危うきには近寄らず



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 コンコンと、副船長室をノックする。いつもなら現れる朝食の時間にベックが現れなかったからだ。大方、書類を片していたらそのまま朝日を迎えたのだろう。
 中に人がいる気配はあるが、返事はない。
 ここで諦めて放っておくと、このまま姿を現さず、彼は部屋で2回目の朝日を迎えるであろう。部屋から出るのは、たまにの息抜きで吸う外での喫煙時のみと予測ができる。
 船の平和のために、健康のために放っておくことはできない。返事がないドアノブを回し、ドアを開ける。
 部屋にはベッドとテーブルに椅子、本棚と必要最低限の物しかない。部屋の中心に置かれた椅子に座り、書類を眺めているベックに、後ろから声をかける。

 「ベックー、朝だよ」

 部屋に近づいてきているときには、もう私の存在に気づいているはずなのに振り返らないベック。私が彼に対して何も危害を及ぼさないと信頼の上でなのだろう。
 部屋の中にズカズカと入り、ベックの肩に手を置きトントンと叩く。

 「ベック!また徹夜したでしょ」
 「…あァ、気づいたら朝だったな」
 「急ぎのヤツあったっけ?」
 「や、どうしても片付けたいものがあってな」

 そういう彼の眉間には皺がよっていて、また無茶を重ねたことが伺える。急ぎじゃないなら寝て明日の自分に任せればいいのに、一気に片付けたいと思うものだろうか。同時に複数の話を抱えるマルチタスクの彼の苦悩は、シングルタスクの私には理解が及ばない。
 ふーん、と曖昧な返事を返しながら、そういえばと話を振る。

 「…そういえば、ルウが作ってくれた朝食持ってきたけど食べる?」

 廊下に置かれた棚に置いてきた食事を思い出す。しかし、机の上に目を当てると書類が散乱している。これじゃ、せっかく持ってきてあげた食事を置く場所がないだろう。
 「この辺片付けていい?」と尋ねると、了承を得たので書類の中身をチラチラと眺め、系統を見ながら書類を束ねていく。
 粗方片付け終わり、ベックの方を見ると彼の目の前に置かれた書類は減っている。ベックも私が書類を纏めているときに、片付けたことがわかる。いくら徹夜していても食欲には叶わないのだろう。

 一旦廊下に出たから手にした食事を、書類を片付けた場所に静かに置く。どうせなら食べるまで見届けようとどこか座る場所はないかと思案するが、お世辞にも広いとは言えないこの部屋に椅子はひとつしかない。しょうがなく、ベッドにでも座るかと後ろを振り向こうとすると突如視界が揺らいだ。
 手を引かれ、揺らいだ視界が落ち着いた時には私の体はベックの膝の上に横抱きにされていた。してやられた。

 「座るとこ、探してたんだろ」
 「だからって膝の上じゃなくてもいいと思うんだけど」
 「昨日味わえなかったお前も味わいたくてな」
 「味わえなかったって、味わなかったのはベックじゃない」 

 ポンポンと交わされる会話に、本当に徹夜明けの頭なのだろうかと疑問が生じる。しかし、普通の人では出来ないことも難なくこなすのがベックなのだ。この件については考えるだけ無駄だ。
 少しだけ抵抗していた体を収め、すっぽりとベックに抱え込まれる。ベックの左腕は私の背中を支えるために使われていて、自由な右手が私の髪の毛を捕らえて整えたばかりの髪の毛を撫で付ける。
 近づいてきた唇がおでこに何回か口付ける。止まらない口付けに、むず痒さを覚えてふるふると頭を振る。

 「ベック、ご飯冷めちゃう」
 「…俺はお前を味わいたいんだが」
 「今、ここで1番美味しいのはルウのご飯よ」

 それもそうだなと笑う彼に釣られて、口角が上がる。そう、私はルウのご飯は世界中のどのご飯よりも美味しいと思っている。
 そうだなと笑っているのに、食事に手をつけない彼を見て「食べないの?」と声をかける。

 「お前が食べさせてくれるんだろう?」
 「そんなこと言ったっけ?」
 「いや、今俺が決めた。」

 頭がおかしくなってしまったような発言を繰り返す彼に、どう返事を返したらいいのか分からなくなる。
 返事を上手く返せなくても、時の流れは止まることはない。

 「…で、食べさせてくれねェのか」
 「なんで食べさせなきゃ行けないの」
 「俺は今、腕にお姫様抱えてるからな。お姫様を愛でるのに忙しいんだ。」
 「…勝手に抱えたのはベックじゃない。離してくれてもいいのよ。」
 「お前が離れたいなら離すぞ」

 そういい、再び額にキスを落とす彼に白旗を静かに振る。こうなってしまった彼にはもう何をしても敵わない。
 片腕でも、満足に食べれるはずなのにと不満を重ねながら、先程自分で並べたカラトリーセットからフォークを手に取り野菜を串刺しにして、ゆっくりとベックの口元へと運ぶ。食べ物を近づけても、ベックの口は開く気配がなく、切れ長の目に見つめられている。

 「食べないの?」
 「一言足りないだろう」

 あまりにも口を開かないベックに、思わず尋ねれば一言足りないとの仰せ。ひと言とはなんの事だろうか。
 普段見る、食べさせてもらっている現場を思い出す。大抵、酒場でシャンクスあたりがお姉さんに食べさせてもらっているイメージだ。何せ隻腕の彼には、食べさせてもらうのは何かと都合が良い。
 お姉さん達を侍らせ、お酒を片手に持ちながら、口へと食べ物を入れてもらう。見る人が見れば、両手に華どころの話ではないだろう。シーンを回想してみると、お姉さんたちが共通して発している言葉があることに気づいた。

 「…あーん」

 改まって、口に出してみると恥ずかしい単語を羞恥心と戦いながら発する。この場にいるのはベックと自分しかいないのに。
 どうやら子の言葉で正解だったようで、ベックは切れ長の目を細めた。差し出したフォークが、口に含まれ、再び姿を見せた時には先端に刺さっていた野菜が無くなっていた。

 同じ行為を何十回と重ね、ようやく最後の一口になった。やっと終わると、半ば投げやりに口元へと運んだ手はベックに掴まれていた。

 「ぅえ?どうしたのベック」

 驚きに満ちた声は、上から降ってきた唇に塞がれた。

 「ご馳走さん」

 そう言って、フォークの先を口に含む彼は酷くずるい顔をしていた。
 




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