「ここをツグのは弱気だったかな?」
「悪い形じゃないけど、そしたら私はこっちツギますよ」
「じゃあボクは先にこっち出る?」
「白はオサエますけど、シチョウ有利だから無理に切れませんね」
「で、繋げばいいんだ。単純に繋いだ時よりも荒らせる」
「ですねぇ」
「はー……ナルホドなぁ」
「…………」

 松野家長男から五男は、末弟とその客人(女子)を明確に意識しつつも、かれこれ二時間近く声をかける事なく沈黙していた。現在は日曜の午後三時。
 五人が各々の時間潰しから帰宅するまで、たまたま一人だったはずの末弟トド松が、何故か高校時代の後輩(女子)を連れ込んでいた。六つ子の共通の知人である懐かしい顔がと感慨に浸るより早く、ついに謀反かと兄貴一同は戦慄した。

 しかしながら、家族不在の実家の二階でウフンアハンなアレやコレは行われていなかった。トド松と後輩(女子)は週刊少年漫画を積み重ねた上に置かれたマグネット碁盤を挟んで対面に胡座をかき、淡々と先の対局の検討を続けている。

「そうそうこっち! 殺せるかなーと思ってたら意外と難しかったんだよねぇ〜」
「先輩ヨセ苦手です?」
「んん〜……確かに中盤から先は得意じゃないかも」
「そんじゃあ今度詰碁やりましょうか」
「ホント? やったぁ! ボク、一人だとなかなか続かないから助かるよ〜」
「あとは連絡ですかねぇ。ここのケイマはほっとくと切られちゃうんで……」

 つまるところめっちゃ声をかけづらい。

――ねぇ俺そろそろ限界なんだけど。
――待て待ておそ松、ウェイトだ。
――何分ウェイトしてんだよもう夕方だよ? 俺ら十分空気読んでウェイティングしてるだろ。
――ここまで待っただけに今割り込むと決まりが悪いだろ。そら、もうすぐ終わりそうだ。後は任せたぜチョロ松。
――何で僕にフッたんだよこの流れで。そうだ一松、うっかりその猫飛び込ませたら?
――いいなぁそれ。猫まっしぐらなら仕方ないよ。なぁ十四松。
――仕方なーい!

 などという脳内会議を済ませた五人の兄貴達だが、全員が結論を理解してそれを汲むとは限らない。

「トッティ何してんのー!?」
「うぉい行っちゃったよ普通に!! 今までの時間何だったんだよ!」
「あれ? 十四松兄さん達帰ってたの?」
「お邪魔してまーす。お久しぶりっす松野先輩!」
「ああうん、久しぶり……そんで普通に気付いてなかったし!!」
「まぁまぁチョロ松。結果オーライだろ、な?」
「そりゃそうだけど……」
「すげぇ……松野先輩が長男的なフンイキを発している」
「いや俺長男! 長男100%だから!」

 十四松まっしぐらによりようやく兄貴達の存在に気付いたトド松と後輩(女子)が、マグネット碁盤を片付けながらナチュラルに互いのスケジュールを確認し始めた。こうなればもう兄貴達に遠慮はない。

「はい、終わった所でとりあえず座んなさいトド松」
「何さおそ松兄さん改まって」
「何じゃねぇよ! なんで普通に連れ込んでんだよしかも女子! 久々に会った後輩(女子)!! 目の当たりにした瞬間心臓冷えたわ!」
「卒業ぶりですね〜先輩!」
「うんほんと久しぶり! で、なんで!?」
「ええ〜? 囲碁クラブでたまたま会っただけだよ?」
「待って待ってトッティ」
「チョロ松兄さんまで何さ」
「囲碁クラブは譲るよ? 百歩譲る。え、それで? 通い始めた所にたまたまいたの?」
「そうだけど」
「「いや言えよそういうの!!」」
「えええ〜?」
「俺ら共通の知人だろ!? 言うだろうが普通!!」
「だって高校時代の後輩なんて卒業したらそのまま一生会わないじゃん。お互いちょっとツルんでただけだし」
「だぁーからそれがああああ!! もうお前なんなんだよノーバディかよ! マジで怖いんだけど!」
「ええええ〜?」
「そのキョトンとした目をやめなさい! で? 二人いつから囲碁仲間なの」

