『どう、のんびりしてる?寂しくて泣いたりとかしてない?』


鼓膜を擽る声色は大分判り易く揶揄を孕んでいる。仕事でスペインへ発ってから態と五日の間電話を寄越さず、メールも情緒を削いだ必要最低限の言葉達を並べて返し、帰国を明日に控えながら態々今日この夜に電話を掛けてきた男の声。
性格は曲がると言うよりいっそ捻れたと称した方が素直に頷ける人物だと、いい加減解っていた筈なのに。指定の着信音が鳴り響いた際に反射的に携帯に飛び付いてしまった私はそこそこ馬鹿だ。
これ見よがしにおやつを眼前へ掲げられた犬だって、芸を見せる事が案外近道に繋がると分かっているだけに素直に飛び付きはしないだろうに。


「泣いてなんかいません。チェルベッロさん達もよく気にかけてくれて、何だかお嬢さまにでもなったみたいな気分です。さっきもケーキ買って来てくれたんですよ、しかもハルの好きなチーズケーキだったんです!」
『何だ、泣いてないの?まあ寛いでるみたいだし良かったけど』
「はい、昼間からケーキを食べれるなんてハッピーです。でも代金を払おうとしたら断られてしまいました…」
『ハハハ、そりゃそうだよ。あの子達は僕や幹部の部下なんだから君からお金取ったりしないって』


耳に押し当てた携帯に内蔵されているスピーカーを介して、少々意地の悪い台詞と共に軽やかな笑い声が届く。
例えば少なからず寂しかったとか、ベイクドチーズケーキの口どけの良さも二人で楽しみたかったとか。そんな台詞は明日の昼に空港ロビーへ降り立つ人に向かって投げ掛けるものとしては可愛げに欠けてしまう。
出発して二日、帰国まで四日余り残されている時点で桃色の髪を持った自称世話役の女性達がアップルパイを持って来てくれたならば、其の晩に携帯電話が特定のメロディを奏でていたならば、私も態とらしく拗ねた声で本音をぶつけてやれたのに。ケーキは一人よりも二人で食べた方が美味しい。

泣いてない、其れは断言出来る事実。但し沈黙を貫く端末機の素っ気なくて冷たい感触には泣きそうになっただなんて事を教える心算は毛頭無かった。
私の胸中が寂しさ以上に至福と寛ぎに充ちていたのだと解釈して、心持ち急いて帰路に着けば良い。そしたらきっと、彼の性悪具合をシュークリーム一つで許してあげられる気がするから。


「白蘭さん」
『ん?』
「チーズケーキ、食べたいなら一切れ取って置きますけど」
『いや、それは君が食べなよ。折角だから美味しさがちゃんと保たれてる内に味わった方が良い。妙にパサついたケーキなんて嫌でしょ?』
「……確かにそれは、嫌です」


乾いたケーキは美味しくない。そう言うのであれば瑞々しい果物と淡雪のようなクリームに飾られた、いかにも女の子が好みそうなスイーツを片手に帰って来てはくれないだろうか、なんて。電波と声の飛ぶ先に居る男が今現在イタリア国内を走る車の後部座席に座っていたならどれだけ言い易かっただろう。

スピーカーから漏れるのは落ち着いていながらも飄々とした色合いを失わない低い声だけで、篭ったエンジン音も雑踏特有のざわめきも無いまっさらな空気が感じられる。
恐らく滞在しているホテルの一室内でソファ或いはベッドに腰掛けでもしてゆるりと寛いでいるに違いない。相手の情報が視覚や触覚から得られない現状に、脳が勝手に二人の間に温度差を捏造し始める。
大人ぶって強がってみたって、物分かりの宜しい女を醸してみたって、私の寂しさに対する弱さは昔から改善されていない。ついでに言えばこの万年多忙な男が紡ぐ低音にも弱い。


『イタリアに着いたら一度連絡するし、なるべく早く帰るからさ。そんな寂しそうな声で名前呼ばないでよ』
「な、……っ…」


思わず返す言葉に詰まる。それもあからさまに、だ。
寂しさに弱い所は改善されていない自覚は有った。だが同時に、私に元来備わる妙な意地の強さと負けず嫌いな面も相変わらず健在中。図星を突かれて尚しおらしく本音を告げるだなんて私には難関過ぎた。

予期せぬ言葉の羅列に思わず金魚よろしく私が口を無音で開閉させる一方、喉奥を震わせているようなくぐもった笑い声がしっかりと耳に聴こえてくる。
前言撤回、及び訂正、そして改訂。私の両手にシュークリームとモンブランの入った箱が渡されない限り、絶対にお帰りとは言ってやらない。






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(title:にやり)




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