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よく鳴く猫を飼ったら今と同じような心地がするのだろうか、と、ハルは黙考した。並べられた旋律から仲間外れにされた音色が噛み砕かれ、第二者に因ってぶつ切りにされた鼻歌の続きは迷走中。握りしめられたスカートが皺だらけにされて項垂れている。
武骨な輪郭を浮かび上がらせた幾つもの指輪が天井からの照明をきらりと跳ね返す。痛い程に目映い電灯の光を吸い込む壁紙に囲まれながら両脚を投げ出して座るハルは、さながら身籠った雌猫のようなある種の温かさを睫毛に纏わせて居た。


「獄寺さん、そんなに服を握ったら皺が寄っちゃいます」
「ああ」
「返事はするのに何で離さないんですか」
「おう」


カーテンが揺れる。窓の隙間から滑り込んだ細長い風は白い頬に影を落とす黒髪をふわりと浮かせて、ソファの座面にだらしなく垂れ下がった紅いネクタイの裏地から飛び出た糸をゆらりと靡かせて、銀灰色の毛先をほんの僅かに揺らした。

何時からこの部屋は駆け込み寺を代行するように成ったのだろう、と、ハルは黙考する。
コンビニエンスストアよろしく二十四時間営業で住職ならぬ住人は常駐などしておらず、手動ドアは長い指に拐われた儘のスペアの鍵で解錠される。否、果たしてあの鍵は本当の本当に拐われたのだろうか。
咀嚼した溜め息を肺に送り返す。せめて訪問時に乱暴なノックと酒臭い吐息が有ればやれやれと肩を竦めて懐の広い女の一面をジョーク代わりに押し付けてやれたが、素面な上に煙草も咥えずネクタイを緩めてチャイムを鳴らす獄寺を目の当たりにしては如何してなかなかジョークは飛ばせなかった。

獄寺が身動ぐ。未だ袖を通した儘の上着の中で銃口とライターがジャリジャリと、ガリガリと、触れ合って。砂を噛む音よりも陰湿なメロディが零れてゆく。
意地でもハルの膝の上から動こうとしない瓜を匣諸とも一晩だけ預かった秋の日、其の翌朝も獄寺はポケットをジャリジャリと鳴らしながら此処へ訪れた。せめてもの礼と詫びを示す為か、珍しく手土産を持参して。
結局その儘鍵は拐われた、のだろうか。


「獄寺さん、鍵は、」


ぶつ切りにされた鼻歌は再生されず、曲は終わりを迎えていない。本来ならば半音階上がる筈だったラの音は明後日の方向へ弾かれた揚げ句チャイムの音色にかき消されてしまった。
長い指に因って歪なプリーツ加工を施されたスカートは、今夜にでも洗濯機の中で回る事となるに違いない。


「鍵は一体どうしたんですか」
「鍵?」
「この部屋の鍵です」
「あー、そういや借りっぱなしだな。その内返す」
「今は持ってないんですか?」
「持ってたら態々チャイム鳴らしてお前がドア開けんの待ったりしねぇよ」
「……言われてみればそう、ですね」
「今度返すから」
「次はいつ来るんですか」
「わからねえ」
「じゃあいつ返すんですか…」
「わからねえ」


ハルのスカートに包まれた腿に押し付けられた額は、微温い。

先刻まで視察に同行する幹部が山本なのは何故だの十代目の会合における凛々しい態度がどうのと、ぽつりぽつりと獄寺の口脣から漏らされていた言葉の破片達は既に酸素と化していて、今現在其の色素の薄い唇は只いつものようにぶっきらぼうな語調で以て簡素な相槌を打つばかりだった。
ごろごろとソファに寝そべってハルのスカートに皺を作る仕種が獄寺の嵐猫に酷く似ている。
どちらかと言えば猫が飼い主に似たのだろうとは思うものの、最近は飼い主が猫に感化されてきているようにも思う。魚料理を食べる事が増えたのだ。


「ほら、もう起きてください。昨日は遅くまでお酒飲んでいたんでしょう、お腹に優しいご飯作ってあげますから。リゾットとかどうですか」
「…ハーブは入れんなよ」
「はいはい、バジルもパセリも苦手ですもんね」


漸く五指の拘束から逃れたスカートは、やはり一部がハンドメイド仕様のプリーツ加工を施されていた。
途切れた音色は再生する。ラの音は半音階上がり、ソの音が後に続く。鼻歌が緩やかに溶け込んだ外気に包まれながら、獄寺は自らの紅いネクタイを解き始めた。


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揺籃歌(ようらんか)は子守唄の別称だそうです。
10000ヒット記念/塩さんへ



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