「ったー……大丈夫ですか」
「え、あ、うわあああごめんなさい! 思いっきり踏んじゃった……!」
「何ともありませんよ。一松さんは……」
「あっ、あいつギリギリで助けられて……」

 パタパタと服の汚れを払いながら、崩れたコンクリに注意しつつ地上を見上げる。姿は見えないが、一松さんの他に二人分の話し声が聞こえてきた。

「危なかったね、大丈夫だった?」
「たまたま通りかかってよかったよー! 私達ももう少し早く来られればよかったね、ごめんね」
「え、あ、えっと……ありがとう……」
「でも他にも誰かいたよね? 僕、見てくるよ」
「じゃあ私は怪我がないかみておくね」
「あの」
「うん?」
「やっぱりどこか痛い!?」
「大丈夫。僕しかいなかったし……平気」
「そうなんだ? ああよかったー!」
「あ、そうだ! 私達聞いたよ一松くん!」
「そうそう! ゴリンピックのエンブレム! 市松模様に決まったって!」
「えっ」
「すごいよね、素敵な偶然だよね! 私思わず興奮しちゃったよー!」
「僕も僕も! おめでとう一松くん!」
「えっ」
「って、厳密には関係ないんだけどね。はしゃぎすぎちゃったかなぁ……えへへ」
「僕らなんだか自分の事みたいで……つい、ね。あはは」
「〜〜〜〜ッッ!!」

 仲良しカップルの微笑ましいやり取りの直後、ボッと火柱が立ち上った。下水道の底まで「ウァァァ人体自然発火だぁぁー!!」「一松くーん!!」と悲鳴が届いたところで、私達は地上へ戻るべく歩き出した。

「死んだね」
「死にましたね」

 恐るべしリア充の日常会話。一松さんはあの二人に任せよう。通りがかったのは本当に偶然だが、何を隠そうあのカップルも青年部の会員である。一松さんがへそくりごと燃えていない事を祈る。

「しかしツッコミダイブしてくるとは思いませんでした」
「正直すいませんでした……にゃーちゃんのライブでテンションが……」
「アガッてたと」
「超絶アガッてました」

 貝の口に結んだ黒い帯と緑の着流しに、リュックを背負い直した乱入者がほくほくとした顔で拳を握る。魂の半分はライブハウスに置いてきたようで、頭の皿がだいぶ乾いていた。大丈夫なのかそれ。

 松野家三男・松野チョロ松――妖怪「ガラッパ」である。要は河童だが、一般的な河童よりも悪戯好きと女好きに拍車がかかっており、このチョロ松さんに至っては自意識が常に振り切れているため、一松さん同様にいつ暴発するともわからない。黒ひげ危機一髪みたいな人である。

「かわいいですよね、にゃーちゃんさん。私はこの町に来て初めて知った新参者ですが」
「ファンに古参も新参も関係ありませんよ、好きならみんな一緒!」
「そう言ってもらえると安心し「まぁでも僕なんかにゃーちゃんがそれこそ路上で歌ってた頃から応援してたんでもはや親の気持ちっていうか、ハコが大きくなってファン層が増えていくのを見ていると嬉しい反面ちょっと寂しくもあるっていうか、もしもにゃーちゃんが成長する自分がなんだかひとりぼっちだなぁって思った時に帰る場所になれるのは僕みたいな最初期からのファンにしか出来ないことであってある意味今の状態は上手くマッチングしていると言えるんだけどそうすると」

 この人はアレか、にゃーちゃんを普通に好きなんだろうけれども「にゃーちゃんを応援してる自分」も好きなんだろうな。真性の人だな。

「ね、先生はどう思います!?」
「実によく出来た人選だと思いますね」
「そうですよね! ファンは入れ換わるからこそアイドル自身も成長する! いやぁ真理だなぁ〜」
「タイミングも肝要ですよね」
「そうなんですよまさに! 惰性で続けるのも早すぎるロスカットもどう転ぶかわからない! なんたって夢を売り買いするんですから! ホント先生は“わかる”方ですね〜!」
「や、私ではなく」

 流石は我らがザ・ボスって事でして。

「ですよねぇ、チョロ松さん」
「そうよねぇ、チョロ松くん?」

 薄暗い通路の向こう、歴戦のファイターも斯くやといった凄まじい鬼気を放ちながら、巨大魚がゆらりと姿を現した。彼女は赤塚町にて最強……!!

