4,恋路は縁のもの



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彼女からの据え膳を喰らってから、両手で足りるほどの夜がたった。
 結局あの夜は「冗談って言ったのに…」と不貞腐れる彼女を見て「お嬢さんからの据え膳はありがたく喰らわないとな」と飄々と返した。そんな俺を見てか彼女は笑いながら「確かに飛んで火に入る夏の虫は私でしたね」と、軽い口を叩き、特別何かが変わる行動も起こさず解散となった。
 唇を重ねたと言って、彼女は"付き合え"とも"責任を取れ"とも言ってくることはなかった。自分の女を見る目は「正しかったな」と、ベランダで口に含んだ煙を吐き出しながら独りごちる。
 あの夜なぜ明確な言葉を伝えなかったのか。どうせ落とすのだ「付き合って欲しい」や「好きだ」と言った方が、的確にかつ迅速に自分の手中に納めることができる。
 答えは自明だ。彼女がバイトをする度に、喫煙所を見る度に、自分とキスしたことを思い出せばいいと思った独占欲。灰皿の前で会うだけでお互いの連絡先は知らない不思議な関係を、少しだけ楽しみたくなった悪戯心だ。

 あの日の口先の戯れは、当然彼女から触れてくることなく遠い記憶の1部となりかけていた。そのため、彼女とはいつも通りの煙草を買っていく常連客と店員の距離を保っていた。
 全てが全て、いつも通りの同じままという訳ではなく一つだけ変化をしたものがある。
 灰皿を囲んで、談笑を終えた後に彼女を家まで送り届けるようになった。彼女に申し出た時、最初「いつも通っている道なので」と、躊躇いの声を上げていたが即却下した。

 「いつもよりも遅くさせてるのは俺だ。何かあったら困るしな」

 聞いた話によると、彼女の家はここから5分程度のところなので現代日本においては何も起きないとは思うが、彼女の中で自分の特別を増やしていきたかった。
 そう言うと彼女は、渋々と言ったように送られるようになった。送るのは、住んでいるというアパートの前まで。
彼女が玄関から部屋に入るまでを見送ってから、自宅へと向かう。
 彼女は、時どき振り返りこちらに目線を向けてくる。なんとなく気まずいのだろう。軽く手をあげ、振ってやるとゆったりとした微笑みとともに手が振り返される。
 たまに、彼女をこのまま付き合わせていいのだろうかと思う。しかし、煙草を吸うことを隠し、据え膳を喰わせてくる玉だ。強かな女は堪らない。

───────

 いつものように、21時過ぎには会社を出れるように仕事をし、22時前に店へと辿り着くように会社から移動をする。
 電車に揺られながら、今日も飲みを断られ、ごねるシャンクス達を適当に流してきたことを思い出し眉間に皺が寄る。今日のあの様子じゃ、近いうちに抑えきれなくなるな。と1人頭を悩ませる。
 他のヤツらはいい。何とか出し抜ける、がジャンクスは押さえ込むのは無理だろう。なんとか抑えたとしても、いつの間にか足を取られていそうである。
 どうするものかと考えていると、最寄り駅に着いたようで彼女がいる店へと足を運ぶ。腕時計を覗けば21時45分。いい頃合いだろうと自然に浮かんできた笑みを静かに打ち消す。

 店内に入店音を響かせながら、店に入る。レジに目をやるといつも2人いる店員は1人しかいない。目を向けた一瞬彼女と視線が絡み合う。なんだかいつもと違う雰囲気に目を細める。
 今日は冷蔵庫に何も入ってなかったな、と入口付近に置かれているカゴを手に取り店内を巡る。どうやら今はフェア中で、テーマに沿ったチルド品が並んでいる。とりあえず量が多そうなものとアルコール類を手に取り、レジへと向かった。
 レジへと向かって歩き出すと、彼女はPeaceの箱を2つ手に取り、レジで俺を待ち構えている。レジ台にカゴを置くと、いつも通りの「こんばんは、いらっしゃいませ」と声を掛けられる。挨拶を返しながら、入った時に感じた違和感を問いかけた。

 「今日はなんか普段と雰囲気が違うな」

 そんなことを言われると思っていなかったのか、問いかけに対し彼女は、呆気に取られたような顔を浮かべた。
 何故かもう1回、こちらに対し「こんばんは」と挨拶を返しながら思案の表情を浮かべた。考えながらレジを打ち進めている彼女は少しすると答えに辿り着いたのか伏し目がちだった目を開き、そっと口を開いた。