 自然と車座になった六つ子の輪の外、ソファの上に落ち着いてパチパチとマグネット碁盤で何やら並べ始めた後輩へ、チョロ松が訊ねる。

「そーですね、一年くらい経ちましたかね?」
「「ぐォっふォ」」
「わあああおそ松兄さんとカラ松に言葉のトゲがあああ!」
「トッティ、そういうのは言ってほしいやつ」
「えええええ〜? 一松兄さんまで〜?」
「マジか……コレもわかんねぇんだ」
「恐ろしい……こいつ一年も知人と再会したの黙って何食わぬ顔で過ごしてたのか……!」
「長男的松野パイセンがなんかめんどくさいカンジになっている……」
「いやこれ松野パイセン的事変だから! もはやホラーの類!」

 OK、まずは落ち着こう。トゲを引っこ抜きながら洋画風に切り出したカラ松は、後輩が手土産にと持参した銘菓「雷親父おこし」を開けた。

「つまり運命の悪戯でめぐり逢った二人は、遥かな高みを目指し切磋琢磨し合うソウルメイトというワケだ」
「松野先輩マジエンゲキブっすね! 私は鉢かづきちゃん推しですけど!」
「で、末っ子ノーバディは何でウチで碁打ってんの。二人で」
「アレでしょ〜トッティ。兄の居ぬ間に神の一手を極めようとしてたんじゃないの。二人で。昇るトコまで昇ろうとしてたんじゃないの。二人で! 私のココに打ち込んでぇ〜的な展開に持ち込もうとしてたんじゃないの! 二人で!!」
「めんっどくせっ」
「だから吐き捨てるんじゃないっての! まぁでも今のは頭悪すぎるよね」
「てめっチョロ松寝返んな!」
「あ、カラ松兄さんその色ほしい。交換しよ」
「んん」
「ありがと。いやボクだって最初はビックリしたよ? 駅チカでなんとなく選んだ教室でバッタリだもん」
「ねぇねぇ、ウチの弟だいじょーぶ? 囲碁クラブって若い子もいたりするんでしょ? なんもやらかしてない?」
「ちょっ、おそ松兄さんなんの心配してるの!?」
「松野先輩はご年配の方に人気ですよ〜。孫みたいでかわいいって」
「へぇ……そういう路線なんだ」
「路線とかやめて一松兄さん! ちょっとお菓子とか貰ってるだけだから! ちゃんと囲碁教わってるから!」
「アコギな商売してんなぁ。黄金色した諭吉の匂いがするし……僕らも乗っかりますか、一代官様」
「チョロ松屋、お主もゲスよのう……」
「やめろ。マジで。やめろチョロシコネコスキー」
「何故そこで露ッ!?」
「あー、気にしなくていいよぉ。こいつらエブリタイムシコスキーだから」
「ほう……」
「おいコラ何言ってんだ筆頭が。お前半年間で奇跡的に一度も現場を押さえられてないからってコイてんじゃねーよ」
「あぁン? ンだよサードマスターベーシストがヤんのかコラあぁン!?」
「トッティとヤッてたの?」
「「十四松うううう!!」」
「なに言ってんですか松野先輩〜! 松野先輩とそんな事しませんよ〜。今日は教室が休みでしてね、先輩が一局誘ってくださったんですよ」
「誘える立場じゃないんだけどね。兄さん達はいちいち騒ぎすぎなんだよもー」
「いや騒ぐわ! 僕らがヘンみたいに言わないの!」

 いつの間にか後輩と五目並べを始めていた十四松がテンペストS1Aをブチ込んできたが、数年の間が空いているとはいえそこはそれ、学生時代の知人である。ヤンチャしていた頃の名残で耐性もあるだろう。
 他人に対して普段から分厚い外面を張り付けているトド松も、初対面ならまだしも何かと黒歴史の多い十代半ばを過ごした後輩相手に「モード:トッティ」を発動するメリットを感じてはいなかった。
 今日は本当に一局打ちたくなっただけで、兄達が勘繰っているような事は何もない。異性とのフラグもへったくれも立っていない。適当な場所が見付からず、たまたま家族全員出払っていた自宅を使っただけ。今回ばかりは非の打ち所がない。全くない。