 プレイヤー1、松野チョロ松。プレイヤー2、弱井トト子。
 ステージは地下水道をセレクト。

「とっ、トト子ちゃん!? なんでこんな所に……!」
「チョロ松くんこそ不正な売り上げを持ち逃げしてどうするつもりだったのー? トト子に教えてくれるよねー?」
「んんんんん〜〜〜〜!!」
「そのんーんー言うのをやめなさいシコ松!!」
「〜〜っごめんトト子ちゃん! どうしても! おもてなしされたいお店があるんだ! 妖怪仲間からは“桃源郷”とまで言われるユートピア……! そこの楼主とひ、ひひひ一晩過ごすために僕達は……っ!」
「レフェリー」
「FINAL ROUND,FIGHTッッ!!」

 処刑のゴングを鳴らすだけの私であるが、気になったのでチョロ松さんに推しを訊ねてみた。
 トト子副会長の華麗なボディブローをもらった彼は「さくらちゃん推し! 屈強Kからの春風脚は外せなボェバァァァァッッ!!」と断末魔の叫びをあげながら、下水の底へと沈んでいった。間髪入れずにトト子副会長が地引き網を構えて追走する。
 すごいな、ガラッパ。こんな水でもイケるのか。ちなみに私はローズからのダルシム推しです。

 さて。そろそろ疲れてきた。帰ったら今日の夕飯は作り置きしておいたカレーにしよう。
 しかし、なんやかやで結局のところ1円も回収出来ていない。町中が包囲されているので高飛びはないだろうが、途中で別れたメンバーはどうしているだろうか。
 そんな事を考えながら地上へ繋がるマンホールを開けると、誰だと思う?

「♪これからは何が俺を縛りつけるだろう〜」
「…………」
「♪仕組まれた自由に誰も気づかずに〜」

 駅前広場に出たようだ。夕飯時は人通りが多く、商店街の方からはタイムセールを告げる呼び込みが聞こえてくる。
 タバコ屋のおばちゃんに断りを入れ、私は赤電話に硬貨を数枚投入した。

「……ッフ、今日は実にハードな1日だったぜ。町中から向けられる視線が流石に熱すぎてな、ヤケドしちまう前にエスケープしてきたんだ。ドクロを隠すには雑踏の中……妙案だろう? マイ・シェリー」
「あ、もしもし。お忙しいところ失礼いたします。ミスター・フラッグにお取り継ぎいただけますか」

 そう言えば福神漬けを切らしていた。人心地ついたら買っていこうか。杏露酒も呑みたいな。

「その様子だとブラザー達に手こずっているな、カラ松ガールズ。さしずめオレがラストランカーといったところか。黄昏ゆく街で運命の邂逅……なぁ、唄うにはいい夜になると思わないか?」
「お疲れ様ですミスター。はい、定時報告です」

 歌うがいこつがキリリと笑う。周囲の人達が総スルーで広場を通り抜けていくのが面白すぎる。

「しかしドクター、残念だが目的のものをオレは持ち合わせていない。ブラザー達に持たせてもらえなくてな。何故だと思う?」
「ええ、こちらは先ほどチョロ松さんに。……はい、そうです三丁目のラーメン屋さんの前の」

 呼び方安定しないなこの人。あとそれたぶん戦力にカウントされてません。

「そう、オレは孤高のラストランカー……松野家最後のガーディアン。オレの役目はこの身を賭してギルドからの追っ手を引き付けること……!」
「はい、路地を少し入った所です。下水道までブチ抜いちゃって……申し訳ありません、経費で落としておいてください。はい。では失礼します」

 商工会のルビがギルドだそうだ。この95001位面白すぎる。いや中身的には36位か。あとそれたぶん捨て石です。

「さぁ、始めようじゃないか、マイ・シェリー。相容れぬ二人がどこまで転がり続けられるか……!」
「あいやお待ちを、カラ松さん。我々の前にはどうやら既に、種族の壁よりも高く厚い長城が聳え立っているようです」
「何だと!? これ以上にオレ達を隔てるバニシングウォールがあると言うのか……!」
「カラ松さん、真の脅威とは非日常に非ず……それはごく身近に、ともすれば消えてしまうような物質世界に息づいているものなのですよ」
「なんて事だ……オレは運命に翻弄されるあまり、見慣れた駅前広場に存在するリアルに気が付いていなかったのか……!」
「ヒトもあやかしも、等しく業の深いものです……」
「教えてくれドクター! 一体どうすればいいんだ、このオレは……!」
「その解も、ごく単純なものですよカラ松さん……」

 カラカラ焦っているがいこつを持ち上げてみる。肉も皮も付いていない分、十四松さんより少しだけ軽かった。
 はい、おおきく振りかぶってー

「ヘイチビ太さんパァァァァァァッッス!!」
「っしゃらァァァァ!! でかしたぜ先生!!」
「おおおおおおおう!?」

 エンドゾーン(公衆電話裏)で待機していたチビ太さんが、相手ディフェンス(通行人)を振り切って華麗なパスキャッチをキメた。がいこつを抱えてそのままフィールド(駅前広場)を疾走していく。これがチビ太バットゴースト……!

