「あなた達いっつも毛並みを逆立ててばかりですね」


別に目の前の男性が何がしかの哺乳類のような様相を呈しているとは思っていない。そして私は怒っている訳でも、悲しんでいる訳でも、ましてや苛立っている訳でも無くて、ただ単にこの胸中に潜む液状のシャンプーのようにとろりとした懸念が耳打ちしてくるが儘に言葉を並べてみせただけなのだ。

けれども所詮は自分と他人、目線を同じくしたって視える景色は異なるように、私の主観も未来永劫に私以外のものには為らない。
何の不満も抱えていない私が発した台詞をどう受け取ったのか、それまで黙り込んだ儘無言を貫いていた暗殺部隊のお偉いさんは珍しく狼狽したかのように二回瞬きをした。


「あ?何の話だぁ」


質問には敢えて答えない。映画や小説の中にしか存在しないのだとばかり思っていた暗殺を生業とする組織、其処に属していて尚且つ幹部の椅子に腰を据えている人が一体どれ程恐ろしいとされているのか知らないけれど、私にしてみればこの人はただの怪我人だ。
私が右腕に脱脂綿を宛がってテープを貼り付けて包帯を巻き付ける間、じいっと座っている怪我人さん。何時もの声量に富んだ語り口は何処へやら、まさに手負いの獣。

包帯の手触りを感じる事の回数を重ねた今は毒々しいまでに鮮やかで濃厚なヘモグロビン入り体液、所謂血を目にしたとて少々の量じゃあ驚きも怯みもしないまでになってしまったのは他ならぬ私と言う非戦闘員だけれど、幾ばくかの慣れを獲得したからと言って心配と不安の感情までもが其れに順応してくれるだ何て都合の宜しい事には至っていない。
そもそも私はヴァリアーの専属看護士でも何でも無いばかりか、医学の心得だって有りはしない。ただ任務に出向く度に大なり小なり傷をこさえて帰還する幹部陣の応急手当てにあたらせて貰っている内に、三角巾の縛り方を覚えて裂傷と切り傷の違いを視覚から学んだ程度の、要するに付け焼き刃の技術と心構えが小ぢんまりと両手の中に在る位。だから順応なんて、出来ないのだ。


「武器を研いで、神経を研磨して、気配を磨り減らして。ザンザスさんやベル君やフラン君はきっと日頃の態度に少なからず素が出てるんでしょうしあの人達はアレが自然体なんだろうなって思えますけど、スクアーロさんは警戒心の強い猫みたいです」


ぽかん。そんな擬音が銀色に鈍く煌めく頭の回りでくるくると舞っている気がする。
常にひげをぴんと張って尻尾を揺らめかせる猫と、アンテナを張って緊張を緩めないスクアーロさんはとても似た者同士なんじゃないかと私は常々思ってやまない。
若かりし頃から数多の戦場を駆け抜けてきた自分が三十路を過ぎて猫に喩えられるとは流石に想像していなかったのかもしれないし、スクアーロさんの主観では自らを猫だとは思わないのかもしれないけども、私の主観から言えば何時任務が入ったりザンザスさんに呼びつけられたりベル君とフラン君の小競り合いに巻き込まれるかと神経を尖らせている様子はまさしく猫だ。自由奔放に見えて神経質、なんて、口に出しはしないけれど。


「…あー、……悪かった」
「えっ?」
「最近は俺も含めて幹部連中の殆どはお前に手当てを任せてたからなぁ。血に慣れてる訳でもねぇのに、連日傷口ばかり見せられてたんじゃ流石に疲れただろ」


立場逆転、今度は私が睫毛を忙しなく瞬かせてしまう。決して謝罪を期待した訳でも詫びて欲しいと思っていた訳でも無いのだけれど、嗚呼この胸に突如として沸きだしてきた嬉しさは押し込めるべきなのかな、謝られて嬉しくなってしまっただなんて幾ら何でも不謹慎なように思える。
だから待って頂戴私の唇、勝手に笑おうとしないで。


「心配したんですからね」
「ああ」
「無茶しないで下さいね」
「俺が無茶しなきゃならねぇ任務や相手なんざそうそう無ぇよ」
「どうして其処で先ず頷いてくれないんですか、擦り傷にエタノール掛けちゃいますよ」
「…お前、此処に来た始めの頃はもっと大人しくなかったかぁ?」


やはり人の主観は本人だけの物であって相容れない。何度同じ事を思ったか私自身も覚えてはいないけれど、改めてそう感じる。女が何時まで経っても第一印象の儘で在るだなんて有り得ないのだ、だって女は日々変身する能力を生まれながらに持っている生き物なのだから。
怪我をしたあなたを心配しない事なんて出来ないけれど、任務に赴く皆の帰りを如何しようも無い不安と一緒に待つ朝は変わらないけれど、包帯の巻き方を覚える位の変化なら来せるのよ優しい猫さん。




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(title:にやり)


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