 そして、トド松はやはりドライモンスターで末っ子で、兄達の云わんとする事の真意をこれっぱかしも理解していなかった。

「急にお邪魔しちゃって申し訳なかったですね、私」
「いやいやそういうんじゃないよ!? お土産まで貰っちゃったし、久々に会えて僕らも楽しいし!」
「ぶっちゃけ距離感? サジ加減? わかんないんだよね〜! 同窓会に来たクラスメイトが子連れで参加してるの見ちゃった時の気持ち?」
「お前がいつ何を加減したんだよ」
「フッ、暫く見ない間に綺麗になったじゃないか」
「松野先輩たちはあんま変わんないっすね〜」
「まぁ、良くも悪くも」
「見た目も中身もー!?」
「相変わらず見分け付かねっす」
「そっちこそオフの時くらい『トド松先輩』って呼んでくれていいって言ってるのに〜」
「いやぁうっかり違ってたりしたらめっちゃハズいんで。やっぱ『松野先輩』がブナンですよ〜」
「あ、そんじゃほら、あん時も恥ずかしかったりした? ほら俺らが三年の時の体育祭でさぁ!」

 そうして近況の報告はそこそこに、自然と学生時代の思い出話に花が咲いた。くだらなく楽しかった事も、盛大にやらかした事も、笑い話に出来るトシになったのだ。

 一時間ほどが経ち、室内に夕陽が差し込んできた。
そのまま宅飲みに突入、とはならず、そろそろおいとましますね、と、マグネット碁盤を片付けて立ち上がった後輩をトド松が呼び止める。

「本当にありがとね、わざわざ来てもらっちゃって」
「いえいえ、久しぶりに息抜き出来ました。学生言葉超楽しいですねー! ありがとうございました!」
「次は野球ー!」
「フッ。また遊びに来るといいぜ……」
「えーっと、ごめんね、なんか……送ろうか?」
「まだ夕方ですし、大丈夫です。ありがとうございまっす、松野先輩!」
「チョロ松ね」
「了解であります松野先輩!」
「…………うん、気を付けてね」
「や〜いアテがハズレてやんの〜」
「ヒヒッ。ままならない浮世の常……おれらにそんなイベント発生するわけないよね」
「うるさいよ!」
「それでは先輩方、ご縁があれば、またどこかで。松野さんはまた来週に。お邪魔しましたー!」
「うん、気を付けて。今日はありがとうー!」

 ガラガラガラ。玄関の引戸が音を立てて閉まるのを聞いて、窓から後輩を見送るでもなく、六つ子達は各々の時間に戻る。
 ほんと久しぶりだったなー。たまにはいいもんだねぇ。夕飯のおかずは何だろうなぁ。だとか、とりとめのない雑談を交わす中、トド松は不意に気が付いた。

「あっ。そうだ、ボクお金払わないと!」
「お金? な〜にトッティ。実は後輩に借金してたの?」
「失敬だなおそ松兄さん! そうじゃなくてさっきの指導碁の対局料! ボクちょっと追っかけてくる!」

 まだ近くにいるかな〜。心配そうに呟きながら、トド松はいそいそと部屋を出て行った。
 取り残されたのは、イマイチ流れがわからない五人の兄貴達。

「……指導碁」
「……なぁブラザー、これ」

 ぽつりと呟いた一松の隣で、カラ松がさらに呟いた。手にはトド松が置いていったスマホがある。
 五人で覗き込んだ画面には、つい先ほどまで雑談を楽しんでいた後輩の名前、三段、年齢。

 そう、松野トド松はラインがわからない。

「「囲碁仲間ってそっちかよ!! 言えよ!!」」
「まさかのプロ棋士……」
「大人になった後輩が別次元の住人になってるパターン……」
「プロキシショーック!」

 おそ松とチョロ松は今日も吠える。いい加減わかれよ察しろよと訴える。訴えた。
 オフだからとの理由で、スタバァのキャラメルフラペで後輩兼「先生」と手を打って帰ってきたトド松のリアクションはといえば。

「ええええええ〜?」

 一言だけだった。

 そしてこれから先も、末っ子トド松が兄貴ならではのままならぬ心情を理解する日は来ないだろう。


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