「チビ太!? ちょっと待てどこへ行くんだ!?」
「うるせェやい! こちとらテメェらのおかげで散々な目にあったんだからな! このままおめェでダシとってやるよバーロー!!」
「待て待てチビ太! Waitだ! そもそもこれはおそ松がだな!」
「オメーもノッたんだろうがカラ松よォ!!」
「ノッたけれども!!」
「だったら六人揃って同罪だろうがてやんでェバーローちくしょい!! 観念しておでんのダシになりやがれ!!」
「なるわけない!!」
「いくぜェ!! これがオイラ渾身のタッチダウンだバーロォォォォォ!!」
「アアアアアアアーーーー!!」

 ばっしゃあああん!
 遠くに見える屋台から断末魔があがり、黄金色の光がパァァッと飛び散った。いつの間にか出てきた、黒帯を貝の口で結んだ青い着流しの胴体も、手際よく撃沈させられている。えんがちょえんがちょ。

 松野家次男・松野カラ松――妖怪の定番「しゃれこうべ」である。ドクロのはずが特徴は濃い口で、肉も皮も付いている十四松さんと並べると、何故だか骨だけの彼の方が印象深い。脳にこびり付くオカルトである。

 さて。なんかもういいかな、と思い立ったが即日。私は自宅件診療所に帰ってきた。福神漬けも買った。
 しかしどういうワケだろう。なんだか室内がカレーくさい。
 私はひとつ深呼吸をして覚悟を決めて、居間の障子戸を引いた。

「んぁ、おかえりィ〜」

 パチリ。赤い着流しを貝の口の黒帯で締めた背中が片手を振る。ひらひら揺れているのは黒炭が爆ぜる火鉢の中から取り出した、温めていたであろう牛乳ビンだ。
 ブラウン管テレビは競馬中継が垂れ流されており、当人はそちらから目を離さない。
 私もまた、角ちゃぶ台に置かれたモノに釘付けだ。

「あれですか、松野家にはウチのカレーを完食せにゃならん家訓でもあるんですか」
「いやぁうまいよコレ。福神漬けある?」
「…………」
「さすがぁ〜!」

 がさりと買い物袋を揺らしてやれば、行儀悪くスプーンをくわえたまま、赤い着流しがへらへら笑いながらこちらを見た。

 松野家長男・松野おそ松――妖怪の総大将「ぬらりひょん」である。

「大変ご多忙おねーさん、牛乳飲む?」
「ああ……地獄の黒炎で熱せられた甘美なる乳白色の」
「あイタタタッ! 先生抜けてない、カラ松語が抜けてないよお〜!」
「ああ……」
「傷心だねぇ。大丈夫? セックスする?」
「へそくりください」
「役員さんたちあちこち駆けずり回ってたね〜。どぉ? 誰か捕まった? チョロ松十四松あたりは難しいんでない?」
「チョロ松さんはトト子副会長にメンチ切られてましたよ」
「即死トラップじゃん! うわぁ〜えげつないね〜。つーかさ、一松からオレの居場所聞かなかったんだ?」
「最初っから捕獲対象に組み込まれてませんよ。労力のムダざんす! って」
「それで誰も来なかったのかよ!」
「ラク出来たでしょうに」
「あー、トド松が羨ましがってたわ。福神漬けうまっ!」
「カレー鍋ごとなくなってるのはどういった了見で」
「六つ子ローテ?」
「留守中の我が家が給水所と化していた……」

 更にらっきょうまで要求してきた長男を無視して、温まった牛乳をビンごと煽った。ぬるい甘さに一息つきそうになるが、作戦は依然として継続中である。

 ぬらりひょんは他所様の家へ勝手に上がり込み、タダ飯を喰らって帰っていくという自由奔放な妖怪である。反面、妖怪の総大将とも言われており、どこかの孫のようなカリスマ性溢れる偉大な先人も確かに存在する。
 しかしながらこの男、松野おそ松は真性のクズ遺伝子を持って産まれたキング・オブ・ニートであると、本人親兄弟が太鼓判を押しに押している。
 当然、妖怪一派の頭を張れる甲斐性も畏もあろうはずがなく。彼が時折発するリーダー力は、六つ子兄弟の中でのみ発揮される――と、旧知であるイヤミ理事は、前歯に虫歯が出来た時のような顰めっ面をしながら教えてくれた。

