一体全体何が迂闊だったのか、其の原因を探るのであれば正解は容易く拾い上げる事が出来る。緑の匂いが恋しくなった、ただ其れだけに他ならなかったのだから。

他者の精神に憑依して表面世界に顔を出す、そんな仮面を被って呼吸を試みるような真似をして深緑に埋もれたくは無くて、幻覚とは言え自らの手足と自らの容姿と自らの五感を伴って芝生の上に寝転んでみた。時は五月、天候は晴れ。鋭さを幾分削いだ陽光が枝葉の天蓋に因って程好く遮られる其処で、右手に樹木を見て、左手にそこそこ背丈の在る植え込みを据える。

市街地から離れた其の簡易的な閉鎖空間で食む酸素はやけに軽くて何の味もしない。ひゅう、と、風が鳴く。其の拍子に僕の視野の外、草の上に寝かせた頭の斜め後ろに座る人間のやたらと長い髪が一筋煽られて揺れた。


「ちょっと骸、寝ないでよ」
「気安く名を呼ぶなと何度言えば解るんですか」
「どう呼ぶかなんてブルーベルの自由だもん」


成る程、一理有ると認めなくも無い。僕には名を主張する権利は有れど相手が使う呼称を決定してしまえる程の権限は無いだろう。無論頭の横で座り込んだ儘不動を保つ少女もまた然り、だからこそ僕は彼女の名を呼ばない。

以前この声音のキーが少々高い少女と散歩中に偶々出会してしまった事も、二言三言の会話を紡いだだけで何故かいたく気に入られてしまった事も、本日十分前に翠色の絨毯に寝転ぶ現場を目撃されてしまった事も、全ては偶然でありながら僕が己の迂闊さで以て招いた事柄だ。青い香りのする酸素を求めると毎回ろくな事にならない。
「びゃくらんには言わないであげるからブルーベルの相手をしなさい」と宣った彼女はあの時、一体何を根拠に自分が命令を下せる程の絶対的権力を手にしたと錯覚し、何を理由に自らを優位に立たせ、何が原因で小さな唇を三日月の形に吊り上げていたのだろうか。全くもって不明な儘で今日を迎えている。


「ちょっと、聞いてるの骸!」
「ええ」
「ムカつくー」


何時の間にか語られ始めていたらしい話の内容など欠片も鼓膜の奥へ招き入れていなかっただけに、是と言えば僕は嘘つきになるが、何れにせよ是と答えようが否と告げようが肉付きの薄い頬はどうせ小栗鼠の真似事をするのだろう。
頬を膨らませてみせる仕種は正しく幼子の其れで、抱えられた膝の細さも子供の其れで、嗚呼まったく溜め息若しくは欠伸が出そうだ。

駆け引きのかの字も知らない人間には何も仕掛ける事が出来ない。無知は恐ろしい。其の癖ミルフィオーレが持つ資料だとかで僕の顔を知り得、尚且つ記憶までしているのだからやはり溜め息を漏らすしか無い。


「このブルーベルが話し相手になってあげてるんだから、ちゃんと聞くべきよ」
「勝手に近寄って来たのは君でしょう」
「骸がこの辺うろついてたからよ」


どうやら子供と言う生き物の一部は物事に理由を見付け出して事実に変換する事が酷く不得手らしい。僕が彼女ぐらいの年齢の頃には輪廻の記憶と追憶に浸る余裕をとうに手にしていたから、其の一部に僕は含まれない訳だけれども。
そして子供は大人に憧れる時期を経て、大人を嫌悪する季節を跨ぎ、自我の中に大人に対する固定観念を形成していくのだろう。二十歳を過ぎた妙齢の異性に憧憬を抱く時期真っ只中の彼女の頬は、白蘭の事を語る時に淡く染まる。

自らが子供であると、女であると、そう自覚する位には利口で其れを武器に換える発想は浮かばない程度には間抜けな少女の瞳は、むやみやたらにきらりきらりと瞬く。
其の怪光線でも発射してしまえそうな眼差しが、出会う度に視線を交わす毎にぎらぎらと輝きを増してゆくように見えるのは何事だろう。

主と定めた男を慕いたいのであれば傍らに観賞用ビスクドールよろしく佇んでいれば良いし、仲間と呼びたい男達に不満が有るなら僕では無く本人に言えば済む話。それなのに度々僕が緑に包まれる機会に飛び入り参加してくる辺りに最早気疲れさえ覚える。そろそろ溜め息が実際に吐き出されそうだ。


「話し相手が欲しいなら、白蘭なりお仲間なりの所に行けば良い」
「びゃくらん達じゃあ駄目なの!どんなルートで話が伝わるかなんて分からないもの。わたしは骸に話したいの、骸だから話すのよ」


此れはまた随分と陳腐な台詞もあったものだ。何故こうも彼女に好意を持たれる結果となったのか皆目検討もつかない、まさか今までに遣り取りした数少ない言葉達の中には彼女の未完成な心に衝撃と勘違いを与える言い回しでも埋もれていたりするのだろうか。だとしたら僕は迂闊にも程が有り過ぎる。
ぎらつく瞳が送り出してくる熱視線が肌に痛い。ゆっくりと溜め息を吐き出すと、何故だか中断された筈の話の続きが少女特有のやや高音な声色で語られ始めてしまった。一先ず寝てしまっても良いだろうか。





‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

骸に一目惚れしたブルーベル

(title:hmr)



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