら、もう1回ローに会いたい、…っでも、おれは表立って連絡は取れないんだ…」
「誰に、何を言っているのよ。私は世界的にもちょっとだけ有名な画家よ。」
抱き上げられながら、彼の頬をむにむにと横に引っ張る。ロシーは私が言ってることを理解できないと言ったようなそんな表情に笑ってしまう。
私を誰だと思ってるのかしら。
「私が、ロシーの似顔絵を書いて売りに出すわ」
ロシーは耳に入った言葉が聞こえなかったかのように、目をぱちぱちと見開いて数秒。
突然大声をあげたかと思えばそのまま後ろへと倒れ込んだ。抱かれている私も巻き込まれ、地面が近づくのにぎゅっと目を瞑った。
ドンという音にゆっくりと目を開ける。少しだけぶつかった衝撃が来たが、それほど大きな痛みは来なかった。下敷きになっているロシーが全て、守ってくれたらしい。
「大丈夫?ロシー、すごい音だったけど」
跨るように、彼の腹に座り込む。その両肩にロシーの両手がすごい勢いで置かれた。
「、っ駄目だ!おれの絵を描いて世に出すのは危なすぎるっ!!…おれは世界に出ちゃいけないンだ……!」
声を荒らげる彼の額に自らの額をくっつける。間数センチもない彼の目を見つめながら声を上げる。
「大丈夫よ!私に何かあっても死ぬだけ。あなたより先に死ねるなら本望だし、…でも、私に何かあったら貴方が守ってくれるんでしょう?」
「それに、安心して?私似顔絵得意なのよ。絶対にその"ロー"っていう男の子の所に届けてあげるわ。」
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たまたま降り立った島の市場が賑わっていた。島民に話を聞けば、最近名が売れてきた新鋭画家の作品をアートディラーが売りに来ているという。
なんでも、その画家の絵はすぐに大金で買い手がついてしまうらしく一般公開があまりされないが、今回は本人の希望で一般公開公開の後に売りに出されるらしい。
野次馬精神、お祭り騒ぎの市場でテンションが上がったベポとペンギン、シャチ達に連れてこられ人の海へと流れ込む。ようやく1列目に着いた時には、すっかり疲れ果て大きなため息が漏れる。
せっかくだ、ここまで並ばせた絵を拝んで帰ろうと顔を上げ目の前にある絵を眺める。
描かれているのは似顔絵のようで、短髪の金色にふと、世話になった"あの人"を思い出す。どうせあの人ではないと思いつつ、記憶の中を思い出すようにじっくりと顔を見ていく。
段々と心臓が高まっていく。
特徴的なメイクは施されていないただの顔が、記憶の中の顔と一致していく。
何故だ。どうしてだ。
絵画の下につけられたタイトルは『Maquilla tu corazón(心臓に化粧を施せ)』
別れることになったあの時よりは目尻に溜まった皺。
間違いない。
俺に笑いかけてくれていたあの目だ。
探し求めていた"あの人"だ。
─────── 「ッコラさん!」