悪い
ものを
いれた
(でしょう、?)




甘い。
そう気付いた時には既に、アッサムの香り漂う緋色の液体は喉を塞いでいた。吐き出したくとも随意に気道を収縮させる術は流石に心得ていない。
思い切り眉を寄せて一度だけ喉を動かす。生温い液体はどろどろと食道を焦がしながら、じりじりと鼻腔を灼きながら、酷く緩慢な速度で胃の中へと落ちていった。

普段は専ら酒を嗜む所為で鼻が馬鹿に成ったのだと思いたかった。だが血臭を、硝煙の匂いを、髪が焦げて皮膚が爛れる其れを容易に悟れる己の嗅覚が自らの言い訳も欺瞞も赦さない。せめて半端な微温さを遠ざけたくてウェッジウッド社のフェスティビティ柄が施されたティーカップを手の甲で右へ押しやると、直ぐ様足元で耳障りな破壊音が生まれた。
殆ど同時に「はひ、」と言う、感嘆符なのか如何かさえ判断し難い一言も斜め前で生まれ落ちた。


「甘え」


女は馬鹿でも無ければ阿呆でも無い。紅茶の味を示唆する表現一つが褒め言葉では無い事も、其処に怒気が込められている事も彼女なりに察して、其れ故に其の薄い肩を戦慄かせた。
気に入らない。分かっていた筈だ、酒の甘さと紅茶の甘さは天と地程も違う事実を。紅茶の其れは言うなれば紛い物、砂糖だの蜂蜜だのと云った舌の根を悪戯に抉るような粗悪な甘味料さえ足さなければ茶葉の風味は最低限守られる。茶葉の蒸らし方も知らない癖に甘ったるく毒々しい瓶詰めジャムの銘柄だけは覚えやがって、畜生めが。


「てめえは近所の餓鬼にでも茶を振る舞ってるつもりか?」
「すみません、ちょっとジャムを入れ過ぎてしまったかもしれないです…最近お疲れみたいでしたから、檸檬のジャムは如何かと思って。頭を働かせたい時や疲れた時には糖分が良いってルッスーリアさんが言ってたんですよ」


素直に謝罪が零れたかと思いきや、後続するのはお門違い極まれりな一人反省会の結論。最終的には第三者まで話の中に登場する始末に、いよいよ女の思考回路と伝達神経は絡まり合い過ぎて脳の何処かで蝶々結びでも拵えたのかと思わず懸念する。
この女にまともな紅茶を期待した俺の方がもしや馬鹿者だったのか。否、誰であろうと檸檬ジャムの混入は予想出来なかっただろう。果肉や果皮の欠片も見当たらない陶磁器の中身からどうやって正解を見付けろと言うのだ。

床に撒かれて八方に飛び散った飛沫に緋色の名残は無い。ただの水のような透明感を携えた其れから漂う酸味混じりの香りが今更ながら鼻をついて、先刻紅茶をかき混ぜてから飲むような事はしなかった己がいかに賢明であったのかを再確認する。カップの底に沈殿していただろうジャムを態々溶かしてから飲めば最早苦痛にも近い甘さを味わっていたに違いない。下手な刺激物より余程猛毒だ。


「それならてめえが飲めば良い」
「ハルは疲れてませんから大丈夫です。それに檸檬ジャムはザンザスさんの為にチョイスしたんですから」


皮肉も通じねえのか。舌を打ったとて、女は何時も自分が何か粗相をしたかと慌てる前に俺の様子を窺う。黒くて円くて虹彩と瞳の境界線がはっきりとしない眼で俺を見て、何か有ったんですかと、時には具合が悪いんですかなどと言ってのけるのだ。皮肉も通じない、のか。
檸檬を連呼する唇が未だ何か言っている。次に林檎ジャムだのブルーベリージャムだのと宣えば今度こそ床に這いつくばらせて自らが推奨する檸檬ジャム入りのアッサムを飲ませてやろうと決めていたにも関わらず、女は何故か昨日ルッスーリアと共同で昼食を手ずから作った時の事を語っていた。これ程までに相槌の必要性が感じられなかった経験は未だ嘗て無い。

舌を打つ。女はやはり首を傾げた。
びりびりと舌を引っ掻いて、どろどろと食道を焦がして、じりじりと鼻腔を灼いて、酷く緩慢な速度で胃の中へと落ちていった三グラムの檸檬ジャムが内腑にべたりと貼り付く前に対処しなければならない。今の俺が為せる有意義な事柄の内、最も優先順位の高い項目は其れだ。


「紅茶はもう良い、…ブランデーを持って来い。今度妙なモン入れたら承知しねえぞ」
「ブランデーですね、分かりました。次は幾つか違う種類のものを用意してザンザスさんに好きな奴を選んで貰えるようにしますから!」


晴れやかな笑顔の残像を遺して女は去る。
執務室の卓が色とりどりの添加物に侵食され埋め尽くされるのと、俺の言葉と嗜好が正確に女に伝わるのとではどちらが早いのか。悲しいかな、間違い無く前者だ。





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ヴァリアー×ハル企画サイト「Beatrice!」さまに提出

(title:この娘うります)


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