「桔梗は、浅瀬」


わたしは沖、若しくは真ん中。深海じゃあ無いんだから。
そんな風に言葉を並べてみせると、彫りの深い優美な顔立ちをした成人男性はゆるりと首を傾げてみせた。反応は示す癖に右手に持った皮表紙の本へ栞を挟む気配すら醸し出さない、大人の男ってまさか皆が皆こうも狡いのかしら。
そういえば白蘭も、話の最中にマシュマロを袋から唇へ運ぶ動作を中断する事は稀だ。嗚呼けれどもザクロは例外、あの男に狡さを演出するような技量はきっと無いし彼奴がまさかの狸だなんて衝撃的事実を有しているとも考えにくい。


「何の話です?」
「海の色よ。タヒチでもイタリアでも無人島でも何処でも良いけど、海の色の話」
「……嗚呼。髪、ですか」


流石は我ら真六弔花リーダー様とでも褒めそやすべきかしら、やはりと言うか案の定と言うか察しが良い。大したヒントも散りばめられていない内に答えを見付け得る其の思考回路と眼に先ずは拍手。
長い指が、自らの水辺にも似た翡翠色の髪を掬う。男なのに骨格が武骨じゃないどころか滑らかでさえある辺りがまた狡い。
肌のきめ細やかさで負ける気なんて毛先数ミリ程も無いのだけれど、仕種の一つ一つに色香の破片を忍ばせる点においてはわたしは桔梗に完敗していた。マニキュアを塗りたくれば同じステージに立てるだとか、そういう事じゃあ無いんだって現状はわたしだって薄々謙虚に認知しつつある。

人差し指と中指に捕まってくるりと捩られている一房の髪を解放、直ぐ様確保。手櫛でもう二つばかり房を浚って編み始めると、漸く桔梗の右手は本を膝の上に乗せた。依然として四十七ページ目が開かれた儘ではあるけれどわたしは寛容な心で其れを黙認、且つ、許容する。個人の楽しみを傍若無人に取り上げる程子供では無い心算だ。


「私と貴女の髪色が海の持つ色彩に似ているのは解りました。けれどブルーベル、その事と今の貴女の行為には何か関係が?」
「ううん、無いよ。コレはわたしがやりたいからやってるの。桔梗っていっつも縛った髪をその儘下ろしてるでしょ、編んでみたらかなり印象変わる気がする」
「…ザクロに揶揄われるのは避けたいんですけど、ね」
「そんなのブルーベルが許さないもん、レディの力作を揶揄ったりしたら鳩尾に一発入れてやるんだから」
「おやおや、頼もしい淑女ですね」
「何時の時代も女は強いの」
「心に留めておきます」


そう、発言と行為に必ずしも関連性が存在する訳では無い。
只わたしの髪と桔梗の髪が、それぞれ海の一角に似ていた。其れに気付いた。
海原に呑まれる色を二人が携えている事に、不意に充足感を覚えたのだ。

実際海の浅瀬よりも遥かに豪奢なエメラルドグリーンの髪は、緩く癖が掛かっているにも関わらず難無く五指の間を摺り抜けていってしまう。わたしの髪は真っ直ぐで、枝毛も切れ毛も無い事が自慢だ。とは言えこんなにも艶やかで傷みの見当たらない髪を目の当たりにしている今現在、真っ直ぐなだけが髪質の長所では無いように思えてくる現実は否定したくても出来ない。
更には桔梗がこの綺麗な髪をわたしの手に委ねている事に満足感と高揚感がじんわりと沸いてくる。幼稚な喜び方だとは思わなくも無いけれど、綺麗なものは老若男女関係なく誰しも好むものなのだから仕方が無い。

じっ、と。桔梗の右手は動かない。脚は組まれた儘で肩は適度に力を抜いた儘で、左腕は傍らのテーブルに預けられた儘。
視線の動きは如何だか判らないけども今の姿はさながらビスク・ドールのよう、ついでに十九世紀のヨーロッパ貴族の礼服でも着てくれたなら正に完璧なのに。そんな服を着こなされた暁には似合い過ぎて直視出来なくなってしまう懸念も、有るには有るけれど。


「ご機嫌ですね、ブルーベル」
「何でそう思うの?」
「ハハン。何故でしょうねぇ」


わたしが尋ねたと言うのに、訊き返されてしまった。
問い掛ける、イコール疑問の答えを知らないし予測も付いていないと云うのが大前提。其れなのにどうして桔梗が其の前提を蹴っ飛ばしてまで何故と言う表現を持ち出したのかなんてわたしに分かる筈も無い。
前言訂正、我らがリーダー様は狡い上に意地悪の側面も持ち併せている。

其の意地悪気味な成人男性に大人じみたはぐらかし方で以て対応された以上、今のわたしの機嫌が確かに上昇傾向に在るという事実をわたし自身の言動で確信させる事は避けたい。既に図星を突かれたが故に沸き出した羞恥心が燻り始めている。

三つ編みは半分以上が完成した。さて、無事に編み終わった際には背中が視野の外であるのを良い事にリボンで可愛らしく飾ってみようか。
目には目を、ささやかな意地悪には控えめな逆襲を。ハムラビ法典にそんな物騒な事柄は書かれていないけれど、わたしの頭の中に在るメモ帳にはそう記されているのだ。




‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「ルージュは要らない」に提出



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -