ざあざあざあざあざあ、

雨が降っているものだとばかり思っていた。けれども実際は、からりと晴れた夜空からは雨粒の一つさえも墜落してきてなどいなかった。やはり人は先入観を念頭に置き据える、何とも頭の硬い生き物なのだ。

ざあざあと密やかに騒ぐテレビの画面には何も映っていない。電源が落ちているならば其の真っ黒な液晶に映り込んでいるだろうソファーや天井やカーテンや花瓶の一部分は、何一つとして映ってはいない。
網膜を刺激して止まない砂嵐の画が騒ぐ。電源は落ちていないのだから、仲間外れにされて花瓶の傍らへと放り出された花弁のひとひらが真っ黒で無い液晶に映り込む筈も無かった。


「あれ。起きたんですか?まだ寝ていても大丈夫ですよ、入江さん働き詰めでお疲れなんですから」
「……ハルさん、テレビ壊れたの?」
「ああ、電波を受信してないチャンネルに合わせてるんです。しーんとしてるよりも、ちょっと煩い方が眠り易かったりするでしょう?」


入江さんはいっつも音楽を聴いているから尚更かもしれません。言って微笑むハルの片手には紅茶のティーバッグがぶら下がっていた。
既に淹れたのだろうか。だけども香りが無い。
これから淹れるのだろうか。だけども反対の手にカップが無い。

顎に並ぶか否かのラインで切り揃えられた黒髪は遠目に見ても落ち着いている。今この瞬間に喧しくしているのはテレビ画面、だけだ。
寝転んでいたソファーから身体を起こすと背骨と腰の筋肉とが控えめに悲鳴を上げた。テレビ画面が何気なく煩い。リモコンを捉える為に伸ばした五指は、何故か膝から下を覆っていた毛布を連れて胸元へと戻ってきてしまった。
寝起きとは存外と恐ろしいものだ、随意が不随意にすりかわる。


「目は痛くならないの?」
「見ないようにしてますから」
「まだ10時じゃないか。好きな番組観て良いのに」
「今は好きな本を読んでるので、テレビはハルの中でそんなに重要視されてないんです。だから入江さんはぐっすりゆっくりスリープしちゃって下さい」


白い指に捕まった糸の先でティーバッグが振り子のようにゆらゆらと踊っている。雫が垂れない、という事は、やはりこれから淹れるのだろうか。
眼鏡のレンズ越しに見る映像は紅茶の銘柄までは教えてはくれない。それでも茶葉にはそれほど詳しく無い彼女の事だから、所在なげにぶら下がっているあれの中身は八割方ダージリン或いはアールグレイだ。あくまで、八割方の確率で。

視野の外側でテレビがざわめいている。再び伸ばした右手で今度こそリモコンを手にして電源ボタンを一度だけ押すと、相変わらず糸と其の糸に繋がっている物を指先で弄んでいたハルの大きな瞳がほんの僅かばかり丸みを帯びた。
途端にテレビ画面もカーテンもティーバッグも夜空も、黙りこくる。


「僕にも紅茶を淹れてくれないかい?」
「はひ、寝なくても良いんですか?」
「濃い目に淹れた奴を一杯飲んだらもう少しだけ眠るよ」
「入江さんはいっつも紅茶は二杯飲むじゃないですか」


そう言うなりやけにふんわりと笑んでみせたハルは、次の瞬間には鼻唄を歌いながら身体の向きを真逆に変えてキッチンへと足を向けた。
大人しくなったテレビの液晶画面にはソファーの左半分と毛布、それに人の両脚の鏡像がひたすら静かに鎮座している。

コンロに乗せたやかんが小さく唸り始める音が聞こえ、普段ならば微量の苛立ちを喚び起こす厳かな静寂は不思議と鼓膜に染み込んで馴染む。
持ち上げた儘で居たリモコンの置き場所を掌から肘掛けに移して毛布を両脚全体に掛けるといよいよやかんが威嚇する猫のように鳴り出した。

しなやかな背中とたおやかな黒髪を横目に眺めてから閉ざされたカーテンを引いて片手分ばかりの隙間を空ける。
窓の向こうの夜空はやはり晴れていた。千切れた綿菓子のような雲がちらほらと点在する、穏やかな夜だった。





‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

誕生日おめでとう、正一。
(Birth day:12.03)

title⇒にやり

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -