「大丈夫ですってばー、ハルさん霊感とか無いでしょ」
「それじゃ安心出来ないんです…だってハルには見えないだけで、もしかしたら…も、もしか、したら………ううう、」
「ハイハイ、ホントに大丈夫ですから。幽霊なんて居ませんから。て言うかそんなにホラー系が嫌いなのに、そもそも何で見ようと思ったんですかー?」
「ベルさんが、面白いからオススメだって…」


如何にも宥めると言う行為は、フランが得意とする事項の一つに追加出来ない。日頃から相手の神経を逆撫でする返答ばかり口にしている所為だろうか。けれども其の返答の中身だって別段悪意を形にしている訳では無くて、単に頭の中で思った事が理性に因って補整される前に言葉に成ってしまっただけであったり、或いはあくまで自分に素直になっているだけなのだ。

そして今回も例に漏れず己の心に対して正直に反応を返している訳だが、何故だかどうしても声帯からは若干投げやり気味な声が生まれてしまう。
現状を面倒だとは思っていないし、歳上でありながら子供のようにフランの衣服の裾を握って泣きべそをかくハルを煩わしいだとか鬱陶しいといった風には少しも思っていない。それでも尚呆れたような声色を自然と紡いでしまうのは、此方が素っ気なく応じる程にハルの指が強く裾を握るからかもしれない。
テレビで見た心霊特集番組の内容が頻りに頭にちらつくのだ、と言って夜更けに半泣き状態でフランの部屋を訪れたハルの指は、扉を開けた二十七秒後から今現在に至るまでの間中鉤爪のようにしっかりとフランの服を捕え続けている。

フランは其れを手ずから外しても良かった。振り払っても良かった。華奢な五指をそっと自分の掌で包んでやっても良かった。
甘受するも諭すも放っておくもフランの自由で、ハルは無自覚の内にそれだけの選択の幅をフランに与えていた。


「……全く、しょうがない人ですねー」


フランの薄く開いた唇から小さく、本当に小さく、溜め息に類似した単なる二酸化炭素が零れ落ちる。其れと同時に服の布地に添う黒髪の傍を勿忘草色がゆるりと掠めて、ハルはそれまでシーツにぺたりと押し付けていた片頬を何の未練も無く其の場から離して浮かせた。
緩やかな曲線を持つ黒々とした睫毛が、薄明かりの中でもそうと判る程に忙しなくぱちぱちと瞬く。


「フランちゃん、蝶!青い蝶ですよ!」
「そうですねー」
「綺麗です、凄いです、あんな色の蝶初めて見ました!端から端まで全部が真っ青ですよ、凄いです」
「はい、そうですねー」


先刻までの意気消沈振りと目一杯に怯えを内包させた眼差しは何処へやら、引き結ばれていた筈の唇は容易く開いて凄いと言う単語を二回繰り返した。
部屋の中を右に上にと不規則な動きで飛び回る蝶に釣られ、ハルの両目も上に下に斜め左にと動き回り、ついには蝶を追って顎や首の角度までも変え始める。大きく広げられた露草色の薄い翅が瞬く度に、ハルの瞳も揺れる。

寝台の上に両脚を伸ばした儘間延びした声色で相槌を打ったフランが片腕を伸ばして軽く指を開くと、蝶は吸い寄せられるように身を寄せて髪の毛かと疑う程に細い足をフランの人差し指の真ん中へ乗せた。
其の儘ゆっくりと翅を揺らめかせながらも飛び立つ事無く静止する様子に、ハルの表情が夜の遊園地で回転木馬を凝視する子供の其れと同じものになる。
そんな変化を一瞥した後、フランは突如現れた一匹の蝶が自らの幻術で造り出した紛い物だとは教えずに口を開く。


「この蝶は凄く珍しい種で、この近辺にしか棲んでいないんです。悪い夢や悪い気を吸い取ってくれるって言い伝えが有るらしいですよー。なのでハルさんは今日も明日もその先も、怖い夢は見ません」
「そんなスペシャルな蝶だったんですか…!ラッキーです!」
「しかも何故かミーの部屋によく来ます。センパイや隊長達の部屋で見掛けた事は無いですし、そういう話も聞きませんねー」
「はひ、ますます今夜のハルはラッキーです!と言うか、フランちゃんがラッキーボーイなんですね」


物珍しい色彩に染まる翅の煌めきと稀少種を目にした興奮からハルの気分は一気に盛り上がり、あたかも出逢えた事が幸運であると思わせる情報を受けて更に機嫌は上昇する。更には蝶が悪夢を引き取ってくれると信じた為か、口元が自然と綻んでいた。

テレビから得た視覚情報を意識の底へ追いやった状態で眠りにつけば、ハルの観る夢に霊的な類いが現れる可能性は大分低くなるだろう。少なくとも目下気休めになっている事は確かだ。
仮に自己暗示が働かず苦手とする内容の夢を観たとしても、其れに対しフランが返す言葉や打つ手に迷う事は無い。幸か不幸か、どちらかと言えば舌は良く回る方だ。


「まあそういう言い方も出来るかもしれませんねー。嫌な夢を観た時とか観たくない時ミーの部屋に来れば、多分この蝶に遇えますよ」


そうフランが言い終えた途端、ハルの黒く大きな瞳はまるで魔法使いが持つ魔法の杖に憧れる少女のようにあどけなく煌めいて、未だ蝶が留まる指先へ熱視線を浴びせかける。
そんな表情を斜め左に傾けた視線でちらりと見下ろしたフランが人差し指を軽く揺らすと、青色の蝶は一旦円を描くように旋回した後ハルの顎下で切り揃えられた毛先の端へ接吻を落としてから、やはり左に下にと不規則に翅をひらつかせつつ窓の隙間に滑り込んで夜の空気の只中へと失せた。
斯くして、策は優しさに擬態する。結局の所フランが有する独自の素直さは水面下でしか発揮出来ないのだ。





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