「おそ松の大将」
「んー?」
「意中の別嬪さんには会えたんですかい」
「それがさぁぁー! もうちょい! もうちょいお金が足んないの!」
「使い込んではいないわけですね」
「あの店一括払いだからさぁ〜。80周年パーティーの売り上げで絶対足りたと思ったのに! もっと高く売り付けりゃあ良かったわー」

 備品代をギリギリ不正に使い込んでおいてこのがめつさよ。荒物問屋で客商売をするより卸問屋をやった方がこの人らは儲ける気がする。言わないけれども。

「こっちもトト子副会長に『何の成果も得られませんでしたァー!』なんて報告出来ませんからね。ここらで現物出していただけると有難いんですけど」
「えええ〜いくら先生でもこればっかりは譲れねぇよ〜?」
「力尽くも厭わない所存」
「そしたらオレ、とんずらするも〜ん!」
「では一発ヤる権利とチェーンジでどうですか。私と」
「えっ」

 野球の審判のジェスチャーを交えながら取引を持ちかけると、いとも簡単におそ松の大将は真顔にカタマった。トト子副会長たちの助言通り、遠くの美女より目先のエロである。

「まままままマジで?」
「次に稼げるのなんて夏の納涼祭でしょう? 長期スパンで計画的に金策とか、大将方にはそもそも向いてないでしょうよ」
「そっ、そう、かな……?」
「そーですよ。じれったいとか思いません?」
「そう、かも……?」
「そーですよ」
「な、なんかオレ正気に戻ってきたかも……」
「今なら弟さんもいませんし、独り占めですよ。元はと言えばナニをしたかったんです?」
「ヤリたい!!」
「でしょう? だったら、ねぇ? おそ松さん」
「わかったチェンジで!! うっひょおお〜やったぁ〜!!」

 いとも容易く弟さん達を切り捨てよった。清々しいクズである。
 目ン玉を血走らせたおそ松の大将が、カクカクした動きで私のヨレた白衣に手をかけた、その時。障子戸がカラリと音を立てた。
 お約束ゥ〜!

「ハイハイ、邪魔するざんすよ」
「ブッフォォウ?!!」

 完璧すぎるタイミングで現れたイヤミ理事に吃驚して、おそ松の大将が飛び上がった。天井までイッた。

「いいいイヤミ!? お前ふざっけんなよいきなり3人でとかオレは認めません!」
「要らない心配しないでちょーよ! それよりホラ、ネタは上がったざんすよおそ松」
「はぁ!?」
「あ〜、ソッチでしたか。ありがとうございますイヤミ理事」
「センセーが仕事してくれたおかげで捗ったざんす。相談役の面目躍如ざんすね」
「六つ子釣り出してダベッてただけですよぉ。体張ってくれた皆さんに申し訳なかった」
「待って待ってオレ置いてかないで! なに!? 何をわかり合っちゃってんの!?」
「ハタ坊特別顧問と社員達が見つけたざんすよ、フラッグコーポレーションで。六つ子ちゃん達が隠したへそくりぜーんぶ!」
「んなっ!?」
「金を隠すにゃ金の中とは……いやぁなかなかでしたねぇ、大将」

 スケールがおかしいタンス貯金をしておきながら、ミスターフラッグの金勘定に杜撰さはなかった。
 魂が抜けて白くなっていくおそ松の大将へ、イヤミ理事が印籠を突き付ける。

「シェ〜〜ッ! へそくりは全額回収! チミ達の今期予算は7掛け! 往生するがいいざんすよ〜!」
「追加オプションで弟さん方からの制裁もありますよ〜。未遂でも離反ムリゼッタ〜イ」

 左団扇にしゃくれ顔で煽りに煽っていくスタイルのイヤミ理事と私へ、最後っ屁とばかりにおそ松の大将が噛み付いてきた。
 同時に、地獄の底から這い上がってきたようなおどろおどろしい足音が聞こえてくる。なむなむ。

「くっそ……! 覚えてろよ鬼商工会ぃ〜! って待て待てお前ら! 違うから! オレまだDT捨ててないから!! ちょっ、待っ、あああああせめてマイルドにしてぇぇ〜〜!!」

 5人の恨みが長男を襲う――!

 そして理不尽にも巻き込まれたイヤミ理事と、破壊されていく我が家の居間を眺めながら、私は福神漬けをつまんで口に入れた。
 こりゃ週末は障子と襖の張り替えで潰れるなぁ。


 斯くして、臨時議案第6号、赤塚町商工会員+有志による「松野家6兄弟大包囲作戦〜へそくりを奪取せよ〜」はやや強引に可決されたのである。

 ここは人種のごった煮長屋。赤塚町は、今日もヒトと妖怪が勝手気ままに生きている。
 町の調和を面白おかしく保つため、商工会の日曜会議は続くのである。

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