 「…顔周りの毛がいつもと違うからですかね?」

 そう言われ、じっと彼女の顔に合わせ下に目線をやる。確かにいつもより顔周りに出ている毛が多いのかもしれない。「道理で印象が違って見えるわけだ」と、笑いながら彼女に告げると彼女は可笑しそうに「気づくのはベックさんぐらいですよ」と返される。
 確かに、長い髪を短く切るとか、色を目立つ色に変えるとか、大きな変化でないと大抵のヤツらは声をかけないだろう。1人納得しながら、そろそろバイトをあがる彼女を労りの品を贈ろうと考え声をかけた。

 「なんか欲しいもんあるか?」

 彼女は遠慮して「大丈夫ですよ」と返してくるが、お互い意見を譲らない静かな押し問答が続いた。しばらくすると白旗を上げた目の前の意中の女は、欲しいものを考え始めた。
 何を欲しいモノとして考えているのだろうか。彼女はまだ俺に煙草を吸っていることがバレていないと思っている。即答で出てこないといいことは煙草の煙でも欲しているのだろうか。
 しばらく悩んだ彼女が「じゃあ」と呟き手に取ったのはレジ横に置いてあるチロルチョコ。口寂しさを紛らわすにはちょうど良い代物。本当に紫煙を求めているかもしれないと考えると、隠し通せていると思っていることが可愛く思える。

 「そんなんでいいのか」
 
 暗に煙草じゃなくていいのか、と尋ねる。この問いかけに彼女は気づくことがないだろう。

 「十分ですよ」

 会計を終えた自分に投げかけられる定型文の最後に「後で渡す。外で待ってる」と、被せて言いレジの前を立ち去り店の外へと足を運んだ。
 腕時計を見ると短針は10を刺していて、喫煙所で1本目の煙草に火をつける。煙を揺らしながら、いつもは吸い終わる前には、出てくる彼女が出てこないことに不思議に思う。しかし、店の中で何かあった様子はないし話し込んでいるんだろうかと2本目の煙草に火をつける。

 二口吸ったところで、静かな場に入店音が響く。どうやら彼女が出てきたようだ。彼女の姿を認め「お疲れさん」と、声をかける。声に反応しこちらを向いた顔は、目線を俺に合わせると「お疲れ様です」と声を発した。
 
 「ほら、ご所望のモノだ」

 がさがさと、袋に入れてもらった中からチロルチョコを手のひらに取り出し彼女へと差し出す。
 お礼とともに彼女の手に渡ったチロルチョコは、自分の手の上にあった時より大きく見えて手のサイズの違いに小さく目を見張る。
 包み紙を開け口に含み、口の中でチョコを転がす彼女を眺める。少しだけ物足りなさを浮かべる彼女の表情につい言葉が零れた。

 「…煙草は吸わねぇのか」

 「え、」

 この時の彼女の表情は、言葉で言い表せないほど焦りを浮かべていて焦りに反比例するかのように笑いが込み上げる。
 え、と口から漏れ出た言葉に続く言葉が出てこないのか、必死に思考回路を回す様子を眺めながら紫煙を口に含み吐き出す。

 「いつから知ってたんですか」

 彼女は恨めしげにこちらを見上げながら言葉を零す。いつものような真っ直ぐにこちらを見上げてくるのもいいが、恨めしく見つめられるのもたまにはいいものだ。

 「キスする少し前だな」

 いつものシフト外での勤務後を目撃されていたことを告げると、彼女はより一層頭がいっぱいになったのか赤くなったり白くなったりしている。
 大方、喫煙者だとバレていたから、煙草がいつもと違うと物足りなさ、口寂しさを覚えることを知っていたのに俺が据え膳を喰らったこと。
 喫煙者だとバレてないと思いながらとった行動が、全てお見通しだったのだことに羞恥を覚えているのだろう。

 「据え膳食わぬは男の恥だからな」

 その場にずるずると座り込み赤くなった顔を隠す彼女に、視線を合わせるようにしゃがみこみ告げた台詞。彼女は諦めたように煙草に火をつけた。

───────

 いつも通り、22時少し前にいつも通りの道を歩く。いつもと違うのは隣に伴っている鮮やか赤の存在だろう。
 懸念していた通り、俺を飲みに連れていきたいシャンクスを流して帰ろうとしたがどうしても払いきれなかった。
 払いきることを諦め、飲みには行かず、家で飲むことを約束させた。

