「用意が出来たよ、ブルーベル」そんな穏やかな声音を聴いて、わたしは両手に抱えていた四角い形とふんわりとした手触りが特徴である気に入りのクッションを何の未練も無く手放す。
同様にふかふかとしてわたしの体重をいとも容易く受け止めるベッドから、バネ仕掛けのからくり人形のように勢いを連れて上半身を起き上がらせると、甘い匂いが悪戯に鼻孔を撫でた。
シナモンの香りも其れに続く。今なら蜜に誘われ花の花弁に降り立つ蝶の心情が如実に理解出来そうだ。

開け放されていた大きな窓から続く庭園の中央、円卓の周囲に疎らに椅子が数個置かれた其処へ小走りで向かう。一歩進む度に芝生の少しだけ硬い感触が裸足の足裏を柔らかく引っ掻くものだから妙に擽ったい。


「桔梗とデイジーは?」
「書類の整理して貰ってるけど、もうそろそろ終わるんじゃないかな。此処でお茶する事は二人共知ってるしその内来るよ」


くるりと回した視界の中に見慣れた色彩達が見当たらない、其の事実に対して抱くのは幾ばくかの物足りなさと其れ以上に控えめな、けれどもわたしの胸中の一角で密に凝縮された確かな悦び。
どうせお茶を楽しむなら折角の卓上を流麗な模様に彩られたカップとソーサー達で賑やかにして、白の面をケーキと紅茶の可愛らしい色合いで飾って仕上げにマカロンを盛ったティースタンドの一つでも置いてしまいたいのだけれど、二対の椅子と二対のカップ、一つのポットに一つの茶漉しと言う取り合わせだって相当な魅力を抱えている。

イギリスの淑女を気取るには経験が足りないと言う何とも耳に痛く、そしてデリカシー配慮気遣い等々が欠けた指摘を五日前に寄越してきたのはザクロだけど、こうして白蘭と二人で開放と閉鎖の両面を併せ持った空間に佇めばやはり自分自身に婦人の影を忍ばせたくなってしまう。ザクロの理解なんて無くたって構わない、おんなってきっとそういうものだもの。

壁の代わりに周囲を囲う窓硝子からは高層階故に空模様のみが臨め、昼の燦々とした柔らかな光の膜が何の遮蔽物に遮られる事も無く真っ直ぐに降ってくる。
其れを受け止める白蘭の髪が、わたしが瞬きをする度に仄かに輪郭を煌めかせるものだから、せめてあと三十分はこの場に来ないようにと桔梗及びデイジーに対して念じてしまった。テレパシーが使えたなら、などと考えるわたしは我ながら幼い。


「ブルーベル?」


どうしたの、と窺うように一言問われて、傍らで首を傾げる白蘭の頬に掛かった髪の一筋が動く様さえ目で追ってしまっていた自分に気付く。
問われたからと言って、足を擽る芝生のこそばゆい感触も忘れてあなたの容姿に見惚れていました何て回答を返せる訳も無い為に、わたしの脳は若干急いて適当に繕えそうな言葉候補を捜索し始める。

素直に言ってしまえば良いものを、と思うのも他ならぬわたしの自意識なのだけど、恐らく事実だけを告げれば白蘭はただ何時ものように薄い唇でゆっくりと弧月を生み出して「ありがとう」の一言を声に換えるだけだろう。そしてわたしは高確率で其の微笑に視線を持っていかれてしまう予感がする。
そんな事態は断固回避。自分の発言に因って白蘭に頭を撫でられるような結果を招く内は、わたしは幼子と呼ばれる枠組みから自力で脱け出せない。


「みんなで楽しくお茶するのは好きだけど、偶にはびゃくらんと二人きりになりたいなって思ったの」


そうしてわたしの唇から転がり出たのは、隠そうとした其れとはまた別の本音。これはこれで言葉を吐き出し終えた後に相手と真正面から視線を絡ませる事に気恥ずかしさ故の抵抗を覚えるような台詞ではあるけれど、見惚れた云々よりも色の気配が漂う主張ではある筈だ。
皿の上で八等分に切られたアップルパイを見つめながら言い切った事で、閉口と同時に白蘭の表情を確認する機は逃したものの、掌がわたしの頭に置かれる気配は無い。

空気が微動する。 ふ、 と云う声無き音を携えて白蘭の唇から零れ且つわたしの鼓膜を刺激したものは確かに笑みと呼ばれる其れで、其処に何か不穏や浅薄めいた情が含まれているでも無く、ただ笑ったと言う表現が相応しい反応であった事でわたしの首は自然と角度を変えていた。そして網膜で捉えた白蘭の口角の上がり具合に、頭の芯が仄かな熱を帯びる感覚を得る。


「じゃあこうしよう。僕個人が持ち得る自由時間、それを今から百分、君にあげるよ」


そんな台詞をフルーツタルトの上に乗っていた苺の一粒を分け与えるようなものと殆ど大差ない語調で淀み無く連ねると、白蘭はその儘やはり迷いの無い所作で自らの携帯端末を操作し始めた。
茶会を百分先延ばしにするべく動く親指から直線でおよそ五十センチ離れた位置に在る私の頬はと言えば、ポットの内側に満たされている湯と張り合えるかもしれない程の熱を即座に、それはもう魔法のような速さで孕んでしまった。

心臓の不規則な脈動開始、すなわち敗北、ある意味勝利。淑女を気取ろうとしたわたしの背伸びに対する報酬は、子供のカテゴリーに常駐する事も存外魅力的なのではと思う位に甘過ぎた。





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