思えば、わたしが現状下で持ちうる白蘭と云う人物に関しての情報は、微量の言い回しがこれ以上に無い程にぴたりと似合う数だけしか現存していなかった。
左眸の直ぐ下に刻まれた三爪痕はワインレッドで描いてはいけなかったのか、と問うた事も無い。似合うか判らない赤褐色よりも現時点で既に似合う事が証明されている濃い紫色の方が、わたしの網膜も脳髄も納得を抱けたからだ。
現の只中で虚構を踏みしめるわたしの両足は常に素肌を晒す。知覚する微温さを忘れないようにする。足裏を汚すものは見ないフリ。
肉を穿ち千切る矛先には成れないから、せめて穢れを洗い流せるように。


「君は防御能力の特化に努めた方が良いね。攻撃の要は桔梗チャンとザクロが担当してくれるし、変則的な戦法はトリカブトやデイジーが得意だ」
「ニュ、……ブルーベルだって戦えるもん、攻撃だって大丈夫よ!非力な人間なんかいっぱい殺せちゃうんだから!」


わたしの激昂と呼ぶには弱々しい主張に呼応するかのように中指に鎮めた指輪が疼いて、其処から立ち上り揺らめく蒼色が白蘭の髪を艶やかに照らす。陽炎の如き儚さで醸し出される焔は綻び始めのファレノプシスにも似た麗しき薄紫に射抜かれて忽ち萎縮、銀特有の光沢を取り戻した指輪は沈黙する。
左胸がとくりと傷む。鼓動が不随意に速まる。筋肉なんてまるで付加していない右手が彷徨う。
嗚呼わたしの覚悟の、なんて未発達な事。

未だ羽の生え揃わない雛を眺めるような眼差しを寄越す白蘭は、まさに直立不動。あやすように五指で髪を梳いてくれるでも無く宥めるように目線の位置を合わせてくれるでも無い。それもそうだ、片膝を床につけて傅くだ何て一見優雅でありながら追従と隷属を示す行為はわたしにこそお似合い。この主が見上げるものは穹と星屑に限られる。

世界でたった一人選ばれた守護者、鎮魂と静謐を両手に揺蕩う曇天の覇者。それなのに、わたしの雨はあなたを濡らしも慰めも出来ない、のね。


「まあ、君達は全員強いから防御役を作らなくても充分かもしれないけど…一応、ね。能力的にもブルーベルが適任なんだ」


綺麗な形の唇を弧月に象る白蘭の瞳は猫のように細められていて、冷えているのか笑んでいるのかわたしの視力じゃ解らない。揺らぐ事なんて元より想像すらつかないけれどずっと穏やかに凪いでいると言うのも背筋がほんのりと冷えてしまう。

世界でたった一つ選ばれた蒼い駒。魚の紋様が彫られた蒼い駒。
真っ白なキングが華麗なるチェックメイトを決める為に屍を積み上げて、最果ての地で自らも積み木細工の土台となり王の座椅子の据え場所と成る六色の駒。
わたしはあなたを守れるかしら。盾に為れるかしら。あなたの座椅子を支え続ける礎に生れるかしら。わたしの背骨の強度は高が知れてしまっているのだけれど、ねえ、あなた一人分の重さなら愛おしく想えるわ。


「…わかった。びゃくらんがそう言うなら頑張る」


壁を砕き崩す鉤爪は持っていないから、せめて汚れを屠れるわたしで居させてよ。
人間に生まれてしまったわたしは惰性と憧憬から逃げられやしないのだから、あなたの足元に置かれた水槽の中で息づきたいの。




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