 「なァ、ベック。どんな女なんだ」

 口を開いたかと思えばこの台詞。そもそも、今からいく店に口説いている女がいるとは言っていないのにこの決めつけだ。あながち間違いじゃない、シャンクスの野生の勘に頭痛が走る。どうか問題が起きないことを祈りつつ、店に足を踏み入れた。

 1人ではなく、連れ人が居たことにレジに居る彼女は少し驚いているようだ。しかしすぐに通常運転に戻った姿を横目に、入口のカゴを手に取り店内に歩みを進めた。

 「ベック、あれもこれも」と放り込まれた品物は、カゴ一つだけでは足りず、二つ目のカゴまで満杯にしたところでシャンクスと二人でレジ台へと運ぶ。
 ドンとそう小さくはない音を立てながらレジ台に置かれる物を見て彼女は目を見張る。二人でこんなに飲み食いするのかと表情に現れていることに微笑ましさを覚える。

 「お弁当類温めますか?」

 「おう、温めてくれ」

 シャンクスが、人懐っこそうな笑みを浮かべながら返事をする。彼女は俺との関係を探られないようにか、配慮をしていつものように話しかけては来ない。
 途中尋ねられた袋の有無に、欲しい旨を伝えると、彼女は温めた商品からアルコール類を袋詰めしていく。

 「袋、2枚でも大丈夫ですか?」

 「あァ、構わない」

 1枚の大きい袋では足りないようで袋を2枚用意している。どうやら、袋を2枚にするついでにあたたかい商品と冷たい商品を分けて入れるようだ。
 袋詰めを見ながら、財布を開き会計を終えるとありがとうございましたと告げられる。その言葉を皮切りにシャンクスはレジ袋を1つ手に取り入口に向かって歩き出した。

 中々袋を手に取らない俺を不思議に思ったのか、彼女に見上げられる。まだ用は終わってない。
 いつかシャンクスに突撃されたように用意しておいた小さな紙を、レジ台に置かれた小さな手に握らせた。まだ状況が呑み込めていない彼女に「じゃあな」といい店を去る。
 外で待っていたシャンクスに「行くぞ」と声をかけ、2人並んで歩き始めた。

 「遅かったな」

 「ちょっと野暮用でな」

 「あの店員が狙っている女だろう」
 「連絡先は渡せたのか」

 「お前のおかげでな」

 「そりゃ、良かったなァ」

 赤い髪を揺らしながら大きな口を開けて笑うシャンクスを連れて家へと辿り着いた。
 明らかに早いペースで酒を煽るシャンクスを見てため息が漏れる。この分じゃ潰れるのもすぐだなと手に持っていた缶の中身を喉に這わせた。
 いつも彼女を送り届け、自宅に着く時間の頃に机に置いていたスマホが震える。連絡先追加の通知と、カノジョからのスタンプが1件。
 『無事に帰れたか』と送ると『まだ灰皿の前ですね』と返ってくる。『早く帰れよ』『あと一本だけ』と会話をしながら、シャンクスについての説明をしたところ『仲が良くて羨ましいです』と帰ってきた返事にいい事なんだか、と息をついた。

 あの日から1週間、連絡はなんだかんだ続いている。彼女からバイト前に入る『バイトしてきます』の通知を長めながらキーボードを叩く。
 返事を返そうか迷うが、今返しても彼女は見ることが出来ない。なら、バイト終わりに1報入れるのがちょうど良さそうだと返信を見送った。

 いつも通り、22時少し前にいつも通りの道を歩く。一週間前の悪夢はすぐに再来していた。隣を歩く赤い髪。
 視界の端にチラつく赤を見ながらため息をもらす。どうせならシャンクスのことを利用しようと考える。シャンクスのことだ、煮え切らない俺たちの関係を見て素直に思った言葉を零すはずだ。
 シャンクスを呼び止め、ひとつ頼みごとをする。

 前と同じように22時少し前に彼はシャンクスと店に足を踏み入れる。レジで煙草の用意をする彼女を横目に歩みを進める。
 前と違うのは大量の食料とアルコール類を手に取らず、ペットボトル飲料を手に取るとすぐにレジへと向かったことだ。
 いらっしゃいませと彼女から声をかけられ、順調に会計を進めていると隣のシャンクスが突然彼女へと話しかけた。

「なぁ、お前ベックと付き合ってんだろ?」

「…え?」

 突如親しげに彼女に投げつけられた爆弾。困惑からか、手に持っていた炭酸飲料を思わずレジ台に倒してしまっている。
 しかし、予想通りだ。シャンクスは思ったこと、疑問に思ったことを時と場は考えるが口に出しがちだ。俺が濁す俺たちの関係を彼女に尋ねるだろう。

 私たち付き合ってるんですか?というような視線を彼女から向けられる。大きく息をつき、シャンクスの首根っこを掴み、レジ台に前のめりになっている体を引き戻す。

 「まだ、口説いてる途中だって言っているだろう」

 「えぇ?」

 戸惑いに戸惑いを重ねる彼女の様子に笑いそうになる。
 付き合ってないと否定され、冗談だと安心したいところに口説いているとの爆弾。正に孤立無援だ。

 戸惑いが困惑に変わり、上手い言葉が返せない彼女を見兼ね、シャンクスに「お前が困らせたんだからな」と言葉を投げる。「悪い悪い、つい気になってな」と、全く悪くなさそうな顔を、彼女に向けながら謝罪の言葉を述べていた。
 会計を終えると「じゃあな〜」「またな」と声をかけ店の外へと立ち去る。彼女からすればただの迷惑ないい逃げである。
 喫煙所から店内を除くと、店長と思しき人物に話しかけられている彼女の姿が見えた。店長は噂好きと聞いている。シャンクスの大声での会話はいい餌になっているのだろう。
 
 「今日は悪いな」

 「いや、俺が着いてきただけだしな」

 「それはそうだな」と、漏らせば「間違いない」とシャンクスは声を上げ笑う。

 「邪魔者は退散だ」と言い、手を挙げて「じゃァ、穴埋めはまた今度な」と店の敷地から出ていくシャンクスを見送り、スマホを取り出しメッセージアプリを起動させる。
 彼女のトークルームを開き、『外で待ってる』と一言連絡を入れる。先に煙草に火をつけ煙を宙に吐き出しているとスマホが震える。スマホの時刻は22時を少しすぎを示していて、通知には『今行きます』と記されていた。

 いつもよりも数分早い時間に彼女は店からでてきた。急がせてしまったか、と思いつつ「お疲れさん」と声をかけた。

 「最後の最後で疲れました」

 嫌味のように、店長からの追求が酷かった旨を付け足して言う彼女。嫌味のように言うのに、悪意を感じないところに思わず笑ってしまう。

「シャンクスさんはどうされたんですか」

「『俺は邪魔者だから帰る』っていって帰っていった」

 あれだけの嵐を作っておきながら、この場に居ないシャンクスを不思議に思ったのか疑問が投げかけられた。馬鹿正直に理由を告げる。
 「まるで嵐のような人ですね」と零れた言葉が耳にはいり「否定は出来ないな」と呟いた。

 「ベックさん、私の事好きなんですか」

 「あァ、シフトに通いつめるほどにな」

 逃げ道が作られた声色で投げられた質問に、逃げ道を塞ぎながら答える。もう、逃しはしない。
 短くなった煙草を灰皿に押付け火を消す。沈黙の中、彼女はこの動作を静かに眺めている。
 煙草の処理を終え、彼女の腕を引いた。
 引力には抗えず自らの胸に飛び込んでくる彼女の頭を撫で、後頭部から顎に手を動かし上を向かせ、瞬間見つめ合う。
 顔が近づけると反射的に目を閉じ、キスを期待しているのか強ばる表情にふっと笑う。
 真正面に置いていた顔をゆっくりと耳元へと移動し息を吐く。

 「続きは、ここか俺の家かお前ん家どれがいい」

 耳が弱いのか、かかる吐息に彼女は小さく体を震えさせる。続けざまに「俺の家なら身の保証はしない」と囁く。
 この距離で、抱きすくめることも、キスをすることも拒まないのだ。結果が分かりきっていても、胸が高鳴る。
 ここでの密会はもうこの店の店長にバレていて、今も外に向けられた監視カメラで見ているに違いない。
 そうとなれば、彼女が選ぶ選択肢は1つしかないだろう。

「…私の家で、お願いします」




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